鷹志と丸雄

1.喧嘩

 昼休みに入った頃、携帯電話を手に取り受信メールを開く。

 タイトルには「調査進捗報告会」とある。

 本文には「夕方の五時に集合せよ。なお、このメールを受信した端末は自動的に消滅する」とあったが、もちろん消滅などしない。ただの悪ふざけだ。

 具体的な内容は書いてないが《光の柱》事件に関することだろう。機密に関わるキーワードは、一般の通信手段では使わない決まりとなっている。

 最後の六時限目が終わりホームルーム後、人の波に紛れて教室を出て行く。

 これは仲の良いクラスメイトからの呼び掛けを避けるためだ。

 優人は放課後に用事がある場合、そんな立ち回りをしている。街をぶらつく程度の誘いでもお粗末な言い訳を繰り返せば、やがて怪訝に思われるからだ。

 最寄駅から京王線の車内、新宿駅と人ゴミに紛れながらプラザホテル方面へ行き、最後に地下道を進みいつも通り比較的人の少ない出入口に行く。

 しかしそこで、反射的に歩く足を止める。

「君はよくやっていると思う」

「いえいえ、わたしなどまだまだ若輩者でして」

 この街では人の話し声など至る場所でありふれている。

 しかし出入口で話す二人の片方、奇抜なデザインのスーツを着た女性は、陽香だった。

「その年齢で、部下を使って過酷な任務を成功させているのは素晴らしい。しかも損失も少ないとは優秀だな」

 相手は灰色ベースでストライプ柄のダブルスーツを着ている、腰周りに脂肪がしっかりある恰幅の良い中年男性。

 しかしその眼には、陽香を品定めするような厭らしさがあった。

 その二人の話を、やや遠い位置から優人は伺うことにした。

「いえいえ。他の部隊や調査班の助けがあってことでして、運が良いだけです」

 普段の陽香は優人にはもちろん、リングスのメンバーには豪快本邦な接し方をする。

 今はその逆、ここまで他者へ謙譲語を多用する彼女をあまり見たことがない。

「ただ、その妙な服装はいずれ止めてもらえんかね? いささか酔狂が過ぎるぞ」

「は……はい。申し訳ありません、趣味でして」

「職務が関わる事に対し趣味などという、言い訳ができるのはその美貌があってのことだが、そんな青い色香はわたしに通用せんぞ」

「そんなつもりは……申し訳ありません。今後、考えを改めさせて頂きます」

「しかし嫌いではないがな」

 中年男性は舌なめずりをしつつ、馴れ馴れしい手付きで陽香の手に触れ、さらにジャケット越しの肩に空いた片手を置いた。

「そこで、どうかね? 今晩食事でも。雰囲気の良い店を知っているのだが」

 露骨な誘いに全く様子を変えないが……それは努めているのだと優人は察する。

「せっかくのお誘いですが申し訳ありません。上への報告書と設備の確認が残っていまして」

 陽香は生理的な嫌悪感をおくびにも出さない鋼の表情で対応する。

「そうか、ならいずれ誘い直そう。わたしは君の事を気に入っているよ」

 克己心など欠片もない下卑た表情が憎らしい。陽香の代わりに後ろから迫り、背中にワルサーを押し当て脅してやりたい気分だった。

 最後に、中年男性は陽香の細長い指の付け根まで味わうように不必要なまでに触ってから、満足そうに去っていった。

「本日は来訪ありがとうございました」

 礼儀は保ったまま律儀にも、陽香は深々とお辞儀して見送る。

 しかし垂れた髪の毛の隙間から窺える口元は、堪えるようにきつく噛み締め震えていた。

 優人は放っておけず声を掛けようとしたが、一歩踏み出したままその場で止まる。

 臆して躊躇したわけじゃない。今はそのプライドに触れてはいけないと思えたのだ。

 すると陽香は頭を上げ、鬱憤を吐き出すように大きな溜息をしてから、ホテルの中に入っていった。

 過ぎた気遣いかもしれないが、都庁の周りを散歩して少し時間を潰してからホテルに入る。

 習慣的にエレベーターへ向かう足を止め、コンビニで陽香が喜びそうなものを物色すると、ちょうど良いものがあり購入する。

 二十五階へ上がり司令室に入ると、陽香は優人と顔も合わせず「学校お疲れ」と一言だけつぶやく。

 彼女は何食わぬ顔でPCに向かっていた。但しマウスのクリック音もタイピング音も無く、ただ眺めているだけで作業をしているようには見えない。

 それに挨拶の後に会話を続けないのは、陽香にしては珍しかった。

「陽香さん、おみやげです」

 買ったお菓子から一粒取り出し、弧を描くようにそっと投げる。

「よっと……何これ」

「ハイチュウのコーラ味です。コーラといえば陽香さんと思って、そこそこ美味しいですよ」

「へー、こんなのあるんだ。サンキュー」

 陽香は包み紙を剥がし、口に入れてまたPCに向き直る。

 他愛もないことでも出入り口での件とは無関係なやりとりが今の陽香には良いはず。珍しくジャージ姿ではなく、彼女本来の美貌が映えるスーツ姿なのだから明るくあって欲しい。

 壁のディスプレイにはBGM代わりか、スタジオを使ったテレビ番組が映っていた。

『幽霊が、どれもプラズマが原因というのは、わたしも厳しいと思います。でも、やはりそういうのは人間の不安定な精神状態が起こす、錯覚なのではないでしょうか?』

『でも実際あなただって、深夜のお墓や学校とか、心霊スポットみたいな場所に行けば怖いと感じるのではないですか?』

 心霊現象をテーマにした討論番組のようだ。

『それはそうですよ。世の中には実際にそんな風潮がありますから。ですがそれは先程も申し上げた通り、個々人の怯えや恐怖が作り出した妄想や幻覚が一人歩きして、広まったものだと思います。つまり幽霊など実在しないのでは?』

『いいですか? 一人歩きするにしては、霊的なものは世間へ認知され過ぎだと思いますが。それともなんですか、形而上学的なものは頭ごなしに全て認めないと?』

『いえいえ、しかしそんなに不確かなものでは、建設的な解決が望めない気がします』

『そもそも、あなた方は「科学で証明する」ことを前提に考えて話しますよね? 別の分野を低く扱う傾向がある。それは科学に、依存してるとも取れるのではないですか?』

『そんなことを言うから、オカルトバカは文型、とか言われるんですよ』

 この手の番組は、最後に喧嘩になるのがお約束なのかもしれない。

 但し、超常現象派の意見が優位になるという珍しい展開ではあった。

「送ったメール通り、今日は《光の柱》も関連の調査報告よ」

 壁の大型ディスプレイがテレビ番組からプレゼン用ソフトに切り替わる。

「順調だったんですか?」

 少し落ち込んでいた様子が若干晴れたようにも思える。仮にそれが空元気だとしても、励まそうとして逆に蒸し返すことはしたくない。だから話題を戻さず、仕事の話を続けた。

「ま、ボチボチね、マコちゃんが頑張ってくれたのが大きいかな。あと身勝手に行動する部下には手を焼いたけど、やることはやってくれたしね」

「うっ……返す言葉もございません」

 負い目に釘を刺されるが、何も反発せず受け入れる。

「あら、やけに素直じゃない?」

 落ち度には違いないし、今日に限っては陽香の嫌味を二つや三つ聞いてもいい。さっきの接待にしても、日頃から影の苦労をしているのだろうから。

「それじゃミスター素直こと、優人くんには特別に今日のダイジェストを聞かせちゃおうか。ホントは五人全員揃ってからに説明しようと思ってたけど、ポイントを二つだけ話すわ」

「身に余る光栄にございます」

 よろしい、と満足そうに唸りながらソフトを操作し、一枚のスライドを全画面表示にする。

「一つ目は、真夜中に《光の柱》を打ち上げていた実行犯達の背後組織、絞り込めそうなのよ」

「かなりの前進じゃないですか」

「第一候補は荒川オプトロニクスってとこ、光学機器関連の製造業ね。第二候補は富士デバイセズ、電子部品の商社よ」

「業種は違くても、どっちも似たような業界なんですね」

「そこなんだけどね……優人が発信機付けてマコちゃんがオーダーで追い掛けた、リーダーらしき人物が、第一候補の企業の社長の息子らしいの」

「そんなの確定じゃないですか。社長の息子なんて協力関係に決まってます」

 陽香はやや困ったように口元を曲げて、話を続けた。

「まともに考えたらそうよね。しかも光学機器のメーカーなんて、《光の柱》の発生装置を作るのにうってつけな企業よね。露骨に怪しい……ただ、調査班のおかげで意外なことがわかったの。荒川オプトロニクスの社長は息子と不仲らしいのよ」

「えっ、それはややこしいですね」

「ここからは憶測が入った内容だけど、息子は親を見返すために電子部品関連の商社、つまり似たような業界に入った。だから第二候補が、彼が入っている富士デバイセズという話。息子さんは結構なやり手で、三十代後半にして部長クラスらしいわ。老害はびこる日本社会でそこまで上り詰めるなんて、すごいじゃない」

 特殊な職種とはいえ、二十代前半にも関わらず世間でいえば管理職である陽香も非凡な才媛であった。

「ただ実際の状況はわからない。復縁してるかもしれないし、それを利用して荒川オプトロニクスを乗っ取る気かもしれないし、考えられるケースはいろいろあるからまだ調査は必要」

 そう区切ると陽香はプレゼン用のスライドを何枚か先送りにする。写されたのは前回の作戦中実際に見たことがある《光の柱》だった。

「二つ目は《光の柱》の発生装置についてなんだけど、優人が見たもの以外に、まだ何台かあるみたいなの」

「なるほど、だからですか。スペアがあるから潔く自爆できたのかも」

 実行犯達を制圧したあの夜、現場にいたリーダーらしき人物のことを今も覚えている。血走った眼で睨みつけてきた必死の形相。

 かなり強い決意があっての行動だったのだろう。

「きっとそうね。調査班からの報告だけど、自爆した発生装置の残骸から特定できた構成部品や、荒川オプトロニクスへの機材や部品の流動を考えると、まだ数台は存在する可能性がある、という結論になったそうよ。やっかいね」

 次に《光の柱》発生装置を確保する機会があるなら、自爆させない対策が必要だろう。今度は完全に成功してみせる。

「それらも含めてちょっと待ってて、っていうのが進捗報告よ」

 最後まで聞いてから思い当たる。

 それは以前からの疑問だが、自分の職務の範疇から超えた内容のためあまり聞かずにいた。

「《光の柱》を見たときから気になってたんですが、実行犯もその背後組織も……もちろん、に気づいてるんですよね?」

 優人は言いにくいのか濁す言葉を選ぶ。

 しかし、その人差し指は真っ直ぐ上――つまり天に向いている。

 踏み込んだ質問に、陽香は瞼をひそめる渋い面持ちで腕を組む。

「そこがこの件で最も重要なところね。多分連中はFROCの存在に気づいてるわ。少なくとも勘づいてはいると思う。だから上層部も危険視してる」

 そんな状況かもしれないと、随分前から優人は察していた。

 なぜなら、一般には知られない裏社会の仕事を担う管理部隊。自分達が存在している根本的な理由がそこにあるのだから。

「もうちょっと調査が進めば行動方針が定まると思うわ。時間掛かってごめんね」

「いえいえ、デリケートな問題なのはわかってますし」

「あたしらの組織は慢性的な人員不足だからね……おっと、ちょうどいいとこに」

 何か察してか、締まっていた陽香の目元が露骨に緩くなる。

 廊下からカードリーダーの解錠音、それに「よいしょ」と専用台から降りるときの鈍い声。

「こんにちは~」

「あらマコちゃん、いらっしゃい」

 理路整然とした話を続けていた鋭さは消え、陽香はやってきたマコトをうっとり見つめる。

「マコちゃん、こっちにいらっしゃいな。お姉ちゃんちょっと疲れちゃってね」

「は、はい。リーダーどうしたんですか?」

 荷物を降ろしてから、マコトは何も疑わず陽香の元へ行く。

「ああん、いけず。ほらデスク越しじゃなくて、こっち側よ。早く近くに来てよん」

 てくてくといつもと変わらぬひよこ歩きで横長の机の反対側へ回ろうとする。

 普段の二人を知る者ならこの先は容易に想像できる。マコトをしゃぶり尽くすスキンシップは、陽香が満足いくまで止まらない。ただ普段からの彼女の気苦労を考えれば、特に今日はそれもやむを得ない。

 今日も生贄になってください、とこっそり会釈することで優人は先輩への敬意を払う。

 待ち望んでいた天使であるマコトを引き寄せようと、陽香がその小さな手を握ろうとした、そのときだった。

 カードリーダーの解錠音、しかも二回続けてだ。

「ちっ、タイミング悪いわね」

 しかし想定内のことなため、陽香はそれ以上の悪態はつかない。

 今日はリングスのメンバー五人全員が招集を受けている。しかも命令を出したのはリーダーである陽香自身なのだから。

 司令室に入ってきたのは背丈が180センチを超える長身の男が二人と、一匹であった。

「おう、お疲れさん」

 その内の一人が、気怠い様子で黒い帽子をテーブルに置き、遠慮なく体重を落とすようにどっしりとソファに座る。

 世間一般の尺度からすれば、その男の姿は反社会的そのものだった。

 男性ながら胸まで届く癖のない長髪を紐で縛りもせず真っ直ぐ下ろし、全身がブラックで鴉を思わせるデザインの服装に身を包む。

 ただそこまでなら、単にエキセントリックで陰気な印象が強い容貌、というだけで済む。

 しかし指にはもちろん……右耳にも、スティックやリングといった様々な形状のピアスがいくつもある。見慣れない者は痛々しさを感じ、夥しいとすら思えるだろう。

 さらに痩せ細った体躯とこけた頬、釣り上がった三白眼が、悪魔的な印象を強めていた。

 そんな不健全さの塊である男の名は、川原鷹志。

「タカさん、お疲れですね」

「おう優人、久々。さっきまで明日のライブの設営してたからな。完全な力仕事さ」

「おつかれさまです。今度またライブチケットくださいよ。クラスの子達と行きたいです」

「安売りはあまりしない主義だ」

 しかしその特徴的な外見は、決して奇をてらった酔狂ではない。彼はプライベートでロックバンドのリーダーを務めていて、服装等はそのコンセプトに即したビジュアルなのだ。

「マスター、ならもっと食事をきちんと取って体力つけてくださいよ。そんなガリガリじゃすぐ疲れちゃいますよ」

 そう注意するのは、高めな少年の美声。

 但しそれは作り物じみた電子音、しかしそれもそのはず。

「うっせーな。俺がマッチョメンになったらバンドのイメージ崩れるだろうが」

「でも背に腹は代えられないです。マッチョメンとは逆に、いつかホントに細いマッチ棒みたいなマッチメンになっちゃいますよ?」

「ギャグが寒い。もっとセンスを磨け」

 荒々しい口調の鷹志と話すのは人間ではなく、鳥型の半自律ロボット。

 表向きは、二枚の翼にあたるパーツに内蔵されたプロペラ部、それを囲む吸音材で静音飛行する仕組みのマシンだ。その形状は鳥とフクロウの中間にあたる。

 複眼を模した大きめアイレンズは喜怒哀楽によって変色することに加え、口数も多いせいか、妙な愛嬌があった。

「ネリー、いつも説明してるだろが。俺は妥協が嫌いなんだよ、さっさと学べ」

「望まれればわたくし、いつでもカロリーの計算はして差し上げますよ?」

 指定席である自分の肩に着地する鳥型ロボットに対し鷹志は言いつけるが、子分としてはあまり従順でないため無遠慮な舌打ちをする。

 ネリーと呼ばれた鳥型のロボットは、普段から主人と行動を共にするサポート要員である。

 但しその真価は、鷹志が受け持つスナイパーとしての作戦行動中に発揮する。

、ネリーくんの言う通りだよ。わたしが言っても説得力ないけど、もうちょっとご飯しっかり食べようよ」

 陽香に呼ばれていたマコトがデスクから離れ、鷹志の傍に行きネリーの意見に同調する。

「マコト、お前もそんなこと言うのかよ。やりにきーな」

 うんざりとぼやくが、ネリーの言葉と違ってすぐにあしらいはしない。

 それもそのはず、二人の苗字は同じ川原。

 つまり、鷹志とマコトは兄妹なのだ。

 しかしその外見は全く似ていない。さながら悪魔のような兄と、天使のような妹である。

「わたしも一緒にご飯食べるから、お兄ちゃんも頑張ろうよ!」

「わーかった、わーかった、考えとくよ……ったく、敵わねえな」

 最初は口を曲げていたがすぐに認めて、鷹志は自分より40センチ以上は背の低い妹の頭を撫でる。誤魔化すためではない、彼は妹の言いつけにいつも頭が上がらないのだ。

 尖った外見と違って素直な兄に、妹が無垢な笑顔で満足そうに喜ぶ。

「マコトさん、へいタッチタッチ」

 ネリーは片翼だけを可動域いっぱいに上げ、マコトがそこへ優しく触れる。微笑ましい光景、外から見ているだけでも和む場面であった。

 しかし司令室の中に今しがた入ってきたのは、鷹志とネリーだけではない。

「自分も、もっと筋肉をつけることを勧めてはいるんだがな」

 突然、低く野太い声でボソリと呟かれ、マコトは「ひっ」と反射的に飛び退いてしまった。

「ご、ごめんなさい。影山さん、驚いちゃって」

「いや、すまない。大丈夫だ、いつものことだ」

 マコトは申し訳なさそうに謝ってはいるが、体の怯えは少し残っている。

 しかし鷹志とやってきたもう一人の男は、そんな状況をすでに受け入れ慣れている。

「おい、丸ちゃんよ。いきなりボソっと喋るの止めろつったろ。デカい図体してるんだから」

「僕でも驚く時ありますからね、もっと自然に話せばいいんですよ」

「丸ちゃんさん、普段からのアピールが大事ですよ。わたくしみたいに体が小さくても存在感は出せるのです。えっへん」

 後輩二人と一匹にそう言われ、その巨漢は床へ視線を落とし俯く。

「意識はしているが、難しいな」

 しかしそんな情けなく揶揄される扱いとは逆に、彼が纏う剛健さは巨人の如し。

 背丈は鷹志を超える190センチ以上、鍛えられた四肢や胸板は服の上からでもわかるほど筋骨隆々で、近くにいる者へ何もせずとも威圧感を与える。

 素材は上質だが、漆黒のスーツは捻りのないデザインで、ストイックな印象が強い。

 ヒゲも綺麗に剃り、産毛一つない綺麗なスキンヘッドなため「怖い」と誰に言われても仕方ない風貌。指のシルバーリングもそれをより強めているアイテムだ。唯一の救いはオークリーのサングラスがサイバーな印象でスタイリッシュであること。

 彼は影山丸雄。

 チーム内では一番の年配にあたり、最古参のメンバーである。

 これで東京都第一管理部隊こと、チームリングスの構成員が全て集まったことになる。

 一人一人が会うことは度々あっても、全員が顔を合わせる機会はミーティング以外ではほぼないため貴重な時間ではある。しかし今日に限ってはそれが良くない状況であると、客観的にわかっていたのは、この場では優人だけだった。

 露骨にならないように、極力首は動かさずに横目で長いデスクの方を伺うが――まずい。

 そこには予想通り、恐ろしいものがあった。

 仲の良い川原兄妹の姿を、不服そうに眺める陽香の姿であった。

 今日は嫌なこともあってマコトに癒されようとしていたが、横取りされた形。

 漫画やドラマのようにハンカチでも引き千切ろうとしてるなら、捌け口があって良い。そうでなく静かに感情を押し殺しているのがとても怖い。

「おいマコト、ちょいちょい」

 鷹志はソファに座りながらラフに手招きする。

 マコトは兄の隣に立ち、表情の変化だけで「ん?」と聞いて首を傾げる。優人や陽香相手にはしない、血の繋がった兄妹への接し方である。ただ、今ここで仲睦まじいやりとりはして欲しくない。タイミングが悪いからだ。

「髪のリボン解けてるぞ、ほら結び直してやるよ」

「あっ……ありがとう。お兄ちゃん」

 乱れていた紫色のリボンを直されてはにかむ姿は絵画の天使そのもの、見る者を温かく癒す。

 しかしそんな美しく尊いものが、驚異を呼び込むこともある。 

 優人はデスクに座る陽香を再び横目で、一瞬だけ伺おうとするが、無理だった。露骨に首ごと振り向いてしまう。事態が予想を超えていたからだ。

 陽香の目は瞬きせず大きく見開き、半開きの口はわなわなと揺れ、マコトへ救いを乞うように右手を伸ばす。まるで世界の終焉に嘆くような、絶望に満ち満ちた姿だった。

 実の兄妹の触れ合いに対し大袈裟だが、陽香にとっては衝撃的なことなのだ。

 数秒後に立ち直るが当然明るさはなく、むしろ何か企む含んだ表情なのは言うまでもない。

「マコちゃん、ちょっと来なさい」

 作戦中以外は珍しい命令口調なせいかマコトは「は、はい」と背筋を伸ばし、デスクを挟んだ反対側にいる陽香の元へ戻る。

 自分の妹への強引な呼び出しを怪訝に思い、兄の鷹志は僅かに眉間に皺を寄せる。

 場のややこしさが一段上がったことに優人は頭を悩ませた。

「な、なんでしょう?」

 陽香はマコトが傍に戻って満足そうだが、特に用はないためしばらく眺めるだけだった。

「あれ……リボンさ、巻き数と重ね方がいつもと違うわね」

 さらにまずい。

「ほら、横向いて」

 両肩に手を置かれてされるがまま、マコトは「あ、はい」と髪の毛を陽香に預ける。

 マコトのリボンは、網目が綺麗な螺旋状に巻かれ最後に膨らみのある蝶々結びで締められている。

 そんな普段の仕上がりに比べて、鷹志のやり方は見て雑だなと優人も思っていた。慣れていない男の結び方なため仕方がないし、兄妹の触れ合いに横槍を入れたくなかったのだ。

 ただ陽香に直させるなら、自ら指摘してしまえば良かったと、自分の起点の悪さを呪う。

「来て早々か。自分の妹のことすら、リーダーの思い通りにさせなきゃいけないのかよ」

「えっ、別にそんなつもりは無いわ」

 急に刺のある声色で文句を言う鷹志に、陽香は釈明する。

「なら、俺が直した妹のリボンを、すぐ目の前で直すなんて嫌がらせは止めてくれないか?」

「そんな……ただあたしはいつもの通り綺麗にしただけよ」

 悪意はなくともその言葉が遠まわしに侮辱となる。

 鷹志はその不満を隠さず、露骨な舌打ちで返す。

 しまった。こんな状況になる前にどうにかすべきだったと、優人は悔やむ。

 なぜなら陽香と鷹志の相性は、このチーム内で最も悪いからだ。

「別にリーダーと反りが合わないのは、今日に始まったことじゃないが、だからと言ってやられっ放しってのも癪なんだよ」

 鷹志は蛇のように首を捻りながらソファから立ち上がり、デスク側の陽香を睨みつける。

 威嚇と受けたか、平静だった陽香も態度を固め、迎え撃とうと構えてしまう。

 だめだ、最悪だ。

「男の癖に細っちい体して、カルシウムも足りてないんじゃないの? 沸点低すぎ」

「今日は珍しくスーツだが、仕事でなんかあったのか? けど腹いせに部下に当たるのは止めてくれないか、リーダーさんよ」

 陽香は歪もうとする上唇を抑えるように歯を食いしばる。

「そっちこそ、さっきまで仕事もせず趣味のバンド活動してた癖に、随分余裕ないじゃない。もしかして上手くいってないわけ?」

 仕返しの言葉を堪えるが、鷹志は片足をデスク側へ一歩踏み出す。

 マコトが「落ち着いて」と止めようとするも、すでに兄の熱は上がり切っている。

「なんだよ、兄妹以外のプライベートのことまで踏み入ってくるのかよ。いずれは、さぞかし立派なリーダー様になるだろうよ。007に出てくる口煩いババアの司令官みたいにな」

「はん、高齢になってからジュディ・デンチみたいなデイムになれたら最高じゃない。あんな立派な司令官になれたらむしろ光栄よ」

「お前みたいにただ強気で傲慢なだけじゃな、優秀でいてくんなきゃ困るんだ!」

「妹のリボンもまともに巻けないやつに言われたくないわよ!」

 その後も二人のいがみ合いは続いたが優人とマコトの仲裁も虚しく、鷹志は「ふん」と見切りをつけて振り返り、重たい空気の司令室から去っていく。

「お兄ちゃん。待ってよ」

「ちょ、ちょっと、お二人共置いていかないでくださいよー」

 マコトは普段はあまりしない駆け足で、踏み止まらない兄について行く。その二人を、低い速度でしか飛行できないネリーが必死に追い掛けていった。

「陽香さん」

 宥めることも責めることもせず、優人はただ上司の名前を口にする。

 陽香の方もただ意固地なのではなく悔やんでいるのか、優人から顔を背けながら俯いて大きく溜息をした。

「少し休むわ」

 簡潔に告げ、陽香は鈍い足取りで寝室へ入っていった。

 衝突は初めてではないし、二人の相性が悪いのはいつものことだが、間を取り持つ身にもなって欲しい。それに自分達は特殊な役割を担う組織、大人でいてくれなくては困る。感情的になるなとまでは言わないが、報告会が滞ることはしないで欲しい。

 などと、優人が不満を胸中でぼやいているときだった。

「若くていいな」

 今まで沈黙を守っていた巨漢が突然、ボソリと呟いた。

 丸雄は普段から積極的に会話をするタイプではないため、急に喋るとマコトほどではないが優人もやや驚いてしまう。

「丸ちゃん。年寄り臭いことを呑気に言うくらいなら、こうなる前に止めてくださいよ」

 鷹志と同じく優人も彼のことを「丸ちゃん」と呼ぶ。

 ちなみに「さん」付けなどの固い呼び方をすると不機嫌になるため、陽香も含めた三人は彼のことをそう呼んでいる。

「たまには喧嘩でガス抜きも必要だ、特にタカの方はな。それに今日は作戦があるわけでもないし、大丈夫だ」

 サングラスのせいもあるが、常に表情一つ変えずに喋る彼からは本心が読み取りにくい。

 ただその野太い声には、不思議な説得力があると感じることは多い。

「鷹志の方を頼む」

 ホテルの入口でのこともあったため、丸雄の考えとは逆に、優人は陽香のフォローに回ろうと思っていたところだ。

「タカさんはマコ先輩がいれば平気ですから、僕もここに残りますよ」

「陽香の方は自分一人に任せてくれないか? 考えがあってな」

 自分より頭一つ以上大きい位置から、サングラス越しに見下ろしてくる。しかし相手を押さえつけることはなく圧迫感もない。

「大人じゃないと行けない場所で、発散させてくるつもりだ」

「ん……その言い方はかなり卑猥ですね」

「スタイルだけで、まだ乳臭さが残るガキには欲情しないさ。妖艶さが足りん」

 きっと大丈夫だろう。

 なぜなら丸雄は、陽香がチーム内で最も信頼している人物であり、まだ若い自分では及ばない重厚な経験がこの男には詰まっていると、本能で察するからだ。

「わかりました。じゃ、陽香さんはよろしくお願いします」

 何も言わず頷くだけで答える丸雄に軽い会釈をして、優人は司令室を出る。

 今まで丸雄とは雑談する機会が少なかったから、今度長話でもしてみよう。少しとっつきにくいが、意外と味のあるスルメのような性格な気もする。

 エレベーターで一階に降りて、最小限の方向転換で人ゴミの合間を縫って廊下を走る。回転扉を抜け歩道まで駆け上がるが、そこには見慣れた少女の狭い背中があった。

「マコ先輩、タカさんは?」

 するとマコトが不機嫌そうにムスっとした顔で振り向いた。

「バンドの方に行く、上には戻らないぞ……って言って、どっか行っちゃったよ」

 荒れた雰囲気の兄の口調を真似ようとしたのだろうが、悲しいほど似ていない。持ち前の低い身長と緩い声では、尖がりのある鷹志の仕草は真似できないだろう。

「ほーーんとにわからずやなんだから。いっつもリーダーと仲良くしてねって言ってるのに」

「そっか……なら僕がこっちに来ても無駄だったかな」

「うんとね、それがそうでもなんだよ。ちょうど良かった……はい」

 手渡されたのは切れ込みが入った光沢のあるコート紙、ライブチケットだ。それが四枚。

「騒がしたお詫びだ、ってお兄ちゃん言ってたよ。ライブ、明日なんだってさ」

 これでお返しされても複雑だが四枚あるということは、優人の希望を把握してのことだろう。実際ありがたい、何のツテもなしに入手するのは難しい代物だからだ。

「ありがたく頂戴致します」

「うむ、苦るしゅうない」

 悪ふざけで偉そうにするマコトに、頭を下げるもの吝かではない。

 なぜならこれは、新宿でもトップクラスの人気を誇るインディーズバンド、ホークウイングのライブチケットだからだ。

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