Hello, Facili. 2



 アプリをインストールした際にユーザー情報はノートPCとの同期がすでに完了している。それもあって設定にはあまり時間はかからなかった。




「お疲れさまでした。これで面倒な設定作業はすべて完了しました。早速チャット機能をご利用になられますか?」


「ああ。一応、チュートリアル付きで頼む」


「わかりました。それでは説明のためにまずチャット画面を起動します」


 ディスプレイに三つのウインドウが表示され、ファシリが順に指し示していく。


「まず左の大きなウインドウがチャットボードです。ここに勉様とお相手のチャット内容が表示されていきます。文字チャットでは文字が、ライブチャットモードではウェブカメラの映像が投影されます」


 俺がふむふむと頷き返すと、ファシリは移動して別のウインドウをハイライトさせた。


「続いて右下のウインドウがノウレッジボードで、チャット内で使用された専門用語などの解説を載せていきますので参考にしてください。また、直接私に尋ねてくださっても構いません」


「それは助かるな」


 俺が答えるとファシリは愛想よくニコリと笑う。


「最後に画面右上のウインドウですが、これはレコメンデイションボードと言いまして……。うん、これは実際に使っていただいた方が早いでしょう」


「ん? 最後めんどくさくなって省かなかったか?」


「え? まさかそんな事、アルワケナイジャナイデスカー」


「棒読みになってるし、目が泳いでるぞ」


「ふふふ。勉様は意外とノリがいいみたいですね」


「まったく、俺をからかって遊ぶな」


 などと悪態をつきながらも、AIと会話している喜びに内心浸っていた。

 そんな心の内までは流石にわからないだろうなと邪推しながら。



「さてさて、それでは本番に移りましょうか」



 突然の本番という言葉に俺はひゅっと短く息を飲んだ。


 モニターの仕事を受けておいて今更引き返す訳も無いのだが、やはり少しだけ躊躇してしまう。

 というのも、俺は仕事以外で人と話すことがほとんどなかったからだ。


「ひょっとして勉さんは人と会話するのが苦手ですか?」


 覗き込むように見つめてくるファシリ。

 不意に図星をつかれて、


「ああ」


 と素直に答える。

 

 するとファシリはぱあっと明るい表情になったかと思うと自信に満ちた口調で、


「ご安心を。勉様のようなユーザーの方をお助けするために私が存在しているのです!」


 と小さな胸を叩いた。


「ああ、そうだったな。だが俺はプライベートで人と話すのは本当に久しぶりなんだ。だから、手解きを頼む」


「はい! お任せください! それでは少しでも話しやすい相手を見つけるために、まずいくつか質問させて頂いてもよろしいでしょうか?」


「ああ」


「では最初の質問です。年上と年下でしたらどちらが話しやすいですか?」


 上司のご機嫌取りスキルを考慮すれば年上ということになるのかもしれないが、気が楽という意味で言えば――。


「年下……かな」



「なるほど。では次の質問です。勉さんはよく考えてから物を言う方ですか?」


「あー……、どちらかというとよく考えてから胸にしまっておくタイプだな」


「ふふふ。それはイエスと受け取っておきますね。それでは最後の質問です――」


 絞り込みの処理を行っているためか少し間をおいて、


「――異性と話すことに抵抗がありますか?」


 異性か……。


「女性と話すのは得意……とは言えないな。正直なところ女心とか良くわからないし、同性以上に慣れてないから緊張してしまうかも――」


「大丈夫ですよ」


 ファシリは迷いなく言い切った。


「やけに自信がありそうだが、その根拠はあるのか?」



「根拠も何も、今こうやって私と話しているじゃないですか」



 思いもよらない回答に、俺は口をポカンと開けたまま固まってしまった。


 いやいやいやいや、ファシリはあくまでAIであって人間じゃないからな!?

 確かに女性キャラクターだがそれはそういう設定であって……。


 ……て、俺は何を真面目に考えているんだ。


「また俺をからかったな?」


「ふふふ。さあ、どうでしょう」


「まったく、真面目に頼むぞ」



「失礼しました。でも、本当に大丈夫ですよ。私のアルゴリズムが保証します」


「どうだか……」


「ホントにホントですから、信じてください!」


 あっ、急に焦り始めた。


 まあ、意図的に嘘をつけるAIなんて聞いたことが無いからファシリが言っている事は本当なんだろうが、仕返しだ。


 俺は無言のまま右手で自分の顔を覆い隠した。


「怒っているのですか?」


俺の表情を探ろうとウェブカメラがキュインキュイン動いている。

指の隙間から覗くと、一人でアタフタしている小さな大人の女性が見えた。


「さあ、どうかな」


 あえて低く暗いトーンで返す。

 するとファシリはこの世の終わりのような青ざめた表情を浮かべると蹲ってしまった。


「すまん。冗談だ」


 AIとは言え流石にいたたまれなくなって暴露すると、ファシリは中割りをはしょる程の勢いで立ち上がる。と思ったら今度は脱力したようにへたり込んだ。


「はあぁ、よかったです。今度こそ消されるのかと……」


「消されるって、俺はエージェントか何かか?」


 まあ、監視しているという意味ではあながち間違いではないのだが。




 そんなやり取りをしているうちに酔いも醒めてしまったがビールなんてもうどうでも良くなっていた。



「さて、それでは気を取り直して、チャットモードオンです!」


 ファシリが言うとチャットボード内でアニメーションが始まった。


 未知の世界への扉が開いていくような演出の後、そこには十数匹程度の珍妙な生物達が現れた。

端的に言えばゆるキャラだ。


 ひよこみたいなやつや二足歩行のずんぐりした猫、しまいには生物かどうかも怪しいキャラクター達が緑豊かな大きな樹の下でうろうろしている。


「癒し成分多めで選別してみました」


 それは何に対する配慮だ?

 まあ、それは良いとして。


「あれがユーザーのアバターだな?」


「はい」


「俺のアバターはどれだ?」


「まだ画面上には登場していません。初回はランダムで生成されます。この『チャットエリアに参加する』を選択すると、勉様のアバターが現れ、他のユーザーからも視認できるようになります」


「そうか、確かにそういう仕様だったな。じゃあ、さっそく参加だ」


 するとポップアップメッセージで『アバターくじを引きます(初回は無料です)』と表示された後、演出が入りガチャの要領でついに俺のアバターが……て、なんだこれ。


 てっきり可愛らしいキャラが出現するのかと思いきや、現れたのは棒人間だった。

 表情がわからない……というより無い。その分他のアバターよりも動きが大げさな感じがして、なんというか……鬱陶しいな。

 

「ハズレですね。レア度コモンでユーザーからの人気度が最も低い――」


「いや、それ以上説明しなくていい。察した」


「はい。二回目からは有料になりますが、引き直しますか?」


「いや、いい。別に欲しいアバターがいるわけでもないしな」


 と言いながらも、実は引きたい気がないわけでもなかった。

 しかし、これは罠だ。しかも自社製品。

 自分達で掘った墓穴にみすみす嵌るような気がしてならないから自粛するというだけ。


「時々期間限定で無料で引くこともできますし、腕に自信があれば自分で作成する事も出来ますのでご活用ください」


 自分で作る気はしないな。そういうセンスは皆無だ。


「次はどうしたらいい?」


「チャットしたいアバターにチャット申請を送り、受理されるとチャット開始となります。アバターにカーソルを合わせるとユーザー情報を確認することができますので参考にしてみてください」


 俺は試しに棒人間にカーソルを合わせてみた。、


 『ニックネーム:ツムさん』

 『性別:男性』

 『年齢:30』

 『職業:IT関連』


 なるほど、周りのアバターには俺の情報はこう見えているのか。

 

 次にバリ〇さんみたいなひよこキャラクターにカーソルを合わせてみる。


 『ニックネーム:のびのびハラマキさん』

 『性別:女性』

 『年齢:28』

 『職業:OL』


 そういった基本情報とは別に吹き出しの形でコメントが表示される。


『お酒を飲みながらチャットしてます。ライブチャット大歓迎です♡(ただし年収1000万以上の男性に限る)』


 ……うん。


 えーと他は……。

 

 日の丸ハチマキを巻いたやたらやる気満々の白くまにカーソルを合わせる。


『ニックネーム:パツキンガム宮殿さん』

『性別:女性』

『年齢:22歳』

『職業:留学生』

『自由の国からやって参ったでござる! 侍と仲良くなりたいでござるです!』

 

 う、う~んと……次。


 この腹抱えて笑ってるミッキー〇ウスみたいなやつはどうだ?


 『ニックネーム:人生リセットしたいさん』

 『性別:未設定』

 『年齢:24歳』

 『職業:浪人』

 『人生リセットしたい』


 ……うん。俺のスルースキルも限界だな。


「おい、ファシリ。お前の選定システムはどうなってんだ!? 難易度高そうなやつらばかりじゃないか!?」


「そこに表示されている情報以外に、ユーザーのチャット記録なども参考にして選出しています。みなさまとても話しやすい方々ばかりですよ」


「そうか、俺はてっきりお前がウイルスにでも侵されたのかと思ったよ」


「私は処女並みに清純です」


「微妙にアダルトなギャグはやめろ」


「勉様の世代の殿方にはこれくらいの方が受けが良いのですが、改めておきますね」


 ああ、そう言えばそんな機能もあったな。

 相手の年齢や性別、嗜好に合わせてファシリの応答や態度が微妙に変わる、いわゆるカスタマイズ機能のようなものだ。

 そういう意味では同じFaciliでも一人一人、微妙に違う。


 その違いは一般ユーザーには個性として楽しまれているが、それはあくまで個性があるように見えるだけ。実際は本社のサーバーで一つに集約されているので、厳密にいえばFaciliは一人だけしか存在しない。


「それで、どういたしましょう。このエリアを離れますか?」


「ちょっと待ってくれ。他のユーザーもチェックしてみる」



 俺は再びアバター達にカーソルを合わせながらユーザー情報を流し読みしていくが、みんな似たりよったりといった感じで簡単には決められない。


 う~ん。折角ファシリが選んでくれた人達だし思い切ってこの中から選んでみるか?

 ウェブの検索機能と同じように機械的に選ばれているだけなのだが、ファシリ相手だと何となくバツが悪い感じがするから不思議だ。


 全体を眺めた後だとパツキンガム宮殿さん22歳がまともに見えてくる。

 決してパツキンが気になるわけではない。

 決してパツキンが気になるわけでは……。


「パツキンさんが気になりますか?」


 ギクリ。


「いや、別にそんな事はないぞ」


 てか、なぜわかった!? 心を読んだのか?


「カーソルの動きからそう判断したのですが、違いましたか」


「性能が良すぎるのも困ったものだな……」


「何かおっしゃいましたか?」


「いや、別に……」


 ふう、危ない危ない。

 さて、それでどうしたものか。


 パツキンガム宮殿さんの白くまアバターは可愛いんだが、日本刀振り回してるしなぁ。


 まあ、異文化交流だと思ってここは……。






 そうして『チャット申請』をクリックしようとした時だった。

 

 彼女が俺の目の前に現れたのは――。

 

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