【第三十九走】 コミュニケーション

 閉店する時間まで馬鹿話を楽しんでいた俺たちは、最終的に追い出されるようにして学食を後にした。通常ならばこのままきっちゃんの部屋で飲み会へ移行する流れなのだが、さすがにテスト前ということで今回は自重して、その場はお開きとなった。

 もっとも、彼ら三人は同じ大学寮に住んでいるので、酒盛りなどその気になればいつでもできる。だからあっさりと解散したのかもしれない。

 他方、四人の中で唯一寮住まいではない俺は一人家路へ向かうため、坂を下りながらユキの待つ駐輪場へと向かった。その道中、ふと目に入った夜空はまだうっすらと灯りを残していた。七月が目前の最近は、だいぶ日も長くなったものだ。


 季節の変化を感じつつほどなくして駐輪場へたどり着くと、電灯の薄明りの中でユキの白い車体を探した。「探す」とは言っても俺はいつも同じような場所に停車しているので、実際には一瞬で見つけることができた。

 いつもの場所に停められた彼女を確認すると、その薄いブルーのシートの上にはお決まりのように――願いを叶える黒猫のルナが鎮座していた。蛍光灯に照らされたルナの毛は、まるで磨き上げられた革靴のように艶やかだ。

 ふと、以前に猫博士のきっちゃんが「ルナの毛色の良さは野良ではありえないレベルだよ」と言っていたのを思い出す。大抵の野良猫はその生活環境や食事の質の悪さから、もっと毛が荒れていたり乱れていたりするものらしい。

 だからここまできれいな毛並みを保っていられるルナは、もしかしたら飼い猫なのかもしれない――とも言っていたが、それはないと俺は思う。


「おう、ルナ。今日も――」


 「いい毛並みだな」と俺が声をかける前に、ルナは飛び起きて闇の中へと消えていった。ルナは異様に人間の気配に敏感な猫なので、いつも俺が近づくだけでいなくなる。ここまで人間に過剰に反応する猫が、はたして飼い猫であるだろうか。俺がきっちゃんの推測を肯定できないのは、こういった実体験によるためだ。

 加えて俺には、もうひとつ判らないことがある。それは「なぜいつもユキの上で昼寝をしているのか」ということだ。

 この駐輪場はあまり利用者が多くはないとはいえ、立派に人目のあるところだ。なのにルナときたら、毎度意にも介さず眠っているのである。これはいったいどういう理由なんだろうか。なんとなく個人的な感触としては、人間を忌避してはいるが、本質的には舐め切っているような態度に感じるが――つらつらと考えてみても、結局答えは出ない。だから猫の生態に詳しくない俺はそれ以上考えるのをやめた。

 ほのかにルナの体温が残されたシートに座り、キーを差し込んでセルを回す。車体が小さくわななくも、一発では火が入らず始動しない。何度かセルを回していると、ようやくエンジンが動き出した。

 最近、エンジンの調子が悪い気がするな――と思ったところで、寝起きで間の抜けたユキの声が聞こえてきた。


「あ――おはよ」

「おう、おはよう。もう夜だけどな」

「仕方ないじゃない。アタシはエンジンの動いてない時は、大抵眠ってるようなモンなんだから」

「猫みたいなヤツめ」


 猫が一日の大半を寝て過ごすというのは、知識に乏しい俺でも知っている特徴だ。そもそも猫の語源は「寝る子」だというし。もしかしたらルナは、ユキのことを自分と同類だと思って安心しているのかもしれない。だから駐輪場ここで、人目もはばからず眠ることができているのではないだろうか。


「ふふん――今後はアタシを『プッシーキャット』とお呼びなさいな」

「お前的には『仔猫ちゃん』的な意味で言ってるんだろうが――それは俗語スラングでたいそう品の無い淫語もとい隠語なんだぞ。大丈夫か?」

「そんな知識ばっか持ってるアンタも大概よ」

「さいですか」

「さいですよ」


 代わり映えのない煽り合いやりとりを経て、俺は右手のアクセルを回し家路についた。




 *




「――ねぇ」


 いつもの帰り道をいつものように控えめな速度で走っていると、いつもとは異なる控えめな口調でユキが語りかけてきた。


「なんだ?」

「アタシってさ、幸せ者なのかな?」

「――は?」


 初めはそれが、いつものように自意識過剰のうぬぼれた発言なのかと思われて、つい眉をひそめた。

 しかしその口調には、なにやらふざけた様子はない。

 彼女はなおも同じ調子で続ける。


「だから――最近、実はアタシって、結構――幸せなのかな、って思ってるの」

「どういうことだよ。訊きたいことがあるなら、ちゃんと伝わるように言えよ」

「それは――」


 一瞬言いよどんだユキだったが、しかしすぐにその言葉の真意を語り始めた。


「今までに美桜みお翔多しょうたや――その他に何人も――転生者と話をしてきたでしょ?」

「ああ、そうだな。どいつもこいつも気の置けない、愉快なヤツらだ」

「そうよね。愉快なヤツらよね。決して悪いヤツらじゃないわ」

「それがどうしたんだよ?」

「悪いヤツらじゃない。悪いことをしたわけじゃない。それなのに、アイツらはあんな風に独りぼっちにされて、苦しい思いをしてきたのよね」

「それは――仕方ないだろう。あれは子供神クソガキが悪いだけで、言うなら運が悪かったとしか――」

「なのにアタシは、幸か不幸か――たまたまアンタの原付に転生させられたおかげで――そうはならなかったわ。正直、こんなヤツと話したくないとは何度も思ったけど――それでも、接することのできる相手がいるっていうのは、それだけで幸せだったってことに、最近気付いたのよ」


 何かを思い、噛みしめるようにユキは言葉を口にする。


転生者アタシたちの肉体が無機物だとしても、魂は人間のままだから――どうしてもを求めずにはいられない。けれど、アタシ以外のヤツらは、どうしてもができなくて苦しんでた。そんな存在がいるなんて、アタシは今まで思いもよらなかったわ」

? いったい、なんのことだ?」


 彼女は俺の問いかけに、もったいぶるでもなく、至極あっさりと答えた。




他人との関りコミュニケーションよ」




「コミュニ、ケーション――」

「『人は一人じゃ生きてはいけない』なんてよく言うけど、アタシは少し違うと思う。人は一人じゃ生きていけないんじゃなくて、一人だけじゃ、生きていけないのよ。常に関わり合える誰かがいて、語り合える誰かがいてこそ、人は人らしく生きられるのよ」


 急な彼女の饒舌じょうぜつに、俺はいつものような煽りや茶化しを入れることもなく、ただ静かに耳を傾けた。風を切る音も、周囲の車のエンジン音もはいたけれど、この時に俺がいたのは、心に直接伝わるユキの声だけだった。


「だから、それができない状態のアイツらは、暴走して人ではない何かになりかけていた。子供神が『地縛霊』と言っていたような存在の、人ではいられなくなった――何かに」

「――そう考えれば、初めからその可能性が無かったお前は――確かに幸せだろうな」


 ユキは、どこか思いつめているような口調で言葉を紡ぐ。悲痛さも含む彼女の独白に耐えきれなくなった俺は――つい、そんなようなことを口走った。

 それが、きっかけだった。


「そうね」


 俺の発した言葉を受けて、彼女は何かを理解したようだった。

 いや、『理解した』というよりも――『決した』というほうが適切だった。


「やっぱりそうよね」


 確かめるようにに繰り返す。


「だから――」


 俺が問いかける間もなく、彼女が口を開く。


「アタシはもう、これ以上、アンタと一緒には行けない」


 そして最後に、微笑むような気配がして――彼女は最初で最後の言葉を口にした。




「ごめんね――絃夜いとや

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