第30話 フロント

 青山通りも赤坂の御用地沿いまで来ると、道は幾分空いてきた。

 赤坂見附を抜けた小熊は左手を一瞥する。椎の行く大学はプリンスホテルの向こう側で、ホテルまでの道中で大学を見てみたいという小熊の目論見は外れた。

 既に入学手続きのため、列車や父母の車、それから自分のリトルカブで何度かここに来ているという椎は、特に感慨も無い様子で、永田町の信号待ちの時に「この辺はお茶が飲めるところが全然無いんですよ」と言っている。


 礼子は右手の官庁街と国会議事堂に興味を惹かれているようだった。雑多な車の走る青山通りとは別世界のような、黒塗りの高級車ばかりの不思議な地帯。

 おそらく日本で最も高い収入と権力を持つ人間が集まっている地域に、自分のハンターカブの改造マフラーが発する無法者の音を響かせたいとでも思っているのだろうか。礼子の横顔を見ていた小熊は、別の物に目を奪われた。


 小熊たちがカブを停止させている交差点に直交した道路を一台のバイクが横切り、そのまま永田町の内部に入っていく。

 ヤマハ・セローと思しき二五〇ccのオフロードバイクの後部には、ミントグリーンのFRP製ボックスが取り付けられている。高校時代の小熊と同業のバイク便ライダー。

 セローはバイク乗りなどという非道徳的な存在がうっかり入ったら射殺されそうな街へと走り去る。しばらくして官庁街から出前機のオカモチをブラ下げた新型カブが走ってきた。乗っているのは服装からして近隣の蕎麦屋。


 小熊は東京に来て以来、ここはバイクに乗る人間に優しくない街だと思っていた。道は窮屈で走りにくく、駐める場所にすら困る。何より周囲の人間が、皆が電車と徒歩で訪れるような場所にバイクで来る特異な存在を見るような目をしている。

 どうやらその見立ては間違っていないが、存在を葬られることは無く、他の市町村がそうであるように、街の機能の一部はバイクを必要としているらしい。一見してバイクを見かけない街にも、探せばバイクとバイク乗りは居て、山梨より不便な部分も慣れれば何とかなる範囲。


 元よりバイクに乗る人間として甘やかされ敬われる事など望んでは居ない。己の居場所くらい上げ膳据え膳で用意して貰わなくとも、自らの力で作る。

 安心と不安が混じりあった気持ちのまま、信号に従ってカブを発進させた。三宅坂で皇居の内堀に突き当たり、国道二四六の終わりに達する。自分の小さな体の扱い方をわかっているのか、人と車の密度が高い都心部での走り方が上手い椎に従うように堀沿いを走り、日比谷公園で右折してすぐの場所にある大型のホテルに到着した。


 ホテルの前にカブを停めた小熊は、正直なところ足が少し竦んだ。建物が持つ威圧感が、今まで見た物とは比較にならない。階数は新宿副都心のビルほど多くないのに、何かに睨まれた気分に襲われ、高層ビルのように観光気分で見上げる気にならない。 

 礼子がまるで窓から狙撃兵に狙われているかのような警戒姿勢を取る中、妙に物怖じしない椎は、正門の車回しの前に居る従業員に宿泊チケットを見せながら、原付を駐められる場所を聞いている


 従業員はホテルに宿泊しに来るより、ショットガンでも取り出して客の財布と宝石を奪うほうがお似合いのライディングウェアを着込んだ三人組にも丁寧な態度を崩すことなく、建物の裏手にある従業員用の駐輪場に案内してくれた。

 常設の来客用駐輪場は無いらしい。これほどのホテルに自転車やバイクで来る客客はそう多くないんだろう。正門より幾らか人間的な温もりを感じさせる駐輪場に三台のカブを駐め、後部のボックスから旅荷物を出して徒歩で正門に回った。


 フロントは外観以上の精神的圧迫を与える物だった。何もかもが狭苦しい東京の中で、一部の人間のみに許された広大なスペース。レセプションデスクのカウンターやソファ、壁材一つ見ても重厚な材料に精緻な施工が施されていることがわかる。

 こんなとこに正装に身を固めることなく押し入ったりすれば、首根っ子を摘んで放り出されるのではないかと思いながら、フロント前の人たちを見回したところ、高価なスーツ姿の人間だけというわけではなく、カジュアルな服装の男性や、小熊たちと同じ卒業旅行らしき女子も結構居る。


 幾らか安心した小熊は、既に敵地に乗り込む気分で後方を警戒しながら摺り足をしている礼子を引っ張るように、フロントへと向かった。

 ホテルフロントは客のランクを履物やカバンで見ると聞く。すれ違う客の靴を横目で見た小熊は、それなりに高価そうなエナメルシューズと、自分のスケート靴からブレードを取った革のブーツを見比べた。

 少々居心地の悪い気分を味わった小熊の横を、プエルトリコ系の男性が追い越していった。デニム上下に鹿革のベスト、フェルトのカウボーイハットにウエスタンブーツ、首に巻いた赤いバンダナと、胸に飾った黄色いバラ、片手には仔牛革のトランク、アメリカ西部出身者の正装を何ら恥じることなく身に纏った男性はカウンター前に立ち、堂々とチェックインしている。

 

 こっちだって三流の安物を着ているわけではない。シューズもウェアもツーリングバッグも、小熊が厳選した物。バイク乗りとしての最高の品で身を固めている。

 変な対抗意識のせいでホテルに落ち着く前に疲れてしまった小熊と礼子を引き連れた椎は、宿泊チケットを見せる。

 背を伸ばし、高いカウンターから顔だけ出して部屋の空きがあるか尋ねる椎に、ディレクターズスーツと呼ばれるダークカラーのジャケットにグレーのズボン姿の初老のフロント係は、緩みそうになった目元を引き締めながら、三人一緒に泊まれるスイートルームを薦めた。


 フロント係の男性はシングルで三部屋の空きは無いし、スイートのほうが経済的だと言う。椎が小熊の意見を聞きたそうに振り返ったので、小熊の代わりに礼子が、映画ビバリーヒルズコップのエディ・マーフィー思わせる精一杯の堂々とした態度で「それで結構」と言った。

 キーが渡され、小熊たちは最上階の二フロア下にあるスイートルームへと案内された。 

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