第20話 となりのバーバババ

ミーンミンミンミン、ミーンミンミンミン


灼熱の太陽。鬱陶うっとうしい大合唱。フル稼働する冷房。

毎度おなじみの風物詩に、今年も夏がやって来たことを実感させられる。

夏休み──それは学生にとって最も有意義な時間。楽しい思い出の結晶。キラキラした青春の日々。俺も、そんな輝かしい時間を謳歌するはずだった。はずだったのに……どうして、こんなにモヤモヤした気持ちで夏休みを迎えているのだろう。




結論から言うと、あの後、全員が入院した。

いや、正確に言えば俺には結論しかわからない。気づいたら、全員が入院していた。誰が救急車を呼んでくれたとか、いつ病院に搬送されたとか、そのあたりの経緯を俺は知らない。俺はあの場から逃げ出したから──

「あの後」というのは、学園祭の後から今に至るまでずっとだ。全員、今も入院している。

「全員」というのは……言うまでもないだろうが、あの三人のことだ。あれだけの衝撃を受けてもなお、命に別状はないらしい。ホッとした反面、その生命力にゾッとしたのを今でも覚えている。


「ちょっとアンタ、なに他人ひとの家でだらけてるのよ」

「冷たっ……!」

ボーっと天井を眺めていると、突然なにかで視界がふさがれた。それと同時に、刺すような冷たさが肌を襲う。

「……って、アイスかよ」

「なによ、文句言うなら食べなくて結構」

アイスを取り上げられる。

「あっ、全力で頂戴ちょうだいしますからっ……!」

つまらなそうに「ふん」と言うと、金髪ツインテールの幼馴染は半分に割られたパピポを俺の顔面に置き去りにした。いや顔面に置く必要はないだろ。


ソファーに座り直しアイスを吸っていると、隣に紅が腰を下ろした。薄着姿の彼女に目を奪われることもなければ赤面することもない。俺は黙々とパピポを吸う。

実はあれから──具体的には葵ねぇが入院してから、俺は紅の家でお世話になっている。お世話になっているといっても、別に寝泊まりしているというわけではなく、日中の退屈な時間を紅の家で過ごさせてもらっているという感じだ。ウチで朝飯を食べたら、紅の家にお邪魔して、一緒に宿題したり、昼飯を食べたり、なにもしなかったりしてウチに帰る。ただそれだけだ。

ではなぜ紅の家に通うことになったのかというと……それは他でもない、紅からの提案だった。

「アンタ、どうせ葵さんがいないとなにもできないんでしょ。ヒマならウチに来なさい」

こんな感じ。いやもっと見下した言いかただったかもしれない。でも正論ではあった。正論だからムカつくのだ。ムカつくけど、悔しいけど、家にいてもやることもやれることもないからこうして居候いそうろうさせてもらっている。

実際、俺一人では家事もろくにこなせない。それになにより、一人でいるのがどうしようもなく憂鬱だった。あんなことがあって、まだ心の整理がついていないのだ。とにかくモヤモヤする。だから正直、紅の言葉には救われた。ぶっきらぼうなヤツだが、俺はこの幼馴染に頭が上がらない。

……じゃあ紅が家事を全うしてくれるのかというと、それはその、なんだ。コイツの主婦スキルは皆無だ。たぶん俺よりも家事ができない。だから本当に、紅の家で「過ごしている」という感じだ。


「アンタいま、失礼なこと考えてたでしょ」

絵に描いたようなジト目がそこにあった。

「別に。なんも考えてなんかねぇよ」

「嘘よ。アタシに対する軽蔑の念を感じたわ。主婦がどうたらこうたらって」

なんで俺の心が読めるんだよ。お前、そっち方面の仕事で食ってけるぞ。

「パピポは無心で食うもんだ。雑念を抱いてはいけません」

「そんな神聖な食べ物じゃないわよパピポは」

「シンセイといえば、エヴァンゲリオンはエバンゲリオンじゃなくてエヴァンゲリオンだからな」

「は?」

「いいか? ヴァとバは違うんだ。バイオリンじゃなくてヴァイオリン。バージンじゃなくてヴァージン。バーバババじゃなくてヴァーヴァヴァヴァだ」

「なに意味不明なこと言ってんのよ! ていうかバーバババってなによ!」

「バーバパパのお母さんだろ」

「知らないわよ!」

「ほら、あんまりイライラしてると熱でアイスが溶けるぞ」

「この……ヴァーカ、ヴァーカ!」

ツインテールではたかれながら、再び天井を見つめる。


みんなは元気だろうか。

時々、そんな不安が頭をよぎる。

でもそれ以上に、脳内に深くこびりついているものがある。

彼女たちに対するショックや恐怖心。

それが、俺と彼女たちとの間に黒いもやをかけている。

はたして、俺はみんなと前のような関係に戻れるのだろうか?

──それ以前に、俺自身はそれを望んでいるのだろうか。

今の俺には、自分の気持ちすらわからなかった。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「よっしゃ、アイテムゲット! このまま一位はいただくぜ!」

「あっ!? ちょっ、待ちなさい俊!」

「待てと言われて待つバカがいるか。八十崎選手、そのままトップを独走! 栄光のゴールインへ──」

「ぐふふ、そうはいきませんよ俊君」

「なに?」

「僕のキラーアイテムで、一気に逆転させていただきます!」

「なっ!? 茶助テメェ、卑怯だぞ!」

「卑怯なんかじゃありませんよ。このまま突っ走って、僕が一位です!」

「させねぇ!!!!!」

「え!? ちょっと俊君、なに気合満々で僕のメガネってるんですか! 画面が見えないですよ!!!」

「笑止。勝負は往々にして画面の外で繰り広げられるものなんだよ! どらっ!!!」

「そんな、卑怯ですよ!?」

「よっしゃゴール!」

「ぐっ、僕も速攻でゴールしてみせます……!」

「茶助、アンタ永遠にマグマダイブしてるわよ」

「えええ!?」

「あ、レース終了したな」

「そんなあああああ!?」

画面内では、茶助が操作するビビンバ大王が頭を抱えて小刻みに震えている。めっちゃシュールだな。

「もう一回! もう一回やりましょう!」

「いや、もう飽きた。別のゲームやろうぜ」

「なに言ってんのよ。これ終わったら宿題やるって言ったでしょうが」

「『宿題』っていうタイトルのゲームがあるのか? 変わったゲームだな」

「ないわよ!」

「でも、学力という名のレベルを上げ、難問という名の強敵を倒すという意味では勉強もゲームみたいなものですよ」

「茶助、お前言ってることかなりキモいぞ。税抜き1,400円で売ってる胡散臭うさんくさい参考書並みにキモいぞ」

「なんで今のセリフのソースがバレたんですか!?」

相変わらずうるさい茶助を放置し、紅がゲームの電源を切る。

「さ、宿題やるわよ」

「へーいへい」

俺は重たい腰を上げると、リビングのテーブルに移動した。


紅の家で過ごすのはいいとして、二人だけってのも味気ない。というわけで、最近は茶助も呼んで三人で遊んだりしている。こうやってゲームをするのもなんだか久しぶりな気もするな。まだまだ本調子ではないが、二人といると気が晴れる。


相模家のリビングで三人で宿題。これも久しぶりの光景だ。

紅のご両親は仕事に忙殺されていて、日中はほとんど家にいない。日曜日ですら姿を見かけることがない。だから俺の両親が出張でいなくなるまでは、紅の家が遊び場だった。なんていうか、大人の目がないっていうのが解放感があって気持ちよかったんだ。

「なにジロジロ見てるのよ」

「別にお前を見てるわけじゃねぇよ」

「俊君はあれを見てるんですよ」

「あれ? ……ああ。男はホントこういうの好きね」

「とってもカッコいいですよ!」

相模家のリビングの壁にはエアガンが大量にかけられている。なんでも紅のお父さんの趣味らしい。なんともイカツいリビングだが、男なら誰でも目が釘付けになるだろう。おかげで宿題に集中できない。

「そういえば、あのスナイパーライフルはないんですね」

茶助が口を開く。

「スナイパーライフル? ……さあ? お父さんの部屋にでもあるんじゃない?」

「あれは至高の一品ですよ~」

「ていうかなんで茶助がそんなこと知ってんだよ。まさかお前、紅のお父さんのストーカーか?」

「違いますよ! ほら、小学生の頃に見せてもらったじゃないですか」

「お前の醜態しゅうたいをか?」

「違いますよ!」

「そんな昔のことは覚えてないぜ。なんせ目の前の英単語の意味すら覚えてないんだからな」

「ったく、真面目にやりなさいよ」

「やってるよ。やってるんだけどさぁ」

「どうしたんですか、俊君?」

「なんか集中できないんだよなぁ」

「甘ったれたこと言わないの。アンタの集中力が低いのが悪いんだから」

「いや、俺の集中力には目を見張るものがあるぞ」

「自分で言うな」

「悪いのは、夏に勉強なんかやらせる学校側だろ。こんな猛暑の中、集中できるかっての。蚊にも刺されるし」

「そういえば、さっきから飛んでますね」

「お前の意識が?」

「違いますよ! 蚊ですよ!」

「もう、さっきから文句ばっかりうるさいわね」

そう言いながらも、紅はマッチで蚊取り線香に火を点けた。

「これで思う存分、宿題に打ち込めるわね。とっとと進めちゃうわよ」

「紅、ちょっとトイレ借りるわ」

「言ったそばからサボろうとするんじゃないわよっ」

「トイレくらい許してくれよ。尿意に腹は替えられん」

「意味わかんないわよ」


ということでトイレを借りる。まったく、紅の小言にはうんざりさせられる。あんだけ堅物かたぶつだと、いつか岩石とかになってそうだな、ははっ。といっても、十年近くも一緒にいるからさすがに慣れてるんだけど。

鬱憤うっぷんと尿意を放出し、トイレから出た瞬間だった。

「……お前、いつまで俺のトイレに付いて来る気だよ」

紅がそこに待ち構えていた。

「付いて来てるんじゃない。見張ってるのよ」

「俺の小便をか?」

「アンタが逃げ出さないように見張ってるのよ」

「俺は囚人かよ……」

「ちゃんと監視しておかないと、なにを仕出かすかわからないから」

「俺は囚人かよ!?」

「とっとと戻りなさい。今日という今日は、逃がさないんだから──」

紅の眼光が俺を射貫いぬく。彼女の血相はどことなく曇っていて、不気味とすら思えた。背筋が冷たくなる。束の間の沈黙に、空気がどっと重たくなるのを感じた。

「やりなさい、宿題」

「……お前はオカンかよ」

そう。俺がトイレに行く度に、紅はこうして外で待ち構えているのだ。マジで囚人の気分だ。

「別に宿題なんかから逃げねぇよ。第一、逃げ場なんてないだろ。隣に住んでるんだから」

「アタシの部屋に入られても困るし」

「勝手に入ったりしねぇよ」

あまりの真面目ぶりにため息が出る。

「大人しく戻るから、もう監視するんじゃねぇぞ」

紅にそう告げてから、リビングへ戻ろうとした瞬間だった。


「……アンタ、これからどうするのよ」

背中に声をかけられる。

「は? 宿題するんだろ」

「そうじゃなくて。今後、どうするのかって」

紅の言葉に黙りこくる。彼女が聞きたいのは、あの三人とどう折り合いをつけるのかということなのだろう。口ぶりからそう察せられた。

「アンタはもう、彼女たちと関わるべきじゃない。これ以上、関わり合いを持てば、取り返しのつかないことになるわよ」

紅の忠告に、やはり俺は黙りこくる。

「ねえちょっと、聞いてるの?」

「……わからないんだ」

苛立ちを匂わせる彼女に、俺はありのままの心境をこぼすことしかできなかった。

「わからないんだよ、どうしたいのか」

吐露する俺に、今度は紅が口をつぐんだ。

「みんなと関わるべきじゃないってのはわかってる。俺もあんなのはもう御免だ。でも……」

「でも?」

「本当にそれでいいのかって……このまま終わらせていいのかって、思っちゃうんだよ」

「はぁ……」

紅の呆れた顔が目に浮かんだ。

「アンタやっぱりバカね」

返す言葉もない。

「ま、アンタがそうしたいならそうすればいいわ。でも……」

「でも?」

「俊が誰かに傷つけられるのは、アタシだって御免なんだからね」

紅はそう言い残すと、颯爽とリビングへ戻っていった。

その後ろ姿が、なんだか大きく見えた。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「はぁ~、やっと終わった」

ペンを投げ出し、手足を伸ばす。

「お疲れ様です、俊君」

「本当に疲れたぜ……」

何時間も集中していた反動でぐったりする。

「……って、もうこんな時間か」

窓の外はすっかり暗くなっていた。

「そろそろお開きにするか」

「そうですね。僕も疲れちゃいました」

「そのセリフなんかキモいな」

「なんでですか!?」

軽口を叩きながら、帰り支度を進める。

「俊、アンタ帰って食べるものあるの?」

紅が声をかけてきた。

「まあ、なんとかなるだろ」

「やっぱりないんじゃない。別にウチで食べていってもいいのよ」

「なんだ? 紅が料理してくれるのか?」

「うっ……それは、無理だけど」

「だろうな。俺のほうが料理うまいからな」

「なっ……! こっちはアンタの心配をしてあげてるのにっ」

「お気遣いありがとさん。でもま、さすがにそこまでお世話になるつもりはねぇよ。適当に出前でもとるから」

俺と茶助は玄関を出る。

「それじゃあ紅さん、また」

「じゃあな。明日もヒマだったら来るわ」

順々に挨拶を告げる。

「どうせ明日もヒマなんでしょ。気長に待ってるわよ」

紅は呆れた顔でそう言うと、玄関のドアを閉めた。そっけない別れだが、ほぼ毎日顔を合わせていればこんなもんだろう。

「それじゃあ俊君も、気を付けて」

「いや俺の家すぐそこだから」

相模家の前で茶助と別れると、俺は徒歩3秒の自宅へ戻る。紅にはああ言ったが、正直一人だとやることもないんだよな。今夜はどうやって過ごそうか……そう思いながら、我が家に到着したときだった。


「……あれ、鍵が開いてるな」

おかしいな、戸締りはしっかりした気がするんだが。うっかり忘れてしまったのだろうか?

「え……?」

そこで俺は、とんでもないことに気づいた。

家の電気が、点いているのだ。誰もいないはずの家の電気が。

……もしかしたら、俺は電気まで消し忘れてしまったのかもしれないな。心の中で、そんな言い訳をしていた。そうでもしないと、胸の中で色濃くなっていく恐怖心に呑まれてしまいそうだった。

ドアノブに手をかける。真夏だっていうのに、それはものすごく冷たく感じた。

はやる鼓動とは正反対に、ゆっくり、ゆっくりとドアを開く。

誰もいない。いるはずがない。そんな淡い願望を抱きながら。

徐々に視界に入ってくる照明、そのまぶしさの先にいたのは──




「おかえりなさい、俊ちゃん」

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