第12話 夏の新宿

 コンビニのイートインから眺めた外の景色は、陽射しの強さとそれを返すアスファルトの反射熱で歪んで見える。

 おそらく、外の気温は35度近くあるのだろう。


 キンキンに冷えたこの空間から、外に出る事を少し憂鬱に感じながら柊悟は残り一口となったアイスに噛り付き、音治郎から渡されたメモを眺めていた。


『東京都江東区大島14丁目 桧垣指物店』


 ここへ行け。

 音治郎の真意は分からないが、それだけは間違いがないだろう。“指物店”と記されている所を見る限り、おそらく月野真咲が持っている木箱を見て貰えと言う事なのだろう。


「江東区の大島かぁ、荒川の目の前だな」

 ふと隣から聞えた、ミヤケンの声。反射的にメモを手で覆う。


「わりぃ、覗いちゃいけねぇモンだったのか。すまねえ」

「いや、自分の方こそ、すいません。別に隠すつもりはなかったんですが、つい‥‥‥ 」

 反射的に出た行動。

 それが、白いカローラに追われた為に出たモノなのか、それともローリーの言葉のせいなのかは柊悟自身も分からなかった。


 コンビニには新たに大学生らしき集団が入ってきて、口々に暑さに不平を漏らしている。


「ミヤケンさんは、その大島って辺りにも詳しいんですか?」

 静かに合間に入ってくれた月野の言葉と笑顔に気まずさが薄まる。


「詳しいって程じゃないんだけどよ、その近くで毎年10月に「木場の角乗り」って伝統行事があってサ、去年俺はそれを撮影しに行ったんだよ」

「あー、私、テレビで見た事あります! 水の上に浮かんだ木の上に男の人が乗って、その木をクルクルと回すヤツですよね」

 指先を木材に見立て、クルクルと回して見せる月野。


「そう、それだよ! 元々は江戸時代の筏師が自分の足と鳶口ひとつで、筏を組んでいくための技なんだけどよ。スゲー粋でカッコいいんだよ」

 それについては柊悟も以前、本で読んだ記憶があった。


 ミヤケンの言葉は続いた。


「俺はよ、今はフリーターやりながらの合間に写真を撮っている若造だけどよ、一応テーマって言うか、拘りや目標みたいのは持ってるんだ」

 拘りや目標。母によく指摘されたその言葉に柊悟は誰にも分からぬよう、奥歯を噛みしめた。


「うわー、聞きたいな。 なんなんです? ミヤケンさんの目標って」

 両手を合わせつつの月野の返しは少し大げさな気もした。


「写真ってのは、景色や想いの断片を切り取り、残すことが出来るだろ?」

 写真などデータとしか考えた事が無かった柊悟には無い捉え方だった。隣にいる月野は黙ってうなずいている。


「俺は写真でしか残せない、過ぎ去って行く日本の原風景や想いの断片を撮り続けたいんだ。カメラもデジカメじゃなくて、手間も費用も掛かるフィルムで勝負しているのも、古きものにこそ原風景があるんじゃねえかと思っているからなんだ…… 」

 今までにない、抑え気味な声でそう語るミヤケンの瞳はどこか遠くを見つめている。



 沈黙の中、コンビニの中を流れるアイドルの新曲。

 流行歌らしき、熱量の欠片も無いその曲は平淡でつまらないものに聞こえた。



「ありがとうございましたぁ」

 不意に聞こえた、レジ打ちをしていた店員の声と小さなざわめき。どうやら先程の大学生たちが買い物を済ませ外へと出ていくようだ。


 場の空気が少しだけ和らいだ。


「まっ、まぁ所謂、夢みたいなもんだからよ」

「叶えてくださいね。その夢」

 照れ臭そうに笑うミヤケンに笑顔で返す月野。


「叶えるさ‥‥‥ 約束でもあるしな」

 小さく漏れ聞こえた言葉。


「いけねっ、こんな時間じゃねえか! バイトに遅刻しちまう。もう行かねねと! おっ、そうだ、大島に行くんなら変に捻らず甲州街道をまっすぐ行く方が良いゼ。新宿辺りは混むだろうけどよ、今の時間なら1時間半も走りゃ、着けると思うからよ」

 おそらくは未だに電波障害でスマホのナビが使えない柊悟たちへのアドバイスなのだろう。やはり兄貴肌だ。


「本当に色々ありがとうございます」

 慌てて立ち上がった柊悟は深く頭を下げた。

「気にすんなって! 困った時には助け合うのが当たり前だろ? んじゃよ、縁があれば、また会おうぜ! 」

 柊悟に右手の拳を握手の様に突き出すミヤケン。


「はい!」

 頷きつつ、修吾は差し出された拳に自身の右拳を軽くぶつける。

「ねぇちゃんも、またな」

 月野とも同じように挨拶を交わしたミヤケンはヘルメットを肩に担ぐと、小走りにコンビニの外へと向かって行った。


 30秒とも掛からず、コンビニの中まで聞こえて来た大型バイク特有のエンジン音。


 柊悟はゆっくりと腰を上げた。


「俺たちもじいちゃんが教えてくれた所に行こう」

「・・・・・・ ねぇ、聞かないの? 」

「何を? 」

 問いを質問で返す自分に嫌悪感を抱きながら、柊悟はコンビのドアを潜った。

 外は茹だるように暑く、今年の夏は碌な事が無い事を予感させてくれいた。



 **************************************


 甲州街道を進み、新宿駅の前に差し掛かると日差しが少しだけ西に傾きだしていた。


「鳥飼君、申し訳ないんだけど、どこかで停めてくれない? 」

 立川を出てから久しぶりに聞いた月野真咲の声。


「お、おう! ゴメン。もっと早く休憩を入れるべきだった」

 新宿西口前など、片手で数えられる程しか着た事のない柊悟は、その人の多さと車の流れの速さに戸惑い、いわゆる『おのぼりさん状態』となっていた。


「ごめんなさい、ちょっとだけ休みたいの」

 俯くようにそう呟く月野の物言いに柊悟は自分の気遣いの無さを感じた。恐らくはトイレ休憩だ。特に返事をせず、広い道路の左端に停まっているトラックの後ろにウラルサイドカーを停める。


「俺はここで待ってるよ」

 ヘルメット脱ぐ月野に視線を合わせず、そう言葉を掛ける。


「直ぐに戻るから。飲み物、何が良い? 」

「ポカリ。なかったらお茶でいい」

 クラクションと雑踏からの音。そんなものに負けない為の大きな声に月野は静かに頷くと小走りに商業ビルの中へと入って行った。

 その戸惑いのない歩みは、雑踏やこの辺りの街並みに慣れている様にも見える。


 バイクから一旦降りた柊悟はスポーツタオルで汗を拭った後、カードレールに腰を降ろし、ポケットに仕舞い込んでいたスマホで妹の四葉の名前をタップする。


 電話口からはノイズにも似た耳障りな音。

「電波障害は変わらず…… か」

 元々、スマホをあまり使う方ではない柊悟ではあったが、繋がらないと気になってしまうから状況とは不思議なものだ。


 新宿ココまでは道は混んでいたものの、1時間弱の時間を要した。ミヤケンの話からするとあと30分も走れば、目的地である『江東区大島』には着くのだろう。ただ着いてからどうすればよいのか、木箱を見せた後、月野真咲とどのような行動をとればいいのか、柊悟にはそれがまるで分らなかった。


 首をほぼ真角に曲げ、まだ青さが残る空を見上げる。


「まったく、なんて夏だよ…… 」

 高層ビルの立ち並ぶ新宿ではここまで首を曲げなければ、視界一面を空に出来ない事に感心しながら柊悟は小さくつぶやく。


 刹那

 頬に感じたひんやりとした感触。


「はい、ポカリ」

 声の方向に目を向けると、イタズラっぽい笑顔を見せる月野の姿。


「ありがとう」

「…… リアクション薄いなぁ。なんかつまんない」

 お礼を告げた柊悟を睨むように、ため息をつく月野。


「俺にそう言うのを期待しないでくれよ」

 そう返し月野を見つめた柊悟の視界には女性が3人。

 みな制服だ。

 クレリックのワイシャツに小さめのえんじ色のタイ。濃紺にも見えるスカートには薄くチェック柄が入っており嫌味のない品の良さがあった。

 関東でも有名な私立の女子校のものだ。


「真咲…… ?」

 右端にいた背の高い女性から声に月野の肩が大きく揺れ、すごい速さで後ろを振り返る。


「奈穂ちゃん! 桜子、それにルーリーまで…… 」

 明らかに動揺しているその声は柊悟がはじめて耳にする月野の素の声だった。


「まさか、真咲に先を越されるなんてショックだわ…… 」

 そうワザとらしいため息を漏らしたのはリーダー格と思しき眼鏡を掛けた女性。


「ホントですぅ。まさか高輪女子高等学校わが校のアイドル多治嶋たじま真咲まさきセンパイに恋人がいたなんて! 何で教えてくれなかったんですかぁ? 」

 口を尖らせそう告げたのはひとりだけタイの色が違う女の子。


「い、いや、その…… 皆、これはね…… 」

 月野の目が泳いでいるのは、本名が自分にバレた為なのか、それとも友人たちと鉢合わせをした為なのか柊悟には分からなかった。


 だが、どちらにせよ話を着地させない限り、出発は出来ないだろう。面倒くさい方向へ行きそうな空気がだ。修吾にもそれだけは感じとれていた。


 ひと息ついた柊悟は、目の前の3人を見据えこう告げた。


「彼女…… 真咲には俺が一方的に惚れているだけだよ。今日も半ば拉致同然に連れ出して、ツーリングに付き合わせているんだ」


 夏の新宿駅前。自分には余りにも似合わない軽薄な言葉。柊悟はそれに若干の戸惑いを感じながら、ポカリをゆっくりと喉に流しこんだ。







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