第7話 ”モード”

 中に入ると、周りはまだ炎はないようだった。これなら逃げられる、と踏んだ二人は、さらに奥のほうへ行った。

 ロビー奥についた時、ちょうど中の避難が始まったところだった。会場に来ていたお客さんが、六列ぐらいになって出てきた。おびえた表情の人、何が起きたのかわかっていないような人もいたが、何より無表情の人が多かった。そんな人たちからは何も気持ちは読み取れない。そして、知らない人の顔は全く同じ雰囲気であるから、その中に仁たちがいないことはすぐにわかった。

「いない」

「そうだね。もう逃げたのかな」

「いや、ここまで誰にも会わなかったし、この中にもいないってことは、まだこのホール内にいるはず。だとしたら……」

「楽屋」

「そこだ!」

 

 二人は走った。楽屋に近づくにつれ、体は汗ばんでいく。火はもう近くまで来ているのだろう。しかし、楽屋についても、三人の姿はどこにもなかった。

「どうしよう……」

「楓、ここは二手に分かれて探すんだ。実はな、もうさっき俺たちの通ってきた入り口は火の海なんだ。角を曲がる前に、長い廊下の奥のほうに煙が見えた。ここは西側だから、たぶん出火元は東側。そして、このホールは日本の伝統産業をモチーフに作られている。だから、火の手がここに来るまで、あと一五分ぐらいしかないと踏んでいい。だから、分かれないと手遅れになる」

「わかった。あと、東がもう使えないなら……」

「そう、出口はホール最西端、備品搬出口。あのガレージだ。そこで落ち会おう。じゃあ、俺はこっち行くから、あっちは任せた」

「了……ハイサー!キャプテン!」

 そう言って、楓は敬礼のポーズをした。こういう時ものんきでいられる、そんな子供っぽさもたまには必要かな、と啄木は思った。

 そうして、二人は二手に分かれて探索を再開した。


 秀人は、爆発音が聞こえた後、すぐにみんなを非難させなければならないことを悟った。

 ホール内で、聞こえたのは右手、つまり東側だから、係員の避難誘導に従っている大勢の観客、出演者についていったら確実に今からだと手遅れになる。

 先生はとりあえず避難誘導に従おうとしている。このままだとみんな炎に包まれて……。

 こんな時に啄木はどこにいるんだ。あいつならどうするか、あいつなら……。

「先生、秀人がなんか言いたそうですよ」

 弘子が先生に呼びかけた。勝手に言いやがって。

「どうしたの?秀人君」

 僕は弘子をにらみつけた。

 (まだどうしようか悩んでいたところだったろ?何をしてくれたんだ)

 (さあね。頑張ってみてみ)

仕方ないか。僕は説明を始めた。

「このまま避難誘導に従って外に出ようとしたら、おそらく、いや確実に間に合わないです。火を見たらみんなパニックになって、必ずその人逆方向に行ってしまいます。だから、西側にある備品搬出口に行きましょう。そこならしばらく余裕があります」

「確かに、そうね。よし、みんな、こっちよ!」

避難誘導に逆らって、僕たちは西側の非常口から出て、ガレージめがけてダッシュした。

「お前助かったらただじゃおかないぞ」

「さて、何のことかな」

弘子は僕と同じ速度で走って、みんなをリードしていた。

「競争ね」といって、弘子は急にスピードを上げた。

「あ、待てよー!」

二人は競い合ってゴールめがけて加速した。


 啄木は少し広めの出演者用の娯楽ゾーンと更衣室を探した。ここまでくると煙も多くなってきたので、ハンカチを口に当てて探索した。

 楓は大丈夫かな。いくら探す場所が一か所だからって、一人にするとさっきみたいに足がすくんでしまうのではないか。でも、その心配はすぐ消えた。楓は俺を安心させるために、わざわざこんな状況に敬礼のポーズをしたんだ。あの笑顔は、自信の笑顔だったのかもしれない。

「しかし、この娯楽ゾーンも面白そうだったのになぁ。あ、これは」

 本が落ちていた。拾ってみると、どうやら俳句を書いたノートのようだった。名前は書いていないが、外のカバーがなんとも女の子らしかったので、ここの備品ではなさそうだ。

 でも、このノートが落ちているってことは……。

「いた……違ったかぁ」

 そこには、俺と同じぐらいの年の女の子が体育座りで顔を膝にうずめて小さくなっていた。ちょうど煙が全くなく、空気は十分にあるところだった。女の子は顔を上げた。少しすすがついている。しかし、それでも恐怖はしっかり伝わってきた。

 とりあえず、俺は隣に同じように座って話を聞いてみることにした。こういう時は、

「相手と同じ目線に立って、その状況と全く関係ないような話をして心を落ち着かせるのが基本だ」って、『あなたの手に紅葉載せて』の主人公の旧友、高野原幸助が言っていたっけ。

「あのさ、君は出演者?」

 女の子はうなずいた。

「何で出たの?」

「…………俳句」

「俳句かぁ。あ、もしかしてこれ君の?」

 俺は先程拾ったノートを見せた。

「あ、それ私の。ありがとう!」

「いやいや。でも、俳句って各年齢層のうちの一人だけが呼ばれる奴だったよね。すごいね。俺も出したけど校内予選で落ちちゃったし」

「別に、私は書きたいことを書いてるだけだよ。もしかして、文章書くの苦手?」

「ちょっと苦手かもしれない。でも、俺は“モード”っていうのに入った時には何でもできるらしい」

「“もーど”?」

「我を忘れて本気になることらしい。熱中してたっていうほうが正しいかも」

「そうなんだ」

 よし、いい感じだ。

「とりあえず、逃げようか。ここを出よう。続きは途中で聞くよ」

「うん。でも、この先は煙が多いよ?」

「大丈夫。今から向かうところは俺たちの息でも続く場所だから。そこまではハンカチを口に当てていたら問題ない。ハンカチ、ある?」

「持ってない」

「じゃあ、袖口で口をふさいで。行こう」

 口元をふさいだ彼女は、もう片方のノートを持った手の親指だけを上に突き出した。

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