事の始まり、事の終わり

 暖炉にくべられた薪が小さな音を立て燃える。


 薄暗い部屋の中、暖炉の火が冬の陽に揺れる。整理された調度品の隅に飾られる、騎兵用に改造されたモリオン兜、古い刀傷が残る漆黒の胸甲、焼かれた騎士の家紋のタペストリーも、今は冬の陽に色を失っている。


 部屋の中で、女が小包みを開封する。

 小包みの中から一冊の手記が現れる。表紙はボロボロで、ところどころ血を拭ったような痕も残っているが、紙面には最後までびっしりと文字が書かれている。


 出会った頃、まだ何者でもなかった頃、この手記の送り主は言った──『天も、地も、人も、全てに仇なし、悉くを焼き尽くす』と。それが俺の生き方だと。


 女は椅子に腰かけると、揺らめく炎を眺めながら手記を読み始めた。



*****



 有史に記されし始まり……。かつて〈神の依り代たる十字架〉を信仰する者たちは、南の異教徒との〈古の聖戦〉に打ち勝ち、自らを〈教会〉と称して国家を樹立。その〈教会〉の説く偉大なる信仰は大陸に秩序と安寧をもたらし、王侯貴族から平民まで、人々は緩やかな平穏を謳歌していた。


 だが二百年ほど前、〈東の王プレスター・ジョン〉率いる東方騎馬民族が突如として大陸に襲来。のちに〈東からの災厄タタール〉と呼ばれる未曽有の戦災により、大陸は滅亡の淵に立たされた。


 そのとき、人々は〈神の依り代たる十字架〉の信仰の許、集い、団結し、立ち上がった。その先頭で導き手となった〈教会七聖女〉は、今では秘匿とされる大魔法、〈神の奇跡ソウル・ライク〉をもって〈東の王プレスター・ジョン〉と万余の蛮族を討ち払った。


 しかし、輝かしい伝承はその一篇で終わる。


 一方で、語られる災禍に終わりはなかった。

 〈東からの災厄タタール〉によって大陸東部は壊滅的な打撃を受けた。東部諸国は軒並み亡国と化し、文明は滅び去った。それに伴い発生した難民流入による食糧危機、異民族がもたらした疫病の大流行、自然災害による凶作と地殻変動、東部への再入植の失敗と、ありとあらゆる災禍の連鎖により、大陸の人口は激減した。

 〈教会〉の支配力、影響力も弱まった結果、各地の王侯貴族や有力者たちは群雄と化し、生き残るべく割拠した。そして残った土地を巡る領土紛争の末、数多の国が滅亡していった。

 死の危機に瀕した人々はやがて二つの勢力に糾合されていった。皇帝の専制政治により独力で〈東からの災厄タタール〉に対処した大陸北部の〈帝国〉と、のちに五大家と呼ばれる有力諸侯が信仰の許にまとまることで影響力を復権させた大陸中央部の〈教会〉である。

 そして〈東からの災厄タタール〉によって国が滅び、人々が死に絶え、誰もがこの世の滅びを予感する中でも、残った両勢力は当然のように大陸の覇権を巡り争っていた。


 かねてより対立していた両国は、〈帝国〉による冒涜的殺戮、〈黒い安息日ブラック・サバス〉をきっかけに本格的な戦争状態に突入した。


 すぐに〈黒い安息日ブラック・サバス〉に対する報復攻撃、教会遠征軍による帝国領への〈第六聖女遠征〉が始まった。

 〈教会〉の国家元首である教皇の名代、〈教会七聖女〉の一人である第六聖女セレンを旗印とし、ヨハン・ロートリンゲン元帥を総指揮官とした総勢十五万の一大遠征に対し、〈帝国〉の皇帝グスタフ三世は、彼我の国力差を物ともせず、五万足らずの兵力でそれを迎え撃った。

 二度の大会戦ののち、教会遠征軍はこの地で果てた。北部は多大な損害を被りはしたが、しかし〈帝国〉は戦争に勝利した……。



*****



 女は手記を読み終えると、部屋を出て、玄関へと足を向けた。


 外は、家も、街も、人も、何もかもが白く染まっていた。

 降り続く雪が色のない冬の陽に揺らめく。雪の中、女は門の軒先から覗く街路を見つめながら、首から下げる十字架のペンダントを握り締めた。


 女は待った──。


 手記を寄こした夫、焼かれた騎士の家紋を戴く、騎士殺しの黒騎士を。

 子のいない夫婦が実の子同然に育てた、帝国騎士を目指す、逞しき少年を。


 心無い者たちに騎士殺しの黒騎士などと嘲笑され、蔑視され、それでも騎兵隊長として〈帝国〉に生きる夫が、出立のときと同じような笑顔で帰ってくるのを待った。

 蛮族である〈東の王プレスター・ジョン〉の末裔という呪われた出自と、まともに育てようとさえしない実の両親に悩まされながらも、ひたむきに道を切り拓こうとする少年が、出立のときよりも成長した姿で帰ってくるのを待った。


 女は願った。愛する二人が、共に帰ってくることを。


 これは神に見捨てられた地、緩やかに終焉に向かう大陸の日常。〈教会〉が〈北部再教化戦争〉と呼び、〈帝国〉が〈大祖国戦争〉と呼んだ争いの末の、一つの終着点である。


 冬の虚空は何も語らず、ただ静かに、大地を雪の白に染める。


 やがて全ては、冬の色に消えていく。

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