第4話 ノート page3

 お兄ちゃんとの想い出がもう1つあります。

 それは、次の年の夏のことでした。

 蝉がカミナリのように鳴いていたのを覚えています。

 ある日、お兄ちゃんが板の切れ端で拵えた小さな箱を前にして、一生懸命に中を覗き込んでいたのです。

 その姿を見つけた私は小走りに駆け寄って、

「お兄ちゃん、何見てるの?」

 と、声をかけてから一緒になって愉しそうに箱の中を覗きました。

 箱の中には2センチほどの厚みで砂が敷き詰められ、中ほどには5センチくらいの大きさの石が2つ重なるようにして置いてありました。

 石のすぐ横には何かの蓋らしい樹脂製の器が半分ほど砂の中に埋められています。

 何かの水飲み場のように見えました。

 そっと覗いて見ると、観察用のガラス板のそばに、体長十センチにも満たない背中に鮮やかな青い縞模様のある小さなトカゲが、きょとんとした眼をして身動き一つしないで、4つの足でしっかり踏ん張っていました。

 はじめて間近に見るその小動物にひどく興味が湧きました。

 ものも言わずにじっと覗き込んでいる私に、

「これ好きかい? よかったら持って帰って飼ってもいいよ」

 と言ってくれました。

 その言葉を聞いたとたん嬉しくて、

 反射的に「ほんとに?」と聞き返してしまいました。

 私はその箱を大事に両手で抱えて家に帰りました。

 家の中に入れるとまたママに叱られると思い、勝手口の横にまるで宝物のようにそっと隠すように置きました。

 そこは庇がかかっているので雨が降っても濡れる心配がないと子供心にそう思ったのです。

 私はその小動物の飼育方法をまったく知りませんでした。

 そのまま放っておいても生きているものだとばかり思っていたのです。


 次の日――

 お兄ちゃんがどこかでハエを1匹捕まえてきて、

「トカゲがハエを食べるところを見せてやろうか?」

 そう言いながらそっと木の蓋を開けると、ハエを放り込み素早くまた蓋をしました。

 トカゲがハエを食べるなんて考えもしませんでした。

 私はわくわくしながらガラスの面から中の様子をお兄ちゃんと一緒に覗きました。

 薄暗い箱の中でハエはガラスに止まったまましきりに手をこすりつづけ、トカゲのほうはハエに見向きもしないでじっとしたままです。

 どれくらいの時間覗いていたでしょう、なかなかお腹の空かないトカゲにしびれを切らした私たちは、箱をもとの場所に戻してまた2人で遊びに出かけました。

 あくる朝、私は早く起きて箱を覗きに行きました。

 トカゲが気になったからです。

 木の蓋に手をかけたとき胸がドキドキしたのをいまでも覚えています。

 ガラスを覗いてもよく見えなくて、しかたなく上蓋を細く開いて中を覗きました。

 するとどうでしょう、中にいるはずのトカゲの姿が見あたりません。

 いや、トカゲだけではなく、砂、石、水飲場、すべてがなくなっていたのです。

 目から泪がこぼれ落ちました。

 とても悲しかったのです。

 せっかくお兄ちゃんが私にくれたのに……。

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