十一-2

 なぜホスピタルのヘリから御戸永憐が飛び出して来たのかはセオとて全く理解できるものではなかった。しかし確かに言えることは、エレンは街を蹂躙している謎の化け物の動きを僅かながらも鈍らせてくれたことだ。巨大な腕を殴り返したエレンがどこかのビルの屋上に落下していく様を車のサイドウィンドウ越しに見ながら、セオは巨人のすぐ傍に建つ大型立体駐車場の中を猛スピードで走っていた。

「何するつもりですか!?」

 助手席のリュウヤが頭上のアシストグリップを握り締めながら声を張り上げる。

「あの化け物の動きを止めることが先決だ」

 冷静な顔でそうとだけ答え、セオは外の景色が見える螺旋状のスロープをほとんどドリフトと変わらない走行で登っていく。既に駐車場内から人は逃げ去っており、完全にもぬけの殻となっている。

 途中、重低音と地響きが幾重にも重なって大地を揺るがした。エレンが再度攻撃を仕掛けたようだ。スロープのすぐ横を灰色の巨体が後退していくのが見えた。

「うおー! でかいでかいでかい! そんでエレン強ぇぇえー!」

 格闘技の試合でも見ているかのように盛り上がっているリュウヤが、今度は声質を喫驚のそれに変化させた。

「あれってまさか……ルキト!? 先生! ルキトもヘリに乗ってますよ!」

 窓の外に目を投げると、上空を飛ぶヘリから水の弾が巨人めがけて降り注いでおり、着弾するや否や灰色の体表を白く凍結させていた。ヘリの乗降口にしがみつきながら水鉄砲を発射しているルキトの姿を確認すると、セオは困ったように片眉を下げた。

「エレン君だけでなくルキト君までもか。些か意味不明な状況だねぇ」

 深く考えている余裕はない。セオはハンドルを切って六階部分に車を滑り込ませた。巨人の腹の高さくらいに位置するフロアだ。セオは車を停め、後部座席に置いてあった黒い傘を手にした。

「何に使うんですかそれ?」

「雨を凌ぐためではないことは確かだな」

 最近ではエレンがメアルに向かって石を投擲した時に盾として使用したばかりだが、他にも様々な使い方がある。セオは傘を持って車を降り、リュウヤも後をついてきた。

 景色が見える所まで駆け寄ると、巨人が大型トラックを道路の向こうにぶん投げたところだった。

「あいつら大丈夫か?」

 隣で呟くリュウヤ。黙ったままセオは肘から横向きに曲げた左腕を顔の前に掲げ、そこに右手で柄の曲部を握った傘を載せた。

 スナイパーのように傘の先端を巨人の胴体に向けて狙いを定める。巨人が一歩前に踏み出し、セオたちのいるフロアの前に腰の部分が差し掛かったタイミングで、セオは柄に仕込まれた小さなスイッチを押した。

 柄から先の部分が、ガスを噴出しながら物凄い勢いで飛び出す。分離した傘はワイヤーを引きながら巨人の脇腹に直撃し、そのまま胴体を貫いて向こう側のビルの壁にめり込んだ。

「すっげぇ! そんなこともできるんスか!」

 『黒冥傘(こくめいさん)』――強靭な鋼線がきめ細かく編み込まれ、幾つもの仕掛けが施された、セオが最も愛用しているアーティファクトだ。

 動きを止める巨人。セオは近くにあった太い柱の周りを素早く一周し、ワイヤーと柄の曲部を引っ掛ける。もう一度柄のスイッチを押すと、ワイヤーがぴんと張って弛みがなくなった。

 巨人は身を捩ってもがき始めた。だが胴体を貫通する鋼線は千切れることなく巨人をその場に磔にする。ワイヤーを支持する立体駐車場の柱も図太くて堅固だ。

「さて、リュウヤ君。退散するぞ。ここもそう長くは持たない」

「はい! ……え? うわぁっ!?」

 建物が激しく揺れ、コンクリートの破片が飛んできた。巨人が立体駐車場を殴りつけてきたのだ。セオはリュウヤを連れて足早に車に戻り、すぐさまアクセルを踏み込んで走り出す。

 全速力でスロープを降りる。その最中も何度か建物が揺れ、リュウヤが悲鳴を上げた。立体駐車場は幸いにも頑丈な作りとなっており、巨人の攻撃を受けても何とか持ちこたえている。

 その時、不意に電話の着信音が鳴った。

 セオは片手でハンドルを握りながら内ポケットからスマートフォンを取り出す。画面を一瞥して電話の主を確認すると、助手席のリュウヤにスマートフォンを投げ渡した。

「ルキト君だ。キミが出てくれたまえ」

「ちょっ、なんであいつこんなときに」

 リュウヤは震動に腰をバウンドさせながら電話に出た。

「ルキトか? 俺だ、リュウヤだ。今蝙蝠先生と一緒にいるんだが、先生はちょっと手が離せなくてね。 え? なに? いやいや、お前こそなんでホスピタルのヘリに乗ってるんだよ!? ていうかよく聞こえないっつーの!」

 喚きながら手短にルキトとやり取りし、リュウヤが焦りに満ちた顔を向けてくる。

「先生! あの化け物を止めるには、操っているブレシスを探し出さなきゃダメっぽいですよ!」

「そうは言ってもねぇ」

 セオの車がスロープを降りきって一階まで帰ってきた。スピードを緩めることなく立体駐車場から道路へと脱出すると――セオは前方に人影を捉えた。

 長い金髪と銀色のマントが特徴的なその青年は、道路の中央に佇立して巨人を仰ぎ見ていた。

 セオの車が青年のすぐ横を通り過ぎる。すれ違いざまに碧眼と目が合い、セオは直感する。

「リュウヤ君。ルキト君に伝えてくれ。今から起きるチャンスを逃すな、と」

 「そんな予感がするのだよ」と付け足して、セオはルームミラーを一瞥する。ビルとビルの間に拘束された巨人と向かい合う形で、銀マントの青年の背中が見えた。

 託すようにその背中を見送る。不本意だが、セオがドクターだった頃の宿敵に、今は期待するしかない。

 巨人が手足をばたつかせるたびに空気が掻き乱される。その乱暴な風にマントの裾を靡かせながら――フールは一人呟く。

「人形使いにとって最も安全な場所は、一つしかありません」

 言った後、フールの姿が消える。次元の隙間に入り込んだような消失。

 次にフールが出現した場所は――空中、巨人の胸の前だった。

 銀色のマントが夜空の下に翻る。露になったフールの左手には銀色の鞘に収められた剣が握られており、滞空中にフールはその刃を真横に引き抜いた。

 空間を断つような鋭い白銀の一閃。驚くほど綺麗で鋭利なサーベルが巨人の分厚い胸板を切り裂く。粘土に似た体表は斬られた部分から糸のように解れ、やがて切断面がぱっくりと口を開けた。

 瞬間移動によって消え去ったフールの代わりに別の人物がその姿を外界へ晒す。

 怪物の胸の裂け目の内側に、下半身を毛糸に包み込まれた老婆がいた。

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