五-3

 両足を地に付けて再起したルキトが、エレンに向かって言葉を紡ぎ始める。ぽつりぽつりと氷柱から滴り落ちる雫のような喋り方で、それでも雨音には負けない声量で、言う。

「あんたと闘いながら、あんたの力を受け止めながら、俺は考えていた。自分にとってギフトとはどういう意味を持つのか、心を透明にして感じ取ろうとしていた。――今、やっと分かった気がする」

 エレンは唇を固く結んでルキトの話を聞く。

「ギフトで何をしたいのか。たぶん俺は――何もしない。何をしようとも思わない。使わずに済むならこの先もずっとギフトを使わない。でも逆に、ギフトを使ってやってはいけないことが何なのかは、分かった」

 真っ直ぐエレンを見つめるルキト。

「ギフトは、悲しみを生むためのものじゃない。辛い経験や大きな喪失の代わりに天秤から齎されるのがギフトなんだ。つまり不幸の対極に位置する概念。だから、それを使って別の不幸を引き起こすのは矛盾している。自分が傷つくことで得たモノを、他の誰かを傷つけるために使うのは、間違ってる。俺は、もしギフトを振るうならばそんな行為を止めるために振るおうと思う。――これが俺にとってのギフトの意味であり、あんたを止める理由だ」

 ルキトの言葉が、終わる。

 再来する沈黙。エレンはルキトを睨み、ルキトはエレンを見つめ、メアルは両者を見守り、時任は全てを傍観する。

 雨音に混じって最初に聞こえたのは――エレンの溜め息だ。

「なに綺麗事を言っているのよ。ギフトで悲しみを生んじゃいけないですって? 冗談じゃない、これは私の力よ。使うことで誰かが傷つき、悲しんでも知ったことじゃない。他人がどうなろうと私には関係ないわ。私が喜べれば、それでいいのよ」

「そう言うあんたが、一番悲しく見える」

 ギリッ、と音が聞こえるほど強く歯を食いしばって、エレンは怒号を上げた。

「黙れッ!」

 エレンの体が跳ぶ。突発的に闘いが再開される。

 エレンが跳んだ先は、ルキトの許ではない。ルキトの視界から大きく外れた地点だ。彼の目がこちらを捉える前にもう一度別の場所へジャンプし、それを何度も繰り返す。

 撹乱としての跳躍だ。目まぐるしい速さで周囲を往復し、ルキトを惑わせる。

「もう終わらせるわ!」

 幾度目かのジャンプを経て、エレンは地面の上に転がっていた拳大の石を蹴り飛ばした。衝撃波付きのキックによって石は凶弾と化し、ルキトの横顔めがけて一直線に飛んでいく。

 頭に命中して血飛沫が上がること確実。と、思われたが――ルキトは今まで見せたことのない俊敏な動きでしゃがみ込み、礫を回避した。

 予想外の出来事にエレンは目を見開く。ルキトの動きが、違う――。

 しゃがんだ姿勢のまま、ルキトが地面に片手をそっと付ける。手の触れた部分が白く氷結し、更にその氷結がぴきぴきと冷たい音を立てながらエレンの足元へ向かって急速に伸び始める。

 まるで地の上を這う霜の絨毯だ。しかもその進行速度は地割れのように速い。

 エレンは舌打ちをし、霜が足に到達する直前に拒絶の力のジャンプでその場から跳び退いた。しかし霜の絨毯はくるりと進行方向を変えてすぐにエレンの後を追ってくる。ルキトは地面に手をつけながらエレンを凝視しており、その視線に追従するようにして氷結の進路もエレンの行く先を高速追尾してくる。何度回避しても、振り切れない。

「生の先には必ず死が待っている。死は決して生を逃がしはしない」

 そんなルキトの言葉を体現するかのように、遂に霜の絨毯がエレンの両足を捕まえた。

 途端に這い上がってきた死の冷たさにエレンは思わず体勢を崩す。が、それでも何とか踏ん張って立ち直る。

 両足を蝕む霜の冷たさに堪えながら、エレンは右の拳に力を篭めた。

「邪魔よ!」

 腕を突き下ろし、地面へ向けて拒絶の力を叩き込む。地雷が爆発したように土が破裂し、その上を這っていた霜の絨毯が無残に吹き飛んだ。

 氷結が途絶えたことで足元を覆っていた霜が溶け落ちる。すぐさまエレンはルキトの許へジャンプする。

 着地に併せて繰り出した拳は――ルキトの体に当たらない。冷静な眼差しでエレンの攻撃を読み、ルキトは最小限の動きで身をかわす。

「あんたは強い。力だけでなく、屈強な意思だって十分に持っている。なのにどうして、そんなに歪んでいるんだ?」

 問い掛けと共にルキトは腕を振って死の温度を投げ付けてくる。空気を白く輝かせながら、冷気がエレンの許に音もなく降りかかる。

「あなたに何が分かるって言うのよ!」

 咄嗟に腕を掲げ、エレンは肘から拒絶の力を発射する。衝撃波で冷気を吹き飛ばす。

「あんたが悲しみを生もうとする限り、俺は何度でもあんたを止めてみせる」

「あなたが邪魔しようとするなら、私は何度でもあなたを叩き潰してやるわ」

 二種類の声が交差した後――二人同時に右手を握る。

 エレンは手の内に拒絶の力を凝縮させ、ルキトは手の表面に氷の篭手を形成する。互いの目から視線を離さずに、腕を大きく振りかぶる。

 雌雄を決する、一撃。

 大粒の雨が降りしきる夏夜の下――二つの異形の拳が、激突する。

 衝突と共にエレンは拒絶の力を放つ。最大出力で放出された衝撃波は氷の篭手にかつてない程のダメージを与え――粉々に粉砕する。

 轟く破砕音。ルキトの右手が弾き返される。

 勝った――。

 舞い散る破片を目にしてエレンは勝利を確信する。

 ――しかし、ルキトの顔色は変わらない。右肩から先を大きく押し退けられつつも、ルキトは空いていた左手を素早く伸ばし、力を撃ち尽くして隙を見せているエレンの右手を――掴んだ。

「いッ!?」

 エレンの顔が引き攣る。

 ――冷たい。初めて直接触れたルキトの手は、生者のものとは思えないほど冷たすぎる。

「いやっ……!」

 肌の上から流し込まれる死の温度。右腕が一瞬の内に真っ白い霜で覆われ、エレンが反撃するより速く冷気が全身へと染み渡っていく。

 尋常じゃないスピードだ。直に触られて注入される死の冷気は強烈で、容赦がない。

 瞬く間にエレンの右半身が霜で包み込まれる。それでも何とか精神を奮い立たせ、エレンは左手に拒絶の力を溜めようとする。

 それを阻止するように、ルキトの右手がエレンの首を鷲掴みにした。

 エレンは瞳を震わせて呻く。首に絡み付いたルキトの蒼白の手からも濃密な死の温度が流れ込んでくる。

 右腕と首。二カ所から広がる霜によってエレンはあっという間に首から下を氷付けにされた。

「うぅ……あぁぁ……」

 エレンは顔を真っ青にしながら、まるで雪山に取り残された遭難者のように、がたがたと凍える。死の温度に全身を蝕まれ、成す術もなく苦悶する。

 拒絶の力など撃てない。そんなことをしている場合ではない。とにかく寒い。途轍もなく冷たい。死にそうなほど、体が、心が、凍える。

「――死は冷たい。雨よりも、雪よりも、この世の何よりも、死の温度は低い」

 この上なく冷酷な黒瞳で、ルキトが言う。

「だから何だって言うのよ……!」

「死は人の命を消す代わりに、人の心を純粋にさせる。ミトエレン、あんたも一度死に触れて、今まで見えなかった自分の気持ちを探し出してみるといい」

 寒さは度を超え、次第に睡魔へと変わっていく。

 負ける――。

 エレンは敗北を予感した。もはや氷結の呪縛から逃れることはできない。拒絶の力を封じられた今、エレンに残された道は凍結という名の冷たい眠りに墜ちるだけだ。

 ルキトは静かな表情でエレンを見ている。エレンの瞼が閉じゆくのをただじっと待っている。

 敗北の先に何があるのか、エレンは分からない。分かるのは、これから訪れるものはとても冷たくて暗い眠りであるということだけだ。

 沈静していく魂の躍動。薄れゆく意識の中で、エレンは残された力を振り絞ってルキトの胸倉を弱々しく掴む。

「ル、キ……ト……!」

 掠れる声で最後にそう漏らし、エレンの意識は極寒の海に沈没する船のように沈んだ。

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