◆2-12 ウィル
シーフのスキル〈探知〉と〈忍び足〉を駆使したおかげで、虎男たちに見つかることはなかった。
何度がひやっとする場面はあったけど、鉢合わせすることなく数時間が過ぎた。
それで俺がなにをしてるかって?
なにも。大規模結界を解除する方法を探したし、〈五人目〉については頭がおかしくなるくらい考えてる。けど、収穫はなかった。
虎男たちに見つかってないって言ったけど、俺から接触したことはあるんだ。
一緒に状況を打破しよう、俺は〈五人目〉じゃないと説明させてくれ、って頼みにな。
〝とりつく島もない〟て、ああいうことだな。俺を見るなり襲ってきたよ。
まあ、そうだよな。俺たちは友人でもギルド仲間でもない。顔を合わせたばかりの他人で、〈栄光の戦士〉の座を争うライバルだ。
目的は最終試験を突破すること。不穏な動きをする俺は試験を妨害する邪魔者ってわけだ。
…………〈栄光の戦士〉になるって、どれだけ覚悟が必要なんだろうな。
歴代の〈栄光の戦士〉の名簿を見たことあるけど、すごい人ばかりなんだ。大魔法使い、王国一の剣士、百年に一度の天才魔道師――――華々しい逸話や経歴の人がぞろぞろ出てくる。
俺はそういう肩書きみたいなものに目がいって、精神的な強さなんて考えてなかった。
いや、わかった気になってたんだ。
戦いに身を投じる覚悟。
己を犠牲にする覚悟。
言葉にするのは簡単だ。でも本当に考えたことがあったか?
瀕死の仲間がいるとする。治療の手立てはなく、魔物に囲まれて連れて逃げることもできない。そんな状況で瀕死の仲間を置いていけるのか。
魔物に操られた船が港に突っ込もうとしている。罪のない船員を皆殺しにすれば港への衝突は回避できるとしたら、罪のない船員を殺せるか?
見捨てる覚悟。手を汚す覚悟。そんな決断したくない。
でも敵は待ってくれない。
選ぶ余地もなく、決断の時は無慈悲に訪れる。
戦うとはそういうことだったんだ。
ミアのいうとおりだ。俺には覚悟がない。この試験に命を懸けられるかと問われたら、ノーだ。進んで死ねるかと訊かれたら、できない。
俺は女神に選ばれて、ほとんど強制的に勇者になった。
スタート地点から違ったんだ。血と汗を流して勝ち上がり、文字どおり命懸けで〈栄光の戦士〉を目指すミアたちに、力試しで参加した俺が偉そうになにを言うんだ? 邪魔する権利が俺にあるか?
ここでは全員ライバルで敵、戦う以上負傷もあって当然なんだ――――
あんな小さな子が傷つけられるのが、正しいことか?
噛みしめた奥歯がギリッと軋む。
気持ちをのみこめない。
でも納得するしかないじゃないか。危ないからここまでにしよう、説明になかったんだからノーカウントだ。そんなの子どもの言い分だ。ルールに守られた、ごっこ遊び。
ミアたちは最初から〈五人目〉の危険も折りこんで戦ってるんだ。
リセットして〈五人目〉を探さないのかって?
そりゃあ、ちらっとは考えたけど、やっぱりペナルティがな。それに。
正直、リセットするほうがリスクが高い。
死ぬとすごい痛いし、セーブをやりなおせる回数が無限とはかぎらない。なにかのはずみで、死にっぱなしってこともある。
一番の問題は、リセット前と同じ状況を完璧に再現できないことだ。
たとえばさ、あと一分早く家を出たら遅刻しないですんだのにって経験ないか? たまたま信号が赤になったり、電車が目の前で出発したり。
一分一秒でそんなズレが起こるんだ。俺の発言や行動が少しずれただけで、まわりの反応は変わる。俺の知らないところでなにが起こってるかは未知数だ。
リセット前と後。どんなに状況が似てても別物と考えたほうがいい。
今回、ミニ神官は運よく一命をとりとめた。
でももし次に俺が行くのが一秒遅れたら。〈五人目〉がもっと深くナイフを刺したら……。
死人は甦らない。〈五人目〉を特定するかどうかより、そっちのリスクのほうが重いだろ。
「きついけど、この状況でがんばるしかないよな」
はあ、とため息をついたときだった。
ビタンッ!
いきなり響いた音に、ぎくりとした。
なんだ、いまの音。
ビタンッ!
まただ。なにか叩きつけるような音。坑道の先からだ。
妙だな。この先は行き止まりのはず。大規模結界のせいで俺たちはダンジョンに閉じこめられている。
今度は低いうめき声が聞こえた。まさか虎男が結界を破ろうとしてるのか?
ナイフを手に進む。壁に背をつけて角から結界のほうに目を向け、俺は絶句した。
「――――な、」
そこには予想だにしない光景が広がっていた。
あまりに醜悪で、おぞましい光景が。
何十匹もの魔物が目を剥いて結界に張りついている――――いや、押しつけられていた。
結界の向こうにおびただしい数の魔物が押し寄せ、黒い波のように蠢く。最前列の魔物は詰めかけた同胞に潰され、結界の退魔効果で焼かれていた。
皮膚はただれ、煙があがる。圧迫される苦しみにうめきとも悲鳴ともつかない声で叫ぶ。
だが一ミリも動くことは叶わないまま肉体は限界を迎えた。
目玉が弾け飛び、ぐちゃりと魔物が潰れた。
黒い靄を漂わせて消滅すると、ビタンッ! とまた新たな魔物が結界にぶつかって白煙と絶叫をあげる。
「な、なんだよこれ…………」
なにが起こってる、どうして魔物がこんなに!? なぜ、どうしていま。
――――制限時間。
不意に言葉が浮かび、全身が怖気を震った。
「そうだ、試験のタイムリミット!」
何時だ、ここに来てどれだけ時間が過ぎた!?
「ギィエエエエエエエエ!」
最前列の魔物が断末魔をあげた。圧迫された頭が弾け、骨や髄液をぶちまける。
虹色にきらめく結界に魔物の血肉がべっとりとついた。黒い靄へと昇華していくが、乾ききらないうちに別の魔物が結界に押しつけられる。
地獄だ。
魔物の群れはどこまでも続いている。
坑道の闇の中に無数の赤い目が蠢き、うめき声が地鳴りのようにこだまする。
「冗談だろ……結界が解けた瞬間、こいつらがなだれこんでくるのか、このおびただしい数の魔物がいっせいに…………! やばい、やばすぎる!」
背中に冷や汗がにじんだ。
頭の中にダンジョンマップを広げて現在地と結界に接する通路を確かめに走る。
隣の通路に出て、焦りは恐怖に変わった。
「まずいぞ……!」
蜘蛛の巣のように広がった通路のどれも同じだ。尋常ではない数の魔物が集結し、結界が解けるのを今か今かと待っている。
結界が消えた瞬間、何百、何千という魔物がなだれこむ。尽きることを知らない闇の軍勢をくぐりぬけてダンジョンを脱出するなんて不可能だ。
二重に張られた結界。襲われた神官。おびただしい数の魔物。どう考えても、ふつうじゃない! どこかでなにかが狂った――――――
いいや、最初から?
不意に耳鳴りがして、俺は足をとめた。
気圧が急激に変化し、鋭い痛みが鼓膜を刺す。
空間に巨大な変化が起ころうとしている。
「うそだろ、待ってくれ――――」
願いも虚しく、その瞬間は訪れた。
どんっ、と特大の太鼓を打ち鳴らしたような衝撃が走った。
「く…………っ!!」
空気が振動し、衝撃波が臓腑を突き抜ける。
ばりばりばり、と雷鳴に似た音を轟かせながらダンジョン全体が震え、空間が裂ける。
静寂。
そして、
結界が消失した。
オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
魔物の咆哮が地鳴りのように〈煉獄〉を震わせる。
雄叫び、奇声、羽音、巨大な足音。音という音がなだれこみ、ダンジョン中が邪悪な熱気に支配された。
冷や汗が全身から吹き出した。
「まずい、ここは結界から遠くない、一人であの数とやりあっても蹂躙されるだけだ!」
はっこつクンの広間まで戻ろうとして俺は急ブレーキをかけた。
「音が遠ざかってる……こっちに向かってこない?」
気のせいかと思ったけど、地鳴りは確かに遠ざかっていた。でもどうして?
「この道はたしか……」
引き返さずに道を進んだ。
少し行くと、滑らかな岩に挟まれた細長い空間に出た。やっぱりだ、女神像がある場所だ。
「そうか、清浄な気配を嫌って魔物が寄ってこないのか」
助かった……! 魔物と一度も遭遇しないのは無理でも、このルートとシーフのスキルを駆使すれば、戦闘を最低限に押さえてダンジョンから脱出できる!
でも、ミアたちは?
脳裏を過ぎった考えにぴくりと体が震えた。
みんなまだ結界の中だ。
もし結界の近くにいたらもう戦闘になっている。
だからって戻ってどうなる?
あの数を見ただろ、どんな策があろうと多勢に無勢だ。候補者たちがどこにいるかわからないし、もしかしたら脱出方法を見つけて逃げたあとかもしれない。
今さら戻っても遅い、無駄死にしに行くだけだ。
そうだ、俺たちは仲間じゃない。
知り合ったばかりの他人、限られた席を争うライバルじゃないか。
ダンジョンを振り返ると、風がうなりをあげた。
獣の咆哮に似た、残虐で無慈悲な音。
この向こうには、死しかない。
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