終-1

 今日は朝からいい天気だ。空は真っ青に晴れ渡り、空気も乾いて清々しい。

 開いた窓から見える夏の風景を横目に眺めながら、メアルは担任の先生から教室まで運ぶよう頼まれたプリントの束を両手に抱えて廊下を歩いていた。学級委員長はよく先生から色々雑用を任されるものだ。

 今は朝のホームルームが始まる前の時間だ。生徒たちが随時登校してきて、教室や廊下などが和気藹々とした喋り声に包まれている。

「メアル」

 緩いという言葉を体現したような口調で声をかけてきたのはカイミだった。栗色の長い髪を揺らしながらメアルの前にやって来、カイミは屈託のない笑みを浮かべた。

「手伝おっか?」

「いいえ、大丈夫。手を借りるほどじゃないわ」

 プリントはクラスの人数分程度の枚数しかないため、メアル一人の手だけでも運ぶのに何ら苦労しない重さだ。

 にこやかに友の申し出を辞退したメアルは、直後に「あっ」と真逆の声を上げた。

 開いた窓から強めの風が舞い込んできて、手中のプリントを吹き散らかしたのだ。

「ほわわ」

 カイミも目を丸くする。

「ごめなさいカイミ、やっぱり手伝って」

「うん、りょうかーい」

 廊下中に吹き飛んだ書類をカイミと手分けして拾っていく。

「にしても、昨夜のでっかい怪獣、すごかったねー。メアルもテレビで見たでしょ?」

「ええ、本当ね。世の中一体どうなっているのかしら」

 昨晩その場所に居合わせていたことをメアルはあえて語らず、頭の中だけで回想する。

 メアルを含む逃げ遅れた人々のことを守ってくれたエレン――彼女のギフトの使い方は、これまでと大きく違っていた。己のためではなく他者のために振るわれた異形の力は、とても力強く、心強かった。

 エレンに若干の変化が生じていることを予感しつつ最後の一枚に手を伸ばしたとき、別の手が颯爽とそれを拾い上げた。顔を持ち上げると、目の前に立っていたのはエレンだった。

「御戸さん……っ」

 思い浮かべていた人物の登場にメアルは思わず固まる。

「ほら、これ。いらないの?」

 反応に窮しているメアルに苛立ちを覚えたエレンは不機嫌な顔を見せる。メアルは慌ててプリントを受け取った。

「た、助かったわ」

「ドジな一面もあるのね、山津さん」

「そりゃあ私だってミスはするわよ。人間ですもの」

 気に入らなそうに鼻を鳴らし、エレンはさっさと教室の方へ向かって行く。その背中をメアルは呼び止めようとしたが、またも意外なことにエレンの方からこちらを振り返った。

「昨日のことだけど、返事はノーよ。私はあなたのことが嫌い。だからあなたのことを好きになるという提案は却下」

 エレンの否定的な目つきに睨まれたメアルは残念そうに肩を落とす。

「そう……そうよね」

「当たり前じゃない。どうやったら、嫌いな人間をたった一日二日で好きになれるのよ」

「分かってる。無理な提案だったわ」

 目を伏せるメアルに、エレンはやきもきするような口調で付け加えた。

「だから……こういうのは時間をかけるべきことなんじゃないの? って私は言ってるのよ」

 メアルは予想外の言葉に顔を持ち上げた。エレンの口ぶりは、どうもメアルの提案を完全に否定しているわけではなさそうだった。

「じゃあ、そういうことだから」

 極力愛想を殺してエレンは話を打ち切り、踵を返す。咄嗟にメアルは問い掛ける。

「どうしてそう思ってくれたの?」

 肩越しに振り向いてエレンは答える。

「もしかしたら私は、負けず嫌いなのかもしれないわね」

 窓から再びいたずら好きの風が吹き込んできたが、メアルは今度こそプリントを手放しはしなかった。

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