1.俺にとって、ユズは大事な幼馴染だ

「トーマ、今日、メシ食いに行かねぇか?」


 夏期の特別講義の最終日。

 最後の講義が終わって机の上の物を片づけていると、同じ講義を取っていた同級生が俺に声をかけた。


「悪い。今日は、ユズと約束してるから」

「えっ……。あの、医学部の変わり者?」


 露骨にギョッとした顔をする。


 ユズ……高坂譲は、俺の幼馴染み。

 いつも前髪で目を隠して俯きがちで、殆ど他人とは喋らない。

 高校時代は全国模試でつねにトップにいたから、名前だけはかなり知られていた。

 てっきり東京に行くと思ってたのに、地元の医学部に入学したから……入学当初はいろんな人間が興味本位で声をかけたらしい。

 でも、「はい」「いえ」「どうも」ぐらいしか話さないので「頭良すぎの変人」というレッテルを貼られてしまっていた。


「……ユズは人付き合いが苦手なだけだ」


 俺がちょっとムッとして言う。

 するとそいつは「ごめん」と気まずそうに言うと「じゃあ、また今度な」と慌てて去って行った。


 ……ユズが前髪で目を隠している理由、そして誰とも打ち解けようとしない理由を、俺は知っている。


   * * * 


 今は大学に通うためにアパートを借りているけど、俺はもともとかなり山奥の方で育った。

 両親は俺が小さいうちに死んでしまって、じいちゃんと二人暮らし。

 じいちゃんは元警察官で、すごく厳しいけど優しくて、俺に剣道を教えてくれた。

 俺はいわゆるガキ大将でよくじいちゃんにも怒られたけど、結構仲良く暮らしていたと思う。


 そんなある日……小学3年生のときだったかな。

 俺の村に、不思議な母子が現れた。

 母親の方は、茶色の髪で紫色がかった瞳の、滅茶苦茶奇麗な人。こんな田舎には到底いなさそうなハーフっぽい顔をしていた。

 そして子供の方は、黒い長い前髪で目を隠した内気そうなヤツ。


 ……それが、ユズだった。


 田舎だから学校の人数はすごく少ない。

 だから上級生から下級生までみんな友達、みたいな感じなんだけど、ユズはいつも俯いていて、なかなか打ち解けなかった。


 ……そんなある日。

 学校で、先生が集めた給食費が休み時間の間に盗まれる事件が起こった。

 3・4年生クラスでもそれは話題になっていて、先生が「誰か何か見ていませんか」と俺たちに問いかけた。


 そのとき俺が何気なくユズを見ると、ユズが珍しく顔をあげて廊下を見ていた。

 廊下では用務員のおじさんがちょうど戸棚の修理をしていて、ユズと目が合うとそそくさと去って行った。


 ……ひょっとして、あのおっさんが犯人なのかな。


 そう思って再びユズの方を見ると、ユズも俺を見ていて……ハッとしたように左目を隠した。

 ――ユズの左目は、母親よりもずっと淡い紫色だった。



「……ユズル、ちょっと来いよ」


 放課後になって、俺はユズルを玄関に呼び出した。

 ユズルは黙って俺に付いてきた。


「なぁ、ユズル。お前、あのおっさんが盗むところ見たのか?」

「えっ……」


 ユズルが意外そうな顔をした。

 そして俯くと


「見た……訳じゃないけど……」


とボソボソと呟いた。何かを隠しているみたいだ。


「あのさ、先生も困ってるから、もし何か知ってるんなら先生に教えた方がいいよ。言いにくいなら俺が一緒に行ってやるし」

「……」


 ユズルは困ったように前髪に触り……左目を隠す。


「左目、気にしてるのか? じゃあ、俺の後ろに隠れればいいよ。そしたら話せるだろ」

「……」


 ユズルは不思議そうに俺を見上げると


「……気味悪くないの?」


と聞いた。


「え、だって、お前の母さんの目もちょっと紫がかってるじゃん。遺伝だろ」

「……でも、僕は片目だけで、しかも色が目立つから……気味悪がられることが多かったんだ」


 何だ、ユズルは普通に話せるんじゃないか。

 俺、てっきり日本語がわからないから喋らないのかと思ってたぞ。


「……言葉は普通にわかる」

「何だ、そっかー」


 はははと笑ってから、俺はふと我に返った。


 俺……口に出したっけ?


 ユズルを見ると、ハッとしたように口を押さえている。

 ひょっとして……ユズルは、人の考えていることがわかるのか?


 あのとき……そうか、確か先生がお金を盗まれた話をしていて、廊下にたまたま居たおっさんが動揺したんだ。

 ユズルはそれに気づいて、おっさんを見てたんだ。おっさんも作業途中なのにどっか行っちゃったし。変だなって思ったんだよ。


「おい、ユズル。早く先生に知らせよう」


 俺はユズルの手をぐいぐい引っ張って職員室に行こうとした。

 ユズルは逆に引っ張られまいと踏ん張る。


「ちょっと……待って、待って。だって証拠がないよ!」

「そんなの、おっさんの荷物を調べれば……――あ!」


 ふと玄関から外を見る。

 ちょっと猫背気味になりながら歩いていく用務員のおっさんの後ろ姿が見えた。

 おっさんが歩いていくその先は、先生たちが車を停めている駐車場がある。

 

 やばい、きっとさっさと帰ろうとしているんだ。

 いつもなら遅くまで作業しているのに、絶対あやしい!


「くそっ!」


 俺はユズルの手を離すと、おっさんの方に一目散に駆け出した。背後から、


「トーマ、ジャンパーのポケット!」


と叫ぶユズルの声が聞こえた。

 俺は思い切りおっさんに飛びつき、ジャンパーを引っ張った。


「うおっ、何だ?」

「おっさん、ジャンパー貸して!」

「やめろ!」

「いいから見せてってば!」

「こら、いい加減にしろ!」


 おっさんが俺をドンと突き飛ばした。

 その拍子にジャンパーがびりびりと破け……中から給食費を集めた巾着袋が出てきた。


「見っけ!」

「このガキ……!」


 すかさず巾着袋を拾ったが、おっさんに首根っこを捕まえられた。

 俺がすかさずおっさんの脛に蹴りを入れると、おっさんは


「うぐ……」


と低く呻いて、その場にしゃがみこんだ。


「おい!」


 そのとき、5・6年生担当の男の先生が走って来た。

 ユズルも後ろから走ってくる。


「ユズル、ナイス! 先生、これ!」


 俺が先生とユズルに気を取られているうちに、おっさんが逃げようとしていた。


「待てーっ!」


 俺は思い切り、おっさんに飛び蹴りを食らわせた。


   * * *


 ……これが、俺がユズと仲良くなったきっかけ。

 ユズはこれまで他人のいろんな嫌な感情を聞いてきて、すっかり人間不信になっていたみたいだ。

 いつも声が聞こえる訳じゃなくて遮断できるらしいんだけど、強すぎる気持ちだと防ぎきれないらしい。


 紫色の目の方は、眼鏡をかけたり、カラーコンタクトをしたりして対策したら、ちょっとは気にならなくなったみたいだ。

 かなり時間はかかったけど、学校にはゆっくりと馴染んでいった。

 ユズから誰かに話しかけることは殆どなかったけど……。


 けれど、去年の3月……ユズが18の誕生日を迎えて、俺たちが地元の大学の進学を決めた頃、ユズの母親が死んでしまった。

 詳しいことは聞いてないけど、ずっと伏せっていたらしい。


 思えば高3の秋ごろから、ユズはまた、昔のような暗い顔をするようになっていた。

 そして大学進学を境に――ユズはまた、他人と関わらなくなってしまった。

 俺とは普通に喋るけど、新しい友人を作ろうとはしなかった。

 何回か理由を聞こうと思ったけど……事情が事情だから、結局聞けずにいた。


 ユズの母親……俺はスミレさんって呼んでたけど、スミレさんはユズとは逆に、とても明るくてよく笑う人だった。

 最後に会ったのは、1年ぐらい前だ。

 受験勉強に忙しくてユズの家に遊びに行くこともなかったから、そんなに悪い状態だったなんて、俺は全然知らなかった。


 だから俺は、大学進学にあたってアパートを決めるとき、ユズと同じアパートにした。

 じいちゃんもその方がお互い安心だから、と言ってくれた。



 ユズは、今も何も話してはくれないけど……いつか、自分は独りじゃないって気づいてくれたらいいな……と、思う。




 大学を出ると、外はすでに薄暗くて、梅雨は明けたはずなのに激しい雨が降っていた。

 今日はユズも好きな映画のシリーズのDVDを一緒に見る約束をしていたから、急いでレンタルショップに行った。

 レンタルショップを出る頃には、もうかなり真っ暗で……。


 で、なぜか――女の子が降って来た、訳だ。

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