Ep.4 茶葉を求めて――。

 暗闇が広がる森の中、茂みをかき分け林を抜けた先のさらに奥に精霊たちが住まう巨大な樹がある。


 “精霊樹”。樹齢何千年と過ぎた大木を精霊たちが住みかとすることでその力を宿し、精霊の光を帯びた聖なる樹。その樹の内には計り知れない程の命の力が流れており、樹皮や樹蜜には万能薬としての効能があると謳われている。また果実の生る樹であったならばその実はこの世の美味とされ、偏屈な人間の世ではおとぎ話の類でそう語り継がれている。


 そんな精霊樹の一つ、“ 黒茂クロシゲリノ森”の奥深くに生えた精霊樹の根本には、樹と一体になるように建てられた屋敷の住人が今日もまた日常を迎えている。


「……ん? 誰だ私の噂をしているのは?」


「どうされました? ベルガモット殿」


 不意に何かの気配を感じた彼はきょろきょろと部屋の中を見回した。見れば部屋の隅に備え付けられた窓から妖精の数匹がこちらを覗いていることに気が付く。


 妖精たちは目が合うと驚いた様子を見せたかと思いきや、すぐさまその可愛らしい顔を邪悪に歪ませ、こちらに対して舌を出しながらぴゅっと飛び去って行った。


「全く、あきらめの悪い奴らだ。今度はその命を吸い取ってやろうか……」


「ベルガモット殿?」


「あぁすまない。こちらの話だ。前の住人が“家”を返せとこの頃うるさくてね。私の安眠も邪魔されてしまうのだよ」


「そうなのですか。どうりで。それで今日はお体の調子がよろしくないのですね」


 目の前で少しふら付きを見せる彼の姿を見つめながら、赤いキノコの傘を生やした老人が心配した様子で頭を傾げる。


「いやこれは……。まぁ、どうだろうな。そうなのかもしれない。すまないな、折角良い薬を提供してくれているのに無駄に使うようにしてしまって」


 彼がそう話すと、老人はほっほっ、と柔らかに笑う。


「いえいえ、使っていただけているという事が私にとっての幸いなのですから。何も悪く思う事はありません。それよりも、薬の効き目が悪いのであればもう一つ違う種類をお出ししましょうか?」


 老人は背中に抱えた大きな茶色い鞄に短い手を突っ込むと、紫色に光る液体の入った小さな瓶を彼の前に見えるように取り出した。その小瓶の液体を目にした彼が興味深そうに声を漏らす。


「ほう……。また珍しいモノを持っているな。何から抽出したものだ?」


「ここより遥かに離れた南の大地にて生える紅い花の針より採取しました。現地の者に聞いたところによりますれば、見事な巨獣の一匹を深い眠りに落とすのだとか。名は……なんだったか、あまり覚えてはおりません」


「おや、そこが知りたいというのに。……残念だな。薬ではなく、”茶”として使いたかった」


「あなたもお好きですね。私も茶を嗜むのは好きですが、やはりあなたの“それ”には負ける」


 老人はそう言い、肩をすぼめてキノコの傘を小さく震わせる。


「はははっ。まぁ、私のように泥酔した者はそうおらんだろうな。だが、分野で見れば私と似た者は他に何人か知っている。彼らの趣味には関わりたいとは思わないがね」


「古い知り合いの方ですか?」


「そうだな。もう知り合いとは呼べないかもしれないが、私の顔は覚えているだろう」


 彼は顎に手を当てて、何かを思い出すように虚空を眺める。そんな彼の姿を、老人も不思議そうに体を傾げてじっと見つめた。


「……うむ。すまない、話が長くなったな。その薬を貰うよ。個人的にその花の汁はとても興味があるのだが……数は少ないのだろう?」


「そうですね……。その地でも花の汁は重宝されるものでしたので、数には限りがございます」


「そうか……。ならば仕方がないな。物は試しで一つ貰おう」


「畏まりました。いつもお買い求めていただきありがとうございます」


「いや、こちらこそ」


 老人は茶色い封筒のような袋に小瓶を入れ、手際よく包装するとそれを彼の前に差し出す。彼も待ってましたかと言わんばかりに懐から茶色い小包を取り出すと、それを老人に手渡し封筒を受け取った。


 互いの物を交換し終え、二人はそのまま屋敷の玄関へと足を運ぶ。重たい玄関の扉を彼が開き、老人は屋敷の外へと抜け出る。だが、何事か。扉を抜けて外へと出た老人は、玄関前の石畳の上でぴたりと動きを止めて彼に向かって振り返る。


「あなたの茶葉はおいしいので、この頃の私の楽しみなのです。今日も嗜みさせていただきます。ありがとうございました。ベルガモット殿」


「あぁ、私もさっそく今夜試してみるよ。ありがとう、クリントン」


 二人は丁寧なお辞儀を返しあう。それから老人、クリントンは頭上をまたぐ精霊樹の根っこを潜って、屋敷の外にのびる階段の道を降りていった。彼もクリントンが森に入って行くまで、その様子を静かに見届ける。そしてクリントンの後ろ姿が暗い木々の隙間に入っていった事を確認すると、彼は屋敷の中へと入り、いつものように玄関を固く閉じきった。


 大広間に戻ると彼は早速、さきほどクリントンより買い貰った封筒の包みを手早く開き、中の小瓶を取り出した。小瓶の側面を指でつまみ、瓶の中で波打つ液体を見つめる。


「ふむ、楽しみだな」


 小瓶を揺らして、中の液体を弄ぶ。そうして彼は鼻歌まじりに大広間に掛かる階段を上がって自室へと向かった。


 久しぶりに珍しい代物に出くわしたのだ。心躍らないわけがない。クリントンには薬として使うと彼は言ったが、そうそう手に入らないものを茶の材料にしないなどもったいない。と、彼の中の茶好・・きの心が“茶にしろ”とさっきから訴えかけてくる。


 薬として使いたい彼の心は“自重しろ”と言うが、結局、彼は茶好きにそそのかされて、せかせかと足取りを急ぐのだった。


 たどり着いた自室の扉を勢い良く開いて、彼は真っ暗な部屋の中へと入っていく。そのまま奥まで行くと、中央あたりの天井より吊り下げられたひもで括ってあるフラスコの側面をコツコツと指で叩いた。


 すると、どうだろうか。フラスコの中の真っ黒に染められていた液体が瞬く間に暖かな黄色に染まりあがり、ポッと光りだした。そして、フラスコの明かりが灯ると、彼の部屋に置かれた幾多もの“趣味”が黄色い光によって照らし出される。質良く乾燥された茶葉の一つずつを丁寧に入れた瓶の数々。それ以外にも、植物の根っこがびっしりと入れられている瓶から、何かの果実を乾燥させて入れた物までと、様々な種類が瓶に保管されている。そんな彼の”趣味”が棚という棚、置き場という置き場を空き無く埋め尽くしていた。


 彼は部屋の奥の壁に置かれた作業場の卓上に小瓶を優しく置いて、茶の支度にとりかかろうと手を動かした。


 だが、彼はすぐにあることに気が付きその手を止める。


「……む。毒霧草の茶葉がない」


 彼の視線の先、右上の棚に置かれた茶葉が入れられている瓶の一つが殆ど底を尽きた状態で置かれていた。彼は棚に手を伸ばしその瓶を取る。


「そんなに使っていただろうか……ん?」


 よく見れば棚の上に置かれている数本の瓶の中がかなり減った状態だ。どれも底より少し上に入っているか、もしくは同じように底を尽きかけているものがある。


「……また奴らの仕業か。まぁいい折角だ。材料を取ってくるついでに森の中を少々荒らしてやろう」


 彼は自らの顔を覆う布の隙間から鋭くぎらついた歯を見せ邪悪に笑う。そして、部屋の隅に掛けてあった茶革の肩掛け鞄を静かに取っていき部屋の中を後にした。


――この頃の妖精たちへの鬱憤も溜まっていたので彼らへの仕返しが楽しみだ。


 そんな事を考えながら、彼は鞄を肩に下げて準備を整えると、玄関の扉を固く閉じきり茶葉を求めて屋敷を出た。


 それから幾分か経ったのち。彼が屋敷を出てからしばらくして、精霊樹の周りに隠れていた妖精たちが彼の外出を伺うように屋敷周辺を飛び回っていた最中。


 ある一行が屋敷前にたどり着く。


「あ……! 見えたよ! あれが精霊樹?」


「そうそう、あれだよ。屋敷が見えるでしょ。あの屋敷にいまいまし……言ってたその人が住んでるんだ」


「へぇ……立派ね」


 暗い木々の間の茂みを掻き分けながら人間の少年と少女、そして少年の肩に乗った妖精が姿を現した。


To be continued.

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