第3話 愚民どもに英知を!

 私は教訓を得た。

 この小さな島国の歴史など変えても世界は変わらないし、我が日本国にはそんな力も無い。この東アジアに寄るべき大樹があるとすれば、それは中国をおいて他にはない。私の専門は東アジア史だ。東アジア史を変えることによって世界を変えるのだ。

 思えば、近代以降の東アジアの歴史は悲壮だ。西欧列強の植民地化の圧力に抗して長い混乱の時代を辿らなくてはならなかった。唯一、近代化に成功した日本でさえ、押し寄せる列強へのヒステリックな反応から軍部の暴走を招き、泥沼の戦争にはまり込むことになったのだ。その傷は、いまもアジア諸国の日本への反発として残っている。

 この歴史を書き換えるには、中華帝国の迅速な近代化によって東アジア世界の強化を図るしかない。そして中華帝国の近代化を補完できるのは、明治維新を成し遂げた日本国だけだ。

 十六世紀において中華文明と日本人の幸せな結婚を演出するのだ。さすれば東アジアが世界を制覇することも夢ではない。

 「中華帝国よ、大いなる近代化をもって西欧列強を退けるのだ。」

 私は「東アジアにおける近代の可能性について」と題する論文を書き上げた。


 この論文は私の意図とは違うところで、東アジアを震撼せしめた。中国・韓国など周辺諸国から凄まじい非難を受けることになったのだ。

 そうだ、他人を笑っていられない。私にはどこか政治感覚が欠いている。

 おそらく私を非難している連中は私の論文の冒頭部しか読んでいないに違いない。最後まで読めば、私の本来の趣旨が理解されたはずだ。

 確かに、この論文の冒頭部はまずい。

 豊臣秀吉の軍団が、朝鮮半島を制圧し、勢いに乗って中国本土に入り、明帝国を滅ぼし王朝を建てる。要約すれば、そういうことが書いてある。

 朝鮮半島の国々からは猛烈な抗議の嵐が吹き荒れ、中国では反日暴動が巻き起こった

 私は事態を沈静化するべく努めた。

 論文の意図を説明し、最後まで読んでもらうことを訴えた。

 中国や韓国のメディアにもすすんで出演したが、誰も私の話をまともに聞こうとしなかった。彼らは私に偏向歴史学者とか、再軍備推進主義者とか、軍国的ナショナリストとか様々な烙印を押し、ひたすら低姿勢で説得に努める私を罵倒した。

 私の中で何かが「ぼきっ」と折れた。韓国でのテレビ出演中に私はついに爆発した。

 「愚民ども、愚民ども、愚民ども! おまえらに英知を与えてやろうとするに何故分からん!」


 私の姿は滑稽だっただろう。日本政府は拉致同然に私を召還し、半ば軟禁状態にした。一流ホテルのスイートルームで私は嵐が去るのを待つことになった。ルーム・サービスは全て無料。請求書はすべて外務省にまわされた。

 昼間からフランス料理のフルコースをオーダーし、高級ワインをがぶ飲みしてやった。


 その間、世間では私の「愚民ども」発言が痛快な出来事として語られていた。

「愚民ども!」は、その年の流行語大賞を受賞したが、その授賞式に私の姿はなかった。

 ナショナリストたちは私を祀り上げ、愛国的歴史学者の称号を贈った。

 おまえたちこそ私の論文を最後まで読み、その意図するところをじっくり考えてみろ。私を暗殺したくなるはずだ。

 私は吉田松陰の辞世の句を思い出していた。松陰もまた、誰にも理解されることなく志半ばで生涯を終えた。

 「身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし東アジア魂」だ。コノヤロー!


 東京の大学を追われた私に行き場を与えてくれたのは、ナショナリストの親玉みたいな爺さんだった。

 山鹿信輔といえば政界や財界にも顔がきくそうだ。ナショナリストらしく明治の元勲みたいな髭をたくわえている。

 私は山鹿翁が創設した山陰地方の小さな大学に招かれたのだった。

 「大和魂を教育の根幹とし、憂国の士を育てる」

 というユニークな教育方針を謳う大学だったが、その実態は入学希望者さえ集まらず、経営に苦慮した揚句に、中国人留学生を大量に受け入れた日本語学校のようなところだった。

 大学の屋上からは日本海が見渡せた。晴れた日には中国大陸が蜃気楼のように浮かび上がる。

 私は毎日、十六世紀の東アジアの海を想像しながら無聊を慰めた。

 


 あの大騒ぎが人々の記憶から消え、学界が私のことなど忘れ去った頃、私はひとりの女性の訪問を受けた。

 名は紅艶こうえん

 中国人の歴史学者で日本史を専攻としているという。

 あきらかに偽名だろう。女優か女スパイでもなければ、こんな派手な名前は使わない。

 若く装おっているが、齢のころは三十台半ばというところだろうか。私は目じりの小皺からそう推測した。

 ひっつめた髪が清潔感を感じさせる。それに完璧な化粧をしている。確かに美人の部類に入る顔立ちだ。

 彼女は流暢というよりも美しい日本語を話した。それは日本の女たちが遠い昔に忘れ去った類の美しさであり、優雅な響きをもって私を魅了した。

 正直いって、魅力的な女性だ。

 果たして彼女は中国政府のエージェントであった。彼女は最初にそのことを明かした後、私の論文に論評を加えた。そのひとつひとつが的確であり、私は初めて理解者を得たような気がした。

 彼女はいくつかの質問をし、私は答えた。こんなにも充実した時間は何年ぶりだろう。

 そして、彼女は本題をきりだした。

 中国政府が歴史介入実験に私の論文を使おうとしている旨を告げたのだ。


 私は耳を疑った。

 「いえ、先生のおっしゃるとおりです。間違いはございませんわ。」

 彼女は驚くほど冷静な声で答えた。その冷静さが私を苛立たせた。

 私は少し語気を荒げた。

 「また反日暴動が起きるんじゃないですか。もう、あんな目にあうのはごめんです。全てとは言わないが、私は大切なものを失ってしまった。」

 「失ったものは、取り戻せばいいだけのことですわ。それに、先生にはそれがお出来になる。」

 「ほう、中国共産党が私の誇りと生き甲斐を取り戻してくださるとおっしゃるか。」

 「先生のお心次第ですわ。」

 「あの忌まわしい論文をいまさらほじくり返して、あなたがたは私に何をせよとおっしゃるか。」

 「先生の論文を私たちは正しく理解しておりますわ。これは東アジアに住む全ての民族にとって有益な歴史を生み出しますもの。」

 「そんなことは私がいちばん理解している。中国政府がそれを容認したとしてもだ、日本人が中国を侵略するとなれば、中国の大衆が黙ってはいないでしょう。」

 「東アジア史がご専門の先生のお言葉とは思えませんわ。中国には大衆などというものは存在しません。昔も、今も。政府が決定すれば誰も異を唱えることなどできませんわ。」

 彼女の断定口調に私は押され気味だ。ここは大人の貫禄で彼女をたしなめるように話すべきだ。

 「そうはっきり言われると反論できませんな。しかし百歩譲って中国に大衆がいなくとも、日本には存在しますよ。」

 「そうですわね。でも、豊臣秀吉のからりが成功する歴史はきっと日本の大衆のお気に召しますわ。これほどナショナリズムをくすぐられることはないはずです。」

 「確かにそうかもしれません。だが、あなたがたは大衆というものを少々馬鹿にしすぎていませんか。」

 「日本人が大衆を過信しすぎているだけですわ。先生の論文をろくに読みもせず葬り去ったのはその大衆ですのよ。」

 「しかし、あなたがたの国が十六世紀とはいえ、日本の兵に蹂躙されるのですよ。」

 「二十世紀に近代兵器をもって蹂躙されるより遥かにマシですわ。」

 確かに正論だ。だが、私は旧日本軍の中国における侵略には慎重な立場をとっていた。いや、むしろ否定的だったというほうが正しい。なのに、あんな論文を書いてしまったのは何故か?

 彼女は私の心の矛盾点を突いているのだ。

 「いう言葉もありませんな。実をいうと私は思い悩んでいたのです。東アジア全体の為とはいえ、日本が朝鮮半島や中国を侵略していいという道理はありません。」

 「先生のお言葉とは思えませんわ。先生は論文のなかで書いておられました。明帝国を滅ぼしたのは異民族である満州族が立てた清であると。満州族が日本人に代わるだけで、中華が異民族の支配を受けることに変わりはありませんわ。」

 「やれやれ、漢民族というのはドラスティックな民族ですな。」

 「中国人といっても漢民族だけじゃありませんわ。清は満州族、元もモンゴル人が建てた王朝です。昔の日本人が中国を指す名称として用いる「から」という言葉の元になった唐王朝だって鮮卑族の血が色濃い王朝ですのよ。日本人だって中華文明の力を使えば世界史に大きく貢献できるはずですわ。」

 「中華文明の恐ろしいところはそこですよ。唐は鮮卑族の建てた北魏の流れに生まれた王朝です。満州族は清を建て、漢民族を支配したはずです。ところが逆に鮮卑族や満州族のアイデンティティーは希薄になり、中華文明に乗っ取られたかたちです。」

 「先生のおっしゃりたいことは分かりますわ。中華というのは民族の名前ではなく文明の名前です。中華文明は自分たちを支配した異民族の文化でさえも吸収して中華世界を押し広げてきたのですわ。」

 「中原に発生した中華文明は、春秋戦国期に誕生した周辺の王朝によってその世界を拡大しました。南方では楚や呉、越が、西方では秦がそうですな。名目上の盟主とはいえ中原の周王朝からすれば蛮族です。しかし、中華に最初の帝国を築いたのは秦でした。」

 中原とは黄河流域に広がる広大な平原を指す言葉である。黄河文明の故郷であり、各王朝が都を置いた中華文明の中心なのだ。天下の覇権を争うことを「中原に鹿を追う」というのも、ここに権力の象徴があるとされるからだ。

 「三国志の時代の後には五胡と呼ばれる五つの異民族が入り乱れて王朝を建てましたわ。先生がおっしゃった北魏は南北朝の時代の北朝を代表する王朝です。北魏には鮮卑族だけでなく北方の遊牧民族の血が様々な形で入っています。それを受け継いだからこそ唐が世界帝国に成長していく事ができたのですわ。」

 「しかし、日本だけは海に隔てられていたために、中華文明との接触が希薄だったわけだ。漢字や儒教といった文物だけを一方的に受け入れた感じですな。」

 「日本人は外から来るものはどんどん受け入れるのに、外に出て行くことが苦手な民族ですわ。昔も、今も。」

 「そうかも知れません。私を含めてね。」

 「もし日本人の貪欲な吸収力があれば、中華文明は近代化にいち早く対応できたかもしれませんわ。」

 「なるほど。西欧列強の外圧にいちはやく対応して近代化を成し遂げた日本人の適応力を中華の文明の中枢に取り込んでおく。私の論文の趣旨をよく理解されているわけだ。」

 「それこそが東アジアの迅速な近代化にとって必要な条件だと私たちも判断しているのですわ。」

 彼女は言い切った。そうだ、それは私が論文に書いたことなのだ。

 なんだか自分が自分に説得されているような気がしてきた。

 中華文明と日本人の持つ適応力の幸せな結婚が私の論文の趣旨なのだ。誰にも理解されなかったはずの論文を、こうも正しく理解してくれている。そのことがただ嬉しかった。

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