第4−2話 本当のフィナーレ

 体調が回復した啄木は、秋奈に連れられて店を出て、『ホール』の前に立った。そこの景色はあまりにも変わり過ぎていて、啄木の心の中で再び穴が開いたかのように、息が詰まった。

「ここは……」

「そう、アトリアルホールのあった場所。私と有海あるみ、おねぇちゃんが来た場所。きみが劇をした場所。そして、君が友達と、思い出を失った場所。思い出した?」

「どうしてそれを知っていた? 僕はただ、あの時君たちと偶然会って、助かるために走っていただけなのに……」

「私は、自信がなかった。周りのみんなは逆瀬川隆之介を見に、ここに来ていた。でも、私は違った。彼を見たいっていう気持ちが全くなかったっていえば、嘘になるけど」

 秋奈は大きく息を吸って、ため息交じりの吐息を漏らした。

「私は、いろんなことをした。休み時間は、今日はこの人をまねてみよう、今日はあの人、って。あの子のように食べれば速く食べてのんびりできるかなって、同じものを、同じ時に食べようともした。でも、私はそれで何も見つけられなかった。真似しただけだった。自分って何なんだろうって、君たちが劇の練習をしていたあの秋、私はそんなことを考えていた」

 秋奈は歩いてご神木に近づいて、幹に手を当てた。

「でも、あのイベントのチラシを見て、君たちを知ったんだ。同い年の子が、こんな素晴らしい舞台に出ているんだって。私は、君たちに、初めて海を見たカエルみたいに、興味を持ったんだ」

「それであの場所に?」

「もちろん、有海が出るっていうのもあったけどね。でも、やっぱり本命は君たちの、

『海賊たちの声』だった。子供だけで作り上げたあの劇、まさに最高傑作だった」

「それは、ありがとうだけど、どうして君はそこまで知っているんだ?あくまで中学で会うまで、僕と君は赤の他人だったはず」

「それはね……」

 すると、突然ご神木の影から人が現れた。

「私が教えたんだよ」

 ショートカットの眼鏡をかけた子が言った。

 口元は笑っていたが、目を真剣だった。

 その顔は、全くの見知らぬ人ではなかった。

「若葉……?」

「そう、福島若葉。君の友達。『ブックマスター』の一員。驚いたよね? あのころと違って背も伸びて、眼鏡もかけて。でも、私たちのほうが驚いたんだよ。まさか、ね」

 若葉はゆっくり近づいてきた。

「私たちは、啄木のいるはずの病院に行った。君も知っているだろうけど、あの時逆瀬川さんに説得されて私は啄木に会うことなく帰った。帰ろうと後ろを見たら、秋ちゃんたちがいたんだ。その後しばらく六人で話して、仲良くなって。中学生になってスマホを持った時には、グループでチャットもした。私たちは次第に、いや、自然とアトリアルホールのことを話題にせず、本の話をした。秋ちゃんって、とても快活そうな子だけど、本が一番大好きなんだよ。ね?」

「そう、私は君の劇を見て、ジャンルは関係ないけど、作品のとりこになった。それを味わった後の余韻が好きになった」

「で、はい。バトンタッチ、和哉」

 若葉が後ろに呼びかけると、ご神木とは別の木の陰から和哉が出てきた。和哉は背が伸びただけで、全く変わっていなかった。

「俺たちは秋奈から、タクが生きていることを知った。まさかとは思ったけど、俺たちの勘はやっぱり冴えていたようで安心した。それから、俺たちが聞いている話と、今のタクが演じている話とは、食い違いがいくつかあることが分かった。特に、一番大きいことは、お前のほうでは、俺たちが死んでいる、俺たちのほうでは、お前が死んでいる、ということだ。つまり、あの事件を経験したお前は、俺たちの世界では姿を消し、別の世界で仮面かぶって生きている、ということだ。そうだろう?」

「そういうことになる。でも、みんなが生きていて、うれしかった。僕はそれだけで、幸せだった。だからこそ、その思い出にすがるのが怖かった。本当の自分を、探す旅に出たんだよ」

「それが、『走るジプシー』っちゅうことか。なるほどなー」

 後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、都会に染まった人がそこにはいた。

「覚えとるか? 仁や。もちろん、覚えてなかったら思い出すまでおしりぺんぺんしたるさかい、覚悟しとき」

「仁……」

「あれから、俺は六年生になって、おなじように劇を作った。でも、作品がなかなか決まらず、小道具も失敗して。結果は散々やった。 校内で言うと、上の下、ってところやな。もちろん、アトリアルホールは爆破されて、あのイベントもあるわけなかったけど、もしあったとしても、呼ばれることはなかったと思うわ。めちゃくちゃに言うけど、世間一般の小学生のお遊戯でしかなかった。その脚本を手掛けた俺は、自分の中で『海賊たちの声』を超える作品を作り上げることを目標にして、小説を書き始めた。また後で読んでや、『若き海賊の夢想』」

「まさか、お前がアララギジンだったとはな。なんとなく察していたけど、ほかのことと同じように考えないようにしていたんだ。今更だけど、新人賞、デビューおめでとう」

「おおきに」

 仁はにかっと笑った。こういう風に笑うと、やはり彼もまだ高校生なんだな、と実感できる。

「もう、事件は風化したんだ。そろそろって思って、ここまでした。どうだ、啄木。お前が隠してきた五年間、きっちり取り返させてもらうからな。な、そうだろ? 楓」

 和哉が楓を呼んだ。

「たっくん」

 楓が、赤いニットにジーパンといういでたちでいた。五年前とは全く比べ物にならないぐらい大人びた楓は真剣な目でこちらを見ていた。三人は自然と、二歩後ろに下がった。

「たっくん! この色、なんだかわかる?」と自分の服を引っ張って、ジーパンをはいた太ももをパンとたたいた。

「え、赤と、青だけど……」

「そう、あの日の赤。夕焼けの赤、救急車の赤、血の赤。それと、あの日の後の青。海の青、気分の青、涙の青。たっくんは、あの日のことを忘れるために、なかったことにするために、赤から青に逃げた。そうだよね?」

「違う、そうじゃない」

「君は弱虫だ。すぐにそうやって怖いことから目を背ける」

「違う……」

「そして、簡単に私たちを記憶から消して別の世界を生きる。君のしたことが、どれほど残酷なものだったか、わかる?」

「違う……俺は……僕は……」

 啄木は、涙を流してその場に崩れ落ちた。

「でもね、たっくん、顔を上げて」

 啄木は長い時間かけて涙を拭き切って、楓の顔を見上げた。楓が手を差し出し、それを頼りに啄木は立ち上がった。

「あの日は、それだけじゃなかった。楽しくバスの中でカラオケ大会をして、人生で一度歩かないかの体験をして、みんなでピクニックして……。私にとっては、色んな意味で特別だった。正直、たっくんが生きているって知った時、私は自分のすべてを否定しようとした。私は、私たちはたっくんにとって何だったんだろう。そんなことを考えて、眠れない夜もあった。でも、もう結論は出たんだ」

 楓は、僕の顔の前に自分の顔を近づけ、ほほにキスをした。彼女の目には、涙が浮かんでいた。

「そんなことを考えていても、やっぱり私たちはたっくんが好きなんだって。そう思えたんだ」

「楓……みんな……」

 その瞬間、楓が嗚咽を漏らしてもたれかかってきた。その嗚咽は昔とは違い、複雑な感情がこもっているものではなかった。啄木は楓の背中に手をそっと回した。


 彼らを照らしていたのは、残酷な闇の黒ではなく、熱烈な赤でもなく、記憶を流す青でもなく。


 仁たちは笑ってみていたが、秋奈は自然に涙を流していた。やはり彼をとられたという気持ちがどこかにあったのかもしれない。もしくは単純に、彼らの再会に感動しているのかもしれない。その気持ちは一体何色なのか、秋奈にはわからなかった。

 何色にも例えがたい、太陽の光が、彼らの後ろに影を作っていた。

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