第6話 歓迎会

入部試験と初稽古を終えた後、松尾女史と部員たちが、近くの飲食店で歓迎会を開いてくれることになった。


剣道サークルの部員たちが松尾女史に連れられてやって来たのは、お世辞にもきれいとは言えない中華料理店であった。店名は龍虎という。一階には厨房を囲むカウンター席と三つのテーブル席が配置されていた。


松尾女史は厨房で忙しそうに鍋を振るっているおじいさんに、

「二階借りるから」

と言って、勝手に階段を上がっていった。私たちが階段を半分ほど登ったところで、「あいよ」という声が一階から聞こえてきた。


二階は十帖程度の和室に四人掛けの低いテーブルが二台置かれていた。


私とルーカスは他の部員に倣い、入口で靴を脱いだ。


テーブルの下には足を下ろすスペースがあった。掘りごたつである。恐らく、私とルーカスのために松尾女史が配慮してくれたのだろう。2階には私たちの他には誰もいなかった。私たちが腰を下ろすと、青いバンダナを頭に巻き、デニム地のエプロンをまとった恰幅のいい中年の女性がビール瓶と人数分のグラスをトレイに乗せて運んできた。松尾女史は、にこやかにグラスを置く店員の女性に、

「おばちゃん、餃子三十皿と白飯をたくさん持って来て」

と適当に注文した。おばちゃんと言われた女性は不思議そうに、

「今日は随分食べるんやね」

と言ったが、ルーカスを見ると、

「なるほど」

と神妙な顔で言い、1階に向かって、

「じいさん、餃子三十皿!」

と大声で叫んだ。

そして、おばちゃんが階段を半分ほど降りる頃、一階から「あいよ」というじいさんの返事が聞こえてきた。


餃子を待つ間、私たちは自己紹介することになった。まず、ルーカスに小手を決められ、自信を喪失した木田氏が立ち上がり、自己紹介を始めた。

「四回生の木田信也です。昨年から剣道部、いや、剣道サークルで主将を務めています」

木田氏の目は虚ろであった。その後も何か言っていたが、声が小さ過ぎて何を言っているのか分からなかった。どうやら学部やゼミについて話していたようだが、さらに声は小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。そして、大きくため息をつくと着席した。

続いて、私に一本を取られた浦賀氏が立ち上がった。

「えぇ、先程は見苦しいところを見せてしまいましたね。浦賀孝司です。三回生です。宜しくね!」

浦賀氏は木田氏が作り出した重い空気を取り払うかのように、必要以上に明るく振る舞った。しかし、自分も負けているせいもあり、実に痛々しい。浦賀氏は青い顔で座布団の上に座ると下を向いてしまった。


今度は、アスリートの要素が一つも見当たらないポッチャリ体型の部員が立ち上がると、体型からは想像できないダンディーな声で話し始めた。

「ええと、霧島修平です。三回生です。剣道歴は一年二ヶ月ですが、私も武田君やルーカス君に負けない剣士になれるよう、これからはさらに稽古に精を出していきたい所存です。そもそも私が剣道を始めたのは・・・」

そのずんぐりむっくりしたルックスとディスクジョッキーのような甘い声のギャップに衝撃を受けた私とルーカスは、笑いをこらえるのに精いっぱいで、政治家の演説のような霧島氏の言葉は残念ながら全く耳に入ってこなかった。ちなみに他の部員は慣れているからか、全く笑っていなかった。私は霧島氏を陰でダンディー霧島と呼ぶことにした。


霧島氏の自己紹介が終わると、今度はまるでホテルマンのような七三分けの部員が立ち上がり、自己紹介を始める。この部員はきちっとした身なりの割には随分お茶目な性格のようだ。

「初めまして、葛城智彦です。大学院生です。トモッチと呼ばれています。好きな女性のタイプは、ボーイッシュだけど、乙女の心を持った人です」

と、トモッチは正直どうでもいい情報を私たちに伝え、自己紹介を終えた。基本的に笑顔を絶やさないルーカスから笑顔が消えた。


続いて松尾女史が立ち上がった。

「松尾です。剣道サークルの顧問を務めてます。実家はご存知のように道場ですが、昔はお寺でした。剣道に夢中だった祖父の代に鞍替えしたようです。私も週末は子供たちに剣道を教えています」

松尾女史は、自己紹介を終えると、どかっと胡坐をかき、

「次は武田君よろしく」

と言った。私は立ち上がり、自己紹介を始めた。

「武田信夢です。父も母も日本人ですが、アメリカのテキサス州で生まれ、育ちました。アメリカの大学では機械工学を学んでいます。趣味は乗馬です」

私が趣味に言及すると、おーっと言う声が上がり、乗馬に関する質問が次から次へ寄せられた。しかし、そのほとんどは無知からなのか、正直くだらない質問ばかりであった。

「武田君ってリッチなんですか?」

「馬で学校に行きますか?つまり、馬通学ですか?」

「馬に乗れるとモテますか?」

松尾女史は飽きれて溜息をついている。しかし、根が割と真面目な私は、どうでもいい質問にも丁寧に答えていった。

「いや、普通です。確かに犬や猫を飼うよりはお金がかかりますが、私が住んでいる地域は土地がありあまっているので、日本と比べると遥かに飼いやすい環境です」

「馬で通学ですか?無理ですね。でも、やってみたいなぁ」

「いいえ、残念ながら馬に乗れてもモテませんよ。日本ではモテるんですか?」

最後の質問に質問で答えると、全員が腕を組んで考え込んでしまった。その後、どうでもいいディスカッションが始まった。

「モテるやろ。だって、乗馬なんて、金持ちしかできないしな。知らんけど」

「いや、馬に乗れたって、ブ男は駄目ですよ。顔も良くなきゃモテませんよ」

「そうかな。でも、金目当ての女の子にはモテるんじゃないの?」

「馬にもよりますね。ポニーとかじゃ、逆に馬鹿にされるんじゃないですか?」

ここまでは部員たちの他愛のない会話であったが、突然、女盛りの松尾女史が参戦した。

「でもイケメンが馬に乗ってたら、鬼に金棒よ」

私とルーカスを含む男子部員全員の視線が松尾女史に集まる。すかさずトモッチこと葛城智彦が、きっちり決まった髪の毛をなでながら松尾女史に質問を投げた。

「イケメンがポニーに乗っていたらどうですか?」

「イケメンがポニー・・・カワイイかも・・・」

と松尾女史が顔を赤らめながら本気で答えたところで、餃子が運ばれてきた。そして、この不毛な議論にピリオドが打たれた。


次々に運ばれてくる餃子を見て、私とルーカスは目を輝かせた。アメリカの中華料理は根本的に日本の中華とは異なる。日本の中華が日本人の好む味に合わせて変化してきたように、アメリカでもまたアメリカ人の好む味に変化している。餃子もアメリカの餃子とは異なる。好みにもよるが、私とルーカスは日本の餃子の方が格段に美味しいと思った。箸が止まらない。私とルーカスはまるで競争するかのように(そして、実際に競争していたのだが)餃子を次々と平らげていった。すると、私たちの競争に感化されたのか、

「新人に負けてたまるか!」 

と言って、ダンディー霧島が餃子を勢いよく食べ始めた。さらに、ルーカスに負けた木田氏が、

「剣道では不覚を取ったが、早食いでは負けへんよ!」

と餃子早食いレースへの参戦を宣言した。

「ちょっと待って、俺も参加する!」

続いて、私に一本取られた浦賀氏も餃子にがっつき始めた。そして、上品に餃子を口に運んでいた松尾女史までもが、

「まだまだ若いもんには負けないわよ!」

と言い、餃子を豪快に口に放り込み始めた。

私たちは結局餃子を十皿追加し、合計で四十皿、個数に換算すると、実に四百個の餃子を平らげたのであった。


酒も進み、当然、会話も弾んだ。そして、私たち二人は、剣道サークルの先輩たちとすっかり打ち解けることができたのであった。そんな中、五杯目の中ジョッキを飲み干した後、「ゲっ!」と豪快なゲップを決めた松尾女史が、

「お、そうだ、ルーカスちゃん、あんた、自己紹介してないやん」

とルーカスに自己紹介を促した。


ルーカスが立ち上がると、その立派な体躯を見て、私を除く部員4名と松尾女史、そして、ビール瓶を運んできたおばちゃんが、改めて歓声をあげた。おばちゃんに至っては、無遠慮に分厚い胸板を愛撫し、

「キン肉マンかい、あんたは。いや、あんたはアメリカ人だからテリーマンか」

とルーカスを一昔前に流行ったアニメの登場人物に重ね、目を細めていた。それ以来、この店を訪れるたびに、ルーカスは「テリーマンさん」と呼ばれるようになった。


「ルーカス・ベイルです。趣味は剣道です。幼少の頃から、ここにいる信夢の父親から剣道の英才教育を受けてきました」

私の名前を出した時、ルーカスは私の頭を軽く叩いた。軽くと言っても、身長は百九十センチを越え、筋肉の鎧をまとった男の一撃だ。私は不意を突かれたこともあり、目の前に置かれていた焼き飯に顔を突っ込んでしまった。

「ふはは・・・そうか、そうか、そうきたか、ルーカス君」

不敵な笑みを浮かべた私は麻婆豆腐の皿を手に立ち上がると、勢いよくルーカスの顔目がけて投げた。見事にルーカスの顔面に命中した。

「あ、ごめん。手が滑った」

私は笑いながら謝った。ルーカスは隣に座っていた浦賀氏からお手拭きを借り、顔を拭くと、

「おー、信夢くん。やるじゃないか。鷹の爪が目に染みるぜ」

と言うと、一階に向かって、

「じいさん、熱々のラーメン持って来て!」

と叫んだ。しかし、松尾女史に、

「いい加減にしなさい!」

と一喝されると、

「す、すいません」

と平謝りし、自己紹介を再開した。

「大学に入るまでは野球もやっていました。今は剣道とアメフトの二刀流です・・・」

こうして、懇親会は夜遅くまで続いたのであった。

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