9.デーフィの祠(4)

 目の前に小さな小川が流れている。

 その向こうには、これまでの草原とはうって変わって鬱蒼とした森が広がっていた。

 ……心なしか、暗く見える。闇が漂っているんだろうか。


「今日の目標地点だね。夜になる前に着けて、よかった」


 セッカが空を見上げながら呟いた。


「今日はここまでか?」

「うん」


 セッカは荷物を下ろすと、中から折りたたんだ布みたいなものを取り出した。


「夜の森は危険すぎるからさ。ここで一晩過ごして……明日の昼になったら一気に森を通り抜けよう」

「ふうん……」

「あたしは寝床の用意をするからさ。二人は木を集めてきて。ネジュミは森から出てこないとは思うけど、火を焚いた方がより安全だから」

「わかった」


 俺は水那を促すと、セッカから遠く離れて小川付近まで歩いて来た。

 森林から飛んで来たのか、折れた木々が散らばっている。


『この辺から拾っていけばいいか。……おい、水那』

『……』


 俺は水那の方は見ずに、木を拾いながら話をすることにした。


『さっきのアレ、強制執行カンイグジェだよな』

『……』


 水那は答えなかった。黙々と木を拾っている。


『アレ、使うとすごく疲れるんじゃなかったか? また倒れるんじゃないかって、ちょっと心配したぞ』

『……!』


 水那がハッとしたように俺を見たのがわかった。

 子供の時は何が起こったのか分からなかったけど……水那の親父が倒れたアレは、水那の強制執行カンイグジェだったんじゃないかと思う。

 何を叫んだのか、全然わからなかったし。

 多分、パラリュス語で気絶しろ、とか倒れろ、みたいなことを言ったんじゃないだろうか。

 あのあと……確か、急に水那はバッタリと気絶してそのまま入院したし。

 ゲートを開いてヤハトラに来た時も倒れたって、ネイアは言っていた。

 フェルティガって、使うとかなり消耗するものなんじゃないのか?


 俺は水那の方は見ないまま

『まぁ、大丈夫ならいいが』

と付け加えた。

 ある程度木が拾えたので顔を上げ、水那の方を見る。

 水那は俯くと

『……相手の意思を奪わない指示なら、そんなに……』

とだけ答えた。


『……ふうん』


 確かに、俺の意思ははっきりしていたな。

 俺の意思に反して身体を拘束された感じだったもんな。


『でも、何で使った? そんなに嫌だったのか?』

『……情けな、くて、恥ずかし、くて……咄嗟に……』


 ……そんな理由かよ。どうもよくわからんな……。

 ひょっとして……男が怖い、とかなのかな。セッカにはあまり抵抗していなかったし。


『お前……強制執行カンイグジェの使い所、間違えてるぞ』

『……ごめんなさい』


 何だか、水那はいつも謝ってばかりのような気がする。

 俺は、水那を怖がらせてるんだろうか?


『……ま、もうしないなら、いいよ』


 なるべく優しい口調で言ったつもりだったが……水那は俯いたまま、黙って頷くだけだった。



 何だか微妙な空気のままセッカのところに戻ると、すでに用意は終わっていた。

 テントみたいなものが立てられている。


「木はこれぐらいでいいか?」

「うん、十分。ここに置いて」


 俺と水那は言われた通りに持ってきた木を置いた。

 セッカがそこから何本か選びながら、目の前にピラミッドのように組み上げている。


「……あ」


 セッカがふと空を見上げたので、つられて俺も空を見上げた。

 さっきまで真っ白だった空が急にだんだん暗くなり、あっという間に藍色に変わった。


「何だ? こんないきなり夜になるのか?」

「そうだよ。……そっか、初めて見たんだ」


 セッカはそう言うと、火をつけて木を燃やし始めた。

 真っ暗だったのが、その辺りだけぼんやりと明るくなる。

 そして、荷物から本を取り出した。さっきの日本語をメモしていた本とは別の表紙だ。


「それ、何だ?」


 近くに座って覗き見る。もちろんパラリュスの言語で書かれているが、不思議と俺にも読めた。

 ネイアが勾玉から呼び起こした、過去の記憶のおかげなんだろう。


「……『旅の記録』?」

「そう。あたしの役目だからね。つけておかないと」

「前のも載っているのか?」

「そうだよ。知りたい?」

「んー……攻略する前に攻略本見るみたいで、嫌だな。やめとく」

「ちょっと意味が分かんないけど……」


 セッカが首を捻った。


「……まぁ、いいや。じゃあ見たくなったら言ってね」

「ああ」


 そんな会話をしていると、俺の横で、水那がうつらうつらしていた。

 やっぱりフェルティガを使ったから、疲れたのかもしれない。


『水那、寝ろ』

『……うん』


 さっきのこともあるのか、水那は大人しく頷いて立ち上がった。


「中に寝袋があるから入ってね。夜は冷えるから」

『……ありがとう』


 水那は頷くと、ちょっと頭を下げてテントの中に入って行った。

 俺とセッカはしばらく黙って火を見つめていた。

 するとほどなく水那の寝息が聞こえてきたので、俺は少しほっとして息をついた。


「……ミズナって、ひょっとしてフェルティガエ?」

「えっ……」


 セッカがあまりにも唐突に言うから、俺は誤魔化すことができなかった。

 そんな俺の様子を見て、セッカがふう、と溜息をついた。


「……やっぱりね。何か、雰囲気とか……。あと、闇を祓うとか、あたしたちには絶対無理だからさ。そうなのかなって……」

「でも、ちゃんと使うことはできないんだ。……今は」


 現時点で水那が戦力にならないことは、伝えておかなければならない。


「パラリュス語が分かるのに話さないのも、その関係」

「ふうん……」


 セッカはそれ以上突っ込んでは聞いてこなかった。

 よく喋るし、人の話をちゃんと聞かずに勝手に判断して行動したりする奴だけど、こういうところの勘はいいのかもしれない。


「そう言えば……フェルティガエはヤハトラに集められるって聞いたが」

「うん、そうだね」

「両親がそうじゃなくても子供がフェルティガエってことがあるのか?」

「うん、あるよ。例えば祖父がそうだったけど両親は違う、とか。身内にフェルティガエがいれば、そういうことはあるね。問題は、発現するかどうかってことなんだ」

「へぇ……」

「小さいうちに出る子もいれば、大人になってから発現する場合もある。発現しない限りは全く無い人とあんまり変わらないから、地上で生活しても大丈夫なんだってさ」

「ふうん……」


 水那は母親の死後、発現したって話だったな。多分、8歳か9歳ぐらい……。


「……ミズナ、あたしのこと嫌いじゃないよね?」


 セッカがふと不安げに呟いた。


「それはないな。表情もちょっと柔らかくなってるし……。セッカの思う通りに行動していいんじゃないか? やり過ぎてたら俺が止めるよ」

「はははっ」

「むしろ、俺に怯えてるかもしれないな……」

「いや、それはないよ。ない」


 セッカが手をぶんぶん振って力強く否定する。……何だかちょっと救われる。


「……ホントに恋人じゃないの?」

「違うっての。お前、そういう話題、絶対ミズナの前でするなよ。意識させたくないんだから」

「わーかってるよー!」


 セッカはカラカラと笑うと、俺の背中をバンバン叩いた。



 そのあと、俺とセッカは交代で仮眠を取った。

 その間も水那はしっかり眠れたようで、昼になって起きてきたときはだいぶん顔色が良くなっていた。


 後片付けをすると、俺たちは小川を渡って森の中に入った。

 あちらこちらから何かの鳴き声がする。


「あたしの後ろについて歩いてね。逸れると、獣の攻撃範囲に入る可能性があるからさ」

「わかった」


 セッカ、水那、俺の順に歩く。昨日の手当てが効いたのか、それともよく休んだのが良かったのか、水那はセッカのペースにちゃんと付いていっていた。

 森を抜けるのに歩く距離は昨日歩いた距離よりだいぶん短いらしいのだが、いかんせん足場が悪いのであまり早くは歩けない。

 昼の間に抜けるのが精一杯だろう、とセッカが言っていた。


 途中で休んで食事をとることはできないので、セッカから渡されていたチャイの干し肉を噛む。

 まぁ、これはこれで美味い。


 昨日と違い、セッカは黙って歩き続けていた。時折辺りを見回しながら、安全な道を選んでいく。

 木陰を進んでいるので、昨日よりはだいぶん涼しい。


 しかし……何だかどんよりと暗い。辛気臭いというか……。

 祠が近く、漏れ出した闇が漂っているせいだろう。


 水那は大丈夫だろうか、と思ったが、俺たちの周りはそんなに暗くはなかった。

 ネイアが言っていた通り、俺の近くには近寄れないようだ。



「……止まって」


 結構長い時間歩き続けたな……とぼんやりしかけた、そのとき。

 セッカが低い声で俺達を制した。かなり緊迫した様子だ。


「……どうした?」

「……」


 セッカが黙って右の方を指差す。見ると、黒い毛むくじゃらの大きな生き物がノッシノッシと歩いていた。

 多分、3メートルぐらいはあると思う。顔は鋭くとがっていて、牙が大きく外にせり出していた。

 噛まれたら、確実に食い千切られて終わりだろう。


 それに……辺りの闇がその獣を取り巻いているように感じた。

 獣がより凶暴になっている可能性は十分にある。


 セッカは鎖がついた砲丸みたいなものを構えつつ、その場にしゃがんだ。

 俺と水那もセッカに合わせてしゃがむ。

 俺は弓を左手に持つと、セッカに貰った金属の矢を何本か手に持った。


「……ネジュミだ。やり過ごしたいけど……」


 セッカの額から汗が流れる。相当ヤバい相手なんだろう。

 闇も引き付けているし、そのヤバさは俺にも何となくわかった。


「急所はどこだ」

「わからない。やり合って倒したって話は聞いたことないから。ただ……体の表面は相当硬いって聞いてる」


 じゃあ、額か、目か、口の中辺りか……狙い目は。

 やり過ごすのは、多分無理だろう。ヤツは明らかに暴れる相手を探している。


「……セッカ」

「何?」

「闇がヤツの味方をしている。おそらく、逃げ切れないぞ。闘うつもりでいた方がいい」

「!」


 セッカがギョッとしたような顔をした。鎖を持つ手をぎゅっと握りしめる。


「ナイフは使わないのか?」

「硬いって話だから……投げナイフは無意味かも、と思って……。直接突きつければ、別だけど……」

「鎖でヤツを縛るのか?」

「首でも締めれば息ができなくなるかな、と思ってさ……」

「悪くはないな」


 俺はちょっと考え込んだ。

 俺が射るにしても、あんまり動かれると狙いが定められない。

 セッカにヤツの動きを止めてもらって、その隙に矢を射るしかないだろう。


 見ると、ヤツはどんどん俺達に近づいていた。

 はっきりと場所はわかっていないようだが、何かが潜んでいることは勘づいているようだ。

 もう、時間がない。


「セッカは背後から近づいて、ヤツを樹に縛り付けてくれ。さっき言っていたように、首でいい。なるべく折れにくそうな樹だぞ。すぐ折れたら意味がないからな」

「……やってみる」

「俺は正面に回る。額、目、口を狙う。その間頑張って縛り続けてくれ。ただ、危険だと思ったらすぐに離れろよ。俺が引き付ける。そしたら隙を見て、再び背後から拘束。これを繰り返そう」

「……わかった」


 セッカは頷くと、気配を消しながらネジュミの進行方向とは逆に向かった。


『水那はここに隠れてろ』

『でも……』

『中途半端に出てくるな。かえって邪魔だ。……わかったな』


 そう言い残すと、俺は水那の返事を待たずにネジュミの正面にこっそり回り込んだ。


 セッカと違い、水那は攻撃する手段も身を守る術も持たない。絶対に怪我を負わせる訳にはいかない。しかも、ヤツは闇も纏っているのだ。

 そう考えて少しキツめに言ったのだが……一瞬だけ見た水那の唇が、やや不自然に歪んでいたような気がした。 

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