第24話 ラブコメかよ

突然だが、俺は今、三人の水着美女に詰め寄られている。

「さあ俊ちゃん、お姉ちゃんと一緒に水平線の彼方へ旅立ちましょう」

「俊くん、二人だけの愛の国家を築きましょう」

「センパイセンパイ、ボクと勝負ですよ!」

どうしてこんなことになっているのか──それを説明するために、少し時間を巻き戻そう。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


五日前のことだった。葵ねぇが経過観察で病院に行ったので、俺は紅の家で宿題やらゲームやらをしていた。

「暑い」

「暑くない」

「暑い」

「暑くない」

「熱い」

「暑くない」

「うぇーい、騙された。俺はいま『熱い』って言ったんですぅ。なので『暑くない』というレシーブは不正解ですぅ」

「燃やすわよ」

「わかった! わかったから刺すような目でマッチを突き出すな!」

──ブルルルルル

ポケットでスマホが振動した。

「んあ? 電話だ」

どうせ葵ねぇだろう。そう思いつつも画面を覗くと、意外な人物からの着信だった。

「……みどりちゃん?」

急に電話とは、なにかあったのだろうか。もしや、葵ねぇの調子が悪かったとか? とにもかくにも用件が気になったので、席を外し、俺は迷わず電話に出た。

「こんにちは、俊くん」

こちらが言葉を発する前に、みどりちゃんが挨拶を告げる。

「今、お電話大丈夫ですよね?」

「え? ああ、うん大丈夫だけど」

なぜ俺がヒマだと決めつけているんだ。というツッコミは控えた。

「俊くん、今週の土日は空いていますよね?」

だからどうして俺を暇人扱いしているんだ。

「いや、それはまだわからないけど」

ムキになって、見栄を張った返事をする。

「私に嘘は通用しませんよ。俊くんのスケジュールは、すべて把握していますから」

みどりちゃんが陽気な声で言う。今更不安にはならないが、不気味なことには変わりない。それに用事がないのも事実だ。

「それで、用件は?」

対抗しても勝てないと悟り、先を促す。

「は、はい……その、えっとですね」

みどりちゃんが途端にまごついた。数秒前までの威勢はどこへやら。

「あの、大変厚かましい提案なので、し、俊くんに断られてしまうかもしれないのですが……」

「とりあえず落ち着こう。聞いてみないと俺もわからないし」

「は、はいっ。そうですよね」

みどりちゃんはめちゃくちゃ二の足を踏んでいる。踏ん切りがつかないのだろう。それも含めて水蓮寺 みどりという人物であることを俺は知っているので、気長に二の句を待つことにした。

「えっと……」

受話器越しに呼吸音が聞こえた。

「私と、逢瀬おうせを重ねませんかっ!?」

「え、どういうこと?」

マジで意味がわからなかったので速攻で聞き返した。

「はわわわわわ……」

気のせいか、みどりちゃんがしぼんでいく音がした。

「み、みどりちゃん? おーい?」

「はっ、すみません取り乱しました」

「それで、さっきのはどういう意味?」

「あぁ……あの、つまりですね。私と、その、あ、遊びに行きませんか? という意味だったのですが……」

「なんだ、そういうことか。俺は構わないけど」

「本当ですか!? それじゃあっ、今週の土日っ、一泊二日でっ、デートをしましょう! 行き先は、私の、プライベートビーチで!!!」

興奮した声音で言うと、みどりちゃんは電話を切った。あれぇ、おかしいなぁ? 置いてけぼりにされちゃったよ?

「ふーん。アンタ、ビーチに行くんだ」

「!!!???」

振り返ると、背後に紅がいた。コイツ、気配殺すのうますぎだろ。

「しかも一泊二日で」

「お前、聞いてたのか?」

「ええ」

悪びれた様子もなく、紅は答えた。

「もうさぁ、人の電話を盗み聞きするの、やめてくれよぉ」

「それで、アンタはお誘いを受けるの?」

「え? ああ、それは……」

そういえば、行くか行かないか返事をしていなかった。突然、一泊二日で遊びに行こうと言われても、即決できないよな。相手はみどりちゃんだし、なにが起こるかわからないし……。

「アンタは行きたくないの?」

「いや、行きたくないなんてことはないけどよ……」

「なら行けばいいじゃない」

「そんな単純な話ではなくてだな」

「いいから行きなさい。なるようになる、よ」

「お前はオカンか」

たしかに、行きたいか行きたくないかで言ったら、行きたい。でも生きたいか生きたくないかで言ったら、生きたい。

前向きに検討しておくか……。


「ごめんね俊ちゃん。もう一度、言ってくれる?」

「だから、今週の土日に旅行に行くことになった」

「お姉ちゃん、耳が遠くなっちゃったのかな? 俊ちゃんの言っていることが全然聞こえないわ」

「葵ねぇ、いつもありがとう」

「俊ちゃん大好き!!!!!」

聞こえているじゃないか。

「というわけで、報告はしておいたからね」

「ねえ俊ちゃん、その旅行とやらは誰と行くの?」

「……友達だよ」

「ふーん。それで、友達とどこへ行くのかな?」

「海って聞いてるけど」

「ずいぶんアバウトなのね」

「ま、まあ葵ねぇが心配する必要はないよ」

「そっか。でも羨ましいな、俊ちゃんと旅行なんて。いつか、お姉ちゃんと二人きりでハネムーンに行きましょうね♪」

「行かないよ。ってか行けないよ」

特に追及されることもなく、無事に報告は完了した。葵ねぇは家族であるので、さすがに無断で外泊するわけにはいかない。かといって、旅行の相手がみどりちゃんだと知れれば、只事では済まされないだろう。この秘密は墓場まで持っていくことにしよう。


そして土曜日。約束の当日。みどりちゃんの指示で、学園の前に突っ立っていた。

するとだ。

「おはよう俊ちゃん。遅れちゃってごめんね」

「え」

あろうことか、葵ねぇがやって来た。しかも大荷物で。

「あ、葵ねぇ、どうしたの?」

「どうしたのって、これから俊ちゃんと旅行に行くんじゃない。約束したでしょう?」

「してないよ?」

葵ねぇはさも当然のように言ってみせる。嫌な予感がするぞ。

「そ、その荷物は?」

「これ? これは俊ちゃんの生活用品と、害虫駆除の道具よ」

「オワタねこれ」

ダメだ。葵ねぇは完全に察しているらしい。俺が誰と旅行に行くのか。

「ちゃんと俊ちゃんの下着もあるから、大丈夫よ」

「そういう問題じゃない」

しかしマズいことになった。このままでは、再び戦争が勃発しかねないぞ。

「おーい、センパイ!」

「え待って嘘でしょ香澄じゃんマジで?」

「約束通り、来ましたよ!」

「約束なんかしてないしそもそもお前にはなにも言ってないだろ!」

最悪だよ。香澄が来たよ。コイツにはマジでなにも伝えてないのに。

「いやぁ、センパイが粗大ゴミを抱えて遠くへ行っちゃう気がしたので、これはボクの出番だなと」

「お前は“気”で俺の行動を察知しているのか?」

どうやら香澄まで俺に付いて来るつもりみたいだ。そんな香澄は、なぜかギターケースを背負っている。それが荷物か? ていうかお前、ギターなんか弾かないだろ。いや、そんなことはどうでもいいんだ。もっと重要なのは……

「ねえ俊ちゃん、どうして空気とおしゃべりしているの? お姉ちゃんとしゃべろう?」

「もうセンパイってば、そんな汚い粗大ゴミは捨てちゃわないと」

こうなりますよね。

「あら? 誰かと思ったら害虫 太郎さんじゃない。ごめんなさいね、俊ちゃんはこれから私とハネムーンに行くの。だからあなたは失せてちょうだい?」

「おやおや、これはゴミ・ゴミンさんじゃないですか。汚すぎて気が付きませんでしたよ。センパイがね、これからボクを遊びに連れ出してくれるみたいなんです。だからゴミンさんはそこで地に伏していてください」

これぞ一触即発。殺気がピリピリと伝わってくる。互いが互いを殺気だけで殺そうとしているみたいだ。あとゴミ・ゴミンってなんだよ。ニコ・ロビンかよ。

「さあ俊ちゃん、お姉ちゃんと世界の果てへ旅立ちましょうか」

「センパイセンパイ、ボクをどこかへ連れ去ってください!」

ヤバい、ヤバいよ。もう火薬庫だよこれ。誰か助けてくれぇぇぇ。

「よっ」

そこへ、めちゃくちゃフレンドリーに声をかけてきた英雄が現れた。

「く、紅……!」

英雄は、めちゃくちゃフランクに右手を上げていた。今日ほどコイツがたくましく思えた日はない。

「どうしてお前がここに?」

「別に。ただ、アンタだけ海に行くなんて許せないじゃない。アタシだって、たまには羽を伸ばしたいもの」

「ってことは、紅も来るのか……?」

「悪い?」

「いいえ! むしろありがとうございます!」

紅は「コイツなに言ってんだ?」みたいな顔で腕を組んだ。そんな紅も、なかなかの大荷物だった。

「お前、がっつり楽しむ気だろ」

「うるさいわね。アタシにだって準備は必要なの」

「ふーん。でも平気なのか? おじさんやおばさんが心配するぞ?」

「平気よ。あの二人は放任主義だからね」

「そうかそうか」

正直、紅の登場は嬉しい誤算だ。紅がいれば、まず戦争は起こらないはずだ。

俺が心の中でガッツポーズをしていると、後方からエンジンの駆動音が近づいてくるのを感じた。振り返ってみると、

「デカっ!?」

デカい車が、ちょうど俺たちの前で停車した。キャンピングカーのようなその車体から、誰かが姿を現す。

「お待たせしました、俊くん」

みどりちゃんだった。まあ予想の範疇だ。

「それで俊くん、どうしてそんなにも大きな荷物を同伴しているんですか?」

みどりちゃんが笑顔で言った。たぶん葵ねぇたちのことを指しているのだろう。

「いや、それが俺にもなにがなんだかで、ははっ」

こちらは乾いた笑みを返すことしかできない。

「ま、いいでしょう。時間も惜しいですから乗ってください」

「え、いいの?」

みどりちゃんはあっさりとOKを出した。予想外すぎて呆気にとられる。

「さっさと乗るわよ、俊」

そしてなぜか葵ねぇと香澄が真っ先に乗車した。いやマジでなんでだよ。主賓しゅひんは俺だぜ?

「あの、みどりちゃん……本当によかったの?」

隣の席に座る彼女に、そっと耳打ちする。

「よくはありませんよ。ですが、しつけのなってない動物は俊くんの手には負えないでしょう。だったら、私が手綱たづなを握っていたほうが好都合です。それに」

みどりちゃんが、そっと手を重ねてきた。

「それ以上に、俊くんとの旅行が、た、楽しみですから……」

頬を赤らめてそんなことを言う。

「おい、今すぐその手を離せ」

「あら大変、俊ちゃんの手にウイルスが付いちゃったわ」

それでもやっぱり殺気は収まらず。とにもかくにも、こうして俺たちは、みどりちゃんのプライベートビーチへ遊びに行くことになったのである。ちなみに茶助はいねぇ。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


そして現在に至る。

プライベートビーチに到着後、早速俺たちは海で遊ぶことにした。真夏の海、輝く太陽の下、みんなで仲良くキャッキャウフフ……といくはずもなく。

「俊ちゃん俊ちゃん、お姉ちゃんの水着、どうかな?」

「ひぐっ……!?」

葵ねぇの豊かな山が、左腕に押し当てられる。

「私の水着のほうが、俊くんはお好みですよね?」

「んっ……!」

みどりちゃんの隠れた丘が、腹に密着する。

「ボクの水着が一番かわいいですよね!」

「うん……?」

香澄の平原が、右腕に添えられる。

「ちょっとあなたたち、貧しい肉体を俊ちゃんに見せないでちょうだい。そんなんじゃ、俊ちゃんは満足しないんだから」

「あなたたちこそ、汚い肌を露出させないでくださいよ。俊くんの目の毒です」

「センパイはな、お前たちみたいな肉団子より、ボクみたいな健康体が好きなんだよ。だから失せろ」

俺にくっついたまま、三人がいがみあいを始める。

「俊くんは、誰の水着姿が一番お好きですか?」

「え!? えっと……」

急に振られて困惑。逃れようにも、三人の上目遣いが俺をがっちり射止めている。

「さあセンパイ、言ってやってください! ボクが一番だって」

彼女たちの言葉にむちを打たれ、各々の水着をそっと見比べる。

「あ、俊ちゃんがお姉ちゃんのこと見てくれた。嬉しいな♪」

葵ねぇは大胆にもビキニを身に着けていた。がっつり開いた胸元から、豊満な柔肌やわはだが今にもこぼれそうな状態だ。

「俊くん、私の水着はどうですか? き、今日のために、新調したんですよ?」

みどりちゃんは清楚なワンピースタイプの水着だ。適度に露出された手足が、彼女の清らかさを十二分に引き立てている。

「はいはい! ボクの水着も見てください、センパイ!」

子犬のように跳ねる香澄は……いわゆるスク水を着ていた。プールの授業で着るアレだ。深くは追及しないが、やはり二人に比べるとやや劣勢か。……いやでも、もしかしたらこれはこれでアリなのかもな? 身体のラインがハッキリ、というかくっきり描かれているし。

「むぅ。センパイ、さっさとボクを選んでくださいよ! それでボクと二人きりで遊びましょうよ! こんな牛肉どもは捨てて」

香澄のいらぬ一言で、再びいざこざが勃発する。

「おぉい紅さん、助けてくれませんか?」

涙目で紅に助けを乞う。

「必要ないでしょう、命の危機でもないんだし。自分で処理しなさい」

「そんな! それでも救世主枠かよっ」

「アタシは救世主なんかじゃないわよ」

俺を放置すると、紅は一人で砂遊びを始めた。なんでスコップまで持ってるんだよ。用意周到かよ。ちなみに紅はTシャツに短パンだ。一番おもんない。

「ねえ俊ちゃん、お姉ちゃんと二人で浮き輪に乗りましょう。それで愛のランデブーをするの。誰もいない、どこか遠くで、お姉ちゃんがたくさんお世話してあげるからね」

「俊くん俊くん、私と砂遊びをしませんか? 二人で愛の城を築くんです。私と俊くんの共同作業で、薔薇色ばらいろの未来を描きましょう」

「よっしゃセンパイ、ボクと競争しましょう! 先に水平線にゴールしたほうが勝ちです。負けたほうは、水責めで、うへっ、うへへへへ」

熱い火花を散らし、三人が俺を取り合う。身体を引っ張られるわ、怒号が飛び交うわ、胸を押し付けられるわでハチャメチャだ。ラブコメかよ!

「ちょっと、落ち着いて三人とも」

俺の抗議にも耳を傾けない。そうかそうか、そういうことか。俺に、必殺の宝刀を抜かせたいのか。ならば、問答無用で抜刀して差し上げよう。

「みんなが仲良くしないなら、俺はもう誰とも遊ばないぞ!」

真夏の海辺が、氷河と化した。

「センパイに、嫌われた……。センパイに、縁を切られた……。センパイに、捨てられちゃったよ……ははっ」

「嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嫌だ嫌だ俊くん俊くん俊くん私を置いていかないで」

「そっか……お姉ちゃん、もう必要ないんだ。もう、俊ちゃんのお世話、できないんだ……。じゃあ、死のうかな。ううん、死のう」

「ちょっとストップストップ本当にストップ!」

みんなの様子が只事じゃないので、神速でフォローする。

「いや、なにもみんなと縁を切るとか、そういうことを言っているわけじゃなくて」

ダメだ、全員自我を消失している。俺の声が届いていない。ダメージを与えすぎた。こうなったら、多少手荒でも彼女たちを鼓舞しなければ……!

「よ、よし決めたぞ! 四人でビーチボールをしよう! それで、王者が最下位にひとつだけ命令を下せるっていうルールだ。どうだ!?」

真夏の海辺が、戦場と化した。

「それはそれは……とても興味深い内容ですね。合法的に、邪魔者を排除できますから」

「害虫駆除とランデブーが一挙両得だなんて、とんだ名案ね。さすが俊ちゃん」

「それって、センパイの命令で肉団子を廃棄できるってことですよね? テンション上がってきました」

どうして彼女たちはこうも軽率に殺意を放つのか。

「た、ただし、追加ルールとして、全員で仲良くプレーできなければ、即終了と、いたします。その場合、俺は誰とも口を利きません」

「「「なっ……!?」」」

三人が戦慄に顔を歪める。どんだけ驚愕してるんだよ。

「肉団子を蹴散らしたいけど……そうするとセンパイに嫌われて……だから……うーん?」

香澄はさほど難解でもないロジックを前にショート寸前だ。

「邪魔者を処理するか、俊くんとの安泰を望むか……くっ、なんていう二者択一!?」

みどりちゃんは片膝をついて頭を抱えている。

「ぐすっ……俊ちゃん、意地悪だよ。そんなの、お姉ちゃん選べるわけないよ……ううっ」

葵ねぇに至ってはなぜか泣き出した始末だ。

「さあどうする? やるか、やらないか?」

勝った。これなら、彼女たちは是が非でも仲良くせざるをえない。

「ていうかさりげなくアタシを省くんじゃないわよ」

外野から紅の声がした気がするが、気のせいだ。

「いいわ、俊ちゃん。四人で遊びましょう」

葵ねぇが言うと、香澄とみどりちゃんもうなずいた。

「よし、それじゃあみんなで仲良く遊ぼう!」


ビーチボールが青空を舞う。

「それ、いったよみどりちゃん!」

みどりちゃんにボールを飛ばす。

「……せ、生徒会長さん、パスです」

みどりちゃんが葵ねぇにパスする。奇跡だ。

「久我さん、上げるわよ」

葵ねぇが香澄にトスを上げる。奇跡だ。

「ま、ナイストスなんじゃないですかね」

香澄が跳躍する。全員で繋いだボールが、虹のアーチを描いている。これだよ、これ! これこそが、俺が思い描いていた青春だよ! まさに奇跡だ!

「さあ来い香澄! このままボールを繋いで──」

「おるぁっっっ!!!」

刹那、俺の身体が真後ろに吹っ飛んだ。

「ぐはっ!!!!!」

見えなかった。見えなかったよ。え、なに? どういうこと? どうして香澄は全力で俺の顔面にスパイクを打ち込んだの? は? え?

「ふふん、これでセンパイはマイナス一点ですね」

「いや待て! どうしてスパイク決めてんだよ! これはボールを繋ぐ遊びだぞ!?」

「でもセンパイ、言ってたじゃないですか。『王者は最下位に命令を下せる』って。つまり、これは純然たる勝負なんですよ」

「なっ……」

「ていうかセンパイ、あの程度のボールもカバーできないんですかぁ? たかが女子のスパイクですよぉ?」

「この野郎……もう一回だ!」

ビーチボールが、灼熱の太陽に照らされる。

「ちゃんと繋いでくださいよっと」

香澄が葵ねぇにパス。いいな。

「水蓮寺さん、どうぞ」

葵ねぇがみどりちゃんにトス。うん?

「俊くんに、届け!」

みどりちゃんが跳躍。

「だからなんでスパイク!?」

みどりちゃんが右腕を振り下ろす。だが、香澄のソニックブームに比べればずいぶんと遅い。これなら返せる……!

「なん、だと……?」

みどりちゃんのスパイクは、落下地点手前で謎の上昇を始めた。ボールがそのまま、俺の顔面に吸い込まれる。

「がはっ!」

「これで俊くんはマイナス二点ですね」

クソッ、なにが起きている!? どうしてみんなで俺にスパイクを決めているんだ?

「まずまずのスパイクですね。まあ褒めといてやりますよ」

「水蓮寺さん、ナイスプレイよ。まだまだ力不足だけどね」

「お二人も、その、お上手でした。危なっかしいトスでしたけど」

三人が会話している。なんという光景。ていうか、表面上はフレンドリーに接しているところが笑えるな。

……いや待てよ? 彼女たち、当たり前のように互いにトスを上げているな。

「それで、次はキミに繋げばいいわけ?」

「ええ。私が俊ちゃんに一発お見舞いしてあげるわ」

まさか……この三人、結託している!?

ビーチボールがふわりふわり。

「いきますよ」

香澄がみどりちゃんにパス。うん。

「生徒会長」

みどりちゃんが葵ねぇにトス。うん。

「ごめんね、俊ちゃん」

葵ねぇが俺にスパイク。やっぱり?

「今度こそ止める!」

腰を深く下ろし、両腕を伸ばす。完璧だ。これなら絶対にレシーブ可能。まっすぐ向かってくるボール、その落下地点で構える。捉えた! 今度こそ、俺の勝利──

「消えた!?」

ボールが消えた。なにを言っているのかわからないと思うが、消えたのだ。そして気づいた瞬間には、

「うぐっ!」

顔面が痛かった。

「気を付けて俊ちゃん。その打球、消えるよ」

言うの遅いわ。

「じゃなくて、どうしてみんなして俺ばっかり狙ってくるんだ!?」

「仲良く遊んでいる証拠じゃない。別に喧嘩もしていないでしょう?」

「そ、それはそうだけど、釈然としないというか……」

「俊くんは、大きなミスを犯したんですよ」

「大きな、ミス……?」

「はい。この勝負、なにも『王者は一人だけ』と決まっているわけではありません。複数人が王者になることが可能なんです」

「まさか!?」

「つまり、ボクたち三人が王者になり、センパイを最下位にすれば、一人一個ずつ、センパイに命令を下せるというわけです!」

「この勝負、お姉ちゃんたちが害虫駆除を妥協した時点で、俊ちゃんの敗北は決定していたのよ」

「──詰めが甘いですね、俊くん」

「ちくしょう!!!!!」

泣いた。

「センパイが自信満々に決めたルールじゃないですか。泣かないでくださいよ」

「だって、悲しいじゃん。一人狙いされるなんて。俺にだって、心はあるよ?」

「大丈夫よ俊ちゃん。お姉ちゃんが命令権を行使して、たっぷり甘やかしてあげるから♪」

マズい。このままでは人類史が終わる。俺が最下位になるのは甘んじて受け入れるとして、王者が三人はマズい。

「わかった、俺はもう最下位決定でいい。その代わり、三人で王者決定戦をやってくれ。見事王者になった者は、俺になんでも──」

「うらぁぁぁっっっ!!!」

「はあぁぁぁっっっ!!!」

「もらったぁぁぁっっっ!!!」

ビーチボールが驚異的なスピードで空中を行き交う。三人は血眼になってボールを叩き込んでいる。これはもはや銃撃戦だ。

「そ、それじゃあ、頑張ってくれ」

彼女たちを尻目に、俺はそっとその場を離れた。

「アンタ、楽しそうね」

イスに腰かけると、隣のイスに座っていた紅に声をかけられた。

「これが楽しそうに見えるか?」

「ええ。アンタ、ちょっと前のアンタに戻ってるわよ」

「それは褒めてるのか?」

「褒めてるわよ」

不意に、紅が無言でジュースを差し出してきた。黙って受け取る。

「少なくとも」

ペットボトルに口をつけようとした途端、彼女が口を開いた。

「アタシの家にいるときよりは、楽しそうな顔してる」

「……そうか」

どうしてだろう。紅の横顔を見てはじめて、自分が今この瞬間を楽しんでいることを自覚した。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


待ちに待った昼食の時間。

「お昼は、バーベキューにしましょう」

みどりちゃんの一声で、海辺でBBQをすることになった。さすがはプライベートビーチ、用具一式がちゃっかりセットされている。

「それじゃあ、みんなで楽しもうか」

というわけで準備開始。

「よっしゃ、ボクが肉を焼いていきますね」

「あなた、まだ火を起こしていないのにどうして肉を敷いているのかしら」

「はあ? 別に順番なんて関係ないだろう」

「網に肉がくっついてしまうでしょうが。あなた、もしかしてBBQの経験ないの?」

「肉なんか焼いたことない」

表情すら変えずに言う香澄に、葵ねぇがため息を吐く。

「俊くん、この炭はどうすれば……? 捨ててしまっても平気ですか?」

「あなた、正気かしら? BBQが成立しなくなるのだけれど」

俺が答えるよりも先に、葵ねぇが叱責を飛ばす。

「もしや、あなたもBBQの経験が?」

「ありますよっ。ありますけど……。ずっと、省かれていましたから……」

ごにょごにょと口を動かすみどりちゃんに、葵ねぇは再びのため息。

「あはは、大変だね、葵ねぇ」

「本当よ。これなら、お姉ちゃん一人で準備したほうが早く終わるわ」

葵ねぇは再三、ため息を吐いたかと思うと、ハッと顔を上げた。

「ねえ俊ちゃん……お姉ちゃん、頑張ってるわよね?」

「え?」

「お姉ちゃん、みんなと仲良く、率先して準備に励んでいるわよね?」

「ま、まあ、そうだね」

「それじゃあね……お姉ちゃんのこと、褒めてほしいな」

葵ねぇが上目遣いで訴えてくる。

「ほ、褒めるって、どうやって?」

「頭を撫でて♪」

葵ねぇが目尻を下げる。その表情に不覚ながらドキッとしてしまった俺は、ほぼ無意識に葵ねぇの頭をポンポンしていた。

「ふふっ、あったかいな。ありがとう、俊ちゃん♪」

葵ねぇが抱きついてくる。がっつり開いた胸元が、俺の腹にダイレクトに触れる。こ、これはいかん……!

「こら俊、サボるんじゃない」

「痛い! 炭を投げるな!」

振り返るとそこには、射殺いころさんとばかりの眼光でこちらを睨む女性が二人。もしかして俺は、紅のおかげで命拾いしたのかもしれない。


なんやかんやありつつも、準備完了。早速、食べ始めることにした。

「美味い! 美味い! 数ヶ月ぶりの肉だ!」

香澄は神速でカロリーを摂取している。それも図々しいことに肉類ばかりを。「食事」という行為をこのスピードで成し遂げる動物は彼女をおいていないだろう。

「はい俊ちゃん、お口を開けて。あーん」

「いや自分で食べるから」

「安心して。俊ちゃんの好きな食材だけを集めたから。俊ちゃんは座っているだけで、BBQを堪能できるのよ」

「自分で取るから大丈夫だって」

葵ねぇは相変わらずあーんをさせたがる。俺が毎度のようにあしらっていると、ふと、羨望の眼差しのようなものを感じた。

「みどりちゃん、どうかした?」

「いえ、あの、えっと、その……」

みどりちゃんはもじもじしながら、ゆっくりと二の句を告げた。

「私だって、その……たまには俊くんに、食べさせて、もらいたいです……」

今にも沸騰しそうな顔で、みどりちゃんが言った。

「いやでも、前に食べさせ合ったことがあるような……」

メイド喫茶でのことだ。

「私には、ご褒美なしですか……? ビーチを提供している私には……」

それを言われると弱い。俺たちがこうして楽しめているのは、みどりちゃんのおかげだからな。

「わかった。じゃあ、一口だけ」

「本当ですか!? ありがとうございます!!!」

みどりちゃんは頭をペコペコさせたかと思えば、すぐに目を閉じて口を開いた。迎撃態勢だ。

「じゃあいくよ。はい、あーん」

「あ、あーんっ」

刹那、みどりちゃんが気絶した。

「ふんす! ふんす! ふんす!」

みどりちゃんを日陰で寝かせていると、香澄が鼻息を荒くしてこちらに歩いてきた。

「ヤバい! このままじゃボクの出番が!」

意味不明なことを口走っている。

「どうやってアピールしようかなぁ……」

香澄は斜め上を見つめると、なにかをひらめいた様子で手を叩いた。

そして俺の両手を握ると、

「(´▽`)」

という謎の笑顔を向けてきた。

「いやなんだよそれ」

「かわいいでしょ! ボクのチャームポイントです!」

「どういうアピールだよ」


ひとしきり食べ終え、満腹感に腹をさする。見ると、紅が黙々と野菜を食していた。

「まだ食ってたのか。ひょっとして、大食いキャラに転向か?」

「誰かさんたちのせいで、コンロに近づくこともできなかったわよ。おまけに、残っているのは野菜だけだし」

「それは……ご愁傷様だったな」

箸を進める紅に、気になっていたことを訊いてみる。

「お前は、楽しんでるか?」

咀嚼音そしゃくおんが数回、耳朶じだに触れる。

「それはこれからの俊次第ね」

「は?」

「だって、俊がアタシを楽しませてくれるんでしょう?」

「は?」

そんな予定はない。

「それに──」

潮風が、紅の髪を撫でた。鮮やかな金髪が風に舞う。

「お楽しみはこれからだしね」

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