紫陽花に落ちた雨

 雪が溶けて太陽が空高く輝き始める頃、僕は何個ものつぼみをつける。もうすぐ僕の大好きな梅雨がやってくるから。蕾を大きく大きく膨らませて、大輪の花をいくつもひっそりと咲かせる。

 そう、「ひっそりと」がなんだ。紫陽花ぼくは綺麗な花壇なんかにいない。「あらこんなところに」って感じで、密かにいつの間にか咲いている。それがあじさい


 今年はもう、全然雨が降らなくて。真夏のような太陽が僕をじりじりと焼いていて。僕に似合う季節は一体どこへ行ってしまったのだろうって。そう思っていた頃、突然君が落ちてきた。


「止めて止めてー! あー! やーっと止まった」

って、一人で大騒ぎしているのだもの。僕の鼻先にいなくたって、僕はきっと君に気がついただろう。


「君は誰?」

と、僕が聞く。

「私は雨」

と、君は答える。


「僕の知ってる雨は、もっとたくさん大勢でやってくるよ。君ったら、一人ぼっちじゃないか」

「仕方がないじゃない。私だけ先に来ちゃったんだもの」

少しむくれた君が可愛くて、僕は何も言えなくなった。

「せっかく早く来たからね。居られるだけ居てやろうと思ってるのよ」

いたずらっ子のようにそう君が微笑んでから、僕の時間は水たまりに反射する光みたいにきらめいた。


 僕の脇腹をするりと滑る君はくすぐったかった。

 僕と君で夜空に光る星をいくつも数えた。

 僕が何色に咲くのかを君はすぐに話したがった。


 そうこうしている内に、僕は真っ青に染まっていって。どんどん小さな花びら達が開いていって。気がついたら君は、僕の背中にくっついていた。


 今にも、地面に落ちそうに。


「ねえ、僕、青色だったよ」

「うん、とても綺麗ね」

「ねえ、最後に君はどっちに賭けていたっけ?」

「どっちだったかな。忘れちゃったな」


「ねえ」

「うん?」

「行かないで」


 背中から、ふふふ、と君の笑う声が聞こえた。


「君ってば、みるみるうちに咲いちゃうんだもの。もうくっついていられないよ」


 僕は涙することもできなくて。またあのじりじりした太陽がやってきて、早く僕の中のお水を吸い取って行っちゃえばいいのにって思った。


「私はね、雨なんだよ。地面に落ちて、君の根っこからまたお空に帰るの」

「嫌だ」

「そういうものなの」


「行かないでよ。もう二度と君に逢えないなんて嫌だ」

「何言ってるの。落ちなきゃまた君に逢えないよ」

「こんな奇跡、もう起きないよ」

「だけど、お空に行かなきゃ、また落ちてこられない」


「君の力で、私をお空に戻して」

背中合わせの君が言った。


「本当に、また僕のところに来てくれる?」

「当たり前じゃない。何度だってチャレンジするわ」


 その言葉を最後に、君はするりと地面へと消えていった。

 僕の足元に、真っ直ぐに。

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