2015・8・9(日)

 わたしはまずもって朝に弱い。起きる必要がなければ、そのままずるずると、昼過ぎまでベッドから出られないこともあるくらいであった。そしてそんな怠惰なわたしを、いつも蕾花さんはあきれたように、見ているのだった。もっとも看護師をしている蕾花さんと休みが重なることは、少ないのだけれど。

 でも、その日の朝は、違かった。

 なにか騒がしげな声に、薄ぼんやりと目を開けると、蕾花さんがひとり、テレビを見ているところだった。時計を見ると九時にすこし足らないくらいであった。

 テレビに映っているのは、子ども向けのアニメである。小学生か中学生くらいの女の子が、チアリーディングの格好をしたり、敵と戦ったりしている。

「……なにを見ているの?」

「プリンセスプリキュア」

 真面目に答える蕾花さんに唖然としてしまう。いつから見ていたのかわからないが、蕾花さんはそれはそれは熱心に、画面を見つめているのだった。わたしのほうをちらりとも見ないので、すこしだけ嫉妬した。アニメに嫉妬しても意味がないことくらい、わかってはいるのだが。

 アニメが終わると、蕾花さんはおおきく背伸びをしながら、さぁ、莉緒も早く支度しなさいね、と言った。よく見ると、蕾花さんはすでに髪を整えていて、薄く化粧もしている。わたしは自分の短い髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、あくびをした。蕾花さんの指の感触が、まだ体の内に残っていて、むずかゆいくらいであった。蕾花さんがいつ頃から起き出していたのか、見当もつかなかった。

「今日は日差しが強そうだから、紫外線対策はしっかりしておかなきゃ駄目よ。しみになっても知らないからね」

 そう言って笑う蕾花さんを、わたしは愛おしく感じて、ぎゅっと抱きしめたいな、と思ったけれど、我慢した。甘く疼くようなこの気持ちが続くほうが、わたしにとってはこころよいと、思ったのだ。

 ホテルでトーストとスクランブルエッグの朝食を摂り、用意してもらっていたお供え用の花束を受け取り、最寄りの駅から、路面電車に乗る。旅行書を片手に持った観光客とおぼしき乗客が、ぽつりぽつりと乗っている。乗り合わせた地元の女子高生に、道を訊ねたりしている。長崎では、八月九日のこの日は、夏休みの登校日であるのだと、聞いたことがある。彼らが、あるいは彼女たちが、その日になにを思うのか、わたしにはわからないけれど。

「今年は原爆投下から七十年、信徒発見から百五十年、そして長崎軌動百周年なのね」

 混み始めた路面電車の中、蕾花さんが掲示物を見つめながら、つぶやくように、そう言った。胸に抱いていた花束が、くしゃりと、潰れて音を立てた。

「そのうえ日曜日だから、人出も多いんじゃないかしらね」

 浦上天主堂でも、原爆投下の十一時二分に合わせて、ミサを行うようである。もっともわたしたちは、昼間のミサに与ることはしないで、夕方のミサに、出席する予定であった。

 だからこれから向かうのは、一花の眠っている、お墓なのである。

 路面電車がゆれる。まるで、世界そのものが、ゆれているように。窓のそとを見ると、たすきがけをして、幟を立て、並走している自転車の一団がある。なにがしかの主義主張を持って、行動しているようだけれど、それがどのような主義であり、主張であるのか、路面電車の中からでは窺い知ることはできなかった。

 松山町の駅に着き、路面電車を降りると、そとは刺すような日差しであった。蕾花さんがいそいそと日傘の用意をしている。わたしは蕾花さんから花束を受け取り、胸に抱いた。平和記念式典があるからだろうか、ここで降りる人が、大部分であった。昨日の夜と同じように、平和公園に、人々が吸いこまれていく。蝉の鳴き声が夜と違う。わしゃわしゃわしゃ、という声に、聞こえる。街を練り歩きながら、読経している僧侶たちがいる。さっき路面電車の中で見かけた、自転車に乗って幟を掲げたグループが、信号待ちをしている。

 ふと辺りを見ると、街の通りや交差点ごとに、警察官が幾人も立っていて、辺りを警戒しているのに気づいた。

「物々しいね」

「総理大臣が来るそうだから、そのせいもあるでしょうね」

 蕾花さんはあまり興味がなさそうに、日傘の影から、言った。わたしも肩を寄せ、日傘の中に入った。蕾花さんのつけている化粧水のにおいが、わたしの鼻先をくすぐった。

「そういえば安保の法案がどうのこうのって、テレビで出ていたわ。戦争をするようになるかもしれない法案が、本当に通ると思う?」

 蕾花さんが、近い距離からわたしに訊ねた。

「通ると思う」

 わたしは蕾花さんに答えた。

「もっとも蕾花さんが言うように、日本が戦争をする国になるのかどうかという件についてはまた別で、もう少し慎重に議論したほうがいいのでしょうけど。ただ、今国会の会期末が九月の二十四日だから……その前のたぶん、来月の十八日までには決まるんじゃないかしら。次の週はシルバーウィークがあってバタバタすると思うから」

 わたしがそう伝えると、蕾花さんはぽかんとした目で、わたしを見ていた。

「……なに? わたし、変なこと言った?」

「いや、莉緒が賢い人に見えてびっくりしちゃって」

 途端にぶすっとした表情を浮かべたわたしの頬をつつき、蕾花さんが苦笑した。ごめんごめん、とつぶやいている。まったくもう。

 平和公園通りの交差点を越えると、左手側に式典が執り行われる平和公園があり、道路の反対側、右手側が原爆落下中心地公園である。

「すこし寄っていってもいい?」

 右手側の公園を見つめながら、蕾花さんが言った。もちろんわたしは拒否したりしない。その公園は、どこにでもあるような市民公園みたいにみえるけれど、グラウンド・ゼロを示す黒い石碑の周りには、千羽鶴や献花があふれていた。公園の所々で集会が開かれていて、核の廃絶やら、現政権の批判やら、スピーカーを使って訴え続けている。

 蕾花さんに連れられてきた先には、柱が立っていた。古い煉瓦造りの、柱である。

「これ、なに?」

「昨日見たでしょう? 浦上天主堂の、廃墟だったものの、その名残よ」

 説明書きを読むと、どうやら柱ではなく、壁の一部を、移設したものらしい。焼け焦げたようなお姿の聖人の像が、壁の上で佇んでいる。わたしは壁に残された、黒いしみをそっと撫でた。あの日、あのときの傷が、ここにまだ、生々しく残っているのだ、そう思うと途端に切なくなった。

「これをわたしに見せたかったの?」

 訊ねると、蕾花さんは曖昧にうなずいた。

「わたし、昨日の夜のプロジェクションマッピングは綺麗だと思ったけれど、でも、教会があの場所に建て直されたのは、良かったことだと思っているの。死と復活はキリスト教の根幹なのだから」

 幼い頃に洗礼を受けている、生粋のキリスト教徒である蕾花さんは、教会の破壊を死と、再建を復活と捉えたのかもしれない。わたしはそうだね、と返事をして、空を見上げた。抜けるような八月の青い空が、どこまでもどこまでも広がっていた。


 公園を出て、昨日も通った道を、ふたりでゆっくりと歩く。小川にかけられた松山橋を通るとき、ふと意識を取られ、足を止めて、川面を見つめた。綺麗な水の中を魚が泳いでいた。小さくて可憐な紫色の花が、いくつもいくつも岸辺に咲いていた。水はどこまでも澄んでいて、涼しげであった。昨日は気づかなかった。夜だったから、ここに橋がかかっていることすら、気にも留めていなかった。

 橋のたもとに看板が出ている。そこにはなにか、説明文らしきものが書かれている。

「……ここで大勢の人が水を求めて川に飛び込み、そして死んだのね」

 看板を見つめながら、蕾花さんが言った。わたしは小さく息を飲んだ。あの日、この川は一瞬で干上がり、そして……。

「当たり前の風景の一部にも、美しい景色の中にも、きっと辛いことは隠されているのね」

 そう言った蕾花さんの顔こそ、辛そうにゆがんでいた。本当に、本当に辛そうで、わたしは声をかけることができなかった。

 アスファルトの上に、逃げ水が見える。これからどんどん、気温は上がっていくのだろう。蝉の声を聞きながら、わたしたちは歩き続けた。首筋に汗が伝い、日傘の影が、わたしと蕾花さんを覆っていた。

 一花のお墓は、街の共同墓地の、一角にある。月庭の家に連なる古いお墓で、係累の名前がいくつも彫られている。けれどもその区画には、雑草が伸び放題になっていた。もう誰も、このお墓を引き継ぐ人は、この街にはいないのだ。改めてそう思うと、少しだけさみしくなった。

 辺りには、ちらほらとお墓参りに来はじめた、人の姿がみえた。長崎という土地柄なのか、十字架を模したお墓や、マリア様の像も散見される。ふと一花の眠る墓石の横を見ると、原爆死、と書かれている箇所があり、その下に名前と享年が書かれている。この名前の人たちが、一花と蕾花さんの祖父の……妹と、両親なのだろう。

 わたしたちの周りで静かに墓石に手を合わせている彼らも、あるいは原爆で亡くなられた方の、係累なのかもしれない。

 ぐるりと墓地を見渡した。訪れたのは初めてだった。蕾花さんは、去年一花の骨を分骨しに来て、これが二度目のはずであった。

 伸び放題になっていた草を抜き、持ってきた花をそなえていると、ちょうど十一時二分になり、黙祷を促す自治体の放送が入った。追悼のサイレンが細く、長く、響いた。

 黙祷。

 わたしたちはそろって目をつむる。そして、遠くから浦上天主堂のアンジェラスの鐘が鳴り響いたのを、聞いた。

 薄眼を開けると、蕾花さんはまだ、目を閉じたまま、黙祷を続けている。そして目の前の墓石の上には、

 あの子がいた。

 麦穂色の髪が、その豊かな巻き毛が、太陽の光を反射して、きらきらと光っている。墓石に腰掛け、尻尾をぱたぱたと振りながら、わたしを見ている。

 一花そっくりのあの子は、にっこりと笑って、


 ありがとう。


 と、言った。

 指先が震えていた。心臓が早鐘を打っていた。喉がからからになって、声が出なかった。わたしは身じろぎすることもできずに、手に汗をかいたまま、じっと少女を、見つめていた。


 今日はわたしに会いに来てくれて、ありがとう。


 そして、そう言い残して、彼女は消えた。消えてしまった。わたしは手を伸ばしかけ、けれどもはじめから触れることができないのはわかっていて、自分の震える指先を、茫然と見ていた。

 わたしは自分がなにを見ているのか、なにを見ていたのか、わからなかった。あれは、目の前にいたあの子は、本当は……いったい、なんだったのだろう。誰だったのだろう。

 いつの間にか、わたしは声を殺して泣いていた。涙があとからあとから溢れてきて、止まらなかった。

 必死で嗚咽を堪えているわたしに気づいて、蕾花さんが慌てている。どうしたの、大丈夫、と声をかけてくれながら、わたしの背中を、一生懸命にさすっている。

 ちがう、ちがうの、ごめんなさい、ごめんなさい。

 わたしはぐじぐじと涙をぬぐいながら、いつまでもいつまでも、誰かに向かって、謝り続けていた。


 一花はその古い家に、ひとりで寝ていた。ひっそりとした奥の畳の部屋に、薄い布団が敷かれていて、わたしが訪ねたときも、一花はじっと、天井を見つめていた。ふと見ると、口元にあてたタオルが、赤く染まっている。

「ちょっと鼻血が止まらなくて」

 そう言って、やるせなさそうに、わたしに向かって苦笑してみせた。起きあがるのもしんどいようであった。青白い顔は、まるで玻璃のように、透き通っていた。

 交通事故で両親が他界したのちは、この広くて古い家に、おじいさんと三人で暮らしていた。おじいさんが亡くなって今は、一花は姉の蕾花さんと、ふたりで暮らしている。今日は確か、蕾花さんは夜勤で、戻らないはずであったから、この家には一花以外、誰もいないのである。

 それは五月の最後の、気持ちのいい日曜日のことだった。

「大丈夫なの?」

「うん。たまにあることだから。ごめんね……あんまり見ないで」

 一花は退院してきてからも、ずっと寝てばかりいる。抜けてしまった髪を気にして、家の中でもニット帽をかぶり続けている。そしてそんな自分を見られるのを、ことさら嫌がるのであった。

 わたしはそっと視線を外し、手土産に買ってきた、まだ出始めの枇杷の実を台所で洗って、一花のために剥いてあげた。

「職業の、分からぬ家や、枇杷の花」

 ガラスのうつわに盛った枇杷を見て、一花は、句のようなものをつぶやいた。聞き覚えがあったから、一花のものではないと思うけれど、それが誰のものなのかまでは、わからなかった。

「花じゃないよ。実だよ」

 わたしは笑って、一花の枕元に、うつわを置いた。一花はちらりと見ただけで、手に取ろうとはしなかった。

「ありがとう。もう少し経ってからもらうね。今はまだ、口の中に血の味がするから」

 そしていいわけするように、言うのだった。

「本当に大丈夫? ……蕾花さんに連絡しようか?」

 わたしが心配になって訊ねると、

「駄目っ」

 慌てたように、くぐもった声で、一花はちいさく、けれども鋭く叫んだ。起きかけの肩が、かわいそうなくらいに痩せていた。あおじろかった顔が、ほんのりと、朱に染まっていた。

「……迷惑かけたくないの。だから、姉さんには知らせないで。お願い」

「うん。……わかったから。寝てなさい、ね?」

 一花のゆかたがすこしだけ、乱れていた。一花はずっと、タオルを鼻と口に、あて続けていた。

「わたしのおじいさんはね」

 ずっと無言で寝ていたのだけれど、しばらくしてから、不意に一花が話しだした。それは相変わらず、鼻が詰まっているようにくぐもっていて、聞き取りづらい声だった。

「長崎の出身なの。戦争で両親と妹を亡くして、こっちに出てきたらしいわ」

 らしい、というその言い振りに、わたしはなにか、違和感のようなものを感じた。そのことを告げると、

「誰も詳しく訊いたことがないの。死んだお父さんも、戦争中の話を聞いたことはなかったって」

 一花はそう言った。そしてすこしだけ、沈黙した。

「……でも、本当はね、一度だけ、わたしにだけ話してくれたことがあるの。わたしの病気がわかって、入院することになった日の、夜だったな」

 一花が最初に入院したのは中学二年生のことだから、そのころにはまだ、一花の両親は亡くなっていたけれど、おじいさんは存命であった。

「あの日、原爆が落ちたあの日、自分は街はずれの親戚の家にいたのだと。親戚が止めるのも聞かないで、自宅があった浦上に戻ったのだと、そう言っていたわ」

 それがなにを意味するのかわかって、わたしは息を飲んだ。胸が詰まって、うまく呼吸をすることが、できなかった。

「そこでなにを見たのかは、教えてくれなかった。けれどもおじいさんは頭を下げて、わたしに言ったの。もしかしたらそのときに、自分の中に、街に残っていた毒が入り込んでしまって、それがお前の病気の元になってしまったのだとしたら、申し訳なくて申し訳なくてわしはお前の両親に顔向けができない、すまないことをした、本当にすまないことをした、そう言ってね、おじいさんは、何度も何度も頭を下げて、悔しそうに泣いていた」

 冷たく澄んだ瞳で、一花はわたしを見ていた。口元に当てたタオルに染み込んだ血が、すこしずつ、ひろがっているようにも、見えるのだった。

「わたしは、そんな話、聞きたくなかった。自分の病気をだれかの、なにかのせいにしてしまうのが、怖かったの。だからもうやめてって、おじいさんにそう言ったわ。……そのあとでずいぶんと調べたわ。ほとんどが風評なのだと知って、ほっとした。でも、ほっとしながらも、もしかしたら、っていう思いが消えなかった。今も消えないの。ねえ、知らなければ、全部知らなければ、わたしは姉さんみたいに、平和な心でいられたのかな」

「……一花」

 一花はちいさく、首を横に振った。わたしはそれ以上言葉をつむげず、ただ、だまって、光を透かした白い障子を、ながめていた。ちぃちぃと鳥の鳴き声が聞こえていた。

「ありがとう」

 それからまた唐突に、一花が謝辞めいたことを言った。わたしは意味がわからなくて、それでも胸がざわざわして、慌てて一花の顔を見た。じっと見つめた。彼女の言葉がなぜだか、別れの言葉に聞こえたのだ。

「今日はわたしに会いに来てくれて、ありがとう。……すこし、眠ってもいい?」

「いいよ。寝つくまでそばにいてあげる」

 わたしはちいさな声でそう言った。その声はすこし、かすれていたかもしれない。

 一花はタオルを口に当てたまま、目をつむり、やがてすぅすぅと寝息を立て始めた。

 わたしは彼女の寝顔を見て、すこしだけ安堵した。血を吸って重くなったタオルをのけてあげると、いつの間にか鼻血も止まっているようだった。それに、冷たくしたおしぼりで顔を拭いてあげたら、とても安らかな、赤子みたいな寝顔だったから。わたしはほっと胸を撫で下ろして、しばらく彼女の寝顔を見つめたのち、家をあとにしたのだった。

 大丈夫、きっと彼女はすこしだけ気弱になっているだけなのだろう、また明日、学校の帰りに見舞いに来よう、そう思いながら、帰路についたのだった。

 でも、

 一花はそのまま、目を覚まさなかった。


「……落ち着いた?」

 蕾花さんが心配そうに、わたしの顔を覗き込んでいた。わたしはむせびながら、蕾花さんに抱かれていた。蝉の声がわしゃわしゃとうるさかった。空には真っ白な雲が浮かんでいて、目に痛いほどだった。

「大丈夫? 立てる?」

「……うん」

 わたしは周囲を見回した。もうそこには、誰もいなかった。あの子の姿は、どこにも見えなかった。

 わたしたちは、無言のまま、ホテルに帰った。帰る途中でコンビニエンスストアに立ち寄って、おにぎりとお茶を買った。食欲はまったくなかったけれど、むりやりお茶でおにぎりを飲み下した。蕾花さんは話しかけてこなかった。けれど、ずっと心配そうに、わたしのようすを窺っていた。のどが詰まってしまって、胸が詰まってしまって、おにぎりひとつ食べ終えるのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。ひどく、疲れてしまった。

「……すこし、眠ってもいい?」

 わたしが訊ねると、

「いいよ。寝つくまでそばにいてあげる」

 蕾花さんはやわらかく笑って、わたしの髪をやさしく、撫でてくれた。

 ベッドにうつ伏せに横たわり、目を閉じた。

 蕾花さんの指を感じながら、わたしはいつの間にか、夢のない眠りに落ちていった。

 目を覚ましたときには、太陽が西に傾いていた。時計を見ると、四時半をすこし、過ぎたところであった。蕾花さんは目を閉じる前とおなじようにわたしの傍らにいて、蕾花さんの傍らには、いつもの詩集が置かれている。

「ごめん、寝すぎちゃった?」

「ううん。大丈夫。それより、お化粧を直さないと。目も腫れぼったくなっちゃったわね」

 そう言って、蕾花さんはわたしの顔を覗き込み、口元にちいさな苦笑を浮かべたのだった。

 本当は一度シャワーを浴びたかったのだけれど、そんな時間はなさそうだったので、洗顔だけして、もう一度お化粧し直した。たしかにまぶたが重たげに見え、白目が赤く充血していた。

 わたしが急に泣き出した理由を、とりみだしてしまった理由を、蕾花さんは訊かなかった。

 いつもよりもしっかりと手をつなぎながら、また路面電車に乗り込み、松山町で降りる。昨日からずっと、この区間を行ったり来たりしているので、なんだか見知った街のようなこころもちになるけれど、それでも金色に染まった街の景色は、夜よりも、朝よりも、美しいと思った。

 平和公園への人出は少ない。きっと、式典が終わってしまって、人々は自分が帰るべき場所に、戻って行ったのだろう。

 このさびしさに似た感覚に、わたしは覚えがあった。それは六月の、一花の命日の、きわであった。蕾花さんにこの旅行に誘われたのとおなじころ、わたしは教頭先生に、見合いを勧められていた。いまどき職場でそんなことをするのはセクハラ以外のなにものでもないと思いつつも、自分の伯父でもある教頭の勧めを無碍にもできず、わたしはすこしだけ、困っていた。

 一緒に暮らしているわけではないから、という理由だけでなく、両親にはわたしが妻子のある男と付き合っていたことも、蕾花さんとのことも、結局なにも言えないままだった。保守的で身持ちの堅い両親に、不倫していたことや、同性の恋人の存在をどうやって伝えたらいいのかわからなかったのだ。あるいは、離れていても、親もなにか感じるところが、あったのだろうか。あるいは伯父に、見合いの話を持って来させたり、したのだろうか。

 わたしは、両親に蕾花さんとのことを伝えられなかったのとおなじように、自分に見合いの話が来ていることを、蕾花さんに伝えられなかった。

 精神のバランスを欠いていくにつれ、あの子がわたしの目の前に現れる回数も、増えていった。いつもどこかを指さして、なにかを訴えているあの子の姿に、わたしはだんだん、いらだちを覚えるようになっていた。

 ううん、違う。見合いのことがきっかけだったわけじゃない。それに、あの子のせいでもない。もっとずっと、前から。わたしは……蕾花さんのことをこんなにも好きになってしまって、けれどもどうして蕾花さんがわたしに付き合おうと言ったのか、言ってくれたのか、その理由を訊くのが怖くて、行き場をなくしかけていたのだ。行き場をなくしかけていたわたしに、蕾花さんは、一緒に長崎に行って欲しいの、と、言ってくれたのだった。きっと、いろいろなことが、一遍にかさなってしまっただけなのだ。そう思うと、なぜだか無性に、悲しかった。

 焼かれてちいさくなった一花のお骨の大部分は、わたしたちの住む街にある、月庭家のお墓で、今も眠っている。長崎にある係累の絶えたお墓に分骨して欲しいと願ったのは、そこへ毎年八月九日に会いに来てほしいと願ったのは、一花自身であったという。蕾花さんあてに残されていた手紙に、そう書かれていたのだと、わたしはあとから知らされた。けれどもなぜそんなことを一花が願ったのか、蕾花さんは結局、知らないままである。

「逆に少し早かったかしら」

 ちらりと腕時計を見て、蕾花さんが言った。浦上天主堂に続く坂道に、信徒と思しき人たちの姿はまだ、見えない。そのときふと気付いたのだけれど、昨日の夜の公園——天主公園というらしい——にはお揃いの、黒いTシャツを着た人たちがいて、手を叩き、からだをゆすりながら、ゴスペルを歌っていた。わたしたちはおなじキリストを信じるものであっても、プロテスタントのほうにはあまり馴染みがなかったので、ああ、めずらしいな、と思って、足を止めた。蕾花さんもわたしのかたわらに立ち止まり、じっと耳を澄ましている。

 合唱が終わり、そしてまた、次の歌がはじまる。


 Amazing grace! how sweet the sound

 (素晴らしい神の恵み、なんと甘美な響きであろうか)

 That saved a wretch like me!

 (神はわたしのようなものでさえ救ってくださる)

 I once was lost but now am found

 (みちを踏みはずして、さまよっていたわたしを救い)

 Was blind, but now I see.

 (今まで見えていなかったお恵みを、今は見いだしてくださる)


「……アメイジング・グレイスね」

 蕾花さんが髪をかきあげて、言った。金色の日差しの中、朗々と、甘く歌い上げられるその歌声に、わたしたちはただ、聴き惚れていた。

 浦上天主堂には、被爆の遺構が今も数多く残されている。熱線で焼かれた聖人の像や、吹き飛ばされた鐘楼、そして聖堂の中に安置されている、被爆のマリア様。別館には当時を偲ぶ品々も、保管されているらしい。

 わたしたちは坂を登り、けれどもすぐに聖堂には向かわず、小川のへりに、あの日以来そこにあるのだというアンジェラスの鐘の、その破壊された鐘楼を見おろしながら、立ちつくしていた。

「どうして……一花はこの街のお墓で、眠りたかったのかしら。去年ひとりで来たときには、わからなかった。ううん。今も……わからないの」

 右手の、人さし指の第二関節を噛みながら、蕾花さんが言った。去年もここに立ちつくして、鐘楼を見ていたらしい。

「莉緒にはその理由がわかる?」

 わたしは朽ちた煉瓦造りの鐘楼の上で、こちらを見てにこにこと笑っているあの子を見つめながら、

「……忘れて欲しくなかったんじゃないかな」

 と、答えた。

「わたしが一花を忘れるわけがないのに」

「ううん。きっとそうじゃなくて」

 わたしはつなぎ合わせていた手に、指先に、きゅっと力を込めた。

「それだけじゃなくて。自分のことだけじゃなくて、全部を、一花が一花であったことの証しを、忘れて欲しくなかったんだと思う」

 自分たちが被爆三世であること。

 姉の……蕾花さんを、きっと好きだったこと。

 それから、祖父が暮らし、かつて見たであろうこの街と、この街に起こった悲劇のことを。

 全部、一花がずっと言えなかったことを、言葉にしないままに、蕾花さんには覚えていて欲しかったのではないかと、愚かなわたしは今更ながらに思うのだ。

「……もうすぐミサが始まるわ」

 蕾花さんがわたしの手を引いた。

 わたしはちらりと振り返って、もう一度、見た。

 わたしにしか見えない幻は、すでに、そこからいなくなっていた。

 聖堂の入り口に戻り、お祈りに来たことを告げる。そして、すぐ近くにいた、カトリック長崎教区と書かれている、黄色い腕章をつけた案内係りの女性信者の方に、訊ねてみた。

「わたしたちは旅行者なのですが、ミサ後の松明の行列にも、参加できますか?」

「大丈夫よ。松明はいっぱい用意してあるけん。どこでもいいけん教区の列の後ろに並んどけばよかよ」

 わたしは蕾花さんとうなずき合いながら、その言葉を聞いて、ちょっとだけ、ほっとしたのだった。

 中に入ると、聖堂の中は、広さだけでもわたしたちが通っている教会の、四五倍しごばいはあるだろうかと思われた。司教座の置かれた聖堂、いわゆるカテドラルでお祈りするのははじめてで、さっきほっとしたのにもかかわらず、すこしだけ、緊張してきてしまった。

「そういえば蕾花さんは、去年、被爆のマリア様のミサと行列には参加してないの?」

「うん。いろいろと手続きもあって、教会には来たのだけどね。日程が合わなくて、その日の便で戻ってきちゃったから。わたしも今回が初めてなの」

 蕾花さんはそう言って、遠い目をしている。いろいろな手続きとは、もしかしたら分骨やお墓の管理についての、ことだろうか。そう思ったけれど、なんとなく訊きづらくて、口をつぐんだ。

 わたしたちが席に着くと、信徒の人たちも次第に集まってきて、席がすこしずつ埋まっていく。

 最初にマリア様の小聖堂の、十周年記念式典がおこなわれたあと、ミサの前に、今日歌う予定の聖歌の練習を、神父様が先導して、皆でおこなうのだった。蕾花さんはだいたい諳んじているようすで、歌集をぱらぱらと開きながら、信徒さんたちと一緒に、聖歌を口ずさんでいる。蕾花さんのかむった白いベールがさやさやとゆれていた。しばらくするとその練習も終わり、しばしの沈黙が聖堂の中に流れた。

 この、ミサが始まるまでの空白の時間に、わたしはいささか飲まれてしまったようであった。そわそわとして落ち着かなくて、手のひらに汗をかき始めていた。お腹がしくしくとして、顔だって、すこし、青ざめていたかもしれない。そんなわたしの様子に気づいたのだろう。大丈夫、心配ないわ、そう言って、蕾花さんはわたしの右手に、そっと、自分の左手を、重ねるのだった。

 わたしは蕾花さんといっしょに教会には通っているけれど、蕾花さんのように、洗礼を受けているわけではなかった。幼い頃に受洗している蕾花さんとはちがって、今げんざい女性との恋愛をしているわたしには、同性愛を禁じるカトリックの教理にのっとり、洗礼の秘蹟に与ることができない。すでに受けた秘蹟を反故にはできないように、資格のないものは、カトリックの共同体の一員にはなれないのだ。すくなくともわたしたちの通う教会では、そうなっている。蕾花さんは、今はわたしとのことがあるから聖体拝領を辞しているけれど、きっと、わたしたちは死んだら別々の場所に行くことになる。そこが地獄なのか、なんなのか、わからないけれど。だから、今、わたしたちはぎゅっと、いつも、いつだって、手を、心をつなぎ合わせている。……でも。

 本当は、わたしにそんな資格は、ないのに。

 蕾花さんに本当のことを告げることもできず、見合いの話もあいまいに返事をしたまま、今も保留にしてしまっているというのに。

 そして、そんなふうに思って、突き刺すような、引き裂かれるような胸の痛みを感じているうちに、

 ミサが始まった。


 侍従に先導されて、長崎の被爆のマリア様と、ゲルニカの街で爆撃を受けたという、二体の御受難のマリア様が、しずしずと、そしてうやうやしく、運ばれて来た。頭部だけになってしまった被爆のマリア様のお姿はとても切なくて、思っていたよりもずっと、小さかった。えぐり取られたような、焼け落ちた眼窩に、深い憐れみが凝っているようであった。ゲルニカのマリア様も、頭の後ろがわをなくして、おなじくらい痛々しいお姿を晒していた。

 次いで司教団が列をなすのが見えた。在日バチカン市国の司教様の他にも、外国からおいでになった司祭様が、大勢おられるようだった。長崎教区の大司教様がそのあとに続いた。振り香の匂いが、聖堂を満たしていく。

 そのときだった。

 血の気の引いていくような、急激なめまいを感じて、わたしはその場にうずくまった。立っていられなかった。蕾花さんが腰をかがめて、わたしの顔を覗き込んでいた。つらそうにしているわたしを見て、蕾花さんの顔も、青ざめていた。

「どうしたの? 具合、悪いの?」

「……めまいがして、ごめんなさい。それに……始まっちゃったみたいで」

「そうなの? でも大丈夫だから。無理しないでいいからね」

 ちいさな声でささやきあう。背中にそえられた蕾花さんの手のあたたかさに、なんだか泣きそうになりながら、じっと、めまいに耐えるように、わたしは床を見つめていた。

 わたしたちは司教様の列が過ぎるのを待ってから、そっとその場を抜けた。そして救護班という案内が出ていた聖堂右脇の場所に、わたしは蕾花さんに肩を抱かれながら、連れていってもらったのだった。

「どうかされましたか?」

 白い修道服を着たシスターが、わたしたちに向かって声をかけてくれた。

「連れが貧血みたいなんです。すこし休めば良くなると思うんですけど……」

「救護室がありますので、ご案内しますね」

 わたしは簡易ベッドに寝かされ、申し訳なさでいっぱいになりながら、蕾花さんに自分はひとりで大丈夫だから、御ミサに出てきていいよ、と伝えた。

 すると途端に、

「そんなこと言わないでっ」

 蕾花さんの声が、わたしの耳を打った。それは、ことのほか、大きな声だった。蕾花さん自身も、自分が大きな声を出したことに、びっくりしているようだった。

「ごめん。……怒るつもりはなかったの。でも、一花の」

 蕾花さんは、キュッと唇を噛みしめ、それから。

「一花が最後に、わたしに言った言葉と、そっくりだったから」

 泣きそうな顔で、わたしにそう告げたのだった。

「わたしのほうこそごめんなさい。……本当は、側にいてくれると、うれしいです」

「うん」

「手、いい?」

「いいよ」

 そしていつものように、わたしの右手を、蕾花さんは左手で、そっと、握りしめてくれるのだった。

 指輪と指輪が重なり合って、かちん、とちいさな、音がする。それはわたしと蕾花さんとをつなぐ、奇跡みたいな、音だった。


 すこし休んでから戻ると、ゲルニカの街を統括する、ビルバオ教区の司教様の説話が、始まっていた。となりで随時、日本語に翻訳してくれている神父様がいて、わたしはまだ重たい感じの残っていた頭で、ぼんやりとその話を聞いていた。となりの蕾花さんは、ときどきわたしのようすを窺いながら、説話に耳をかたむけている。

 わたしは高い天井を見あげて、けれど戦争のことも平和のことも、じょうずに考えられず、人の悲しみはどこから来るのだろう、なんて、答えのないようなことを思っていた。

 一九八一年、二月二十五日に広島を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世様は、

「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」

 と、お話になられたという。

 二〇〇九年十一月に、広島と長崎で起こったことについて教皇フランシスコ様が質問を受けたときの最初のお言葉は、

「人類はそこからなにも学びませんでした」

 と、いうものであったという。

 広島に原爆を落とした爆撃機、エノラ・ゲイに神の祝福を授けたのは、ルター派の従軍牧師、ウィリアム・ドーニーであった。彼の祝福の言葉はレコードに残されていて、今も聞くことができる。けれどもドーニーは終戦後、爆撃機を神の名で清めたことを激しく悔いたという。他方、長崎に原爆を落としたボックス・カーを祝福したのはカトリックの従軍司祭、ジョージ・ザベルカである。彼も戦後、被爆した市民の様子を、そのむごたらしさをつぶさに知り、そののちはあらゆる暴力に反対し、平和活動に身を挺したと伝えられている。

 そして今、わたしの手元には、目の前で話をしておられるマリオ・イセタ司教様のメッセージの、プリントがある。題名は、「恵みと努力による平和」となっている。平和の恵みは神様からもたらされるもの。でも、それは、人の努力がなければ、人々が協力し合わなければ、この世界に実を結ばない。そのような論旨のものであった。

 わたしは目をつむり、祈った。

 難しいことはわからない。

 わたしみたいな優柔不断でなさけない人間が、なにかの役に立つとも、思えない。

 人類の平和なんて壮大すぎて、実感がわかない。

 でも、

 それでもわたしは、

 せめて隣にいる蕾花さんには、かなしい思いをさせたく、ないのだった。

 一花みたいな、かなしい思いをする人が、少しでも減ればいいのにと、願うのだった。


 ミサが終わると、次は被爆のマリア様と共に、平和公園までの松明行列が、始まるのだった。聖堂の前は黒山の人だかりになっていて、どこかの新聞社の、カメラマンだろうか、わたしたちに向かってフラッシュを焚き、シャッターを切っている。ふりかえると浦上天主堂の壁面は、オレンジ色にライトアップされていて、とてもきれいであった。

 わたしたちは南区の信徒さんたちの列の後ろにつき、係りの人から、竹でできた細長い松明を受け取った。列はすでに動き出していて、坂道に向かって、ゆっくりと火の灯りが移動していった。その一番先におられるのは、被爆のマリア様の、神輿であった。色鮮やかな電飾で飾られた神輿が、しずしずと、遠ざかっていく。人々の口から、アヴェ・マリアの祈りが、夜空に低く、たゆたうように、つむがれていく。

 最初は行列への参加をキャンセルしようか、とも言われたのだけれど、わたしは蕾花さんからもらった薬を飲んだこともあり、具合の悪さも落ち着いてきていたので、行きたい、と申し出た。蕾花さんはそれでもまだ心配そうな顔をしながらも、わたしの言葉を信じ、参加を許してくれた。今は右手に松明を持ち、左手でロザリオの珠をくりながら、わたしのとなりを、ゆっくりと歩いている。わたしも蕾花さんと一緒に歩くことができて、うれしかった。けれどそう思っていたのもつかの間、それは起こった。本当に、突然のできごとだった。

 教会の敷地をあともう少しで抜ける、という場所で、なにかが不意に、蕾花さんの胸にぶつかってきたのだった。

 わたしは蕾花さんの、きゃあっ、という悲鳴に驚いて、足を止めた。

「え? なに? どうしたの?」

 わたしが訊ねると、蕾花さんは身を竦ませながら、

「蝉、蝉が服にっ、お願い助けてっ」

 よくよく見てみると、蕾花さんのブラウスの胸元に、丸々とした大きな蝉が、とまっている。じーじーと声を上げている。

 わたしはそれを素早く手で掴むと、近くの木の梢にむかって、放ってあげた。蝉は短くじじっと鳴いて、どこかに飛び去っていった。

「あ、ありがと。ごめんね」

 虫が苦手な蕾花さんは、さっきまでのわたしよりもずっと、青い顔をしている。わたしは虫には強いたちであったから、なんでもなさそうに、蕾花さんに笑いかけて、もう大丈夫だよ、とささやきかけたのだった。蕾花さんも、ぎこちなく、苦笑を浮かべている。

 ただ、

「両手がふさがっていると危ないよ、って注意されたんだと思うな」

 冗談まじりにわたしが言うと、

「そうかな」

 蕾花さんはふたたび、沈んだ顔をするのであった。なのでわたしは蕾花さんの左手を、自分の右手でやさしく包み、蕾花さんのロザリオをそっと、おおいかくしたのだった。

「だからね、……わたしから手を離さないで」

 わたしは言った。冗談めかしていても、とても、切実な声で。

 蕾花さんの驚いたような、けれどもはにかんだみたいな微笑が、松明の火に、ゆれている。その笑顔を見た瞬間、なにかが通じ合ったような気がして、わたしは蕾花さんに恋をしてよかったのだと、心から思った。

 今、ふたりの手のひらの中に、ロザリオが、すっぽりと収まっている。

 わたしたちはその存在を確かめ合いながら、手をつなぎながら、ねっとりとした夜の気配の中を、歩き続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る