大自然#1

 その日の目覚めは、快適とはほど遠いところにあった。

 ベッド代わりのソファから体を起こして寝ぼけ眼を擦れば、周囲は見慣れた自分の部屋の光景。

 ブラインド越しに射し込む日差しに、どこか雪片のようにも見える細やかな埃がキラキラと輝いている。

 美しく見えるようでいて、その実、対極を意味するようなその光景。壁はコンクリートがむき出しで、所々に適当な断熱材が立て掛けられている。

 室内にはどこか時代錯誤のベルが鳴り響いていた。古めかしい、ジリジリという電話の呼び出し音に招かれて、俺はソファ脇のそれを引きずり寄せて受話器を取る。


『やぁ、カナリア。ご機嫌はどうかな』


 受話器の向こうから聞こえてきたのは、どこか芝居がかった男の声だ。


「ウィルヘルムか」


 街の航空局に勤める男の名前を告げると、俺は心底うんざりとした気持ちになった。


『なんだい、奈落から落ちたような声だね。カナリアという名前には相応しくない声だ。

 落ち来むようなそんな声は、せめて断末魔まで取っておくべきだよ』

「その通り、寝起きから奈落におとされたような気分だからな」


 それなら仕方ないね、と電話先で男は楽しげに笑う。

 航空局の男。ウィルヘルム・リチャード。

 またの名を案内人ボン・ボヤージュ

 街にある宇宙港の管理責任者であり、この星に残された数少ない、稼働している宇宙への出入り口を一手に担う人間だ。

 実質的な街の統治者でもあり、世が世なら大統領、ないしは市長といった役柄の男である。

 本人の言う所に寄れば、ソラに出て行った人類と、この星に残った人類の中間管理職というのが正しいらしい。

 地球に残った人々を見捨ててはいないというスタンスを示したいソラの住民と、故郷へ残って細々と生きる人々の折衝役。


 ――ほら、映画ではよくあるだろう。都会に出た息子と、故郷に残る両親って奴。

    親孝行をしたいけれど素直になれない息子のために、労力を惜しまず協力しているのが僕ってわけさ。


 前に飲みの席でそのようなことを嘯いていたが、地球に住む側からすればソラからの支援物資を管理している中心人物なのだから生殺与圧権を握っているに等しい男だ。


「それで、街の絶対権力者殿がどんな案件だ」

『うん、それがね。毎度の事ながら頼み事だよカナリア。つまり仕事だ』


 権力者だなんて人聞きが悪いことを言うなぁ、と電話口でぼやきながらウィルヘルムは続ける。


『――ちょっとね、森に入った人間がいるみたいなんだ。探してきて欲しい』


 俺はその言葉に頭を抱えたくなったが、受話器がそれを許さなかった。

 代わりにコンクリートがむき出しの天井を見上げる。

 動くことを忘れて久しい、錆び付いたファンがこちらを見下ろしている。


よい旅をボン・ボヤージュ、カナリア。追って、詳しい情報を知らせるよ』

「くたばれ」


 電話が切れたのを確認すると、俺は憂鬱な気持ちで森へ入る道具の確認を始める。

 心境は、さながら人里へ降りる鹿のような気持ちだった。

 


 

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