桜の木に宿る悪魔~ふ~

 あらうが車を降りる前に、その視界に捉えていたのは、『何か』を盗られて、その場で力なく座り込んでしまった女性と、行き交う人を掻き分けて、走り去る大柄な男の姿だった。


 降りてすぐ、あらうは座り込んでしまった女性の元へと駆け寄った。


 「大丈夫? 怪我はない?」

 「あ、はい。 怪我は……ないみたいです。あ、ありがとうございます」


 女性の言う通り、外見には目立った怪我も無い。無事なようだ。


 「君にぶつかったあの男が持っていったものは君のだよね?」

 「そ、そうなんです。街中の写真を撮っていたら、急にぶつかってきてカメラを……」


 そう言った女性の目は潤んでいた。


 「そっか。じゃあ僕が来たのは丁度よかった」


 あらうは言葉の真意を理解出来ずにいる女性に話を続ける。


 「僕はこう見えても何でも屋兼探偵……の助手だから。そうだ!『依頼』してよ」そういって、あらうは晴れやかに微笑みかける。

 「え?」

 「カメラ取り返したいでしょ?」そう言ったあらうに、女性は少し間をおいて、深々と頭を下げた。そして、一言だけ言葉を発した。

 「え、えっと、その。お、お願いします」


 


 頭を下げていたことで、顔は見えなかったが、声からは盗られたカメラへの諦めと、悲しみが感じ取れる。


 ――わらにもすがる、そんな感じだね。もっと、僕に頼り甲斐のある雰囲気でもあれば……。服装でも変えてみようかな。


 溜息を吐いた後、男の逃げた方に向き直ったあらうは、男の特徴を思い出していた。

 あらうの身長が170センチ前後ということを考えると、逃げた男は190センチ程はあることが予想される。


 ――体格差は否めないね。


 黒いニット帽に、黒い服、その辺りまでは記憶していたあらうは目を凝らしたが、前方には類似した姿はなかった。


 「うん。仕方……ないな」そう呟くと、遠くを見据え、辺りを見渡し始めた。


 大きな通り沿いの、人通りが多い道。今の騒ぎから、野次馬が多く、ざわついている。だが、あらうはそれらの人、声、行き交う車などの雑音は捉えない。

 人の心や想い、思考など、それらを視覚や聴覚といった、五感から感じ取り、あらうなりに認識することで、男の行方を追う。


 ――この人かな。印象としては、体格とは反比例して、凄く小さな鬼。声は高く、耳障り。これは……はは。小物感が凄いな。


 「見た目ばかり虚勢を張るクズだね」そう呟き、男が逃げた方と反対方向に駆け出した。


 一本目の道を左手に曲がると、100メートル程先に周りを警戒し、落ち着かない様子の男の姿が目視出来た。


 ――最初に向かった方向とは逆に向かうことで、振り切ろうとでも思ってたのかな……。頭の悪い人だ。


 あらうは薄笑いを浮かべると、男との距離を詰めるため、男との間を埋め尽くしている人混みの中に飛び込んだ。人にぶつかることは無く、静かに、自然に、前を歩く人を追い抜いた。追い抜かれた人達は、抜かれた後にあらうに気付く。


 突然現れるあらうに驚きの声を上げる人もいた。


 後ろから近づいてくるあらうに男は気付くことはなかった。結局、男が気付いたのは人混みから外れ、人の目の無い裏路地に入った後、あらうから声をかけられてからだった。


 「ねぇねぇ。おじさん。子供の頃に習わなかったの? 人の物を盗ったらいけないって……」

 「うぉ。なんだてめぇは」


 足音もなく、突然背後から声を掛けられた男は、驚きを隠せなかった。焦る男にあらうは話を続ける。


 「本当はさ。面倒だったし、後ろから飛び蹴りでもして、一撃で意識飛ばそうかなって思ったんだけど……。そのカメラを壊すわけにもいかないし、まずは話が通じる相手かを確かめたくて」

 「あぁ? なめてんのかクソガキが」

 「ははは。いやいや、なめてなんかないよ。それよりさ、なんであれだけ通りには人が沢山いたのに、彼女のそれもわざわざカメラなんて狙ったの?


 あらうの質問に答えず、黙る男に話を続ける。


 「まぁ。それも取り返した後にでも答えてもらおうかな。どう? 僕みたいな『クソガキ』に地べたに這いつくばらさせるのは嫌でしょ? ここは一つ、素直にカメラを返すっていうのは?」


 その言葉を聞き終える間も無く、逆上した男はあらうに殴りかかったが、半歩下がったあらうには届かなかった。


 「急に危ないなぁ。当たったらどうするの? やっぱり言葉が通じないみたいだね」

 「本当によく口が回るクソガキだな。次はねぇぞ。一発お前の横っ面に俺の拳が届けば、最低でも、びょうい……」


 「いいよ。もう……」少し被せ気味にあらうは言い放った。その声からはちょっとした苛立ちが見受けられる。


 「かかってきなよ」既に、先程までのふざけた姿はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る