円卓

 交差からたった一息で2kmも離れた。

 相手は左に切るだろう。

 緩く右旋回に入りつつ後上方を振り返る。

 青い空のスクリーンの手前に三角のシルエット。

 やはりいた。スロストだ。

 その翼に白い煙がかぶる。いきなりスピードを殺して急旋回しているのだ。カナードが襟のように立ち上がり、長い主翼が弓のようにしなる。機首がだんだんこちらに向いてくる。

 こちらにはまだスピードがあるが、その分大きく回っている。現状、旋回率はスロストが勝る。スロストの主翼が次第に薄くなり、一瞬線に見えた。

 ラダーで機体を右に滑らせる。

 すぐ左手を曳光弾が追い抜いていく。

 遅れて射撃音。音より弾の方が速い。

 私はそのまま右に捻って降下。


 スロストは追ってこない。水平旋回を続けている。

 私は大きく縦旋回してスロストの腹側に潜り込む。機速900km/h。そして突き上げ。

 ド正面にスロストの腹。

 ピパー[1]が表示される。射程に入った。

 が、スロストは素早くロール、機首下げで射線を外れた。

 私はスロストの背中の方へ飛び出した。そのまま上に抜けてループ。スロストもすぐに反転して上ってくる。


 縦旋回のドッグファイト。互いの位置はほぼ対角。

 今度はこちらも全力で回る。体が座席にへばりつき、上を向いたまま首が動かなくなる。上も下も青い空がビー玉のように回る。

 スロストのノズルが青白い紫がかった炎を引いている。

 下になり、上になる。

 最下点で速度が上がり、最高点で下がる。

 2周、3周……。

 2機の軌道は円を描く。

 速度は平均450km/hまで下がった。

 もはや互いの背中が触れられそうな距離だ。

 呼吸が苦しい。視界が灰色に曇り始める。このままでは気絶する。しかし旋回を緩めれば後ろを取られてしまう。


 ここは賭けだ。

 スロットル、スロー。

 私は操縦桿を引き続ける。機首が軽くなり、ベロシティマーカーがHUDの下端に消える。エネルギーを使い切ってでも相手に機首を向ける。

 HUDにスロストが入った。

 スロストは旋回をやめ、直進しつつバレルロール。速度がのっていないせいでクイックロールに似たスピンに入った。

 私は射撃したが、その不規則な動きに照準が追いつかない。追いかけようにもこちらもすでに半分失速している。機首を下げるしかない。

 スロストはスピンで高度を失いながらさらに機首を上げ、こちらに軸が合ったところで扇のように弾をばらまいた。

 機体に衝撃が2回。

 何かの警告音。

 スロストは3回転でぴたりとスピンを止め、1000mくらい離れたところで直線の鋭い加速に入った。

 逃げようとしている。

 やけに速い加速だ、と思ったが、それは降下加速だった。垂直降下だ。

 水平儀を見て私は自分の水平感覚が狂っていることに気づいた。バーティゴだ[2]。どこを見ても地表も水平線もない。狂いやすいのは当然だった。

 おまけにその狂った感覚に従って操縦しているのだからなかなか失速から抜け出せないのも当然だった。


 一度力を抜き、ラダーを踏んで機首を下げる。

 今のタイムロスでスロストには絶望的に引き離されてしまった。追うのは無理だ。

 ただスロストの方も追撃は諦めていた。

 2条の白煙が見える。ネフとイトナが放ったR-27の航跡だろう。その前方にきらきら光る雲のようなものがあった。スロストが撒いたチャフだろう。レーダーをTWSモードに戻すとその影もきちんとスクリーンに映っていた。

「追わなくていいよ」ネフが言った。「あいつさ、いつもいろいろと御託を並べるけど、結局は燃料を奪いに来てるだけなんだよ」

 迷彩のMiG-29が右後方についた。RWRが激しく反応した。RWRは味方のレーダー波でも一応反応するのだ。

「右の垂直尾翼がやられてる。何発だった?」とネフ。

「2発」

「真ん中に穴が空いてるのと、エッジのアンテナフェアリングがごっそり。よくラダーが落ちなかったね。ああ、破片でテールコーンも少しやられてるか」

 振り返る。確かにネフが言った通りの損傷だ。真ん中の1発は角度的に左の垂直尾翼まで貫通していてもおかしくない。一見無傷ということは榴弾だったのか。

 警告灯を確認。RWRと後方警戒レーダーにフェイルがある。RWRのセンサーはストレーキと垂直尾翼の先端計4ヶ所にある。右尾翼の損傷で配線がやられたらしい。後方レーダーの方は診断プログラムによると首振り制御部の沈黙だった。走査はできないが一応送受信と処理は機能している。


「ネフ、お前はきれいだな」私は言った。

「え、何、そんな急に口説くなんて」

「そういう意味じゃない。ここへ来てから一度も傷を負っていないのか」

「そんなわけないでしょ。度々危ない状態になってるよ。空母に降りればリペアしてもらえるから、それまで頑張って」

「そうか、空母で修理できるのか。そいつはありがたい」

「それはそうと、援護しなくてごめん」

「いや、いいよ。私の力量を量ってたんだろう? いきなり見過ごしと被弾じゃあ点数は低いだろうけど。それに、あんな小さく回っているところにミサイルを撃ち込まれたら私だって危ない」

「あなたはまだ飛んでる。それは十分実力だよ」

 私はこの世界で気をつけなければいけないいくつかの点を整理を頭の中で整理した。

 まず、現実世界より遥かに空間識失調に陥りやすいので水平器をよく見ておかなければならない。

 そしてこの世界の空は現実世界より遥かに縦の広がりが大きいので上下動と高度差をもっと活かさなければならない。もし設定次第で変えられるならSCANモードの垂直走査角を大きくしておきたい。

 ひとまずはこの2点だ。しかし今はリペアが先決。空母へ急がなければ。



―――――

[1]予測円。目標の速度と距離から「ここに撃てば当たる」という点をFCSが計算してHUD上に表示している。照準がピパーと重なった時に射撃すれば原理的には命中する。


[2]空間識失調。下を上と思い込むなど、重力方向についての錯覚。上下にかかわらず、1G旋回を続けていると重力のかかり方は水平飛行時と同じなのでバーティゴに陥りやすい。

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