26.北へ(3)

「――ソータ! 大事な話があるんだけど!」


 セッカが凄い勢いで荷台に駆けあがって来た。その振動に、俺は飛び起きてしまった。

 見ると、まだビキニのままだし濡れてビチャビチャだ。


「おい、冷えるぞ。早く、服を……」

「そんなのどうだっていいから!」

「よくねぇ! 俺は外に出るから、まず着替えろ!」


 俺は出入り口の布を跳ね除け、荷台から飛び降りた。

 見ると、外に立っていた水那もビチャビチャのままだ。


『水那も早く!』

『う……うん……』

「あ、そうだった! ごめんミズナ!」


 セッカが荷台から顔を出すと上がってきた水那を抱きしめた。


「冷やしちゃ大変! こっち! これこれ!」


 二人が慌ただしく荷台の奥に姿を消した。

 ……ったく……一体、何だってんだ……。


 しばらく経ってから、セッカが「ソータ、入って」と俺を呼んだ。

 さっきは妙に慌てていたが、だいぶん落ち着いたみたいだな。


 俺は溜息をつきながら荷台に上がった。中に入ると、服を着替えた二人がいた。

 そして水那は、なぜかセッカの陰に隠れるようにしている。


「何だ? どうした?」

「ミズナのことなんだけど」

「ん?」

「……気づいている?」

「何がだ?」


 頭を掻きながら水那を見る。水那は俯いたままなので、まったく目が合わない。


「思ったより厚着だな。寒くなるからか?」

「そうじゃなくて!」

 

 セッカがイライラしたようにドンと床を叩いた。


「何を怒ってるんだよ」

「ミズナは……お腹に赤ちゃんがいるの!」

「……は?」


 ぎょっとして水那の顔を見ると……今にも泣き出しそうな顔になっていた。


『ごめん……なさい……』

「……え?」

「もう! 本当に……!」


 セッカが腕を組んで俺を睨みつける。

 俺は水那を眺めながら……ぼんやりとセッカの言っていたことを繰り返していた。


 水那のお腹に……赤ちゃんがいる。

 ――ん? それって……あのときのか!?


『……えっ? 半年以上、経ってるぞ! 気づいてなかったのか!?』

『気づいてた、けど……。言え、なくて……』


 水那がポロっと涙をこぼした。


『――ごめん……!』


 俺は咄嗟に水那に謝った。

 ハールでゴタゴタしてた時期だったし……俺自身が水那と距離をとっていた時期でもあった。

 とてもじゃないけど、打ち明ける隙なんてなかったに違いない。

 ひょっとして、ずっと悩んでたんだろうか?


「……どういうことなの?」


 セッカがまるで水那の保護者のように俺に詰め寄る。

 水那は泣きながらセッカの腕を掴むと

「違う……。私、が、無理矢理……」

と掠れるような声で呟き、首を横に振った。


 水那の強制執行カンイグジェがきっかけといえばそうだけど、それは俺が躊躇していたからであって、水那は何も悪くない。

 だいたい……俺は、最終的にはそうなりたいと思っていた。順番が違っただけで。


 俺は慌てて

「いや、違う。俺が、仕方なく……」

と言いかけたが、

「仕方なくって何よ!」

とセッカがさらに怒り出した。


 ……いかん、言葉を間違えた。


「とにかく、説明するから!」


 何とかセッカをなだめる。そしてセッカの後ろにいる水那の方を見て

『泣くな、水那。……ごめん、水那。本当にごめん』

と謝った。水那は首を横に振ると

『……ごめんなさい……』

と言って両手で顔を覆ってしまった。


 俺はセッカの方に向き直ると、覚悟を決めて話し始めた。


「実は……ハールの祠で闇を祓ったあとも、ミズナは苦しんだままで……。ネイアに聞いたら、闇に浸食されかかってたんだ」

「えっ!」

「それで、ジャスラの涙の雫をミズナに飲ませて、それから俺の勾玉の力を分け与えるっていう手段しかない……と……言われて……」


 思わず小声になる。


「……それで?」


 セッカが腕組みしたまま俺を睨みつける。


「その……手段っていうのが……まあ、その……」

「……」

「そのとき、私が、力……使ったの」


 水那が声を震わせながらセッカの服を引っ張った。涙をポロポロこぼしている。


「だから……私の、せい……なの」

「いや、まぁ、それは……俺の不甲斐なさというか何というか……」

「――わかった」


 セッカが俺の言葉を遮った。


「事情はだいたいわかった。ミズナを救う手段だったし、合意はあったんだね。……あたしはてっきり、ソータが嫌がるミズナを無理矢理……」

「んな訳ねーだろ! だいたい、俺はずっとそれどこじゃねーって……」

「はいはい、わかったって」


 セッカが手をひらひらさせて俺をあしらう。


「……で、ソータはどう思ったの?」

「へっ?」


 セッカの質問の意味が分からず、間抜けな返事になる。


「今、このことがわかって、すごく困ったとか、迷惑とか」

「そんな気持ちねーよ!」


 俺はすぐに否定した。その辺だけは誤解されたら困る。


「ただ……驚いただけだ」


 いや、むしろ嬉しいかも知れない。水那をミュービュリに連れて帰る理由が、できた気がして。

 でも、ミズナはどうだろう?

 あのときのこと……水那は嫌だけど仕方ない、と思っていたのかもしれない。

 忘れたかったはずなのに、その結果……だと考えたら……。


「じゃあ、ミズナ」


 セッカが声を和らげて、泣いている水那の方に向き直った。


「ミズナはさ。すごく困ったの? 嫌だったの? どうして言えなかったの?」


 あまりにも真っ直ぐ聞くのでぎょっとなる。

 嫌だった、とか言われたら、かなりショックだ。


 しかし……水那は何回も首を横に振った。


「迷惑……かける……と、思った。私、自身は……そんな……」


 ちょっとホッとする。

 ……いや、根本的には何も解決していないし、水那の心のケアができているとも思えないけど。


「うーん……」


 セッカが首を傾げる。


「じゃあさ……二人とも、嫌じゃないんだよね? びっくりしただけだよね?」


 セッカが俺たち二人の顔を見回す。俺と水那は共に頷いた。


「なのに……何で二人ともそんなに謝ってるの?」


 ごめん、という日本語は聞き取れたらしいセッカが、不思議そうな顔をした。

 俺は何だか核心を突かれた気がして、思わず息を呑んだ。

 水那を見ると、同じくハッとしたような顔をしている。


「どっちも後悔してなくて……どっちもちゃんと受け入れてるんなら、謝る必要なんてないじゃない。何だかそんなの、おかしいよ。赤ちゃんが、可哀想……」

「……そうだな」


 それは、セッカの言う通りだと思った。

 謝ったら……水那を抱いたこと、子供ができたこと、全部が間違いみたいになってしまう。


「……悪かった」


 俺はセッカに謝ると、水那に向き直った。


「気づかなくてごめんな。楽しみにしてるから……身体、大事にしてくれ」

「……」


 水那は涙をポロポロこぼすと黙って頷いた。


「じゃあ、改めて。……ミズナ、おめでとー!」


 セッカが水那に抱きついた。水那はセッカを受け止めると、小さい声で「ありがとう」と答えた。



 セッカによると、お腹が大きくなるかどうかは個人差があるらしく、水那はかなり目立たない方だったらしい。

 二人でお湯につかったときに、ふと気づいて……問い詰めたら白状したそうだ。

 道理でここ1か月ぐらい、ずっとワンピースを着ていたはずだ……。こういう感じの服が好きなんだなあ、なんて的外れなことを考えていた。

 さっき俺の手を振り払ったのも、隠すためだったのか。


 しかし……問題はこれからだった。

 果たして、旅はどうしたらいいのだろうか?

 今からハールまで戻るのも大変だ。でも、このままベレッドに向かっても大丈夫なんだろうか。


「あたしはさ。一応……近所で、出産の手伝いをしたこともあるんだけどさ」


 ウパを走らせながら、セッカが言う。

 俺たちは来た道を戻ると、とりあえずラティブの祠に向かっていた。

 水那は荷台で布団にくるまっている。お湯に入って疲れたらしく、眠っていた。


「フェルティガエの出産は、知らないからさ……」

「何か違うのか?」

「違うかどうかすら知らないから、不安というか……」

「……」

「ジャスラのフェルティガエはね、身体が弱い人も多いって聞くから……何か気をつけないといけないことがあるんじゃないかと思ってさ。ミズナはジャスラのフェルティガエではないから、あてはまらないかもしれないけど……」


 確かに……ここは、ミュービュリじゃない。

 医者がいる訳でも、病院がある訳でも、立派な医療器具がある訳でもない。

 ハールに戻ったところで、うまくいく保証もない。


「だから……むしろベレッドに向かった方がいいのかな、と思ってさ。フェルティガエが暮らしてるんでしょ?」

「確かに……」


 ここからベレッドまでは、山道を越えてずっと東の方に向かうことになる。

 川に沿って進んだ、湖の傍にある国だ。

 のんびりとしたウパの足でも……多分、1か月あれば着く。

 水那が臨月を迎えるまでは2か月ぐらいという話なので、一応間に合うはずだ。


「……ネイアに聞いてみるか」


 とりあえず祠にジャスラの涙を戻して……報告がてら、相談しよう。

 知識がない者同士で話をしても埒が明かない。


「そうだね」


 セッカは頷くと、そっと荷台を振り返った。


「どうすればミズナにとって良いのか、わかんないもんね」


 どうすればミズナにとって、か……。俺はずっと、そのことについて悩んでいるような気がする。

 こんな感じじゃ、水那も安心して俺に相談なんてできないよな……。

 そう考えて、俺は深い溜息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る