第4話 月の名前、月の顔

「家出かぁ 」

 柊悟が月野と出会った経緯を話しても、父・碌朗ろくろうからは間延びをした返事しかなかった。


「真咲さんも、きっとお母さんと色々あったんだよ」

「女はみんな色々あるもんさ」


「…… 」

 四葉の言葉に尤もらしい事を述べた碌朗を横目で眺め、それが分かっているのなら、何故母との離婚を回避出来なかったのだろうと柊悟は小さくため息をする。


「シュウ、暑くないか」

 会話の流れを無視するように父が左手で自身を扇ぎはじめた。


「分かったよ、少し待ってて」

 柊悟は椅子から立ち上がると、冷蔵庫を開けてペットボトルに入った麦茶をコップに注いでゆく。

 もうすっかり慣れてしまったが、碌朗の『暑くないか? 』は『冷たい麦茶が飲みたい』と同義だ。ちなみに冬場になるとコレが『今日は冷えるな』になり、温かいほうじ茶を入れる事になる。



 テーブルの上に麦茶と氷の入ったコップが4つ並んだ。


 外からは来月行われる議会選挙の街宣車が走っているらしく、ウグイス嬢の声が聞こえてくる。


「この麦茶は結構イケるな」

 一口喉を湿らした碌朗の物言いは、それなりの気遣いなのは分かるが、些か芝居掛かり過ぎている。ちなみにイケると言って飲んでいる麦茶は、いつも柊悟が頼んでいるネット通販による特選品だ。



「ご迷惑をおかけしてすいません」

「年頃の子には、イロイロとあるもんな。何もしてあげれないけど、部屋は腐る程余っているから、落ち着くまで泊っていったら良いんじゃないか? 」

 頭を下げる月野に対し事もなげに碌朗は返す。


「さっすが、お父さん、話が分かる‼ 」

 四葉は喜んでいたが、碌朗も一応は教育者の端くれ。年頃の家出少女を預かるなど大学に知れたら、タダでは済まないハズだ。


「父さん、さすがにソレはまずく無い? 」

 遠慮気味に柊悟は父に尋ねた。


「何がだ? 」

「世間体とか、イロイロさ」

「シュウが悪ささえしなきゃ、問題ないだろ? それに、今さら鳥飼ウチが世間体なんぞ気にしても仕方ないだろ? 没落だ、相続だ、離婚だで散々噂されて来たんだし…… 」

 日頃は飄々としているため分かりづらいが、一応は気にしていたらしい。


「そうじゃなくてさ、教育者と言うか、大学での立場とかイロイロあるだろ?」

 あまり言葉にはしたくなかったが、柊悟はやんわりと注意を促した。


「何かあっても七菜香母さんの出世の妨げにはならんさ。籍だって抜いたんだから」

 まず、逃げた妻の心配。いかにも父らしい反応に柊悟は再度ため息をもらす。


「だから、ソコじゃなくて…… 」

 そこから先の言葉を口にするのは、目の前の少女に出て行けと言うのと同義。流石の柊悟も言葉に詰まった。



「…… 私も探さなければならないモノがあるので、出来るだけ早く出発をしたいと考えています」

 修悟の思いを汲んでか、月野がそう言葉を挟んできた。その物言いから、玄関で感じた時と同様に育ちの良さを感じた。


「探し物? 真咲さんはそのためにお母さんとケンカして家出したんですか?  お互いに変な母親を持つと大変ですよねぇー」

 四葉の中で母親とは常に悪役らしい。


「母とケンカ…… そうなのかもしれない…… 私はこれと同じ印が入った木箱とその中身を、どうしてもあと4つ集めなくてはいけないの」


 そう言いつつ、月野がリュックから取り出したのは10センチ四方の木箱。その木箱で目を引くのが上蓋に描かれてた不思議な紋様。


「…… 丸がたくさんある」


 四葉の感想は見たままだったが、確かにその上蓋には、中央の大きな円を囲むように周囲には8つの小さな円が描かれている。劣化の為か全体的に薄ぼんやりとはしているが、中央の円は縁取りのみで、周りの小さな円はその内側が塗りつぶされているようにも見える。


「時計みたいですね。真咲さん」

「なんか、消えかかっていて良く分かんないけど、これって家紋だろ? 」

「確かに九曜紋に似ているけど、ボクの記憶の範囲ではこんな家紋はないな」

 柊悟の問いかけに対し、そう語る父はやけに神妙な顔をしていた。


「お詳しいんですね」

「お父さん、コレでも社会の先生だからね」

 月野の問いに対し、嬉しそうに答える四葉。その言葉通り、ふたりの父・碌朗は社会学部の准教授だ。専門は民俗学。


「先生なんですか? 」

「まぁ、端くれみたいなものだけどね。箱の中を見せて貰っても良いかい? 」

 その言葉に月野は静かに頷き、胸元に抱えていた木箱を碌朗に手渡した。


「箱は欅で出来ているね。釘が使われていない所を見ると指物さしものかもしれないね」

 碌朗はどこから出したのか、白い手袋を両手にすると、木箱の蓋を慎重に開け、今度は蓋の裏側を確認しはじめた。


「裏は擦れているけど、何か書かれていた形跡が見受けられるね」


 そう碌朗が見つめる蓋の裏側には、大部分が消えてしまっているが、明らかに墨で何かが書かれていた形跡がある。


「…… 漢字みたいに見えるね」

「コレについては、中身に係りがあるんだと思うんだ」

 四葉の問いかけに軽く笑いかけると、碌朗は蓋を丁寧にテーブルに置きつつ、作業を続けた。


綿めんを染めたモノか…… 」

 続けて、箱の中に入っていた紫色の布を丁寧に解いてゆく。


 開かれた包みの中には、丸い橙色のビー玉のようなモノが8個。よく見ると、それらは組紐のようなモノでひとつに繋がれている。


「真咲さん、コレって首飾り? 」

「私も何かは聞いていないの」

 月野は困った様に笑っていた。


「首に下げるモノかは分からないけど、明らかに装飾品だな」

 問いにそう答えつつも、視線はその中身を見つめ続けている。


「手にとってもいいかい? 」

 静かに頷く月野を確認をすると、碌朗はその装飾品を手に取り、光に翳した。すると、オレンジに見えたその石は光を受けると深紅に近い輝きをまといだした。


「きれい…… 赤いビー玉かな? 」

 輝くその石を眺めつつ、四葉が言葉をもらす。


「違うよ、四葉。これは、恐らく鉱石…… 質量的には違和感があるんだけど、手触りからすると瑪瑙だな」

 碌朗はそう答えつつ、瑪瑙と言っていた石をひとつひとつを確認している。


「瑪瑙って、アクセサリーでたまに見ますけど、縞々模様だった気がするんですが…… 」

 遠慮気味に尋ねる月野の返しに柊悟も静かに頷く。


「月野クンの言う通り、瑪瑙は縞模様の方がポピュラーと言っていいだろうね。でもね、日本の青森や岩手で産出される水瑪瑙は、ちょうどこんな輝きを持っているんだ。それ故、神社仏閣に祭られたり、祭器に用いられたりと、昔から珍重されて来た。しかし、球体が8個とは珍しい……面白いなぁ」

 研究者は変人。

 何かの本にそう書いてあったが、球体が複数ある事の何が面白いのか柊悟には理解出来なかった。


「他に分かる事あれば、お教えて頂けないでしょうか? 実は残りの四つを探すと言いいましたが、大した当ても無くて…… 」

 父を真っすぐに見据えての月野の言葉。


「なんの当てもなく、探し物をするつもりだったのかい? 」

 碌朗の言葉通り、そんな状況で何か探すなど、かなり無鉄砲だ。


「お父さん! その言い方すごく意地悪だよ。それだけ真咲さんは困っているって事じゃん。先生ならその辺を汲んであげて、他に分かる事を教えてあげてよ」

 四葉が口をとがらせて抗議してきた。


 多分、碌朗の意図は別の所にあったはずで、柊悟も彼女の返答を聞きたかったのだが、そのタイミングは失われてしまった。


「他にかぁ…… うーん、他に分かる事といえば、その紋様が月を表している可能性が高いって、事くらいかな」

 ポツリと呟いた父の言葉に、月野の表情が一瞬強張る。


「お月様?  」

 好奇心が強い四葉は興味津々と言ったカンジだ。


 氷が解けたのか、柊悟のコップが乾いた音を立てた。


「うん、月だよ。箱に描かれた円のうち、小さな円の所々が消えかかったように見えるだろ? 」

「でも、これって、古いから消えちゃったんでしょ? 勿体ぶらないで答えを教えてよ…… 」

 頬を膨らませる四葉を見て、碌朗は笑っていた。


「まぁ、そう言わずに一緒に考えてみよう。覚える事ではなく、考察こそが学ぶ事の根幹なんだ」

 三流大学のマイナーな学問の准教授との揶揄は嘘ではないが、父の語り口は柊悟からすると、母のそれより遥かに魅力的に思えた。国立大学新進気鋭の女性教授と言われている母より……


 碌朗の言葉は続いた。


「月野クンやシュウもよく見てごらん。この紋様の一部は確かに経年劣化で消えかかってるけど、描かれている小さな円にはある規則性がある。四葉、小さな円がいくつあるか数えてごらん」

 

「1、2、3、4 …… 8…… 8個あるよ」

 木箱を睨むように円を数える四葉。


「そうだね8個だ。さっき四葉は『時計みたい』って言っていたけど、実はその考察は正しいんだ。時計の12と6の位置にある小さな丸をよく見てごらん」


 そう碌朗が示した2つの円には明確な違いがあった。6の位置には明瞭な弧を描いた円があるが、12に位置にあるものは、円の線らしきものが薄っすらとあるだけだ。


「12の位置にはぼやけて何も描かれていない様にも見えます」

 そう答えたのは月野だった。

「ボクは描かれていないのではなく、影に隠れていたのを表していると思うんだ。3と9の位置にある円を良く見てみると、もっとボクの言っている意味が理解出来ると思うよ」


 3時と9時の位置。

 そこに描かれていたのは半円。ただし3時の位置にある半円は右側が消えており、9時にある半円は逆に左側が消えていた。


「半円だね」

 好奇心の強さの為か、四葉の瞳は輝いていた。

「それじゃあ、もう一度、時計の12の位置から11の位置にある小さな円までを順に見てみよう。何か気がつかないかい?」


 柊悟は父の言葉通り、時計周りに小さな円を目で追った。


 暗闇から姿を現す弧は徐々にその形を大きくし、やがてれは完全な円を描く。そして、その円はまた徐々に影を濃くするように姿を消してゆく。その流れは、あたかも新月からはじまり下弦、そして満月をたどり、上弦を経て再び新月に向かってゆく月のように見えた。


「もしかして、この紋様は月齢図…… 」

 驚いたのか瞳を広げる月野。


「そう、その通りだよ。2時の位置の『明けの三日月』、そして10時の位置にある『三日月』は消えかかってしまっているけれど、目を凝らすと薄く書かれているのが分かるだろ? …… シュウ、8個の月の名前はまだ言えるか? 」

 そう問いかける碌朗の目は笑っていた。


「あー‼ ソレ、あたしが言う。新月でしょ、三日月、上弦の月、十三夜、満月、寝待月、えーっと…… それに下弦の月と明けの三日月!」

 もちろん、柊悟も覚えていた。

 昔から兄妹で母に何度も教えてもらった幾つもの月の名前と幾つもの月の顔。


「正解だよ四葉、よく覚えていたね。月と言うのは古代から人の身近にあった天体だから信仰や畏怖の対象でもあったんだ。だから古民具に月が描かれている事はさほど珍しい事ではないんだ。さっきの話じゃないけど、家紋にも月をモチーフにしたモノがあるくらいだしね」


 四葉の頭を撫でながら碌朗は言葉を続けた。


「ただ、月齢図が描かれているのは珍しい。その謎は恐らくこの中身と蓋の裏に描かれていた内容が解き明かしてくれると思うんだ。そして、それが月野クンの探し物のヒントでもあると思う」


「あの瑪瑙と蓋の裏側にですか? でも、私には何が何だか分からなくて」

 箱を見つめる月野の表情は沈んで見えた。


「うーん、確かに蓋の裏側については、X線を当てるとかして、よく調べないとダメだと思うし、瑪瑙についてはボクでは分からないな」

 顎をさすりながら、淡々と語る碌朗。


「なんだ、偉そうなこと言って、お父さんも分かってないんじゃん」

「四葉は手厳しいなぁ」

「…… 父さん、今、って言わなかった?」

 苦笑いを浮かべる父に柊悟は質問を投げかけた。

 

 外からは再び県会議員候補者を推す、ウグイス嬢の声。


「分からない事があった場合は、分かりそうな人に素直に教えを請えばいい。これも学ぶ事の基本だ」

 父のその言葉に、柊悟は面倒事が起きる予感がした。




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