第9話 『Love Gun』

「ねえねえ霜山くん。テスト期間というやつは、何故こうも憂鬱なのだろうかね?」

「そりゃああんたが勉強嫌いの面倒臭がりだからだよ」


 同級生で生徒会長を務める星野瑠璃の顔には、大きな丸い痣がある。この痣は彼女とともに産まれたもので、彼女の顔を印象付ける要素でもあった。右目を覆い、天辺は髪の生え際、底辺は頬骨のところまで届く大きな青黒い痣。けれど彼女はそれを気にすることもなく、大きな瞳をくるくるさせて、踊るなステップでくるりとスカートを翻す。


「なんだよつれないなあ。ちょっとくらいわたしのことを褒めてくれてもいいんだよ? ねえ井上くん?」


 突然話を振られた1年生の井上敬一は、いつものように曖昧に微笑んでお茶を濁す。書記として生徒会に在籍する井上は物静かだが優秀な奴だ。ただ、霜山としてはもう少し、自己主張をしてくれても良いのにと思っている。


 11月も末頃に差し掛かり、生徒たちは制服の上に外套を羽織るようになった。関東と東北の境目にあるこの町は、もう間もなく初雪の時候だ。生徒会室は狭いが、小さなハロゲンヒーターひとつでは到底温まるわけもない。冷え性の指に息を吹きかけ、霜山はクリアファイルを手繰る。


「さて、今月の報告は?」

「……ん。まあ、特に問題はないな。井上からは?」

「ぼくからもありませんね。会長はいかがですか?」

「無いよ?」

「……」

「……」

「……」


 毎月20日頃に行われる生徒会役員月例会が、こんなに穏やかだった事などあるのだろうか。思わず顔を見合わせた3人の間に流れるのは、「問題が無いわけがなかろう、早く報告しろ」という沈黙の圧力だった。

しかし――である。


「……今月はマジでなんもねえんだ。目安箱の投書と質問書は先月と変わらずあるけど、どれも大した案件はねえ。ついでに、予算審議には時期が早いし、11月は文化部も運動部も閑散期だ」

「美術部と陸上部からは活動報告があがっていますが、どちらも毎年恒例の大会参加ですね。こちらのやることといえば、報告書をクリアファイルに入れることくらいでしょうか」

「……軽音と重音は? 比較的活発だろう?」

「軽音は来年1月の大会に向けて練習中、並行して予餞会の曲を選んでるらしい。重音は新メンバー加入に伴う調整期間だ。予餞会のセトリを例年どおり11月に提出できなくてすまないって、相澤のヤロウが謝ってきたよ」

「まあ、3月の予餞会のセットリストを11月に出すのは早過ぎだからね。謝ることもないのに、つかさちゃんは律儀だよ」

「どーだかな」


 頬杖をついた霜山は、飲みかけの缶珈琲を指でつつく。口では死んでも言ってやらないが、霜山はこれでも相澤のギターが好きなのだ。だから霜山は昨年も、相澤から予餞会――要は「3年生を送る会」――や春のコンサート、文化祭のセットリストを貰っては曲を予習し、楽しみにしていた。それができない11月というのは、少々寂しさがある。いや、死んでも相澤には言わないけど。


――でもあいつ、実はカヴァーよりオリジナルがウマいんだよな。滅多にやらねえけど、今年は新曲作ってくれるかな。


 缶珈琲をぺたぺた弄りつつ考えるそんなことは、唇を縫ってでも相澤に言えないことばかりだ。まったく、相澤のような素晴らしいギタリストは、落ち目の重音ではなく、もっと良いバンドに入ってもっともっと精力的に活動すべきなのだ。だから廃部を推進したのに。霜山がため息をつくと、星野がポニーテールを揺らして「セトリ貰えなくて残念だったねえ」と笑う。まったく、この生徒会長には何もかもお見通しだ。


「――いやしかし、今月絶対なんか事件あったろ。あーそう、アレどうなったのよ。学校の屋上に露出度高めのフレディ・マーキュリー出たでしょ」

「お言葉ですが会長、フレディは元々露出度高めです」


 星野の言う事件は、11月12日の早朝に起こった。朝練のために登校してきた陸上部の1年生たちが、学校の屋上に佇む人影を目撃したのだ。当初、1年生たちは近頃この辺りで噂になっている幽霊か、自殺志望者かと思ったらしい。しかし、昇る朝陽に照らされたその人影は、よく見れば、露出度が妙に高かった。妙に、というかその――なんというか。


「……フレディよりレッチリだったな、ありゃあ」

「ぼくは逆イギー・ポップって聞いてたんですが、実のところレッチリだったんですか?」

「あれはレッチリよレッチリ。モリソンまでは行ってないみたいだけど。わたし見たし」


 胸を張って言う星野はあの朝、露出狂出没の一報を受け、パジャマのままで学校に駆けつけた。先に学校へ到着していた霜山は、星野の手にしっかりと握られた双眼鏡を見て、彼女のことが心の底から心配になった。


「まあ、裸か裸じゃないかって言ったら、真面目そうなトニー・アイオミも脱ぎますからねえ」

「おれはアイオミに真面目そうという印象を抱いたことはない」


 独特な価値観を持つ井上が、優雅な仕草で茶を啜る。ちなみに11月12日の露出狂は、たまたま通りかかったジョギング中の相澤にソフトボールでタマタマを狙撃され、あえなく御用となった。逮捕された露出狂は取調べで「あそこにおれのウェンブリーがあると思った」などと供述しているという。


 普通に考えれば、これはまごう事なき大事件である。しかしこんな案件は、生徒会の管轄外。のであれば、生徒会が時間を割いて議論するものでもない。警察に引き渡せば、あとは野となれ山となれ。早い話がどうでもいいのである。霜山が足を組み直すと、星野はポニーテールをパサパサ揺らし、うーんと唸った。


「他には何か無かったの? 迷い牛が校庭で草食べてたとか、UFO研究会が山で遭難したとか、駐輪場の自転車のサドルぜんぶにジョンレノンの顔が貼り付けられてたとか、梶原のホワイトスネイクが人食ったとか」

「んな事件2度3度も起こらねえよ。つーか最後のひとつは何なんだよ」

「デイヴィッド・カヴァデールは善良ですからね」

「おれはロックスターに善良というイメージを抱いたことはない」


 穏やかに微笑んで酒饅頭を頬張る井上が、いっそ仄かに薄気味悪い。霜山は缶の中に残った甘たるい珈琲を飲み干して、頭を掻きながら鞄から紙の束を引っ張り出した。星野はふと顔を窓の方へ向け、放課後の喧騒を聴いている。午後の光に柔らかい曲線を描く頬の輪郭はどこかあどけなく、霜山は目を逸らす。


 星野の顔には大きな痣がある。けれど彼女は、それを気にもしないし隠しもしない。


「……目安箱への投函は相変わらずだな。部活関連だと『吹奏楽部にディープ・パープル・メドレー以外を演奏させてくれ』ってのがまず1通。次に『軽音の伊藤を重音に移籍させてくれ』って要望が16通来ている」

「本人に言えよ」


――いやまったくもってその通り。審議終わり。


 なんで生徒会に手を汚させるんだ、ウチは仲介業者じゃないと唇を尖らせる星野に、霜山は苦笑した。確かに住川の吹奏楽部はディープ・パープル・メドレーばっかりやる。1度の演奏会に4度のペースでやる。しかしそれは部長を務める栗栖の趣味だから、不満があるなら栗栖に言ってほしい。尤もあいつは何か別のことを企んでいるらしいが、大柄な笑顔の下に何が隠れているのかは、星野にすらわからないようだった。


 伊藤の件だって同じだ。霜山だって、伊藤は重音楽部向けの人材だと思う。彼は天才的な技術を持つギタリストだが、ギターの腕に人格がついて行っていないため、しょっちゅうトラブルを起こす。バンドを私物化し、人を馬鹿にして、演奏を崩壊させる。だから、伊藤はまだ1年生なのに既に3つのバンドから追い出されている。伊藤の扱いについて、軽音部長の井ノ岡が頭を抱えているのは、皆が知ったことだ。


 しかし、だからと言って生徒会が伊藤を軽音から追い出すのはどうなのか。というか当然ながら、生徒会にはそこまでの権限が無い。それとなく伊藤へ退部を勧めることはできないわけでもないけれど、それはあくまで「生徒会として」ではなく、「個人的な話として」だ。それに、彼が重音楽部に行ったところで、そこに幸せはあるのだろうか。脳内に現れた相澤は伊藤のことをめちゃめちゃ警戒してるし。


「伊藤くんはなー。重音行ってもどうしようもないでしょ。要はサバスにインギーが入って良いのかって話だし」

「しかも現状のサバスにはオリジナルメンバーに加えてブライアン・メイがいる状態ってわけですね」

「インギーとアイオミが仲睦まじくギター弾いてる……ちと想像つかんな。なんなら殴り合ってる様子の方がまだ浮かぶね」

「でも、アイオミってエディ・ヴァン・ヘイレンとは仲良いですよね。間に入るブライアンが案外緩衝材になってくれるかもしれませんよ」

「それはマジのアイオミの話だろ。住川のアイオミはヒゲがねえんだよ」

「マジのアイオミでも、そのラインナップだとただの三つ巴かもね」


 どうしようもない投書の紙束を『廃棄』と書かれた箱へ放り込み、霜山はため息をつく。そうすると、脳内の相澤がとても嬉しそうな顔をした。お前は早く脳内から出て行ってギターの練習をしろ。


「あとは『昼休みの校内放送はいい加減クイーン以外を流してくれ』という投書が4件」

「確かに『ボヘミアン・ラプソディ』公開以降はずっとクイーンですね」

「プリンス流してバランス取るか。よし解決。次は?」

「『今年はハロウィンやらないのか』ってのも来てるが」

「いや、去年の仮装大会は葦原先輩の酔狂だから。伝統行事でもなんでもないから」

「仮装大会なんてしたんですね。写真とか残ってるんですか?」

「あそこの壁に貼ってある写真がそれだよ」

「え? あそこにあるのって裸祭りの写真じゃなかったんですか?」

「何が悲しくて10月末の寒い校舎の中で裸祭りしなきゃならないのよ。っていうかこれ葦原先輩の投書じゃね?」

「『購買に売ってる焼きそばメロンパンの入荷数を増やしてくれ』という要望が来てるが」

「あのゲテモノ好きなのなんて葦原先輩と1年の加藤くらいでしょ。その2人が買い占めてるんだからその2人と協議して。っていうかそれ葦原先輩の投書じゃね?」

「あと『制服の冬服は暑すぎるからデザインの新調を求める』ってのが――」

「それ葦原先輩の投書じゃね?」


 空になったいちごミルクの紙パックを膨らませながらバッサリと切り捨てる星野に、霜山は軽く口笛を吹いた。そろそろうちの高校の目安箱にも、筆跡鑑定で投書を弾く機能をつけたい。まだまだたくさんある同じ筆跡の投書を「検討中」の箱に放り込むと、机の上がだいぶすっきりした。


「次からは質問書だ。えー、『オアシスはいつ再結成しますか?』」

「その答えは眉毛のみぞ知る。次」

「『誰が永遠に生きたいと望むのでしょうか?』」

「オアシス。次」

「『時の止まった世界の中でべらべら会話するDIOと承太郎ってどうなってるんですか?』」

「スピードAってのはそういうことよ。次」

「『マリリン・マンソンの脱退したマリリン・マンソンはマリリン・マンソンと言えるのでしょうか?』」

「そういうことはトニー・アイオミに訊くべきね。次」

「『ピンヒールを履いた男性ロックスターにドキドキします。これって恋ですか?』」

「それはヒールが折れないかドキドキしてるのよ。吊り橋効果ね。次」

「『制服をデイヴィッド・ボウイ仕様に改造してもいいですか?』」

「左右に引っ張ったらパリっと脱げる制服を作れる裁縫技術かあったらその腕をもっと世のため人のために活かしなさい。次」

「『僕は全くモテません。どうすればこの高校でモテキが来ますか?』」

「モデルウォークの練習をするか、SOUL'd OUTを上手く歌えるようになることがモテキへの最短距離ね。次」

「『オジー・オズボーンはいつ来日しますか?』」

「カレーが食べたくなった時。ああもう!」


 ついに苛立ちがピークに達したのか、星野が机に突っ伏した。生徒会への質問書はまだまだ大量に届いているのだが、もう生徒会長の心労は限界だ。残りの紙の山を井上へ流し、霜山も伸びをする。


 生徒会長をラジオDJか何かと勘違いしている住川の生徒たちは、生徒会への質問箱に、いつも大喜利ばかり投稿する。まあ、こういう質問がたくさん来るというのは、学校が平和だということだ。90年代のオアシスブラー闘争のときなどは、質問箱自体が撤去されるほどに誹謗中傷が殺到したというから、現状の大喜利大会は悪いことでもない。それにこの質問書と答弁は娯楽の少ない高校生活における生徒たちの、小さな小さな楽しみなのだ。


 もちろん星野だって、それを理解している。彼女も1年生のときには、質問書を何度も何度も送って、毎月昇降口正面に張り出される葦原の回答を楽しみに待っていた。だから、自分も懸命にやっているのだ。往々にして懸命にやればやるほど疲れていくのが、こういうものだけど。


「ま、あんま煮詰まんなよ。質問書の数は人望の数だ。これがいっぱい来るってことは、おまえが好かれてるってことだぜ」

「霜山くんは三枚目なのに二枚目みたいな台詞を吐くよなぁ。そういうとこ尊敬するわ」

「なんだと。三枚目は余計だ三枚目は」

「そうですよ、オジー・オズボーンみたいに真面目に質疑応答しなくていいんですよ」

「おれはオジー・オズボーンの質疑応答に真面目さを感じたことはない。つーか井上、さっきから聞いてりゃおめーの価値観どーなってんだよ」


 井上を指差してむっと顔を顰めても、井上は涼しい顔で茶を飲むばかりだ。というか井上、仕事しろよ。なに優雅にティータイムしてんだよこいつ。


 テスト期間中の最終下校時間を示すチャイムが鳴る。ポニーテールから溢れる黒髪をかきあげて、「さて」と星野が席を立つ。彼女の丸く大きな瞳はいつだって大きな痣に彩られていて、彼女はそれを、誇りに思っている。


 幼い頃は、痣を憎く思わない日はなかった。髪を伸ばし、顔を隠して生きていた。そんな彼女を変えたのは、父親に手を引かれて嫌々行った、とあるロックバンドのライブだった。

 轟音と閃光と炎の吹き荒れるステージ。目まぐるしく移ろい降り注ぐ音楽の嵐。突き上げられる拳に叫び声。その最中で歌っていたバンドのヴォーカルは、ふとした瞬間に、アリーナの前列で立ち竦む幼い星野を見つけた。

そして彼はほんの僅かに驚いた後、にこりと微笑んで、自分の右目を指差し、唇だけで何かを囁いた。


――『おなじだね』


 絶対に聞こえるはずがないその囁きを、星野だけがはっきりと聞いていた。彼の右目の周りには、大きな黒い星のメイクがあった。


「さーて、わたしは放課後の見回りに行きますか。あ、そうだ。霜山くん、葦原先輩の宿題の進捗はどうだい」

「もうすぐ提出できる形になるぜ。卒業には間に合わないけど、卒業式くらいでは特例措置が出るかもな」


 星野へ向けて霜山が振るクリアファイルには、葦原が生徒会長を引退するまで秘密裏に尽力していた仕事が入っている。その表題は『制服自由選択制度の採用について』。シンプルな嘆願が数多くの署名と根拠に彩られたファイルの重さは、表には出さない葦原の想いの重さだ。霜山の答えに満足した星野は髪をかきあげ、クリップボードと鍵束を持つ。


「じゃ、20分後に校門でね。ダーリン」

「やめろや気持ちわりい」


 濁ったの窓からは透明な夕陽が流れ込んでくる。少し肩を竦めて軽く片目を瞑って見せる星野の顔には、やっぱり黒い痣があった。少し笑って手を振り返す霜山には、憧れと恋の違いがまだわからない。けれど、わからなくてもいいのだ。葦原のように青春の狂気に溺れるよりは、自分なりのやり方で青春を駆け抜けたい。


「ねえ井上くん、幽霊の話ってどうなったの?」

「オカ研に振りました。ただ、結果が出るかはどうも。そもそも幽霊自体の実在自体が微妙なところですしね」

「そうねえ。ま、なんとかなるでしょ。死んだ一般人より厄介なのは生きた不審者だし――」


 遠ざかる2人の声を聴きながら、霜山は天井の隅を見上げる。予感と不安に満ちたこの日々は、霜山にとって幸福な日々だった。


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