三-5

 帰りのホームルームが終わると、ルキトは一人屋上へやって来た。夕日に照らされて空はまだ明るく、しかし屋上に漂う空気はどこか涼しかった。

 ルキトは錆の浮かんだフェンス越しに地面を見下ろし、昇降口から出ていく生徒たちをぼんやりと眺める。

 眼下に見える生徒一人一人がそれぞれ独自の人生を歩んでいるのだと思うと、この学校の中だけでも数え切れない程の物語が交錯しているのだと言える。誰しもが主人公なのだ。皆自分の意思で行動しており、人生という長い旅路を自分なりの進路で歩んでいる。それはルキトにも同じことが言え――これからここにやって来る人物も例外ではなかった。

 屋上にある塔屋の扉が開いた。荒っぽく床を蹴る足音はルキトと距離を置いた地点で止まり、ルキトもその場から動かずにただ後ろを振り返る。

 針のように尖った眼光を湛えた少女――御戸永憐がそこにいる。

 風が吹いた。胸の奥をざわめかせるような一陣の風。ルキトの長い前髪が揺れ、エレンの跳ね返った後ろ髪が靡く。

「――あなたが時任先生の言っていたもう一人のブレシス?」

 敵意と警戒に満ちた低い声でエレンが尋ねてくる。ルキトは無表情で頷く。

「その顔、昨日食堂で私にぶつかってきた人ね?」

「あの時はごめん」

「まぁいいわ。時任先生に言われた通りこうして放課後に屋上に来てあげたわよ。私に何の用なの?」

「用っていうほど大袈裟なものじゃない。ただ、あんたの考えを訊きたいだけだ」

 長い前髪の陰からルキトは芯の通った視線を相手へ向ける。そして小さくもはっきりと言った。

「あんたにとってギフトとは何だ? 自分なりに何か意味を見出しているのか?」

 胡乱げなものを見るような目つきをするエレン。

「俺は、今まで他のブレシスに会ったことがなかった。だからって訳じゃないけど、ギフトについての考え方もまだ自分の中で上手く纏まってないんだ。ギフトとは何なのか、何のために使えばいいのか……一度誰かの意見を聞いてみたいと思ってあんたを呼んだんだ」

 ぎこちなく紡がれるルキトの言葉は、本心だ。あまりにも単純で不器用な要望。エレンが答えてくれるという保証などない。

 しばしの沈黙の後――エレンはこの上なく侮蔑的な嘲笑を浮かべた。

「碓井君だっけ? あなたは心底おめでたい人なのね。いいわ、教えてあげる。私にとってギフトとは、理想を実現してくれる手段よ」

 エレンは屋上の縁へやって来、フェンス越しに下界を俯瞰する。ルキトは黙ってエレンを見つめる。

「私はこの世で唯一、高い場所が好きなの。家の二階とかじゃなくて、屋上(ここ)みたいにずば抜けて高い場所が好き。なぜだか分かる?」

 ルキトは閉口したままだ。

「それはね、誰の手も届かないからよ。今私は屋上の床に立っているけど、座標だけ取ってみれば地上から遠く離れた空中に浮かんでいることになるわ。つまり誰からも触れられず、何からも干渉を受けない孤高の領域にいるってこと」

 ルキトの方を向き、エレンは嗤う。

「これが私の理想よ。そして私のギフト『拒絶の力』はそれを実現させてくれる。――こんなふうに、ね」

 突然エレンが右腕を向けてくる。ルキトが危険を察知するよりも早く、その掌から衝撃波が放たれた。

 突風よりも遥かに凶暴なエネルギー波が、轟音を響かせながらルキトの小柄な体をいとも簡単に吹き飛ばす。十メートル以上も離れたところに転げ落ちたルキトは、全身に叩き込まれた衝撃に呻き声を漏らした。

「今日の私はとても機嫌が悪いのよ。今の一発は、そんな私を下らない話をするためだけにこんなところへ呼び出したあなたへの仕返し。いいわよね、碓井君?」

 笑みの消えた残虐な顔でエレンは言う。

「あんた、世界を嫌っているのか」

「そうよ。何もかも嫌い。あの先生だって嫌いだし、あなたのことも嫌い。もう話は終わりよ。帰るわ」

「あんたはその力を何に使うつもりだ?」

 肩越しにルキトを振り返り、エレンは瞳の奥に凶悪な炎を揺らめかせて答えた。

「壊すことしかできないギフトなんだから、分かるでしょ?」

 不穏な宣告を言い置き、エレンは足早に屋上から去って行った。

 ――再来する静けさ。夕日を横顔に浴びながら、一人残されたルキトは呆然と思う。

 エレンもまた自分なりの意思や考えを持って生きている。善し悪しは関係ない。危険だろうが横暴だろうが、エレンはエレンの道を歩んでいる。

 道筋がまだ曖昧なルキトには、そんなエレンに盾突くだけの力などあろうはずもなかった。

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