【第十六走】それを映すもの

「これはこれは七香なのかさん。ちょうどよかった、会いたかったんですよ」


 眼前の小さな障害物を無慈悲にはねのけて、俺は後ろを振り向く。

 視線の先には――キャミソールにショートパンツ姿という、いつもどおり肌色の面積を大きくとった服装の七香さんがいた。まるで海にでも行ってきたかのよう――というか、今は六月だ。海開きはまだ先だろうに。


「え? やだ、なに? そんな真剣な眼差しで――」


 彼女は俺の(怪訝な)視線を受け止めると、頬をおさえ、身悶えしながら言った。


「もう――今日の井戸屋ったら、ずいぶん大胆ダイタンねっ!」

「は?」

「そんなストレートに見つめながら『会いたい』だなんて――やっと井戸屋も、自分の気持ちに気づいたってことなのかな」

「自分の気持ちよりも、アナタの正気のほうが解らないですね」

「ほんの数日会わなかっただけで、もうナナコに会いたくなってるんでしょ? 『ナナコと会えないとつらい』って気持ちが生まれたってことじゃない。井戸屋――恋心だよ、それは」

「愉快で奇怪な誤解をしないでほしいんですけど。『会いたかった』とは言いいましたが、『会えなくてつらかった』なんて言った覚えはないですよ」

「恥ずかしがらなくてもいいんだよ、井戸屋くん?」

「そちらこそ、もう少し恥じらいを持ちなさいよ、七香さん――まあ、そんなことより」


 たわごとをほざきながら臆面もなく隣へ座ってくる彼女に対し、俺は声のボリュームを抑えながら声をかけた。これからする話は、あまり他人に聞かれたい話ではないのだ。


「真面目な話なんで、ちゃんと話を聴いてもらえますかね」

「うん、解った。告白だって真面目な話だもんね。ちゃんと聴くよ」


 姿勢を正し瞳を輝かせながら、顔を近づけてくる七香さん。彼女はどうしても、俺が告白することにしたいらしい。


「だから――いや、まあいいです。それより」


 軽く頭をおさえながら、俺は話を続けることにした。


「ちょっと女性代表として、七香さんにお伺いしたいんですよ」

「スリーサイズ以外ならなんでも訊いて」

「そんな同じ数字が並ぶものを訊いてどうするんですか」

「ひっどいなー、このナイスバディに対して。井戸屋はもう少し、女心を学ぶべきだよ」


 そう言って七香さんは、わざとらしく身体をくねらせた。はたして世間的に、「出なくていいところは出ていないが、出るところも出ていないスタイル」を「ナイスバディ」と言うのかどうかは不明だが――まあ、とらえ方は人それぞれだろう。なんせ今は、多様性の時代だし。

 そうは思った俺は、彼女がちょうどいい単語を発したのに気づき、冗談には付き合わずに話を進めた。


「そう――それなんですよ、七香さん」

「え?」

「そのとやらについてお伺いしたんですよ」

「どーゆーこと?」

「いや、実はですね――」


 今回の件について熟慮した結果、俺は――はなはだ不本意ではあるが――ユキの言うとおり、七香さんの意見を参考にすることにした。どうしても一人で考えるだけでは、解決の糸口が掴めなかったためだ。

 しかしその場合、ひとつの問題が発生することを俺は理解していた。

 それはつまり――ことのあらましを、ありのままに伝えることができないということだ。

 そもそも以前、「原付が彼女になった」と伝えた際には散々バカにされた挙句、出会いの斡旋まで心配されたのだ。そんな彼女に対して「信号機が悩んでいるので知恵を貸して欲しい」などと言い出そうものならば、今度は出会いどころか病院の斡旋をされそうである。

 となれば、いかにして彼女にそれとなく伝えるべきか――。

 眠気を紛らわしながら、今日はそのことばかりを考えていた。


「とある知り合いの女性の話なんですが」

「井戸屋にそんなヒトいるの? それ本当に人間?」


 彼女にしてみれば単なる煽りにすぎない言葉だったが、真実を突かれた俺は少しだけ戸惑った。


「ま、まあいいから聞いてくださいって」

「はいはい。ナナコは優しいから、井戸屋の妄想に付き合ってあげますよ」

「それはどうも――」

「で、その非実在青少年がどうしたって?」

「えぇとですね――その彼女いわく、『新しく生まれ変わった自分を注目してほしい』そうでして」

「生まれ変わったって――高校とか大学の新生活でおしゃれに目覚めて、デビューしたってこと?」

「まあ、そんな感じです」


 実際には、本当に生まれ変わっているのだが。


「でも、じゃあそれを叶えようかと提案すると、これが煮え切らない反応しか返ってこないんですよ。自分では『注目されたい』って言っているのに――どうにもそれが解らなくて」

「ふんふん」

「こういうのは癪なんですが、七香さんは毎回バッチリとメイクやファッションを決め込んでるじゃないですか。だから、女性がお洒落をするっていうのはどういう心理なのかと思いまして――それを訊きたかったんですよ。もしかしてそれが、我々オトコには解りえないってヤツになるのかなぁと思いましてね」

「ははぁ、なるほどね」

「解ってもらえましたか?」

「うん、解った。よぉく解ったよ。井戸屋のバカさ加減がね」

「――は?」


 思わずカチンときた。

 バカさ加減だって?

 俺は正直に、『解らないから教えてくれ』と言っているのに――この話の流れで、なぜ突然けなされなければならないのだ。


「そもそも井戸屋は、なんで女の子がオシャレするのか――それ自体を解ってないでしょ。単なる身だしなみだとでも思ってるんじゃない?」

「違うんですか?」

「違うんですよ。あのね井戸屋――女の子はね、他人に見せるためにオシャレしてるわけじゃないの」

「じゃあ、なんで――?」

「決まってるじゃない。他人のためじゃなかったら、自分のためにだよ」

「自分のため?」

「そ、自分のためなの。ファッションについて無頓着とまではいかないまでも、無難にまとめればいいとか思ってる井戸屋みたいな人種には解らないだろうけど――オシャレっていうのはね、自己表現なんだよ」

「自己表現、ですか?」

「いい、井戸屋――?」


 ずい、と無造作に顔を近づけて、七香さんは俺の瞳を覗き込んだ。

 猫のように大きな瞳に見つめられ、思わず俺は目をそらしてしまう。

 小さくため息をついて、彼女は続けた。


「『私はこういう服が好き』『じゃあそれに似合うのはどんなメイク?』『どうすればもっと可愛くなれるかな?』っていうのを、突き詰めて突き詰めて――その結果、一番自信の持てるカワイイ自分でいるために、女の子は一生懸命オシャレを覚えるんだよ」


 なるほど――と俺は、心の中で一人うなずく。

 しかしそれは、裏返せば――お洒落を重ねれば重ねる人ほど、本来の自分に自信がない人、ということになるのだろうか。ふと、それを尋ねてみたい気もした。

 だが、あいにくと今、俺に向かって講釈しているのは――そのお洒落の権化のような人間である。さすがにそれを目の前の人に訊くのも、野暮が過ぎるだろう。

 そう思い、俺は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。


「だから、それがどんなに奇抜で人目を引くとしても――私たちオンナノコは別に、目立ちたくてやってるわけじゃないの。ましてどれだけ露出が激しかったとしてもそれは、性的な目で見られたいわけなんかじゃ絶対にないのよ。解る?」

「ある意味で、お洒落は女性にとっての武器ってことですか? それを持つことで、自分の自信を守れるというか」

「そうかもね。女の子のみんながみんな、そうとは言わないけど――でも、オシャレに興味のある女の子なら、大体そうだと思うよ。だからその姿を見せたいのは、他人じゃなくて――」


 改めて俺の目を見つめながら、彼女は言った。


「鏡の前の自分なんだよ、きっと」


 今の七香さんの姿はきっと、俺の瞳に映っているに違いないと思った。

 なぜならば、俺の冴えない顔も彼女の瞳に映っているからだ。

 等身大の俺たちはこうして、お互いを映し合うことができる。


 ならば、彼女――美桜みおさんはどうだろうか――?

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