2.マコトの問題

 翌朝、優人はいつも通りぼんやりとした意識の中、高校の最寄駅にあたる京王線の明大前駅を降りる。すると雑踏の中で待ち構えていた者が一人。

「優人くんの裏切り者め」

 改札を出た辺りで、マコトが口を尖らせて責めるような視線で待ち構えていた。しかし迫力は全く無い。

 ちなみに学校サイドには、マコトとは親戚同士と説明してある。

 学年も部活動も違うのに通学路や校内で会話するのは、他の生徒から詮索される。そのための理由付けである。

 優人の入学当初、二人は完全な他人同士を装う案もあったが、不自然な形でいるより理由を設けて自然に接する方が良いと、陽香を含めた三人で判断したのだ。

「もう、昨日陽香さんの部屋から帰れたのすごく遅かったんだから」

「うんと……良かったの?」

「何が!」

 慌てふためきながら優人の質問をかき消すように背筋をピンと伸ばして身を乗り出してくる。しかし薄情な後輩の口を塞ぐには背丈が足りないのが現実。

「まあまあ、先に進みながら話そうか。先輩」

 優人は無意味に執事のように気取って、小さい背中に手を回し通学路をエスコートする。

「あっ、ありがとう」

 すると体に触れられてか、マコトは恥ずかしそうに肩を竦める。

 それはすっかり見慣れた姿であるが、初々しい反応を拝むのはいつになっても飽きない。

 気遣いも忘れず、歩幅が狭いマコトに合わせてゆっくりと進む。

「しっかし、ホントに歩くの遅いね」

 その歩き方は独特で名状し難いが、いつも優人はどことなくひよこを連想する。

「街中歩いててもほとんどの人に追い越されて行っちゃうんだ……もうっ、気にしてるんだから、あんまり言わないでよね」

「ごめんごめん。あー、あと、先週は協力してもらって、ありがとうございました」

 金曜日の夜に行った作戦。景と由梨を救うためにとはいえ、信号機の操作などを事前の打ち合わせ通りしてくれたことに、優人はかなり感謝している。

「いいんだよ、わたしもやりたくてしたことだし。あの子達を助けられて良かったよ。だから今度わたしが任務で困ったとき優人くんも助けてよね」

「かしこまりました」

 筋や道理や礼儀を守ることを、優人は信条としている。

 一言で了承すると、マコトも気持ちの良い笑顔で返してくれる。それは溺愛している陽香でなくても癒されるほど明るく柔和なものだ。

 しかしその笑顔は誰に対しても見上げた姿勢であり、優人はマコトの背の低さを改めて実感する。周りにいる登校中の女子生徒達と比べても頭一つ低い。

 マコトは自分の身長が140センチ後半と言い張るが実際は140センチ前半だと、チームリングスのメンバー全員が知っている。ただ陽香曰く「そこで去勢を張るのが萌えポイント、だから指摘はしない」とのこと。

「あ、そういえば陽香さんからの、その……説教ってあったの?」

 時期を見て説教する、と作戦後の司令室で言われたことを思い出す。

「う、うんとね」

 質問から目を逸らし言いにくそうに続きをなかなか喋らずにいる。

「結構絞られたの? 僕のせいだよね、マコ先輩ごめん」

「うんと、そうじゃなくて……後ろからさ、つ、摘まれちゃった」

「ん? なんだって?」

 それを聞き逃すわけにはいかない。優人はメガネを光らせ、思考のギアチェンジを行う。

「どういうこと?」

「昨日リーダーの部屋でさ、両手でむりや……す、少し罰を受けただけだよ!」

 二度の言及に困ってしどろもどろになるが、マコトはどうにか誤魔化す。

「曖昧な報告はよくない。情報伝達においては、5W1Hは重要とされるわけだ。このうち四つはもうわかっているけど、WhatとHowを答えてようか? ん?」

 優人はわざとらしく発音に抑揚をつけて、さらに質問の仕方を絞ることで追い込んでいく。

「えっ、いや、だって、そのー」

「さあ、一体何が? 具体的に聞きましょう」

 羞恥心に耐えかねて、押さえ込むように両手で頬を覆うマコト。

 そんな小動物のように縮み込む彼女へ、優人は耳に手を添えてさらに詰め寄っていく。

 しかし、すでに学校の校門は目と鼻の先だった。

「まあ、その続きはまた今度にしようか。先輩?」

 すると突然言及を止め、すぐに安っぽい執事然とした態度に戻り、再びマコトの背中にそっと手を添える。

「もう、優人くんはすぐわたしのこと馬鹿にするんだから。知らない。ベー、だ!」

 そんな慇懃無礼な優人に対し、マコトは駅で待ち構えていた時と同じ、唇を尖らせながら訴えるような上目遣いをする。

 小柄な体型とせわしなく変わる豊かな表情と、そこから感じる幼稚な愛らしさ。

 これらを拝めるのはリングスに所属する特権だと、優人は度々思うのであった。


********************


 優人やマコトは東京都第一管理部隊と称される部署に所属している。

 公に知られる特殊急襲部隊などが対応しにくい仕事や、統率されすぎた集団では実現不可能なフットワークが要求される事件を担当する組織である。

 世間一般には存在すら秘匿されているそれは、有り体に言えば秘密組織である。

 そんな管理部隊にチームリングスという名を付けたのは、リーダーである陽香である。

 正式な部署名の他に、チームとしてのニックネームを設けることは、他の管理部隊でも行われており、義務ではないが風習として行き渡っている。

 ちなみにリングスという名前の意図は「メンバーの輪を大事にしたい」だという。ベタベタな理由付けではあるが、基本的で大事なことではあった。

 不機嫌そうにヘソを曲げていた先輩からメールが送られてきた時などは、特にそう思う。

 今朝、マコトは下駄箱で別れるまで機嫌がやや悪かったが、そんなことはどこ吹く風か休み時間中にメールが送られてきた。

 簡潔に『お昼ご飯を一緒に食べようよ』とあり、優人は断る理由もなく『了解』と返信をすると『じゃ屋上でね』と、すぐに次の返信がきた。

 その文面は明るくやや眩しい。今のマコトのメールは二通とも短いが、絵文字を使った彩りのある見た目のせいだ。しかも多用し過ぎないところが好感を持てる。

 対して、優人は普段から特殊記号さえ使わず地味な文面のため、気後れするときもある。

 但し、変に凝った気持ち悪い顔文字ばかりを使う陽香よりはまともであると自負している。

 午前の授業が終わり、わりと早めに教室を抜け出したが、

「やっほー、優人くん。午前おつかれさまー」

 すでに屋上には、弁当袋を両手で持ったマコトがいた。

 弁当袋は彼女のパーソナルカラーである紫色で、アーガイル柄のもの。

 小柄で可愛らしい先輩から手作り弁当を渡されたら幸せなシチュエーションかも、と思ったが残念ながら自分も弁当持参のため、そんなイベントは起こらない。

「早いね、どの辺で食べる?」

「んー、コソコソ話したいし……給水塔のとこにしようか」

 屋上の隅、鉄骨で組まれた土台の上に給水塔はある。まだ昼休みが始まったばかりのため、最初に陣取ってしまえばその後は人口密度が低い空間をキープできる。

 登れないように高く作られた柵を背に、優人は男らしく胡座をかいて、マコトは女子らしく膝を揃えて正座を崩したアヒル座りをする。

 しかしアヒル座りのせいで、少しだけスカートが捲れ太腿がやや露出してしまう。ただそこは紳士的に配慮、優人は少女の柔肌を極力見ないように努める。

「さあ優人くん、弁当の中身勝負だよ!」

 マコトは袋から弁当箱を取り出して蓋に手を置き、優人へ挑むように真っ直ぐ向けてくる。

「よしきた!」

 売られた喧嘩からは逃げない。優人も濃紺の袋から弁当箱を出し、目の前に置く。

 これは互いの料理の腕前、あるいは生活力を比べる勝負でもある。

「「せーのっ」」

 二人同時に掛け声を出して蓋を開けるが、分の悪い勝負であると優人は事前に察していた。

「ふーむ、これはわたしの勝ちでいいかな?」

「こりゃ素直に負けを認めるよ」

 優人の弁当はウインナーと卵焼きにおにぎりが二つ。過去日本全国で作られた弁当の中でも数多いメニューの一つだが、質素過ぎる内容。しかもおにぎりには海苔が巻かれていない。

 それに対しマコトの弁当は、アスパラガスのベーコン巻きとチキンナゲット、トマトのスライスも添えてあり、さらに三枚のサンドイッチは全て中身が違うという徹底ぶり。

 彩りの豊かさからして、優劣は明らかである。

「でも、今日は言い出しっぺが先輩だし。正直、勝つために特別仕込んできたでしょ?」

「えっ、あう……そ、そんなことないよー」

「ホントに?」

「嫌だなー、わたしのお弁当は普段からこんなものだし」

「ホントに、ホントに?」

「女子ですから!」

 優人のメガネの奥にある狩人のごとき眼光に負けたか、最後は誤魔化し「えっへん」とでも続きそうに、低く薄い胸を張って威張る。

 図星を刺されると去勢を張るが、いつも嘘は隠せない。

 それがマコトの子供っぽい癖であると、優人はこれまでの付き合いでよく理解している。

「ま、そういうことにしよう。敗者は潔く何も語らず、でも次は負けないよ?」

 優人は敗北を受け入れつつ、豪快におにぎりを頬張る。

「望むところだよ。後輩さんには負けられないからね」

 一方でマコトは勝者の余裕か、小さな口でサンドイッチを上品に咥える。

 風も弱く雲一つない澄み切った快晴の下、人も疎らな屋上でのんびりと弁当を食べる。

 校舎全体から僅かに聞こえる喧騒もBGMとして心地良く、平和で長閑な時間。

「あっ、そうだ。でも、そんな後輩さんへのフォローは欠かさないマコ先輩なのでした」

 マコトはブレザーのポケットから、掌サイズで薄いカード型の何かを取り出す。

 ボタンらしきものを押してから「はい、どうぞ」と優人に手渡す。

「ん? 何これ」

 何かの電子機器のようだった。

「通信機能付き小型カードカメラだよ」

「カメラ? すごく小さいし、こんなのが?」

 レンズ部が目立たないせいか、外見はカメラに見えない。

 軽くシンプルな作りで中央にレンズがあり、スマートフォンのような形状だがサイズは半分以下。何よりかなり薄く、レンズ部を含めても数ミリ程度の厚さしかない。

「うん、期待通りの反応でうれしいな。でもハードを作ったのは影山さん、わたしはデータ受信用のプログラムを組んだだけ。あとでアプリ送るね」

「へー、我がチームの巨人と妖精の合作というわけだ」

「よ、妖精なんかじゃ……」

 恥ずかしそうに、小さな声でごにょごにょと語尾を濁らせる姿は初々しい。

「すごい、レンズが動くんだ」

 横長の筐体の端から端へレンズ部をスライドさせ、優人はおもちゃを与えられた子供の如く感銘を受ける。

「ああ、それは丸山さんの考えなんだよ。曲がり角とかで尾行対象を撮りたい場合、レンズのユニット部を動かせる方が便利だろうって話。実際の使用感はこんな感じだよ」

 マコトが手に持つ端末の画面には、空を背景に優人の顔を下から見上げた映像が中継されている。それは優人自身が手に持ったカメラが捉えたものだった。

「なるほどねー、他の端末で読み取れるのか」

「しかも指向性マイクを仕込んであるから、録音もできるオマケ付き。あと保存は受信側でするからカメラ側に不具合があっても途中のデータは大丈夫」

「通信距離はどう?」

「近ければアドホック、遠ければネットワーク経由に自動で切り替わるから、どこにいても大丈夫。ただ電池の消耗が厳しくて、デバイス側はハードもソフトもまだ最適化してないから、長くて十分しかもたない。特にネットワークの場合、消費電流がもっと激しくなっちゃう」

 優人にとって理解は出来ても不慣れな単語が多い説明だが、要は離れ過ぎると電池切れしやすくなる、ということだろう。

「素晴らしい。至れり尽せりだ、さすが先輩方!」

「さあ、アタッカーとして評価は如何でしょう?」

 聞かれて十秒ほど、優人は実際の任務中に想定できる利用シーンを浮かべてみる。

「んー、ぱっと思いつく問題点は設置だよね」

「設置?」

「うん。このデバイスの長所は、遠隔で映像をリアルタイムに把握できることでしょ? なら設置や固定方法を考えておかないと。いつも丁度良い高さの机や棚があるとは限らない」

 薄い唇に人差し指の関節を当ててマコトは考え込む。

「そっかー、シーズベースのままじゃ、ただ装置として動くだけで不十分、現場の要望は満たせないか。顧客が喜ばない無駄なモノ作る日本メーカーと同じだね、とほほ」

「新型楽しみにしてるよ。それに設置方法なんてカメラの機能自体よりは適当な工夫でなんとかなりそうだし」

 そう期待を込めて返そうとするが、マコトに首を横に振られる。

「一応持っててよ、工作室にまだ何台かあって改良はできるみたいだし」

 任務外で使う機会はないかもしれないが好意は受け取り、優人はブレザーの内ポケットに薄いカードカメラを入れた。

「んじゃ、そろそろ行こうか」

「ちょい待ちちょい待ち。ダメでしょ、マコ先輩」

 弁当に蓋をして袋に入れ、何事もなく立ち上がろうとするマコトを優人は止める。

「ん、どうして?」

「だって……全然食べてないじゃないか」

 マコトは急にきまりが悪そうになって言葉に詰まる。

「一緒に喋り続けちゃった僕が言うのもおかしいけど、もうちょっと食べようよ。手の込んだお弁当が勿体無い」

 閉じられた弁当の中身は八割以上が残っていた。まだサンドイッチも一枚しか食べていなければ他のおかずも多少減った程度。

「陽香さんにも言われてるでしょ? 事情はわかってるけど、少しは食べないとさ」

 だから尚の事きちんと食べて欲しいと切実に思う。

「あのね――」

 いつもの感情豊かなイメージとは違い、マコトの表情に陰鬱な影が差す。

「――今日は味がしないんだよ」

 その一言を聞いて、優人は自分の配慮が浅はかだったと思い知る。

「あっ……ごめん。もう元気なんだとばかり」

 能天気で無神経な自分が情けない。

 マコトがそういう体なのは、以前から知っているのだから。

「先月と比べればまた体重落ち気味だし、栄養もお薬に頼ってるところあるし……だから少しでも食欲出るように、お弁当もしっかり作ってみたんだけど」

 そんな苦労を含んだものだったとは予想すらしていなかった。

「もしかして、僕が先週の作戦で妙なこと頼んだのが負担だった?」

「あれは大したことじゃなかったよ。大変だったのはその後、実行犯達を追跡するときにオーダーとリンクする必要があったから、それが予定より長くていつもより堪えたかな。あはっ」

 無理やりにでも笑おうとするがぎこちなく、痛々しい空元気でしかない。

 作戦後に「軽い離人症になってる」と陽香から聞いたことを思い出す。

 マコトはそういった体の代償と引き換えに力を得て任務をこなしているのだ。

「あー、でも大丈夫。おかしいのは味覚ぐらいだから……ホントだよ」

 最後の付け足すような一言が気掛かりで、優人はより不安を感じずにはいられない。

「平気だよ。いつもの調子なら、時間が経てば治るからさ」

「わかったよ。ただ無理しないでね、苦しい時は休むとかさ。僕達は学校なんか少しくらい行かなくても、何の影響もない立場なんだし」

「そんな、ズルはダメだよ」

 否定してから歩き出すマコトは、見えない敵に立ち向かうかのようだった。頼りなく歩く後ろ姿が心配で、優人もすぐ弁当を片付けて、肩を支えて寄り添うようについて行く。

「もう、大げさだな」

「何言ってんの……逆の立場なら放っておけるの?」

 優人は、その小さくて力ない手をしっかり握り締める。

「もうっ、わたしは病人じゃないんだからね」

 直接手を触れられたのだからいつも通り、少しは恥ずかしがって欲しいぐらいだ。

 まだ昼休みは半分ほど残っているが屋内に入り階段を下っていく。

「それじゃ、優人くん。いつかまた一緒にお昼しようね」

「ああ、うん」

 互いの教室へ向かう分かれ道で、優人は立ち尽くす。なぜなら、昼休みが始まったときよりもマコトの横顔には陰りが伺えるからだ。元々ゆっくりな歩きも今はさらに遅い。

 このまま行かして良いのか、そう自問した時だった。

「うっ」

 階段を下っていくマコトの足が止まり、咽るような呻き声がした。

 まずい。

 優人は反射的に追い掛け、吐き気を抑えようと口を片手で覆うマコトの傍に寄り添い、まずは少しでも負担が軽くなるように背中を摩る。

「焦らず行こう」

 階段をゆっくり一段ずつ下りるように誘導し、踊り場まで行くと水道は目と鼻の先。

 そこで我慢できず、マコトは駆け出して水道台に身を乗り出すと……堪えていたモノを一気に放つ。その最中、優人は少しでも不快感を和らげてやるために、背中を摩り続ける。

 不幸中の幸いか、一般教室はなく特別教室ばかりの階なため、周囲に注目する者はいない。

「はあはあ」

 すぐに収まり、荒い息遣いをマコトは落ち着かせていく。

 優人は水道の蛇口を捻って汚物を流す。あまり食事を取っていないせいか吐瀉物も少ない。

 しかしそれは、数分前にマコトが食べたサンドイッチやトマトの色だった。

「ごめんね……みっともなくって」

「今は喋らない方がいい。落ち着こう」

 綺麗にしてから十分に休ませたあと、優人はその壊れそうな細身の体を支えて保健室へ送り届ける。

「お世話掛けちゃったね、ありがとう」

 マコトは中途半端に振り返り、力こもらない弱々しい声でお礼を言ってベッドに横たわる。

 心配にならないわけがない。

 生気のない相貌があまりにも悲壮感に満ちていたから、優人はその後の授業中マコトのことばかりを気にしていた。

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