第3話 心を許せるなら

「お前、最寄り駅どこなんだ?」

「てかさ、もうそろそろ名前知ってもいい気がするんだけど」

「ああ、そうだな。俺は喜多海音かのん。三組七番」

 海音は手で七を作った。

「喜多くんね。私は矢島そら。二組三十六番だよ」

「よろしく。にしても、下の名前男っぽいな」

「ストレートにそういうこと言う人なんだね。そういう喜多くんも女子みたいな名前しちゃって」

「これは、ね……」

「あ、本当に触れていけないやつだった? ごめん」

 空は慌ててフォローした。

「いや、いいんだ。それより、俺の苦労がわかるって言っていたけど、あまり生半可な気持ちで語らないでほしい」

「本当にわかるよ。私も小さい頃そんなこと言われてきたし……あ、その顔は信じてないね?」

「えっ、いやまあ……」

「駅についたら、見せてあげる。それまでこの話をお預けね……ってもう着いちゃった」

「そうだな。で、何を見せてくれるんだ?」

「じゃあカバン持っててくれない?」

「いいけど……」

 空は海音にカバンを預けると、そそくさと駅の中に設置されているピアノの前に立った。ストリートピアノだ。空は椅子に座り、海音の方を見て様子をうかがった。海音はとりあえずどうぞと手で促した。空は満足した様子で鍵盤に手をかけ、息を吸った。

 海音は一音目を聞いた瞬間、彼女は天才なのだと思った。


「はぁ……はぁ……どうだった……?」

 空が息切れしながら海音の方に戻ってきた。海音は、ずれていた眼鏡を元のポジションに戻した。まだ辺りでたくさんのギャラリーの拍手が鳴っていた。

「それは、すごすぎでしょ……」

「そう、ありがとう……」

「ちょっとベンチ座るか?」

「そうさせて……」

 空はベンチに座って息を整えた。

「はい」と海音はお茶を渡した。そして隣に座った。

「あのさ。さっきの演奏、本当に感動した。ピアノの天才だったんだな」

「そうそう。見直した?」

「うん。でもこんなにうまいなら音楽学校とか言ってもいいと思うのにな……」

「それだよ」

 空はビシッと人差し指を立てた。

「さっきの君と同じだよ」

 海音は、はっとして「申し訳ない……」と頭を垂れた。

「いや、喜多くんも思っているはずだし、別にいいよ。私はたしかに周りから音楽学校に行くことを薦められた。でも、そこに言ったら私の音楽が崩れる気がして。もし聞いてくれている人がいいと思ってくれているなら、私はそのまま自分で研究したいって思ったんだ。誰かに習うってことは、誰かに自分を書き換えられているようなものだと思ってさ。だから私は勉強したくなった。普通の高校生の生活を送ってみたいって思ったんだ。でもあんまりうまくいかなくてね」

 空は自分の思いを吐き出すと、ペットボトルを開けてお茶を一口飲んだ。

「好きなことはやっぱり、独りよがりでいるべきだと思うんだ」

「俺もそう思う。嫌いになったり病んでしまったりしてしまってからだったら手遅れだからね」

「ごめんね。多分音楽学校に行ったらこういうのは治ると思うんだけどね」

 行こうか、と空が立ち上がった。

「大丈夫か? もう少し休んでいてもいいけど」

「大丈夫。荷物ももう持てるから」

「いや、ギリギリまで持っておいてやる。傍から見たらまだ疲れは取れていない」

「あ、ありがと……そういえば最寄りどこだっけ?」

「それ俺が聞いたやつ。こっからJR線で普通列車十駅。遠いでしょ」

「ふふっ、私、十二駅」

「ってそれ終点じゃん」

「そうそう。案外近いところに住んでるんだね」

「そうだな。じゃあ本当に俺が降りるまで荷物持っておくから、体休めて」

「あ、ありがとう。で、次の列車は……三分後。しかもこの駅始発だ」

「おおっ、ラッキーじゃん」

「行こうか」

 二人はホームへ続く階段を降りていった。


「俺さ、あんまり友達いないんだよね」

「えっ?」

 海音が唐突に言った言葉は空に耳につっかえた。

「そうなの?」

「ああ、今のクラスも一人だけだし。そいつはもう先に帰っちゃったけど」

「そうなんだ。もっと多いと思ってた」

「どうして?」

「喜多くん優しいからさ。さっきみたいにクラスのみんなに色々教えてあげているんじゃないかなー、とか積極的にいろんな人とつるんでいるのかなって思ってた」

「確かにもう少し広い話で言うとそいつらは友達と言えるのかもしれない。でも、本当に腹を割って話せる、将来も付き合っていけるって思う人が友達だと決めてるんだ」

「じゃあ私は?」

「え? それは……確かにそうなるのかもな」

「じゃあ友達だね。よろしく」

 二人席の隣の席に座っている空が手を出してきた。海音はその手を握ろうとしたが、少し迷ってしまった。すると、「あ、手汗すごいかも」と空は手を引っ込めてしまった。

 海音には彼女に心を許しているという自覚があった。だからこそ、その手を握ろうかどうか悩んでしまったのだ。こういう人に出会えるのはそんなに多くはない。だから―――。

「矢島さん。ちょっとさっきの名前の話、していい?」

 俺は初めて、他人にこの話をすることになる。

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