第2話 「巡回任務」 (後編)

 クレシェイドの剣が次々と怪物達を散らしてゆく。

 風を巻き込み、空気を唸らせ、方々で血煙を吹き上げる。まるでレイチェルの前に刃の壁があるかのようであった。

「凄まじい力だ」

 襲撃に遭った男が、レイチェルの隣で唖然としながら言った。

 しかしゴブリンの群れは次々と茂みから湧き出てくる。

 クレシェイドの疲労を思い、レイチェルはそれを和らげる神聖魔法を唱えようとした。

「援護は間に合ってる。それよりも、敵も知恵をつけてきたようだぞ」

 クレシェイドがゴブリンを斬り捨てながら声を上げた。

「レイチェル、油断するな」

 彼の言葉どおり、怪物の戦士達は、途端に二手に別れ、クレシェイドの脇へと回り込もうとしていた。

 クレシェイドは一方に踏み込み、一太刀を浴びせると、すぐさま身を翻し、新たな敵へ斬りつけた。

 しかし、次々と新手は流れ出し、ついには隊列を取って前面を包囲する構えを見せてきた。

 すると、分厚くなり始めた敵の中列から、長槍の先っぽが疎らに姿を見せ始めた。

 長槍を手にしたゴブリンが、揃って前列を占めたとき、彼女は初めて恐ろしさとは別の異常さを感じ取っていた。

「こ、これは危ないのでは」

 襲われていた男が真っ青になって言った。

 レイチェルは同意しながらも、自分が感じている異常さが、怪物達に対するちょっとした感心であることに気付いた。

 知性の感じられない凶暴な顔なのに、この怪物達には協調性がある。人間と戦っているみたいだ。

「レイチェル、君の役目はわかっているか?」

 落ち着いた声でクレシェイドが言った。

「護るべき者を護る為に全力を尽くすことだ。だから捨て鉢にだけはなるな。生き残ることこそ重要だ」

 並んだ穂先を見て漆黒の戦士は言った。

「これは確かに窮地だ。しかし、あいにく今日の場合はそうじゃない」

「え? どういうことですか?」

「勢揃いしたところで、鈍らな刃では俺の鎧を貫けやしないからだ」

 狙っていた凶刃が一斉に突き出された。刃と鎧のぶつかる甲高い音が響き、クレシェイドの背中は大きく揺らめいていた。

 彼女はただ愕然とし、よろめいてる仲間の大きな背中を見ているだけであった。

 それは同時に響いた。

「やった!」何者かの歓声と、ダンッ! という大地を激しく踏み締める音である。

 レイチェルは助けたはずの男を振り返る。その目の端で、クレシェイドの剣が囲んでいたゴブリン達を大きく薙ぎ払っていた。

「あああっ、ばぁ、馬鹿な!」

 小太りの男は、狂喜じみた笑顔を絶望へ一変させていた。

 理由がわかるまで、レイチェルには一瞬だけ時が必要であった。

「あなたは!」

 レイチェルは驚きの声を上げて、男に掴み掛かろうとした。

 しかし、僅かの差で彼女の片腕は男に届かなかった。

 男は、すぐさま距離を取り、憎々しげな顔を向けた。

 この人は敵なんだ! 何故かは知らないけど!

「お前が黒幕だったか!」

 背後でクレシェイドが声を上げた。

 男は醜悪な笑みを浮かべて答えた。

「そろそろ素晴らしい戦利品が舞い込んでくる時期だと思ったのさ。特にお前の甲冑はなかなかの値打ちものと見た」

 人が人を襲うだなんて……それも金品のために……。

 男の変貌も間の辺りにして、レイチェルは大きな衝撃を受けた。

「どうしてこんなことを?」

 レイチェルは尋ねていた。

 しかし、男は薄ら笑いを浮かべて答えた。

「聴いていなかったのか? 頭の悪そうなお前はやっぱり奴隷市場で決まりだな。有翼人の女は金になりそうだったが、実に残念なことをしたなぁ」

 そこでレイチェルは気付いた。ティアイエル達が戻って来ない。……仲間を分散させることが狙いだったのだろう。

 ティアイエル達のこと、そして騙されていた自分のことを思い、怒りが湧き立つのを感じた。

 男は街道をペトリア方面に逃走し始めたが、十分な距離を取ったところで振り返って足を止めた。

「お前達はここで死ぬのだ! 遺品の回収は私がしてやろう!」

 男は手の平の中の何かを口に当てた。

 すると、再び左右から無数のゴブリン飛び出してきた。

 大きな影がレイチェルの目の前に割り込んだ。それは牙を剥き出した、武装したゴブリンであった。

 男を取り押さえなければ!

 レイチェルが棍棒を振り上げたとき、クレシェイドがこちらを見下ろして言った。

「落ち付け、レイチェル。奴のことは諦めろ。まずは目の前の障害を排除する方が先だ」

 彼の声は心を落ち着かせる深みのある音色のようであった。

「お前はとても良い仲間だ。死に急いではいけない。後は俺達に任せてくれ」

 そう言うとクレシェイドは、長剣を提げ、敵の方へ歩み出した。

 すると、一陣の風を巻き上げ、小さな背中がその隣に並んだ。

「信じらんねぇ! こいつら、集団戦法使ってきやがったんだぜ」

 最後に上空から有翼人の少女が舞い降りてきた。

 仲間達が集結し、全身に活力が戻りつつあるのを彼女は感じた。

 レイチェルはゆっくりと立ち上がった。



 二



 ゴブリンの群れは膨大に膨れ上がっていた。

 武装したホブゴブリンに、人間の小さな少年ぐらいの大きさの並みのゴブリン達も加わっている。

 分厚く並んだ怪物の壁を崩したところで、あの小太りの男には追い付けそうも無かった。

 いいえ。

 レイチェルは心の中で被りを振った。

 クレシェイドも言っていた。まずは障害を排除することが先決だ。

 気を引き締める彼女の隣で、ティアイエルが右手を空に掲げた。

 呪文の調べを唱えようとしているのだと、レイチェルは気付いた。

 ゴブリン達が、いよいよ痺れを切らしたように唸り声を上げ始めた。

「サンダー、俺が討ち漏らした敵を頼む」

「合点!」

 クレシェイドが言うと、少年は返事をした。

 大音声と共に、地を揺らし、ゴブリンの群れが襲い掛かってきた。

 クレシェイドが剣を振るうが、その姿はあっと言う間に飲み込まれ、怪物の軍勢は少年へと差し迫っていた。

「げえっ! 兄ちゃん、こんなに討ち漏らすのかよ!」

 サンダーが悲鳴を上げた。

 レイチェルはうろたえながらも思案した。無防備なティアイエルを放っては置けなかったが、彼女には翼があるから自分のことは何とかできるはず。レイチェルは意を決した。

「私、加勢に行きます!」

 レイチェルは少年の隣に並んだ。

「さぁ来やがれ!」

「二人でやれば怖くないです!」

 飢えた黒い群れを睨んでレイチェルは言った。

 その時、背後から凄まじい追い風が吹き荒れた。

 突っ込んでくるはずのゴブリン達の足が止まったように見えた。奴らの不自然な格好と、間抜けな感じの悲鳴を聞けば、それは奴らにとって予想外の出来事だと納得できた。

 追い風に逆らい、二人は後ろを振り返る。

 予想通り、ティアイエルが魔法を使ったようであった。

 彼女は右手を掲げてこちらを真剣な眼差しで睨んでいる。その周囲には土煙が渦を巻き、茂みや木の枝が激しく揺らいでいた。

 前方から怪物の悲鳴が響き始めた。

 先で血煙と共に長剣の振るう様が見えた。

「奴ら動けないんだ! 行こうよ姉ちゃん! こいつは仕留めるチャンスなんだぜ!」

 サンダーが言い、レイチェルは頷いた。二人は敵の群れの前に来ると、非情に徹し得物を振るい続けた。

 棍棒が頭蓋を打ち、緑色の目玉が飛び出た。

 吐き気などは覚えなかった。ただ魔法の効力の及ぶ時間だけを思い、急ぐことだけを考えた。当然、動けぬ相手を一方的に攻撃するのは卑怯だという考えや、神官の行いとして穢れてるかもしれないとも思ったが、それに耳を貸すことは止めにした。

 レイチェルは力の限り、棍棒を振るい、人形のようになった敵の命を容赦なく砕き続けた。

 何十匹目かを打ち倒したとき、横でサンダーが敵の剣を短剣で受け止めている姿が目に入った。

 魔法は集中力が大事だ。集中力が欠けた途端に魔法の糸は軽々と切れてしまう。今のティアイエルは街道全ての敵に対して神経を集中させているようなものである。限界が近いのかもしれない。

 押し込まれそうなサンダーへ、すかさずレイチェルは加勢に入った。

 棍棒をゴブリンの顎に叩きつけ、よろめいたところをサンダーが蹴飛ばす。そしてその顔面にレイチェルはもう一度得物を叩き込んだ。

 もともと短い鼻が拉げ、数本の牙が血と共に散乱した。

 すぐさま前方を凝視する。クレシェイドがいるだけで戦うべき敵の姿はもう無かった。

 街道には埋め尽くすほどの亡骸が散らばっている。

 レイチェルはようやく安堵の息を吐き、自分が汗まみれであることと、肩と両腕のあらゆる関節が悲鳴を上げているのに気が付いた。

 クレシェイドが歩み寄って来ている。サンダーは隣でへたばっていて、ティアイエルもまた何処にしまっていたのか、地面に杖を突き刺して、疲労に満ちた身をよりかからせていた。

「ああくそ、警備兵の奴らさっさと来てくれねぇかなぁ……」

 サンダーの言うとおりであった。これだけの怪物の亡骸を運ぶのはかなりの重労働だ。クレシェイドを除いて、誰も彼もが疲れきっている。

「白鳥の姉ちゃん、ひとっ飛びして詰所に行って来てくれよ」

「気楽に言わないでくれる!」

 ティアイエルが声を荒げた。空を飛ぶのだって、ただではないに決まっている。あるいは、歩くよりも体力を使うのかもしれない。

 クレシェイドが動いた。通行を妨げている怪物の亡骸を街道脇へ寄せている。その動きには、やはり疲労の気配は一切見えなかった。

 しかしありがたいことに心配事は杞憂に終わった。

 ウディーウッドの方から、馬蹄を響かせて、警備兵の一団が現れたのだ。

 警備兵達は周囲の惨状を見て、馬上で目を丸くしていた。

「向こうも凄かったが、こちらも凄まじいな」

 感服するようにこう言ったのは、初老の警備兵であった。

「冒険者諸君、この度は御苦労であった」

 初老の警備兵は、下馬すると一同を見て言った。

「私はウディーウッド警備隊長のアルバートソンだ」

 警備隊長は、クレシェイドを見付けて頷いた。

 クレシェイドも頷いて応じた。二人は顔見知りのようである。

「これで依頼完了には不足なのか? なぁ隊長さんよ?」

 サンダーが挑むように尋ねる。

「いやいや、とんでもない、当然完了だとも。しかし、この数を相手に大した怪我もないとは、正直感服した。私の気持ち程度だが、多少報酬を上乗せさせてもらおう」

 アルバートソンは満足げに言うと、部下達に亡骸の処理を命じた。

 レイチェルは逃走した男のことを思い出した。

「男の人が逃げました」

 アルバートソンがこちらを見た。

「その人が黒幕だったんです。このゴブリン達を操っているようでした」

「それは本当かね?」

 警備隊長は白い眉毛を険しく歪めた。

「少し太った男だったぜ」

 サンダーが言い、クレイシェイドが並んで続けた。

「ペトリアの方に走って逃げて行った」

 警備隊長は真面目な表情を浮かべて頷いた。

「なら馬で間に合うな。グレッグ、三人連れてペトリアへ向かえ! その男を捕縛するのだ!」

 隊長の言葉に従って、馬に乗った警備兵達が疾駆して行った。

「さて、約束どおり報酬を受け取ってくれ」

 警備隊長は、レイチェルに向かって包みを渡し、それとは別に懐からも小さな包みを差し出した。

 レイチェルがそれらを受け取ると、警備隊長は言った。

「さぁ、後は我々の仕事だ。犯人は必ず捕まえて見せるよ」

 手際良く作業に取り組む警備兵に後を任せ、レイチェル達はウディーウッドへと戻って行ったのであった。

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