第15話 爺の旋風

 ――― 戸惑っている。

 意外と言っては何だが、黒装束の4人組は力押しでどうにでも出来そうな小柄な老人の扱いに困惑している。少なくとも柊悟の目にはそんな風に映った。

 

はんっ! じじいだと思ってナメてやがるな。ソッチが来ねえのなら、儂から行かせてもらうぜ!」

 文七ぶんしちと名乗った老人は、ザリザリと雪駄を摺らせ、真咲の口を押さえつけている男の前に立つ。


 その姿、威風堂々。


「今すぐ嬢ちゃんから手ェ放しな。そうすれば、少しは加減してやる」

 真咲の口を押える男は微動たりせず、言葉も発しない。


「そうかい。分かったよ‥‥‥ 覚悟しなっ! 」


 老人の羽織っていた法被が空中そらを舞う。同時にその身体が薄く揺れる。

 次の瞬間、柊悟が視覚で捉えたモノ。それは、黒装束の男を歩道に打ち伏せ、右腕を逆手に絞り上げる老人の姿。


フンっ! 」

 掛け声と共に老人は巻き上げていた腕を捻る。

 肩の関節を外した。それは柊悟にも理解できた。関節を外された人物は、痛みの為かその場にうずくまり身動きを取ろうとしない。


 一瞬だけ、老人の顔に怪訝な影が宿る。が、直ぐに顔をあげ周りに睨みを利かせた。


「‥‥‥ 嬢ちゃんと坊主は儂の後ろに隠れてなっ! 」 

 老人は作務衣の右袖から自身の腕を抜き、肩を露わにした。



「柊悟っ、大丈夫⁉ 眉の上から血が出てる! 」

 駆け寄って来た真咲がいつの間にか出来た擦り傷にハンカチを添える。

「俺は平気だよ。こんなの怪我のうちに入らない」

 少し涙ぐんでいる真咲を正視する事は出来なかったが、柊悟は漸く動くようになった身体を何とか持ち上げる。


「ほほぉう、坊主ぅ! 喧嘩は弱っちいが、一端いっぱしな事言うじゃねぇか! 」

 黒装束の集団に睨みを利かし続けていた老人が視線を動かし、顔の端だけでニヤリと笑う。


 刹那


 それを隙とでも思ったのか、集団のひとりがサイドカーの側車に置きっぱなしだった真咲の鞄に手を伸ばした。


「この阿呆助あほすけがッ‼‼ 」


 怒号一閃。そう叫んだ老人の身体がふわりと揺れ、小さな旋風つむじを描く。次の瞬間、何かが地面に打ち据えられる音。そして舞い上がる小さな砂塵。


 目の前には再び男の腕を捩じ上げる老人の姿。


「‥‥‥ったく、女の荷物狙うたぁ、男の風上にも置けねえ野郎だな」

 老人は膝と右手だけで器用に男を抑え付けると、腰に差していた煙管を左手でクルリと回し口に咥えた。打ち据えられた男は、肩の関節を外されるのが嫌なのかしきりに頭を左右に振っている。

 その動きを一切無視するかのように老人の腕に力が籠った。


 ゴリッッ――


 岩同士がぶつかり合うような重く鈍い音。捉われていた黒装束の男は声こそあげなかったが、外された肩が痛むのか、しきりに頭を揺すっている。



「次‥‥‥ 儂と喧嘩したい奴は、何誰どいつだ? 」


 男を押さえつけたまま静かに語る老人。

 その視線は、黒装束の一団のひとりを見据えていた。背の高いリーダー格と思われる人物を。


「‥‥‥ 行くぞ」

 くるりと背を向け、そう告げたリーダー格の男。初めて聞いた黒装束の声。


手前てめぇらも、今日の所は見逃してやる‥‥‥ 行きな」

 肩の関節を外されたふたりの黒装束に命ずる老人。


 夕日が走り去ろうとする白いカローラを照らす。

 工業地帯が近い事もあってか、その色は霞掛かすみがかったあけにも映る。


「けっ、下町も物騒になったもんだ‥‥‥ 」

 吐き捨てる様な老人のつぶやき。


 例の一団全員が乗り込んだカローラは千葉方面に向かうのか、湾岸道路を東へと向かい、その影を小さくしていく。


 真咲から聞こえてきた安堵とも取れる小さな吐息。


しだりに曲がったって事は荒川を超えて千葉か‥‥‥ もう、安心して良いぜ! おふたりさん」

 露わにしていた右肩を仕舞い込み、襟元を正し、背中を向けたまま語る老人。

 


「ありがとうございます。あの‥‥‥ おじい様は、一体? 」

 柊悟の額にハンカチを当てたまま、遠慮がちに真咲が尋ねた。


「儂は通りすがりのおいぼれよ。それより、嬢ちゃん、それに坊主、怪我ぁぇか? 」

 その夕日を睨むように問いかけてきた老人。


「問題ありません。危ない所を助けて頂き、ありがとうございます。自分は鳥飼柊悟と言います。彼女は‥‥‥ 月野真咲、本当に助かりました」

 若干、身体に痺れは残っていたが、柊悟は深く頭を下げた。


「月野真咲です。本当にありがとうございます」

 倣うように真咲も頭を深く下げる。


「礼には及ばねえよ。儂は自分てめぇ下町じもとで悪さする奴が許せねえのと、困っているアベックを助けただけだ。言うなれば、当たり前の事よっ!」

 アベック……

 今や完全な死語だとは思うが、老人は大真面目だ。


 微妙な空気感と夕焼けに照らされる中、言葉は続く。


「あんちゃんたち、この界隈あたりでは見かけねぇ顔だな。って事は人目を忍んでの逢引きか‥‥‥ 若けぇから、逸る気持ちは分かるけどよぉ、こんな下町に何しに来た? 花火大会の下見か何か? もしそうなら、儂の名前で良い席のひとつやふたつ、いや、十…… もとい、百や二百、用立てやれねぇ事ぁねえぞ? 」

 先程、威勢よく脱ぎ捨てた古びた法被はっぴを拾い上げ、やや乱暴にソレをふるい肩に担ぐ。言葉も仕草も時代掛かっているうえ、いちいち大袈裟だが、滑稽のようで妙にサマになっているから不思議だ。


「私たちは『桧垣指物店』に向かっている途中なんです」

 文七の言葉をやんわり受け流しつつ、そう答えた真咲。

「桧垣指物店? 」

 背中を見せ続けていた老人が急に振り返る。


「はい」

 真咲は丁寧に頷きつつ、返答をする。


「そりゃあ、ウチの店の名前だぞ」

「えっ⁉」

 柊悟は法被の背に描かれている『桧』の字から、もしかしたらの思いがあったが、驚きから見るに真咲は気が付いていなかったのだろう。


「儂は桧垣文七ひがきぶんしち。桧垣指物店の四代目よ…… こんなわけえアベックがうち尋ねてくるってこたあ、訳ありって事か‥‥‥ こんな道端じゃ何だ、うちで茶でも飲みながら、ゆっくりと話をした方が気持ちも落ち着くってモンよ! ヨシッ、ついてきな!」

 文七はひとり、なにかに納得したように頷くと、雪駄を鳴らしながらゆっくりと目の前にある古めの建物の扉を開けた。



おうっ、今けえったぞ。 客人を連れて来た。ちゃあ出しなっ!」

 扉を開けたままで告げたその大きな声に柊悟と真咲は頷き合い、文七の店『桧垣指物店』の暖簾をくぐった。






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