額ハ絢爛、ナレド


『――――ハ?』


 この瞬間、彼の人生は瓦解がかいした。十四年。思えばあまりにも短い栄光の日々。


 周りの大人たちは皆一様いちようかおを伏せるその沈痛。物心ついた時から振り続け、今日この場にて我が物となる筈だった借り物の刀の柄を握り締め続ける。……誰かの嘆きを潜めた吐息がそっと流れるのを、聞いた。


 


 、手に入らないのだという絶望と。


 こんな筈ではなかったのに――同調する。自分以外の誰かの想いを。顔を上げる。項垂うなだれた大人たちは、介錯を待つ咎人とがびとに似て。


 間違えていたのは自分ではない。これまで誰よりも相応しいと自負してきた。周りだってそれを認めていた。だから当たり前に栄光を掴み、誰もがそれを望み、自分自身が望む未来が今日だった筈だ。なのに。なのに。



 


 そこからの四年間は地獄だった。あともう十年もすれば本物の地獄のフタが開くことになるのだが遠い話だ。期待の眼差しは憐憫れんびんに変わり、今まで見下してきた連中がすれ違いざまにあざけりの笑みを浮かべる。変わらなかった瞳はふたりぶん。


 ひとりは昔のまま、遠ざかっていった。


 もうひとりは。最初から最後まで、自分のことなど気に掛ける瞬間がそもそもなかった。


 駆け上がるのは自分の方だった筈だ。なのにもう、追いかけても届かない。追いかけることすら赦されない。



 やがて課される不平等な帯刀。幼き日に握った確信の古刀の柄ではない、きらびやかつ実際的な軍刀ぐんとう


 こんなものを差したいが為の半生ではなかったというのに。



 ――格式高い軍服に身を飾り、そのすべてを虚飾とわかって尚、脱ぎ去ることのできない唾棄すべき自分すら、自身の咎ではないという確信。


 或いは余人どころか本人さえ知れない、それこそがなのだと。


 解を得ていたのはたったひとり。その人物からすればどうということのない、あまりに当たり前すぎて自分が教えるという選択肢さえ浮かばなかったことが、隔絶に拍車を掛けたのかも、しれない。




 /


神鷹じんよう、入るぞ」


「どうぞ」


 と扉越しに応答の声を出したものの、開くことがないまま数秒が過ぎた。


椿つばき……? 聞こえなかったかな」


 やはりせったままでは声の通りも悪くなるのだろうか。聞こえてなかったのなら悪いことをしたと考えて、ふとこの幼馴染が私的な場において僕の許可をしっかりと得たうえで扉を開けるようなことが果たしてあっただろうか、などと思い直す。


 つまり椿は僕が許可を出す出さないに関わらず、いつも通り一拍の間を置いて半ば勝手に扉を開ける筈だった。それがないのはどうしてか。


 答えはその直後に向こうから来た。


「なっ百鬼なきり様……! 私が開けます! じ、朝霞あさか様のお部屋に無礼なことは……ッ!」


 あわただしく開かれた扉。飛び込むような格好で先ず、杏李あんりが部屋に入って来る。


「杏李、と椿……?」


 その後ろ。当の椿は両手に紙筒を抱えた侭、何故か上がっていた片足を下したところだった。


 ……成程なるほどね!


「蹴破るのは流石に良くないと思うよ、椿」


「未遂だわ」


「まったく……ありがとう、杏李」


「いっいえ……! 私は別に!」


 杏李はそそくさとすそを直し、髪を撫で付ける。こほん、と咳払い。


「と、とりあえず私はお茶を入れて参ります。……百鬼様、くれぐれも朝霞様にご無理をさせないように」


 はいよ、と生返事を返す椿と入れ替わって杏李は退室した。


「……ふふ」


「ぁン?」


「いや、杏李があんな風に誰かにきつく当たるのは珍しいと思って。仲良くしてくれているようで嬉しかったんだ」


「猫ッ被りが外じゃなく身内に向いてるのもどうかと思うぜ? 義妹いもうととして扱うっつーならもう少し振る舞いを考えろ」


「耳が痛いね。……で、それは?」


 ああ、と軽くうなづいて椿は丸机テーブルを僕の寝具ベッドの傍に移動させた。乗せられた筒が広げられる。


丸奈川まながわより向こうの奪還計画が下りた。先ずは柊橋ひいらぎばし、それと」


迫間はざま……だね。半分はもう取り戻せた。でも残り半分は……」


幽世かくりよ〉へと堕ちきった、紛うことなきへ打って出ることになる。


「っつーわけで戦力を加味しての作戦だ。正直不安材料だらけだが。いいか神鷹、前線に出れねェっつーなら知恵を貸せ」


「……私は、止めたのに」


 と、杏李がお茶を載せた丸盆トレイを持って戻って来た。


「なにも前線を退しりぞいた朝霞様に頼ることなんてないんです」


「まァ、ぶっちゃけちまえばそうだな」


「なら……!」



「……っ」


「椿……」


「お前さんが思ってる以上にこいつの背負ってるモンは重い。それになによりこいつ自身がただ寝ているっつー現状を甘受できる筈も無ェ」


 それは、その通りだ。僕もできることなら立ち上がって剣を執りたい。椿のように強い魂が欲しいとうらやんでしまうのも否定できない。


「椿は変わらないなぁ」


 素知らぬ顔で緑茶をすする椿を横目に、頬が緩んでしまう。……杏李は何故だか不服そうに眉根を寄せて、湯呑を口に運んでいた。


 不服と言えば、僕の方こそ不服だった。立てないこと。それ以上に……


「杏李、君が出る必要だって、ないんだよ?」


「…………杏李が決めたことですので」


 これである。


 僕は見ていないが、椿をして杏李の剣術は朝霞神鷹そのもののえなのだそうだ。とても想像がつかない。だとしても、だとしてもだ。


「……ま、体力に関しては一朝一夕とは言えねェし。この際身体を鍛えたらどうない、深山みやまの」


「そっ! そんなことをしても仕上がるのは何時になるか……先に夕京ゆうきょうに暁が取り戻されてしまいます」


「よく解かってるじゃあねェか」


 椿はうつむき加減に喉を鳴らして笑った。


 ――椿は変わらないと言ったけれど変わったかな?


 あぁ、でもやっぱり変わっていない。


 僕の傍では紙巻タバコを吸わなくなったことも、別段意外でもなんでもなかった。


 実際に身体を動かせなくなって、気持ちだけは走り出しそうな僕をこうして慰めるさえ用意して。


 最早もはや使い物にならなくなった僕に現況を逐一ちくいち報告してくるのも……嗚呼あぁ自惚うぬぼれかもしれないけれど、信じられる。


 


「椿は本当……僕にきびしいよねぇ」


「あァ?」


 目頭が熱くなるのを誤魔化すように茶を頂く。


「なんだ、美味しいじゃないか。……杏李が難しい顔をして飲んでいたから、渋いのかなって不安になっちゃったよ」


「あっ朝霞様に淹れるお茶に粗相はできません……!」


 顔を赤くして抗議(?)してくる杏李にほころぶ。


 ……陛下も、このようなお気持ちなのだろうか。


 同じ場所に立つことができず、ただその無事を願い、いのり、帰りを待つだけの苦悩。


「無茶はしないようにね、二人とも」


「流石、それをとおして死にかけた奴の言葉は重みが違うわ」


「百鬼様……!」


「……ははっ」



 ――七香なのか。僕はまだ、きちんと笑えているよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る