盈盈一水 静寂の返信(一部)

【七月十七日 静寂より手鞠への手紙】



前略 手紙を有難う。此方こちらこそ突然の訪問失礼しました。

 ワッフルは友人に差し入れようと買い求めたのですが、男同士の集まりにワッフルでもないだろうと思い直し余っただけです。

 いや、余り物を処分したかったわけではなく、食べて欲しいと思ったのは事実で、だけど

(廃棄)



 *



前略 手紙を有難う。此方こそ突然の訪問失礼しました。

 ワッフルは偶然にも沢山頂いたので、そのお裾分けです。喜んでもらえて良かった。

 初めて会った時名乗らなかったのは、もう少し貴女の話を聞いてみたかったからです。からかったつもりはありません。

 身体はどこも痛くありません。男を背負うことに比べれば、女性はふわふわと柔らかく、

(廃棄)



 *



前略 手紙を有難う。

 ワッフルも気に入ってもらえて良かった。

 身体はどこも痛くない。

 相手が貴女に変わったことも不愉快とは思っていない。

 会いに行ったのは気紛れではない。

 お姉さんの方が良かったなどとは思わない。

 手紙は待ってます。

草々


大正九年七月十七日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿

(未投函)




【七月二十三日 静寂より手鞠への手紙】



前略 手紙を有難う。なかなか返信できずに申し訳ありません。

 友達と楽しそうに話す貴女が目に浮かぶようです。私と初めて会った折も、貴女は実に楽しそうに話していました。私は大した返答も出来なかったけれど、自分と同じ名の花を弄ぶ姿を見ているだけで

(廃棄)



 *




前略 手紙を有難う。なかなか返信できずに申し訳ありません。

 楽しそうな様子が目に浮かびます。

 アイスクリームが好きなのですね。貴女のアイスクリームは、きっと泥棒が盗んでいるに違いありません。その様子を是非見てみたいものです。

(廃棄)




【七月二十九日 静寂より手鞠への手紙】



前略 先日の夕立は激しいものでしたが、私は丁度図書館に居て、雨には当たっておりません。お気遣い有難う。

 ページめくる音が聞こえなくなる程の雨だったので、貴女はもう家に着いただろうかと考えていました。濡れずに済んで良かった。

 呉服屋に生まれた身として、着物を大切に着てもらえることは嬉しいですが、確かにお姉さんと貴女では似合うものも違うでしょう。

 貴女なら柄よりも色の鮮やかさが目立つものの方が良いと思います。色も紫や紅のように重いものでなく、明るく優しいもの。賑やかに動く人だから、その動きに添うように柔らかく軽い生地が良いと思う。縮緬でも良いけれど、今の季節なら麻ではなく、クレープやジョーゼット

(廃棄)




【八月七日 静寂より手鞠への手紙】



前略 手紙を有難う。なかなか返事を書けずに申し訳ありません。

 文学の勉強をしていながら、私は手紙が苦手で、貴女のように次々と思い浮かびません。

 しかし、貰う手紙は楽しく拝読しています。アイスクリームも夕立も、洗濯でさえも、貴女から聞くと大変良いものに思えます。毎日が楽しそうで良かった。

 また手紙をください。

草々


大正九年八月七日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【八月十三日 静寂より手鞠への手紙】



前略 此方こそ顔合わせでは不愉快な思いをさせてしまったと思います。申し訳ありません。

 ところで、手紙に「奇妙奇天烈な恋文を目にした」と有りましたが、それは一体どなたから貰った物なのですか? 最近でしょうか? お返事はされましたか? もし、未だその男性と関わりが有るのなら、きっぱりと縁を切って頂きたい。婚約した身として、その位は当然です。

(廃棄)



 *




前略 此方こそ顔合わせでは上手くお話できず申し訳ありませんでした。

 両親の失礼な物言いについても、重ねてお詫びします。技量や所作の優劣を比べるのは、従業員の能力を量る時であって、妻に求めるものではない。私は貴女が河童でも虫でも構いません。

 ところで、貴女が見た「奇妙奇天烈な恋文」とは、やはり貴女に宛てた物なのでしょうか? そうだとして、そんなに妙な手紙を書く人とは、距離を持った方が賢明だと思う。如何に美辞麗句が並べられていても、決して惑わされてはいけません。手紙を上手に書ける人にろくな人間は居ません。

 御自分で処分するのが気が引けるのであれば、私の方で処分いたしましょう。

(廃棄)



 *




前略 此方こそ顔合わせでは失礼しました。私も改まった席には慣れておらず、上手くお話出来ず申し訳ありませんでした。

 両親の非礼についても重ねてお詫びします。蘭さんに限らず、他の誰かより貴女が劣っているなどと私は思いません。どうかお気になさらぬよう。

 ところで前回の手紙に恋文の事が有りましたが、それは貴女が貰った物ですか? 気になるという程の事では無いが、そこの説明が少し不明瞭だったので。

 手紙もこれまで通り、貴女が見た事感じた事を自由に書いてください。楽しみにしているので。

 胡瓜は瑞々しくて夏には良いと思います。とは言え毎日では大変ですね。花嫁が河童でも、それが貴女なら私は構いませんので、体調だけは崩されぬよう気を付けて。

草々


大正九年八月十三日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【九月十四日 静寂より手鞠への手紙】



前略 何時も手紙の内容は勿論、綺麗な便箋も楽しませてもらっています。

 英さんの事ですが、御礼は遠慮させてもらいます。英家に対して、私の両親は蘭さんの事で多少思うところがある上に、何か頂くと両親に説明しなければならないので、御厚意だけ頂戴します。

 ところで、貴女は菊田さんのどんな所が「素敵」だと思ったのだろうか。その説明が無かったので、

(廃棄)



 *




前略 何時も綺麗な便箋を選んでくれて有難う。楽しませてもらっています。

 英さんの御厚意は有難いのですが、両親が余計な詮索をするので遠慮させてもらいます。

 菊田さんは英明であり、容貌も優れていますが、それ以上に人として好感の持てる御仁です。私も見習いたいと思う所が沢山ある。貴女もやはり、菊田さんの様な男性が良いと思うのでしょうか?

(廃棄)



 *




前略 何時も手紙を有難う。一生懸命選んでくれる綺麗な便箋も楽しみの一つです。

 英さんの事ですが、両親が余計な詮索をするといけないので、御厚意だけ頂いておきます。

 菊田さんは男の私から見ても立派な人です。お役に立てて良かった。

 私も茄子は焼いた方が好きですが、貴女の話を聞くと煮た茄子も大変美味しそうに思えます。秋は食の楽しみが多くて良いですね。

草々


大正九年九月十四日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【九月十八日 静寂より手鞠への手紙】


拝復 此方も野分の影響はほとんど無く、電車が止まって学校に遅れた程度です。

 家も店も無事で、二軒隣の酒屋の看板が傾いた事と、向かいの家で出しっ放しにしていた桶が失くなったとかなんとか。かく、どこも問題ありません。

 植木鉢を避難させていた女性を手伝いながら、貴女のことを考えていました。濡れたり、怪我をしたり、帰れなくなったりしていないだろうかと。こんな時手紙ではもどかしいものです。

(廃棄)



 *



拝復 此方は野分の影響は殆ど無く、近所でも被害は少ないようです。電車が止まって学校に遅れましたが、それも問題ありません。

 貴女が無事で良かった。

 運動会は残念でしたね。貴女の脚は程好く筋肉が付いていたので、きっと俊敏な動きが出来るだろうと以前から思って

(廃棄)



 *



拝復 此方は野分の影響は殆どありません。運動会は残念でしたが、何より貴女が無事で良かった。

 英さんのお気遣い痛み入ります。それでは遠慮なく、御言葉に甘えたいと思います。

 来週迄少し立て込んで居るので、十月三日は如何でしょうか。

 餡はこし餡が好きです。

拝答


大正九年九月十八日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【十月三日 静寂より手鞠への手紙】



前略 今日はあのような事をしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。貴女を傷付けたかと思うと、後悔ばかりが私を苛みます。

 いや、後悔ばかりかと言うとそうでも無く、貴女を傷つけた事は後悔しているけれど、した事自体に後悔は無くて、

(廃棄)



 *




前略 今日は貴女を傷付けるようなことばかりしてしまい、申し訳ありませんでした。反省しています。

 貴女以外の人にどれ程の魅力が有ろうが、私には関わりの無い事です。好みだろうが、好みでなかろうが、貴女を好きになることには関係無い。何故それが伝わらないのかともどかしく、つい

(廃棄)



 *




前略 今日は楽しい時間を有難う。貴女の大切な御友人に会えて良かった。御二人にも御礼を伝えてください。

 また、貴女の気持ちも考えず強引な行動に出てしまい、本当に申し訳ありませんでした。英さんも滝口さんも楽しい方だとは思いますが、貴女と並べて考えた事など有りません。

 滝口さんに「手鞠さんは御好みの女性でしたか?」と訊かれた時の事ですが、「好み」などと考えた事が無かったので、それをそのまま口にしてしまいました。

 例えば私は手鞠さんの笑った顔や素直な所を好ましく思っておりますし、歌うような足取りも少し行儀の悪い所も可愛らしいと思っていますが、笑顔が素敵で素直で行儀の悪い歌うような足取りの別人が居たとして、その人を好きになるとは思えないのです。また以前から「笑顔が素敵で素直で行儀の悪い歌うような足取りの人が好みだ」と考えていた訳でも有りません。ですからやはり「好み」という言葉は適切では無い

(廃棄)



 *




前略 今日は楽しい時間を有難う。御汁粉も大変美味しかった。御二人にも御礼を伝えてください。

 帰り際の事ですが、貴女の気持ちも考えず強引な行動に出てしまった事は、本当に申し訳ありませんでした。貴女を怖がらせ傷付けてしまい、とても反省しています。

 「好みではない」と言った事にも大きな誤解が有ります。私にとって好みかそうでないかは問題では無いという意味なのですが、上手くお伝えできませんでした。

 本当に本当に申し訳ありませんでした。

草々


大正九年十月三日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【十月九日 静寂より手鞠への手紙】



前略 手紙の返事が無い事が、これ程不安だとは思いませんでした。今迄忙しさを理由に滅多に返事を出さずに申し訳なかった。

 また、先日の事ですが、やはり貴女を深く傷付けていたのですね。涙目で走り去る貴女の姿が頭を離れません。

 本当に本当に申し訳ありませんでした。二度とあのような振る舞いはしませんので、どうか許して欲しい。

 また「好みではない」というのは、「好きではない」という意味では有りません。私にとって、貴女は貴女で有るだけで十分なのです。

 このまま婚約まで解消されるのではないかと、毎日不安で

(廃棄)



 *




前略 先日の事は本当に●●■◆♯♯♯♯♯●■■▼■♯●◆▼■●■◆■●■■■●●●◆◆▼■●▲■♯♯♯▲▲●◆▲♯■▼■●■▼♯■●▲▲▲●♯●●◆♯■▼■♯♯■■■

(廃棄)



 *




前略 これまで沢山手紙を貰っていたのに、滅多に返せず申し訳なかった。返事が無いというのは心許ないものですね。

 それも全て私のした手荒な振る舞いと言葉の足りなさの所為だと解っています。本当に申し訳ありませんでした。

 英さんも滝口さんも楽しい方で、貴女が言うように魅力の有る女性だとは思いますが、私には貴女の友人という以外何者でも有りません。

 また私にとって、貴女は「好み」などという枠組みで考える人では無いのです。その事を伝えたかっただけなのですが、やはり上手く言葉に出来ず、もどかしさから突然の行動に出てしまいました。その結果余計に貴女を傷付け、怒らせてしまいました。

 本当に申し訳ない。二度と強引な事はしないと約束するので許して欲しい。

 どうかまた手紙をください。

草々


大正九年十月九日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【十二月二十日 静寂より手鞠への手紙】



前略 なかなか返事を出せなくて、本当に申し訳ありません。どうしたら良いのか私もずっと悩んでいました。

 幼い頃、私は兄の存在に救われました。この家で私を可愛がってくれたのは兄だけだったのです。兄を助ける為ならどんな事でもするつもりで生きて来て、その気持ちに変わりはありません。

 兄が帰って来た事は大変嬉しい。店にも未練は無い。只、貴女の事だけはどうしても

(廃棄)



 *



一筆啓上 非常に申し上げ難い事ながら、私はほっとしています。この結婚には最初からどうしても前向きになれなかったのです。

 実は私には他に想う人が有ります。美しく落ち着いていて、料理も裁縫も得意な素晴らしい女性です。

(廃棄)



 *



 私と一緒に逃げますか?

(廃棄)



 *




前略 貴女には申し訳ないけれど、私はほっとしています。店の跡を継ぐ事も結婚する事も、最初から本意では無かったのです。ようやく落ち着いて勉強に取り組めるようになったので、欧州の情勢次第では何年か留学する事も考えてみたいのです。ですから私に対する気兼ねは必要ありません。

 お姉さんの結婚を見て、貴女は自由恋愛に憧れていたでしょう。そんな時期に折良く私が現れたから、錯覚してしまったのだと思う。分かっていて私はそれを利用しようとした。始めから兄が相手だったなら、きっと貴女は兄に恋をした筈です。

 兄は良く働き、他者を思い遣り、家族を大切に出来る人です。また今回の渡欧の事でも分かるように本当に生地や着物、服が好きで、当店の事に止まらず、良い物を世に広めて行きたいという気概を持っています。それもただの願望ではなく、成し遂げる行動力も才覚もある人なのです。人脈も広い。私が漫然と店を預かるより、兄が継いだ方が如何に有益かなど、説明するまでも無いでしょう。そんな兄にどうか力を貸してやって欲しい。

 当家の事情で貴女を振り回して、本当に申し訳ありません。どうか幸せになってください。

草々


大正九年十二月二十日

久里原 静寂

春日井 手鞠殿




【十二月二十四日 静寂より手鞠への手紙】


 あの春の夕暮れ、我が家の塀の上で、貴女は群がり咲く小手鞠の花蔭に身を寄せて居た。その隣で私は、我が身の運の無さをつくづく嘆いていました。なぜ私の相手は貴女ではなかったのか、と。

 だから貴女を許嫁いいなずけと呼べるようになって、本当ならすぐにでも迎えに行きたい位だったのに、そんな態度をあからさまにする訳にいかず、何時もつまらぬ言い訳ばかり並べてしまった。後悔しています。

 初めて会った日に貴女を抱き上げた時の、衣擦れの音さえ忘れられないのに、貴女を忘れる事など出来ないでしょう。これは運の無さではなく、恩ある兄の戻りを待たず欲を出した罰だと思う。

 しがらみも過去も何もかも、届かない世界に二人で逃げられたら、と何度も考えた。けれど、貴女にそんな閉ざされた世界は似合わない。太陽が草の呼吸を誘うような、風が花々を渡って行くようなこの場所と、地続きで生きていて欲しい。大切な家族や友人と、暑さも寒さも分け合って笑い合う貴女が良い。

 だから、貴女と兄の結婚を見届けたら、私はこの家を出ます。貴女の手紙を全て持って。戻るつもりは有りません。

 自惚れて言わせて貰えば、貴女は今泣いているのではないかと思う。貴女が私に向けてくれたその気持ちは、痛みを伴う程に嬉しかった。

 だけどどうか私の事など綺麗さっぱり忘れて欲しい。私の為にに辛い思いをして欲しくない。幸せになって欲しいのです。何時も笑っていてください。

 さようなら。


大正九年十二月二十四日

久里原 静寂

愛する手鞠殿

(未投函)


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