9.僕と、母さんの時間 -ユズside-

 ――私は……あなたのことを守りたかったの。今の……そして未来のあなたも。


 息を引き取る間際の、母さんの顔を思い出した。



 物心ついた時には……僕は母さんと二人で旅をしていた。

 2、3か月ごとに住む場所を変え、いろいろな町に行った。


 母さんは浮世離れした不思議な人で、

「今日はここならいいお家があるわよ」

と言って住まいを見つけたり、

「明日は地震が来るから次の場所に行こうね」

と言って急に町を出たり、とにかく気の赴くまま風のように旅していた。


 でも、僕が8歳になって左目が紫色に変わったとき

「……ここが私達の永遠の住処よ」

と言って、ある山奥の村にやって来た。


「ずっとここにいるの?」

「そう。長い間、旅ばかりしていてごめんね。私ね、ずっと、ユズルにとっての最高の場所を探していたの。そしてね、やっと視えていたこの風景を見つけたのよ」


 母さんは安心したように溜息をついた。

 そして、

「ユズル、この村の学校に行くのよ」

と言った。

 僕は少しビクッとして母さんを見上げたけど、母さんは「大丈夫だから」と言ってゆっくりと頷いた。


 実は僕は、このときまで学校というものに全く行っていなかった。

 それまでにも何回か母さんが行かせようとしたけれど、聞こえてくる声が気になってどうしても行けなかったんだ。

 そして今は、さらに左目が紫色に変わってしまっている。

 とてもじゃないが、学校になんて行けそうにない。


 でも、母さんが言った『ユズルにとっての最高の場所』という言葉が何だか心に響いて……僕は初めて、学校に行った。

 山奥の田舎で、子供の数が少なかったということもよかったのかもしれない。


 そして僕は……トーマに出会った。


 トーマは田舎のガキ大将って感じで、すぐムキになったり笑ったり、とにかく感情の動きが忙しい少年だった。

 両親はもうすでにいなくて、ずっとおじいさんと二人きりで暮らしていた。だけどいつも元気で、決して人を傷つけるようなことを言わなかったし、何より自分を守るための嘘をつくことが一切なかった。

 出会ってすぐに僕の力と左目のことがバレたけど、そのときは盗難事件に気を取られていたのもあってか全然気にしていなかった。


「ユズって物知りだな~」

「スミレさんって奇麗だな。お母さんが奇麗って羨ましいな」

「無理にたくさん喋ろうとしなくてもいいんだぞ。『ありがとう』と『ごめん』が言える人間ならいいんだって、じいちゃんも言ってた」


 トーマが僕にかけてくれた言葉は、ぶっきらぼうだけどどれも自然で温かくて、僕はどれだけ救われたかわからない。

 母さんが言っていた『最高の場所』というのは、トーマと巡り合う場所という意味だったのかな、と思う。


 そしてそこで成長するにつれ……僕は奇妙なことに気づいた。

 みんなの家は、お父さんやお母さんが働いて生活しているけど、母さんはずっと家にいる。

 トーマの家だって、この山に来るまではおじいさんは警察官として働いていたという話だ。

 僕の家は大丈夫なんだろうか。僕は学校なんて行かずに働かないといけないんじゃないだろうか。


 中学生になってからそう母さんに聞くと

「大丈夫よ。そんな心配しなくても、ちゃんとあるから。前に宝くじを当てたの」

とちょっと訳のわからない答えが返ってきた。


「宝……くじ?」

「そうね……。まだちゃんと言っていなかったわね。私はね、未来のことが視えるのよ。いつもって訳じゃないけどね」

「未来……?」

「この場所を見つけたのもそうよ。だから、ユズルは気にしないで……やりたいようにやればいいのよ」


 母さんはそう言うと、にっこりと微笑んだ。

 母さんに不思議な力があることは――僕にもわかっていた。

 今までだって、予知だけでなく急に住処を見つけたり、いつの間にか町の人と仲良くなったりしていたから。

 それに僕は……母さんの心だけは、絶対に読むことができなかったから。


 でも、それが何故なのか――母さんと僕の瞳が紫色であることと関係があるのか。

 聞きたい、と思ったことは数えきれないほどある。

 しかし年々体が弱くなっていく母さんを見ていたら、とてもじゃないが聞けなかった。

 何となく――その話を聞くときは、もう僕と母さんの時間が残り少ないとき。

 そう、漠然と理解していたからかもしれない。



 そして……ついに、そのときが来てしまった。

 地元の大学の医学部に志望を決めた、高3の秋。母さんは、突然倒れてしまった。

 何度も病院に行こうと言ったけれど、頑なに拒否した。


「もう視えてしまったから……病院に行っても仕方がないの。ついに限界が来てしまったのよ」

「視えて……」

「もう少しもつと思っていたのに……。まだ、ユズルに何も教えていない」

「僕……?」


 ぼんやりと聞き返してはみたものの――もう、わかっていた。

 今が――

 母さんの――母さんと僕の過去を、僕たちが彷徨っていた理由を、知る時。


 母さんは僕の顔をじっと見ると

「これから話すことは、とても大事なことなの。信じて、聞いてくれる?」

と懇願するように言った。

 僕には当然、拒否する選択肢はなかったし、母さんのその口調でよほど重大なことなのだろう、と思った。

 僕は黙って頷いた。


「私はね。この世界……ミュービュリとは異なる世界にあるウルスラという国の、女王だったの」

「……は?」


 この世界がミュービュリ……? こことは異なる世界……?

 ――女王……?


 ちゃんと聞くつもりだったが、あまりにも突拍子もなさ過ぎて面食らっていると、母さんが泣きそうな顔をして僕の腕にしがみついた。


「お願い、大事なことなの。ちゃんと聞いて」

「……」


 とにかく、僕にできることは、母さんの話をすべて受け止めること。

 そう覚悟を決めた僕は、もう一度強く頷いた。

 そんな僕の様子にホッとしたのか、母さんは少し微笑んだ。

 そして……ゆっくりと、話し始めた。

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