美しくも残酷な思春期が嘲笑う

新田五郎

第1話

 これから書くことは、おれ・神田川俊三が体験したことの覚書である。

 おれの勤務している市立堀都中学校を知っている者なら、この文章に登場してくる人物を特定できてしまうだろうから、発表するのはずっと後のことになるだろう。弟にだけは見せようかと思ったが、やっぱりやめよう。けっきょく、墓場まで持って行ってしまうかもしれない。

 だが、ぜひとも書き残しておきたい。飲み屋で一人ホッピー割りをあおっているとき、隣りに寂しそうなおっさんや倦怠期風のカップルがいたりすると、ついこの話をしたくなり、我慢できなくなってしまうのだ。

 最初にお断りしておくが、おれは教師として、常にそれなりのことはしているつもりである。ただし、学園ドラマに出てくるようなヒーローでもないし、逆に生徒たちをおさえつければいいと思ってきたわけでもない。

 だからこの話は複雑なのだ(いや、そうでもないか?)。残酷な話だが、ついつい月夜の晩には吹聴して回ってしまいたくなるような話なのだ。


 おれは実は小説家志望崩れなのだが、そこは格好を付けずに簡潔に行きたい。

 平成×年度に、「文芸グループ」というのがあった。

 ウチの中学にもともと文化系のクラブはないが(ちなみに体育会系では野球部がそこそこ強かった)、Aという当時二年の女子がそう言った活動をしたいというので、国語担当の小松裕美子先生を責任者に発足された、ブンガクをたしなんだり創作を試みたりするサークルである。

 おれは理科担当だったし、当初はそれを「ふーん」としか思っていなかった。

 この「文芸グループ」は、二年生のAを中心としてB、C、D、Eと五人いた(本人たちのことを考えて仮名とする)。全員女子。クラスはバラバラだった。

 彼女たちは、月、水、金に放課後の視聴覚教室に集まって活動していた。思い思いに本を読んだり小説を書いたりしていたようだ。

 しかし、小松先生は気づかなかったようだが、おれは当初からこいつら本当に小説なんか読むのかな、とは思っていた。

 全員、成績は中の上。素行も悪くはない、ごく平均的な生徒たちで、要するにヲタク的な面があまりなかったのだ。

 印象だけで人を判断するつもりはないが、おれの人生経験上、中学の頃から物語にこだわりを持つ人間というのは、どこかヘンなところがあるのが普通だ。

 おれの大学時代の文芸部の悪友たちも、どこか変なヤツばかりだった。

 だが、彼女たちはテレビタレントの話か、便所に連れだって行くのだけが楽しみみたいな連中だったのだ。

 いつもクスクス、コソコソしゃべっていて、おれにゃあ人間というより小鳥のようにしか見えなかったね。まあピーチクパーチクと。

 おっと、口が過ぎたな。でも、そんな憎まれ口のひとつも叩きたくなることが起こったのだ。

[newpage]


 Fという二年の女子生徒が、二階の窓から転落するという事件が起こったのである。さいわいケガは軽かったが、精神的なショックは大きく、Fは隣町の私立中学に転校してしまった。

 そしてあらぬうわさが広まった。Fを突き落としたのが、「文芸グループ」の連中だというのだ。

 しかし、証拠は何もない。確かに、Fは「文芸グループ」の何人かと仲が悪かったらしい。だが、だからといって二階から突き落とすなんて、にわかには信じがたい話だ。そうだろ?

 だが、事故はこれにとどまらなかった。Gという女生徒は廊下でけつまづいて足首を骨折したし、Hは家に頻繁にかかってくる無言電話でノイローゼになり入院してしまった。Iは体操服をズタズタに引き裂かれてしまったし、Jに至っては、給食に下剤を混ぜられて腹痛を起こし大騒ぎになった。

 「給食に異物混入」とあっては、単なる偶然とは言えない。


 緊急職員会議が開かれ、どうしたもんかということになった。「文芸グループ」のうわさが、この会議でもヒソヒソと持ち上がったが、もちろん担当の小松裕美子はそれを完全に否定した。

 ちなみにこの小松という同僚だが、どこかのお嬢様大学を出ている二十代の女性で、頭はいいのかもしらんがどこか世間知らずなところがあった(彼女に関しては、オトナなので仮名にはしない)。

 おれは、この段階で何も根拠はなかったのだが、すでに「文芸グループ」を疑っていた。

 A、B、C、D、Eの五人は、「文芸グループ」発足前からつるんでいた。全員小学校も同じ、小五、小六とクラスも同じだったという。

 それだけだったらどこにでもいる仲良しグループだが、たまたま、おれが商店街の(付け加えるならすでにシャッター商店街と化しつつある商店街の)パン屋でパンを買っていたとき、そこのおばさんからよからぬことを聞いたのだ。

 そこのおばさんの娘は現在、別の中学に通っている二年生だが、A、B、C、D、Eの五人に小学生時代、相当いじめ抜かれたらしいのだ。

「今では離れてのびのびやってますけどね、あのときは大変でしたよ」と、そのおばさんは言った。雑談の中で、おれが堀都中学の教師だと知ったから出てきた言葉だ。

 愚痴るおばさんからそのいじめグループの名前を聞いてみると、「文芸グループ」の面々だったのである。

 

 いや、これを読んでいる人の言いたいことはわかる。子供同士のいじめや仲間はずれと、二階から突き落としたりという犯罪行為はぜんぜん別なんじゃないか、とね。

 そのとおりだ。そのとおりだよ。だからおれはそのとき黙っていたし、こうしてこっそりそのことについて書いているわけだ。

[newpage]


 我々教師は、考えたあげく、理科の成績がやや低いBとCをおれが呼び出して、それとなく事情を聞いてみようということになった。

 おれは面倒だったが、仕方なく引き受けた。さすがに小松先生が呼び出すわけにはいかない。教師たちが「文芸グループ」を疑っていることが丸わかりになってしまうからだ。

 実際、職員室に呼び出してみると、BもCもただのおとなしめな女生徒だった。

 ま、職員室に来てボロ出すやつなんかいないわな。

 二人は、何となく首を縮こまらせ、おれが何かを聞くたびにお互いの顔を見て、話を合わせようとした。理科には興味があるのかとか、勉強はふだん何時間やっているのかとか、おれが質問すると、いちいちアイコンタクトして意見をそろえるのである。

 イライラした。

 けっきょく、何もわからずじまいだった。おれはため息が出た。


 だが、事件は大きな進展を迎える。それも突然に、だ。リーダー格であるAが、わざわざおれのところにやってきたのだ。


 Aだけは、文学に多少興味があるようだった。ただし成績は中の上、クラスでも目立たない生徒だ。

 だが、どうやら「文芸グループ」内でのみ、リーダーシップを発揮しているらしい。内弁慶というやつか。

 そんなAが、おれが理科室で片付けをしているときにやってきた。声をかけられたので振り向くと、ドアのところに立っていた。Aは、他のグループの連中よりはやや大人びていた。挑戦的な目つきだった。そして、おれに向かって堂々と言ってのけたのだ。

「一連の事件、全部私たちがやったよ」

 おれは最初、冗談かと思った。だが話を聞いてみると、ちょっと捏造したとは思えないディティールが、彼女の口から語られ出した。

 どんなタイミングでFを突き落としたか、Hにはグループのどのような分担で無言電話をかけたか(そりゃ大勢で持ち回りでやればラクだわな)、Iの体操服を引き裂くのには自分の兄が持っていたサバイバルナイフを使ったなどなど。聞いているうちに、おれは背筋が寒くなった。

 おれは確信した。やったのはこいつとその仲間たち、「文芸グループ」だったのだ。

「でも私たちっていろいろと守られているもんね。ホウリツとかジンケンとか……。それに、証拠もないし。今私が言ったこと、他の先生に言っても信じないよね。どう先生、悔しいでしょ?」

 Aはそばにあった机の上のビーカーを手でもてあそびながら、ハハハと笑った。おれは真顔にならざるを得なかった。

「おまえの言うことが本当かどうかはわからんが、聞いてしまった以上、先生も何らかの措置は取らざるを得ないぞ。他の教師が信じようと信じまいとな。……それにしても、なんでそんなことを打ち明けたんだ?」

 すると、Aは勝ち誇った顔でこう言った。

「先生、もしかして小説家志望だったんじゃない? わかるよあたしには。理科の授業の中にときどき文学の話しなんか織り交ぜちゃって。私から見るとね、そういうのってイタイの。イタイんだよ! だから、私の発言を聞いて、どんなふうにブンガク的に苦悩あそばされるのかと思って、言ってみたってわけ!」

 そう言うと、大口を開けてアハハハハハ! と笑った。背後でそれにつられた数人の笑い声がした。よく見ると、理科室の入口のドアの陰に、他のB、C、D、Eの四人が隠れて、Aとおれのやりとりを見守っていやがったのだった。

 おれは自分の耳が赤くなってくるのがわかった。確かにおれは、前に書いたとおり小説家志望だった。国語の小松先生なんかより、よほど文学は読んできている。

 おれ以上に文学的素養のある教師や生徒に出会ったことは何度かあるが、Aに関しては彼女が起こした事件のいくつかから考えて、「コイツだけには言われたくない!」という気持ちもあった。

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 おれは屈辱感をかみしめながら、ちょっとおどけて言った。

「ふふふ、そんなふうに見られてたか……。参ったな。で、おまえさんはどんな文学が好きなんだ?」

 Aが得意げに言ったのは、夏目漱石の「こころ」と村上春樹と、何作かの甘ったるい、昔の少女小説だった。

 おれはそれらを自信たっぷりに言うAの態度に逆に驚いた。いやまあまあ普通の中学生の読書傾向だとは思うが、それを自信満々に言うところに驚いたのだ。が、彼女たちのグループの中では、瞠目すべき読書体験として認識されているのかもしれない。

 他のやつらは夏目漱石なんて、読んで五秒で放り出してしまうだろう。

「ま、がんばれよ。小説も書いてるのか?」

 おれが聞くとAはさらに得意げな顔になり、「今書いてるの。大長編で、すぐには書き終わらないけどね。設定を後から直すのが大変で……」

 なんだ、設定厨か? 自分の独自の世界をつくり上げようとして、懲りすぎて小説を書きだす前に破綻してしまう。そんな経験はおれにもあった。

「設定厨がリーダーのグループかよ……」

 これは、彼女には聞こえないように言ったおれの一人ごとだ。


「とにかく、これで私たちの『力』がわかったでしょ。先生、私たちはあなたを病院送りにすることもできるのよ。私は違うけど、彼女たちは小説なんか書くより、そっちにずっと乗り気なんだからね。それと、もうちょっとダイエットした方がいいよ。白衣のお腹がぱんぱんだから!」

 Aはそう言うと、仲間たちとともに笑いながら走り去って行った。別の教師が、遠くで「廊下を走るな!」と大声で注意したのが聞こえたが、そんな場合じゃないだろ、とおれはつぶやいた。すっかりメタボな、自分の腹をなでながら。


 おれは気になって、Aのことを少し調べた。Aは同級生を窓から突き落とすような残酷趣味とは裏腹に……あるいはだからこそ、と言うべきか……少女っぽいユートピア感を持っていた。それを、「悪意の美しきユートピア」とでも言えばいいのだろうか。

 Aは自分をあがめる小集団の中で、女王として君臨したいという願望があるようだった。逆らう者、気に食わない者は許さず、罰をくだす、あるいは気まぐれで仲間以外の者をおとしいれてほくそ笑む……。そんな「悪意のユートピア」。

 これは彼女の小学校の卒業文集に載った作文で知った(もちろんそんなことははっきりとは書かれていない。だが「行間」を読めばそう読みとれるのだ)。

 彼女は少女らしい視野の狭さを持っていて、彼女の世界というのは中学校では「文芸グループ」だけだったし、パン屋のおばさんに聞くと罪悪感もグループ内で特に欠落しているらしかった。

 大人をなめきっていることでも、小学校時代は有名だったらしい。

 彼女の、小六当時の担任の教師に会った。

「ああ、あの子ね。おとなしかったけど、いざ意見を聞いてみるとなんだか現代の人権擁護感覚をはき違えているような子だったね」

 喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、中年の女性教諭が話す。

「自分がまだ子供だから庇護されるべき存在だ、ということをぜんぜんわかっていなかったのね。子供って常にそういうわがままなところはあるけど、何か『自分は絶対安全圏にいる』っていう根拠のない確信を持っているようだったな。うーん……この町で育ったせいでしょうかねえ?」

 女性教諭は、逆におれに尋ねてきた。

[newpage]


 堀都中学校のあるM市は、きわめて人工的な町だ。オモチャのような建売住宅が立ち並び、駅前には巨大なショッピングモールがある。おれがよく行く「シャッター商店街」は、すでに三分の二が大手外食チェーンの店だ(おばさんのパン屋は例外中の例外である)。

 やくざも不良もいないし、酔っ払いも少ない。無機質で巨大な公園があり、子供たちはみんなそこで遊ぶ。この公園には浮浪者もいない。

 大人の監視も行き届いている。夜は町内会の人たちが、交代でパトロールをしている。

 とにかく整然としている。自動車の量も少なく、路上も安全。「子育てしやすい街」のベストテンに入ったこともある。

 が、こういうところで育つと子供たちは自分が「守られている」ということを忘れてしまうのかもしれない。

 何しろ、まったく危険がないのだ。そして中学校内では、部活に入らないかぎり縦の人間関係もわからないし、同い年の、きわめて家庭環境の似通った生徒たちとだけつるむようになる。

 「文芸グループ」の「いたずら」がだんだん「犯罪」に移行していったのも、日常のサイクルが単純で単調なために、プランや対策を立てやすい、ということがあったのかもしれない。


 おれはAの小学校時代の担任と会ってから、一人で赤ちょうちんに入ってしこたま飲み、そのまま一人暮らしのアパートに戻って寝てしまった。

 そして起きたとき、ハッと気づいた。

 おれも彼女たちのターゲットになっているかもしれない、ということをだ。

 確かAは、そんなことを言っていなかったか。

 しかしどうする。おれの聞いた話をみんなに話すか。Aはシラを切るに決まっている。教師たちができることは、せいぜいルールを守りなさいとか命の大切さがどうとか、お説教することだけだ。別の言い方をすれば、「どうか犯罪をやめてください」と彼女たちに頭を下げてお願いしているようなものだ。

 Aがどこまで考えているかわからないが、殺人まで計画しているかもしれないし、犯人のわからない犯罪を積み重ねていくことによって教師たちを恫喝し、学校全体を支配しようと考えているのかもしれない。

 何しろ、中学生はほとんど何をやってもいい存在なのだ。このM市では。


 布団の中でタバコに火をつけながら、Aの言っていたことの中ではっきりと犯罪の証拠が残っていることについて思い起こしてみたが、どれも自己申告で物証は何もない。

 奇妙な逆転現象が起こっていた。本来なら、中学生の女生徒は社会的に弱い立場にある。ところが、堀都中学校内では、命の危険にさらされているのはむしろ教師たちなのだ(他の生徒たちももちろんだが)。

 それは三十年ほど前全国の中学校に流行ったという、校内暴力とも違う。暴力はその場に顕現するが、彼女たちのやっていることはそうではない。どこまでも「偶然だ」ととぼけられる事象がほとんどだ。


 布団から身体を起こしてタバコの灰をコーヒーの空き缶に入れながら、おれは部屋の中にうず高く積まれた文学書を横目で見た。それらを眺めながら、おれはおれで反撃を開始することを決めた。

 「攻撃は最大の攻撃だ」という、ガッツ石松の名言が脳裏をかすめた。

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