10話「幸福と残酷な優しさ」






   10話「幸福と残酷な優しさ」






 何故、色にそんなことを言ってしまったのか。

 翠自身よくわからなかった。


 でも、どうしても我慢できなかったのだ。

 きっと彼に自分の気持ちがわかって欲しかったのだと、翠は思った。

 それが、用意していた言葉の逆の意味だったとしても。



 「ご、ごめんなさい。冷泉様。突然、こんなことを言ってしまって!」



 翠は今更ながら恥ずかしくなってしまい、色の両腕の挟まれながら、体をモゾモゾさせた。涙で濡れた頬や瞳をゴシゴシと手の甲で拭こうとする。 

 けれど、その前に色の「泣くな。」という言葉と共に優しく両手で顔を包み込まれ、指でそっと涙を、ぬぐってくれた。

 それが大切なものに触れるかのようなもので、翠は更にドキドキしてしまう。


 告白してからの、色の優しい様子に、翠は頭の中がパンクしそうになっていた。

 その恥ずかしさから、抜け出そうと体を起こそうとしたが、それも色によって阻まれてしまう。



 色の体温と、重さ、そして白檀の香り。

 首と畳の間に腕をまわして、色は翠の事を抱き締めていた。翠の視界には、綺麗な黒髪と天井が見える。

 なんで、抱き締められているのか、色はどうしてこんな事をするのか。

 どうしても、期待してしまう。



 「冷泉様?」


 

 長い間、彼は黙ってただ翠を抱き締めていた。翠は心配して彼の名前を呼んだ。すると、やっと彼は反応してくれた。

 名前を呼ぶと、色がゆっくりと顔を上げる。

 頭の横にあった、色の顔が目の前にきて、やっと彼の表情を見ることが出来た。


 色は、辛そうな顔をしていた。

 その表情を見ると、顔を背けたいのに見つめてしまう。その先が聞きたくない。でも、彼のその表情はあまりにも儚くて、そして綺麗すぎた。



 「……ごめん。」



 今のは言葉だったのだろうか。それぐらい、微かな声だった。

 告白を断る言葉なのに、彼の態度はとても優しく私の頭を撫で続けた。どうしてこんなにも、あやすように優しいのか。

 それは、自分が泣いているからだとわかるまでに、しばらく時間がかかった。



 「泣くな。」

 「………なんで優しくするんですか?」

 「…………。」

 「なんで、好きでもないのに、優しくしたり、キスしたりするんですか?私、期待してしまいます………。」

 「ごめん……。」



 翠は顔を覆いながら泣き続けた。

 翠の大好きな彼の香りと体温と優しさは、今は辛いだけだった。




 「好きなのかわからないけど、憧れてる人がいるんだ。今は、そいつしか考えられない。もう会えないと思ってるが、まだ忘れられない。」

 「…………。」

 「おまえと似てる気がしたんだ。あまり覚えてないから、よくわからないんだけどな。」



 色は、独り言のように呟いた。

 彼が自ら自分の事を話すのは珍しかった。


 ただその色が紡ぐ、優しくキラキラした言葉と瞳をみて、「あぁ。敵わないんだ。」と、彼にそんな顔をさせてる知らない誰かに嫉妬してしまう。


 それぐらいに、その人を想って話す色の顔は、希望に溢れていた。


 それでも、彼が好きでいてしまう自分を翠は執念深いのかなと、思ってしまう。本気で好きになると、諦められなくなってしまうのだろうか。


 色は「悪かったな。」と言いながら、腰支えて優しく起こしてくれた。グシャグシャになった顔を見られてしまうのは恥ずかく、そして、断られてしまった事で顔を見ることが出来なかった。

 


 「今日はもう止めにしよう。………本気で辞めたいなら辞めてもいい。」



 少し着崩れた着物を直しながら、色はそう言った。好きでもない女に告白されて、その人と二人きにりで過ごすのは、気まずいのかな、と翠は自分でも嫌になるぐらい卑屈な考えをしてしまっていた。



 「………冷泉様。私、冷泉様の迷惑にならない程度でいいので、一緒にいたいです。今まで以上に勉強して、冷泉様にいろいろ教えるので。やはり、辞めなくてもいいですか?」



 勢いよくそう言ってから翠は、少しだけ後悔した。

 断られた女なのに、未練がましく「会いたい。」と言うのは、彼も迷惑するだろう。バカな女だと思われるかもしれない。 

 それでも、まだ飽きられられないのだ。

 色に断られたる覚悟で言った言葉だった。


 けれど、返ってきたのは彼らしく言葉と優しさだった。



 「おまえは、我が儘な女だな。仕方がない………まぁ、俺も辞めさせるつもりはなかったからな。」



 いつものニヤリとした微笑みと俺様な言葉。

 久しぶりの表情と、隠された彼の本音に、安心してしまい、翠が泣くと「いい大人が泣き虫か。」と笑いながらまた、今度は少し乱暴に頭を撫でられた。

 色の優しさが嬉しくて、残酷で。翠はチクりと胸が痛くなった。









 その日は、家庭教師の時間はなく、すぐに車に乗せられた。いつものように、自宅まで送ってくれるのかと思ったが、目的地は違うようで、知らない道を車は走っていった。


 小さなレストランを入ろうとしていたので、「泣き顔では恥ずかしいです。」と、翠は断ったけれど、「個室だ。」と有無を言わせずに手首を掴まれて、またズルズルと引き面れるように店内に入った。


 イタリアンのレストランで、色は「ここのピザがうまいんだ。」と教えてくれた。ふたりで遅めの夕飯を食べ、いつもと少し雰囲気は違ってしまったが、言葉を交わした。


 家庭教師は、半分にして週3日にすることになった。そして、お互いに忙しい時は、無理はしないことにしたのだ。

 


 目の前には、大好きな人。

 けれど、告白しフラれた相手。そして、家庭教師である自分の生徒。

 そして、それもあと約1ヶ月の関係。


 

 そんな複雑な関係だけれど、翠は色が変わらずに愛しいと感じていた。

 一生懸命頑張って最後までギリシャ語を教えて、色にギリシャへの出店を叶えてもらいたい。

 そして、また彼との時間が最後の日に、もう一度気持ちを伝えよう。


 向かい側に座り、食後のコーヒーを優雅に飲んでいる、着物が似合う俺様で年上の彼に。

 翠はそう決心すると、色にバレないように、こっそりと微笑んだ。



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