第7話 生家(その1)

 グレーのパンツスーツに着替えた時田翠子は苦々しい顔でベッドを見ていた。

 ずらりと並べられた五着のチュニックは肝試し用と判明した。斬新なデザイン等ではなかった。

「なんで私は!」

 腕の一振りでチュニックを抱えた。その状態でクローゼットの中に投げ込んだ。

 ずんずんと歩いて黒のパンプスに足を捻じ込む。ドアの前に立ち、意識して表情を和らげる。口角が下がりそうになる度に人差し指と親指で押し上げた。十分に感覚を顔に馴染ませてドアノブを掴んだ。

 朝陽が降り注ぐ中、翠子は目を細めて外に飛び出していった。


 青空の下、胸を張って歩く。自身の行動で気分を徐々に盛り上げて自然な笑顔が浮かぶようになった。

 左に曲がった途端、表情は一変した。行列が進路を塞いでいたのだ。

 脳の一部が露出した男性のシャツにはタイヤの痕が付いていた。猫背の青年はシャツが切り裂かれていた。流れた血で上半身をどす黒く染めている。半身が焦げた女性は頭皮を剥き出しにして、のろのろと歩く。

 行列は民家の生垣から現れ、向かいの家の土塀を突き抜けて行進を続けているようだった。肝試し用のチュニックのデザインを素で着こなす。

「……あんたらを……見慣れたせいで、私は……」

 翠子は鬼の形相となった。だらりと下ろした両腕の輪郭がぼやける。新たな両腕が内側からずるりと引き抜かれた。

 行進がピタリと止まった。亡者はガクガクと震える頭でこちらを窺う。無表情のまま、口を限界まで開いて我先にと土塀に駆け込む。

大散財だいさんざいなんだよ!」

 翠子は行列に突っ込んだ。禍々しい赤銅色の両腕で亡者に襲い掛かる。

 路面に潜り込むアッパーカットで数人を中空に吹き飛ばす。裏拳で放った攻撃は土塀を擦り抜けて逃げる亡者を一掃した。

 無音の暴風は数分に及んだ。亡者は等しく巻き込まれ、砕かれた。路面には残骸が散らばり、順に掻き消える。

「正義の味方は辛いわ~」

 すっきりとした顔で翠子は駅へと向かった。


 程々に混み合う電車に揺られ、会社のある大川陀おおかわだ駅に着いた。翠子は人の流れに乗って改札を出る。右手に人工の花時計を見ながら足を速めた。

 急に歩幅が狭くなる。勤めているビルの前に小太りの社長が立っていた。苛立ちを抑え切れず、小動物のように動きが忙しない。

 翠子の姿を見つけると、すっ飛んできた。

「時田君、待ち侘びたよ。はい、これ」

「この茶封筒は何でしょうか」

「出張費だよ。特別手当も入れといた。切符も購入済みだ。時間があまりない。急いだ方がいい」

 社長は脂汗が滲んだ笑顔で翠子を駅の方に押しやる。

「ここで封筒の中を見てもいいですか」

「あとでいいじゃないか。切符を見れば行き先はわかる」

「今、知りたいのですが」

「人事に働き掛けて降格させるぞ」

「私、平社員ですよ?」

 社長は泣きそうな顔で、頼む、と喉から声を絞り出す。

 翠子は納得した様子で表情を緩めた。

「わかりました。では、あとをよろしくお願いします」

「すまない、時田君。恩に着る」

 社長は両手を合わせて翠子を送り出した。

「なんだかなぁ」

 駅に向かいながら茶封筒の中を確かめる。紙幣の間に旧式のICカードが挟まっていた。

「田舎では使えるかな」

 切符を見つけた。指で引っ張り出した瞬間、苦笑いを浮かべた。

 事情がわからず、翠子は唐突に生家へと帰る運びとなった。


 昼食は駅弁を選ぶ。広々とした車内でブランド牛に舌鼓を打った。締めには冷やした玉露を飲んだ。

 特にすることはなく、欠伸が漏れる。翠子は座席を深々と倒し、高速で流れる景色をぼんやりと眺めた。

 少しの仮眠で目的の駅に着いた。そこから単線の私鉄に乗り換える。車輛には年老いた数人がいるだけで座席は空いていた。

 翠子はドアの側に立った。流れる景色を見詰める。駅を通り過ぎる度に目が優しくなってゆく。

 田園風景の只中にある駅で翠子は降りた。他に下車する者はいなかった。

 白髪交じりの駅員に切符を渡して大きな一歩を踏み出す。道端に停まっていたタクシーに大股で向かう。

 助手席の窓を軽くノックすると後部のドアが開いた。翠子は滑り込みながら行き先を伝える。

大曾根本山おおそねほんざんの麓の六地蔵まで頼むわ」

「わかりました」

 沈んだ声でタクシーは走り出す。黒々とした山が前方に見えてくると運転手が声を掛けてきた。

「お一人ですか」

「出張ですね」

「……まさかとは思うのですが、命を粗末にはしませんよね」

 バックミラーに映る運転手の目は真剣であった。

「そんなこと、考えてないですよ。安心してください」

「そうですか。失礼しました」

 翠子の明るい声に運転手は口をつぐんだ。

 整備されていない悪路を走り、目的の六地蔵に到着した。雨曝あまざらしの状態で全ての地蔵に頭部がなかった。

 料金を払って降りようとした。

「気を付けて」

「わかりました」

 運転手に微笑んで翠子は雑草の生い茂る道に降り立った。タクシーが見えなくなるまで微笑みを絶やさない。

「……帰ってきたのね」

 その顔に笑みはなく、目には強い意志が宿っていた。

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