エクスカリバー

 行儀良く椅子に座り、机に向かって本を読む少女。開けられた窓から風が吹き込む度に白いカーテンが揺れ、金の髪が靡く。だが少女は、それに気を取られること無く、本の世界に入り込んでいた。

 不意に、少女は顔を上げる。若葉色の目を真ん丸くして周囲を見回すと、軽やかに椅子を下りて部屋を出て行った。空色のワンピースを踊らせ、駆けて行った先は隣の部屋。


「姉さま! ヘレナ姉さま!」


 小さな手で扉をノックし、部屋の中にいる姉を呼ぶ。すると間もなく、女性が顔を出した。


「どうしたの? イリア」

「姉さま、私のこと呼んだ?」


 全く身に覚えの無いことを言われ、きょとんとしたヘレナは「いいえ」と首を振った。今まで部屋の掃除をしていたが、イリアの名前は呼んでいない。第一、もしも用があればこちらから赴きはすれど、呼び出したことなど一度もないのだ。

 その様子に、イリアは不思議そうに首を傾げる。だが彼女は、確かに聞いたのだ。何度も名前を呼ぶ、優しい声を。


「違うの? おかしいわ……じゃあ、誰なのかしら? 今日はみんな、お仕事でいないのに」

「もしかしたら、お化けかもしれないわね。だって、私には聞こえなかったもの」

「でも姉さま、今はお昼よ? お日さまが出てる時は、お化けなんて出ないわ!」


 必死になって訴える幼い妹に、ヘレナはクスクスと悪戯っぽい笑みを零す。そして、彼女の頭をそっと撫でた。柔らかい髪が吸い付くように指に絡む。そのあまりの気持ち良さに、ずっと触れていたい思いに駆られていた。


「そうだったわね。……怖かったら、一緒にいる?」

「怖くなんかないわ。姉さまに呼ばれてるみたいで、安心するの。でも、呼んだのが姉さまじゃないならいいわ」


 イリアは踵を返し、部屋に戻る。その後ろ姿を見送り、ヘレナは再び掃除に取り掛かった。

 一方、部屋に戻ったイリアは、本の続きを読もうと椅子に座る。そして、聞こえてきた声のことを思い出していた。


(私……あの声を知ってる?)


 声を聞いた瞬間、とても懐かしい気持ちになった。確かに初めて聞いた筈なのに。心は、記憶は、あの声を知っていた。なんともおかしな感覚だ。

 気になって耳を澄ませてみても、一向に聞こえてこない。鳥の囀りと風の音、そして木の葉が擦れる音が届くだけ。イリアは首を傾げながらも、再び文字を追い始めたのだった。






 それから数日後。誰かに呼ばれた気がして、イリアは昼寝から目を覚ました。だが、部屋には自分一人だけ。眠い目を擦りながら体を起こす。

 その時、再び声が聞こえた。彼女は周囲を見回し、声の主を探す。さらにもう一度、頭の中に響いてきた。


『イリア……イリア……聞こえますか?』

「あなたは誰? どこにいるの? どうして私の名前を知ってるの?」

『教えて欲しいですか? ならば、私の元へいらっしゃい。大丈夫、私は貴女の味方です』


 声に導かれるままベッドを降り、部屋を脱け出す。すると驚いたことに、扉の外は見たことも無い廊下が続いていた。

 一面が純白の石壁に覆われ、床には深紅のカーペットが敷かれている。そこに窓はなく、彼女の部屋の扉があるだけ。また、ランプが無い筈なのに、彼女の周囲は昼のように明るかった。

 廊下の先が暗闇に覆われる中、イリアは迷うことなく真っ直ぐに進んでいく。不思議と、ヘレナがいないことに対する不安は感じなかった。今の彼女の頭には、この先に進むことしかなかったのだから。

 迷路のような廊下を抜けると、螺旋階段が設けられていた。やはり先は見えない。それでも彼女は足を踏み出し、一段ずつ降りて行く。

 それから幾つかの廊下と階段を通った先にあったのは、彼女の身長を遥かに超える扉。純白の中に突如として現れた深紅は異質に映るが、同時に、強烈な印象として目に焼き付けられる。また、そこには、見たことも無い紋様が金のプレートで描かれていた。


『私はこの中にいます。扉を開けて、入っていらっしゃい』


 小さな体では到底開きそうもない重厚な扉に躊躇するも、声は彼女を促している。そっと手を触れてみると、扉は羽根のような軽さで両側に開いた。驚きのあまりに思わず手を引っ込めるも、扉は彼女を歓迎するように、ゆっくりと開いていく。そして彼女は、おもむろに足を踏み入れた。

 室内は床が綺麗な円形になっており、純白の石壁は高さが上がるにつれて直径が狭まっている。おそらくはドーム状の部屋であろうが、天井を見ることは叶わなかった。頭上から一筋の光が差すものの、周囲の暗闇を照らすまでは至らなかったのだ。

 イリアは靴音を響かせて周囲を興味深そうに見ながら、真っ直ぐに部屋の中心に向かっている。そうして立ち止まると、目の前の光景に息を呑んだ。


「綺麗……」


 そこにあったのは、石の台座に突き刺さる剣。頭上から差し込む光を受けて神々しく輝き、この世のものとは思えない、神秘的な空気を放っている。そして何故か、謎の声を聞いた時と同様の懐かしさを感じていた。






 この部屋に入り、どれだけの時間が過ぎただろうか。瞬きすら忘れてしまう程に圧倒され、魅せられ、感覚が麻痺してしまっている。

 その時、何かが寄り添う気配を感じた。我に返ったイリアが振り向くと、その姿に軽く目を見開いた。

 音も無く隣に立ったのは、鷲の翼が生えた獅子。淡い光を放つ毛並みは純白で、風が吹いていないにも関わらず、ふわふわと靡いている。その体はイリアよりも一回り以上大きいが、穏やかな目は真っ直ぐに剣に注がれていた。


「あなたは、もしかして……」


 イリアの声に、獣はゆっくりと振り向いた。その拍子に、彼女の喉元まで出ていた声が詰まる。そのまま四つの瞳が見つめ合い、しばらくの沈黙が流れた後、獣はおもむろに口を開いた。


『イリア、この剣が何か分かりますか?』


 声を聞いた瞬間、イリアは察する。今まで自分を呼んでいたのはこの獣だったのだ、と。だが、目の前の剣が何かまでは分からず、ゆるゆると首を振った。


「いいえ、分からないわ」

『この剣の名は聖剣エクスカリバー。私はここで、この剣を持つに相応しい人物が現れるのを待っていました。そう、イリア……私は貴女を待っていた』

「私を?」

『さあ、イリア。その剣を手に取るのです。これは、貴女にしか出来ないことなのです』


 だが、彼女は剣に意識を奪われたまま、時が止まったように立ち尽くしていた。何人たりとも寄せ付けず、触れることすら許されないと感じさせる、強烈な存在感。まだほんの子供である自分に、この剣を手に取る資格があるのだろうか。そんな迷いが心に広がっていく。

 獣はそれを感じ取ったのか、再度、彼女を優しく促した。


『大丈夫。迷わないで……私を信じて』


 声に背中を押され、彼女は意を決したように歩き出す。そして剣の前に立つと、恐る恐る手を伸ばした。そして、剣の柄をしっかりと握り締める。

 その瞬間、剣が眩い光を放った。あまりの強さに、イリアはきつく目を閉じる。それでも太陽に顔を向けているかのような光を感じていた。


『イリア、今度こそ……を……して。もう時間が……』


 遠くで獣の声がした。心なしか、焦燥感に満ち溢れているように聞こえる。だが言葉は所々で途切れており、何と言っているか理解出来なかった。そしてイリアの意識は、急速に遠退いていった。






「イリア、大丈夫?」


 カーテンの隙間から差す朝日に、イリアは目を細める。うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、ヘレナの酷く心配そうな顔。彼女のそんな顔は見たくない。イリアは「姉さま……?」と、心細そうな声を上げた。

 するとヘレナはホッと息を吐き、優しい笑みを浮かべる。そして、壊れ物に触れるようにイリアの手を取った。


「急に部屋からいなくなったと思ったら、夕方になっても帰って来なくて……皆、心配したのよ。どこに行ってたの? あの剣はどうしたの?」

「どこに……? あの剣?」


 自分のベッドに横になったまま、イリアは顔だけを動かす。すると、サイドテーブルのところに、鞘に収まった聖剣エクスカリバーが立て掛けられていた。夢だと思っていたことが、一気に現実のものに変わっていく。

 一方のヘレナは、イリアが混乱していると感じたのか、順を追って説明した。

 騎士団や神官はもちろんのこと、アクオラに住むルイファスやアイラまで巻き込んで、昨夜は大騒ぎだった。だが、懸命の捜索も虚しく夜も更け、あと二、三時間で日付が変わるという頃。大聖堂の祭壇に飾られた石像の前で、見たことも無い剣を大事そうに抱えて眠るイリアが見付かったのだった。

 ヘレナの言葉に耳を傾けていたイリアは得意げに微笑んだ。今度は自分の番とでも言いたげに。自分の身に起きた不思議な出来事を思い出しながら、おもむろに口を開いた。


「姉さま、私、大聖堂に飾ってある像の本物に会ったの。アンティムさまの化身だって、姉さまが教えてくれた像よ。そしたら、あの剣をくれたの」

「そうだったの……不思議な体験をしたのね」

「それでね、エクスカリバーは私の剣だって言ったわ。私――」

「エクスカリバーですって!?」


 その名を耳にした瞬間、ヘレナの顔色が驚愕のそれに変わった。

 エクスカリバーといえば、世界創造の際にアンティムが手にしていたとされ、歴史にその名を残したのは千年前の古の大戦時のみ。誰も見たことも無ければ、どこにあるかも知らなかった、まさに伝説上の代物だからだ。

 だが、イリアの言葉に心当たりもある。幼い子供に剣を持たせるのは危険。そう判断した騎士たちが、彼女の腕の中から剣を抜き出そうとした、その瞬間。剣が彼女から離れるのを拒むかのように、その重量を急激に増したのだ。騎士が数人がかりで、やっと僅かに持ち上がる程に。途方に暮れた彼等は仕方無く、剣と共に彼女を部屋へと運んだのだった。抱き上げた時、あの重さが嘘のように軽かったことに驚愕しながら。

 意識を失っている間にそんなことがあったとは露知らず、イリアはヘレナをじっと見つめた。一点の曇りも無い、無垢な瞳で。


「姉さま、私、剣を習いたい。あの剣を使えるようになりたい」

「それは駄目よ。貴女に剣はまだ早過ぎる。それよりも、今は体を休めた方がいいわ」

「……そうね。なんだか、また眠くなっちゃった。おやすみなさい、姉さま」

「おやすみなさい、イリア」


 ヘレナに反対され、悲しそうに顔を歪めたのも束の間。うとうととしだしたイリアは、そのまま眠ってしまった。

 彼女の安らかな寝顔を見て、ヘレナは苦しそうに眉をひそめる。そのまま彼女はイリアの頭を撫で、そっと部屋を出て行った。

 そんな二人のやり取りを、ひっそりと見届けていたエクスカリバー。朝日を浴びて輝く姿はまるで、ヘレナを見送っているかのようだった。




お題使用:ファンタジー100題

配布元:空のアリア

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