「忙しい」という言葉

 忙しい、という言葉はなんなんのだろう。配慮だろうか。自負だろうか。

 ひとから言われる場合には配慮、の場合もあると思う。「お忙しいのにすみません」というのは、言うにも、言われるにも、配慮だ。「相手が自分よりも忙しい」という前提、たとえ形式上のものであってもその前提に立つことこそが、なんというか配慮のひとつなのだ。よくよく考えてみればふしぎな気もする。「忙しい」とは、「よりえらい」ことにつながりうるのだ。妙な言い方だけれど。

 いっぽうで、自分で自分を「忙しい」と思う場合にはそれはやはり自負というか、なんというか。なんだろう。それを他者に主張する場合もそうだし、自分自身に思う、ときもそうなのだと思う。というよりか、そういう性質があるというか。曖昧な言い方にどうにもなってしまう。それ、を、「自負」と呼んでいいものかどうか、ということはきっと模索中だからだ。

 忙しい、とは、心をなくす、と書く。なんだか使い古されたような話だ。でも漢字を考えたひとがもしそうやってこの状態のことを捉えたのであれば、やっぱりすごいなと思う。真理、と言うのもなんだけれども、やはり忙しいというのは心をなくすことなのだ、と。

 忙しい、と自分自身に思ってしまえば人間味をなくす。忙しいことは自分の都合だ。そして多かれ少なかれ、人間だれしも都合がある。もちろんそのなかで程度や質の問題というのはあるのだろう。だがそういった「都合の内容」に立ち入ることこそが、なんというかやはり人間味のないことであると思う。効率や成果で判断する、機械のような。

 どうしてだろう。いつから私たちは、私は「忙しい」ということをなにか優秀さや有用性のあかしと捉えはじめてしまったのだろう。「そんなことない」と思っていたのは若いころ、水のころ。「忙しい」と、実際の状況はどうあれ喚きたくない。難しい、ことだけれども。

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