第33話 天の玉桂

 風が竹林を煽ってザワザワと葉を揺すり、重さのある音だけを前へと運んでゆく。左右を背の高い竹に覆われている為か、陽射しそのものはかなり緩やかだ。それでも首筋からの汗が纏わり着くのは湿度が高いせいだろう。柊悟は首に掛けていたタオルで汗を拭いながら、前を歩く岩楠いわくす香澄の母・亜矢子に倣い林道を前へと進んで行く。左手握るのこぎりから、古い鉄の匂いが立ち登るせいか、少し前から胸焼けを感じていた。


「こんな深い林道を巫女装束の女の子が歩いたりは‥‥‥しねえ‥‥‥か 」

 隣を歩くミヤケンは独り言のようにそう呟くと、真新しいわだちを足で払うような仕草を見せた。

「昔は歩いたのだけど、今は流石にねぇ。ウチの子なんて『やしろまで車出してくれないなら巫女なんてやらない』だから、困っちゃうわ」

 亜矢子が振り返りつつ、そう苦笑いを見せる。


「古典芸能も継承が大変なんですね」

「そうなのよ。下準備にさえ、決まりや何やら煩くてねぇ。私が巫女を務めていた時分よりは幾分緩くはなったんだけどねぇ」

「時代の流れってやつですか」

「ええ」

 初めて聞くミヤケンの敬語による会話。不思議な事に違和感がない。いや、どちらかと言うと年上の人に会話を合わせるのが上手いとすら思える。



 竹林を揺すっていた風が止み、開けた視界に鳥居が見えて来た。白と言うよりは銀に近い色をした珍しい色の小ぶりな鳥居。その奥に見える社・『一鎌箆竹ひとかまのだけ神社』


「珍しい色でしょ? 何でも月を表してるとか‥‥‥ 大袈裟よねぇ」

 柊悟の視線に気が付いたのか、亜矢子が笑い声混じりにそう声を掛けてきた。

天野玉桂あまのぎょくけい流っていうくらいだから、『月』に縁があるんでしょうね」

「えっ? 」

 大きな身体を伸ばすように呟いたミヤケンの一言に柊悟は思わず疑問の声をあげる。

「なんだ、兄ちゃん知らねーのか? 玉桂ってのは月って意味だぞ。日本酒にもあるだろ? 」

 未成年であり、酒などにまるで興味のない柊悟は、『知らないと』言うかわりに首を横に軽く振りつつ、小さく呟く『天野玉桂流』と。

 意訳するなら『天野玉桂』とは『天野月』。

 つまりは天の月。ここでも出て来た『月』と言う言葉に柊悟は胸騒ぎを覚えた。


「ここから先、鳥居より奥は”男子禁制”だから、あなたたちふたりはココで待っててくれる? 私は儀式に使う竹取り用の鎌を取ってくるから。まったく面倒よねぇ」

 苦笑いを浮かべつつも、きっちり決まりを守る辺りは儀式に対する尊敬と畏怖の念があるのだろう。正直な所、鋸を持って来ているのに、わざわざ鎌を取りに行く理由は分からなかった。


 覗き見た鳥居の奥には小さな境内と社。

「この境内で『赫夜かぐやの舞』をするんですね」

「俺のネガを見る限りそうみたいだな。なかなか趣があるな」

 柊悟の呟きにミヤケンはそう返すと、立ったり座ったりを繰り返しながら首から下げている小型のカメラのレンズを覗いていた。恐らくは写真を撮る時のイメトレみたいなものだろう。


 真咲が巫女装束を纏い舞う姿。

 柊悟はその姿を見たいと思う以上に妙な不安感に襲われていた。


「おまたせ。じゃあ、裏手に回りましょ。鳥居は潜らないでね」

 パタパタと言う駆け足の音と共に戻って来た亜矢子の声に柊悟は現実に引き戻される。その手には40センチ程の柄の先に小さな刃の付いた古めかしい刃物。その形状は鎌と言うより、鳶口とびぐちに近い。

 スタスタと鳥居を避けるように歩いてゆく亜矢子に続き、社の裏手へと進む。そこには小ぶりの竹が群生していた。


「これ、『天矢竹あまやだけ』と言ってね。この辺りにしかない種なのよ。今年は豊作ねぇ。じゃあ、少し離れていてくれる? 」

 サクサクと進めると意思表示なのだろう。亜矢子は持っていた鎌を『えいっ』と言う声と共に竹の根本に向かい、ゆっくりと振り下ろそた。


「よし。儀式終了。じゃぁ、申し訳ないんだけど、その鋸でここにある竹を二本切ってくれる? 」

 鎌を振ったのは謂わば儀式。『切った』ポーズで習わしの類なのだろう。

 

 柊悟は鋸を竹に当て挽いてゆく。腕力と上背のあるミヤケンが竹をしっかりと抑えてくれている為、鋸の歯は意外なほどスムーズに進んであっという間な竹を2本切る事が出来た。


「やっぱり男の人は違うわねぇ。去年なんてウチの人だんなが仕事で来なかったから、私が切ってみたんだけどそりゃ酷い有様でね」

「風呂に飯と布団までついて、写真まで撮らせて頂けるんですから、何でも言ってくださいよ。大きめの身体と力だけしか能がありませんケド」

 ミヤケンの合いの手の通り、柊悟たちは力仕事の人員だ。今日から裏祭り『赫夜かぐやの舞』までの間、2泊させてもらう。


「コレ2は何に使うんですか? 」

「裏祭りの時の本尊様へのお供え物なのよ。変でしょ? 竹なんてご本尊様は、ただの青い鏡なのにパンダみたいに笹でも食べるのかしら」

 柊悟の問いに対し、冗談を交え笑って見せる亜矢子。年の功というヤツなのだろう。会話の距離感が母親のソレだ。


「んじゃ、一本づつ持つか」

「はい」

 腰をかがめたミヤケンが笹を一本肩に担ぐのを真似、柊悟も笹を一本肩に乗せる。意外と重量があるうえ、しなりで持ちづらい。


「悪いわね。イイように使っちゃって」

「泊めて貰うんですから、良いように使ってください。なっ、兄ちゃん」

 卒の無いやり取りを見せるミヤケンの言葉に柊悟は頷き、来た道を戻るように「『一鎌箆竹ひとかまのだけ神社』を後にした。



 *************************************


 母屋に戻ると、岩楠いわくす香澄が縁側に座りTシャツ姿でアイスを食べていた。脇にはかなり古めかしいヘルメットが置いてある。真咲と由布子の姿が見えないところを見ると装束の採寸がまだ続いているのかもしれない。


「あっ、おかえりなさーい。お疲れ様でぇす」

 誰に向けての挨拶かは分からないが、きっちり頭を下げるあたりは学校での姿と変わりがない香澄。


「香澄、アンタ、自分の仕事は終わったの? 」

「巫女装束とその他もろもろ八人分の準備、きっちり終わったよ」

「『舞』の方は大丈夫なの?」

「平気平気、私一応、家元の一族で『一の巫女』だよ。あとは明日みんなでリハやって合わせればバッチリ! 」

 食べ終わったアイスの棒を口に咥えたまま、サムズアップする香澄は自信満々と言った感じで母親と会話を交わす。


「バッチリってあんたねぇ。この儀式は大切な‥‥‥ 」

「分かってるって! そんな事よりセンパイ! ドライブ行きましょっ、ドライブ! あっ! オートバイの場合はツーリングでしたっけ? 」

 母親の言葉をいなす様に躱し、柊悟の袖を引く香澄。


「少しは休ませてあげなさいよ。炎天下の中、ずっと竹を切ってくれていたのよ」

「自分は構いません」

 柊悟にしても早く図書館で調べたい事があった為、申し出は好都合だった。そうそうにバイクに跨り、差しぱなしだったウラルのキーを回し、エンジンをかける。視界の端に嬉しそうに側車に乗り込む香澄の姿が目に留まる。


「じゃあ、ヘルメットを被ってくれ」

「センパイの貸してください。先輩はコレで!」

 そう渡されたのは、中央に『大村中』と赤字で書かれたヘルメット。どうやら、誰かが中学校に自転車通学する際に被っていたヘルメットらしい。

 納屋にでもしまってあったのか、埃とナフタリンの臭いが鼻を突いたが、柊悟はそのヘルメットを被ると、真咲のヘルメットをリアシ-トにあるフックに固定した。


「ミヤケンさん、オレ少し出てきます」

「ああ、気を付けてな。俺はカメラの点検とかしなきゃいけねえからよ。嬢ちゃんと姉ちゃんには上手く言っとくわ」

 ミヤケンの言葉に静かに頷いた柊悟は、ゆっくりアクセルを開き、ウラルを前に進ませる。ミラー越しにはミヤケンと亜矢子さん。その向こうにはエンジン音に気が付いたのか真咲が駈け寄ってくる姿が見えた。

 その姿に後ろめたさを感じながらも、柊悟はアクセルを開きウラルを加速させた。



 ***********************************


「‥‥‥ 目的地って、まさか図書館ココですか? 」

 明らかに不満げな岩楠香澄。


「そうだよ。意外か?」

「意外すぎですよ!」

「俺も意外だったよ。まさか、尋ねた先の山中湖で岩楠に会うなんてさ。しかも日本舞踊家元の跡取りとは」

「そうですか? 私、1年生男子の間で噂されているんですよ。『日本舞踊』を舞えるおしとやかな女子高生って」

 そうカラカラと笑う岩楠香澄は、どこか一年生男子を乾いた視線で見ているように思えた。


 自動ドアのを潜った図書館の中は、夏休の為か意外に混んでおり、空いている席を見つけるのすら難儀する程だった。


「涼しいですねぇ。生き返りますぅ」

「ああ、涼しくて生き返るよ。じゃあ、俺は本を探してくるから」

 椅子に足を投げ出し、Tシャツの首元に指を掛けパタパタと仰ぐ香澄にそう告げると、柊悟は児童書のコーナーと古典文学、ついで宇宙と書かれたコーナーで一冊づつの本を手に取ると、席に戻り本を開く。


「あー、じゃあ私も何か雑誌見てこよーと」

 退屈をつぶす為か、そう残し席を立った岩楠香澄に柊悟は軽く手をあげたのち、『竹取物語』と書かれた書籍を開く。



 ――― 今は昔、竹取の翁といふものありけり‥‥‥




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