16.ハールの祠(5)

「――は?」


 俺は自分の耳を疑った。

 今、ネイアは……何て言った?


“何度も言わせるな。ミズナを抱けと言ったのだ”

「何で!」

“お前の勾玉の力を分け与え、ジャスラ涙の雫でもって擬似的な勾玉を体内に作る。これしかない”

「その分け与えって……他に手段はねぇのかよ!」

“わらわがその場にいなければ無理だ”

「じゃあ、ヤハトラに戻って……」

“間に合わん!”


 ネイアが強い口調で言い切った。


“いいか、よく聞け。ミズナが闇に負け、浸食されたら終わりだ。闇の力で増幅された強制執行カンイグジェでお前が操られ、お前の旅は失敗に終わる”

「……!」

“ああ、もう時間が……わかったな!”


 俺の胸の中から、ネイアの気配が消えた。


 旅を終わらせるわけにはいかない。俺のこの旅は、ヒコヤの遺志を継ぐ旅。ジャスラを安寧へと導くための旅。

 わかってるよ。最優先はそれだ。勿論わかってる。

 だけど……。


「くそっ……」


 俺は水那を抱きしめた。


 ――違うじゃねぇか。俺にとって水那はそういうのと違うじゃねぇか。

 ずっと怯えて生きてきたから……もっと大事にして……ちゃんと距離を縮めて……。

 ちゃんと笑えるようになって、それで……。

 順番が、違う……。もっと、こう、お互いの気持ちが……。


「気持ちが……ないのに……」


 水那はまだ……俺の方を見てはいないのに。


『……颯太くん』


 小五のあの時以来……水那が初めて、俺の名前を呼んだ。

 俺はハッとして水那の顔を見た。

 ずっと抱きかかえていたから……水那はネイアの話を聞いていたに違いない。


『いや、あの……』


 水那は微笑んでいた。……少し淋しそうに。

 俺は――こんな笑顔をさせたかったんじゃない。


「【……】」



   * * *



 目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。

 隣からは水那の安らかな寝息が聞こえてきた。

 真っ暗で何も見えないから分からないが……多分、成功したんだろう。


 暗闇の中で……俺は水那を抱きしめた。


 もともと水那に惚れていた俺は、水那の強制執行カンイグジェに逆らえるはずもなかった。

 意思を奪われるまでもなかった。


 だけど、違う。こんな風に、扱いたかったんじゃない。

 水那に、あんなことを言わせたくはなかったんだ。


 ――すべては、俺の不注意が招いたことだ。

 俺は……どうしたらいい?

 お前の心にさらに傷をつけた俺は、どうしたらいいんだ?


『……ごめん』


 思わず声に出る。瞬間、起こしてしまったかとハッとした。幸い規則正しい寝息は変わらない。

 ホッとして水那をそっと離すと、俺はベッドからするりと抜け出て服を着た。


 確か、ランプみたいなものが机にあったような……。

 手探りでランプを探し当て、火を灯す。部屋がほのかに明るくなった。

 水那はベッドで背中を向けていた。茶色い細い髪が流れている。


 ……ふと、うなじを見る。あのとき見た煙草の痕は、まだ残っていた。


「……!」


 堪えきれなくなって……俺はランプを持って横穴から外に出た。

 涙を堪えながら、祠を見上げる。

 闇が……徐々に吸い込まれている。


 下を見る。

 ジャスラの涙の雫が、まだたくさん散らばっていた。

 俺は一つ一つ拾い集めた。また、何かに必要になるかもしれない。


 ――全部拾うと、俺はズボンのポケットに入れた。

 後で、水那に渡さなくては。


 岩穴を引き返し、横穴には戻らず外に出る。

 陸を見ると……かなり静かだった。もう、闘ってはいないようだ。

 俺が闇を回収したことで、敵の戦意が喪失したのならいいんだが。


 しかし……闇が完全に消えたわけではないみたいだ。

 現にこの岩穴に向かって、陸のあちらこちらから闇が引き寄せられている。

 それは……デーフィのときよりも、格段に多い。


「まだ……終わりじゃない、か……」


 明日になれば、ホムラが迎えに来る。

 そして……闇を回収するための旅が再び始まる。

 ……日常に戻る。


 ――俺と一緒に来い。俺が傍にいれば、大丈夫だから。


 ヤハトラで再会したときの、自分の台詞を思い出した。


 ……全然、大丈夫なんかじゃなかった。

 水那の傷……身体の傷、心の傷……。

 俺が、一番……分かっていたはずなのに。

 俺は……こんな守り方をしたかった訳じゃない……!


「ミズナ……強制執行カンイグジェの使い所、間違えてるよ……」


 思わず独り言が漏れた。

 せめて……俺の気持ちだけでも伝えることができればよかったのに。

 今となっては……多分、変な言い訳みたいにしか聞こえない。かえって傷つけるだけだろう……。


『……ごめんなさい』


 後ろから水那の声がした。ドキリとして振り返る。

 暗くて表情まではよく見えないが……両手を前で組み、少し俯き加減になっている水那の姿があった。


『……起きたのか』


 水那はコクリと頷いた。

 そしてゆっくり歩くと……俺の隣まで来た。水那の顔が、ランプの明かりで照らされる。


 その表情は……どこか寂しげだったものの、何か覚悟を決めたような、すっきりとしたものだった。

 ……いろんな感情がぐちゃぐちゃになっている俺とは、対照的に。


『身体は……大丈夫か?』

『……うん……ありがとう……』

『……』


 お礼を言われると……複雑すぎて、どう返したらいいか分からない。


『……ネイア様に……あの……心配して……』

『あ……そうだな』


 自分の気持ちで精一杯で、そこまで考えが回らなかった。……駄目だな。

 心配してるに違いない。報告しておこう。

 ……どうやら、うまくいったようだし。


 俺は目を閉じて、胸の中の勾玉に意識を集中した。

 ヤハトラの神殿……そして、ネイアの姿を思い返す。


「ネイア……聞こえるか」

“……ソータか”


 少し疲れたような……ネイアの声が聞こえた。


「ああ。……どうやらうまくいったみたいだ」


 俺はそう言うと、水那を見てトントンと自分の胸を指差した。

 水那はそっと俺に寄り添うと、耳を当てた。

 以前とは違って……かなり複雑な気分になった。


『ネイア様……』

“ミズナか。闇は消えたか”

『はい……』

「ネイア……今、ミズナはどういう状態なんだ? もう少し詳しく教えてくれ。これからの旅のためにも」

“……そうだな。ただ、その前に……言わねばならんことがある”


 ネイアの口調が少し厳しいものに変わった。


“……ミズナ。旅に出る前……わらわが言ったことを覚えているか?”


 ネイアの言葉に、水那がハッとしたような顔をした。


 ――闇は、自分を卑下する劣等感やもっとこうありたいという欲にとり憑く。そういう気持ちを持たなければ、とり憑かれることはないのだ。自分に自信を持って、旅をしてくれ。


 俺も、覚えている。ネイアが言葉を選びながら……この旅で強くなってほしいという気持ちを、精一杯、水那に伝えていたことを。


“闇を吸いこんでしまったのはソータが守りきれなかったからだが……こたびその闇に食われかかったのは、ミズナの弱い部分が晒け出されたからなのだ。……わかるか?”

『はい……』


 水那がきゅっと唇を噛んだ。

 それは、今までの単に落ち込んでいる表情ではなく……悔いているというか……何かこう、強い気持ちの表れだと思った。


“つまり、未熟な二人の責任……ということだ”


 口調は厳しかったが、俺にはネイアの優しさが滲み出ている気がした。

 つまりは……どちらか一方だけが悪いんじゃない。

 ちゃんと自分の甘さと向き合って二人で乗り越えろ、と励ましているんじゃないのか。


「わかった。肝に銘じる。……ありがとう、ネイア」

“……うむ”


 ネイアは少し安心したように返事をした。


“それで、今のミズナの状態だが……体内に疑似的にだが勾玉を作ったので、多少の闇は吸収してくれる。しかし、ソータがそもそも闇を弾くことができるのに対し、ミズナは闇を取り込んでしまう体質だ。むやみに闇に触れ、心が折れるとすぐ限界が来て、また同じ症状が出てしまう”

「……ということは、やっぱり俺が傍にいないと駄目、ということなんだな」

“そうだな。あとは最初に言っていた通り、ミズナは闇を祓う訓練をすることなのだが。……おお、そうだ。大事なことを言い忘れていた!”


 ネイアが急に大きな声を出した。


“レッカには会ったか?”


 レッカ……確か、賢いけど体が弱いという長男だよな。祠に来るときにホムラが言っていた……。


「まだだ。祠にはホムラに連れてきてもらった」

“そうか……。だが、ミズナはレッカに会うべきだと思う。……多少、遠回りになってしまうが……”

「何でだ?」

“会えば分かる。……そろそろ時間だ。ソータの体力がもたん”

「あ……」


 そうか。確か、浄維矢と同様、俺の生命力を使うんだったっけな。


『ネイア様……ありがとうございました』

“うむ。……では、またな” 


 そして……俺の胸の中からネイアの気配が消えた。

 水那が俺の傍から離れた途端……くらりと眩暈がした。

 しかし、どうにか踏みとどまる。

 水那の前で倒れる訳にはいかない。多分……気にするだろうし。


『俺……もう少し寝ていいか? ちょっと早く起きたから……』


 慌てて作り笑顔をする。正直……一刻も早く横になりたい。


『……うん……』

『それと、これ……』


 俺はさっき拾っておいたジャスラの涙の雫をポケットから出した。水那が袋を渡してくれたので、それに入れて渡す。


『じゃあ、悪い……寝る』

『……』


 水那がコクリと頷いたのが分かった。

 俺はランプを水那に渡すと、壁を伝いながら歩いて横穴に向かった。

 水那は少し離れて俺のあとをついてきていた。

 誤魔化したつもりだったけど、俺の体調が悪くなったのが分かったのかもしれない。

 横穴につくと、俺はベッドにごろりと横になった。


『水那、ごめ……』


 水那がそっと部屋に入ってきたようだったが……もう俺の瞼は閉じてしまっていて、その姿を見ることはできなかった。


『……大丈夫』


 水那が俺の額に手を当てたのがわかった。

 その手の感触が心地よくて……俺はあっという間に深い眠りに落ちてしまった。

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