第20話 その声は誰のもの(6)

 隣であわあわと顔を真っ赤にする春野をもっとからかいたくなったジェーンは、さらに大胆な行動へと移る。


「それよりも春野ぉ?」

「な、なんですか! え? ひゃっ」


 ジェーンがわしゃわしゃと動かしながら伸ばしてきた手の行方に、春野はさらに慌てです。彼女の手は春野の小ぶりな胸に触れてきたのだから。


「ちょっ、何してるんですか!」


 触れてきた卑猥な手をすぐさま払いのけ、春野は自分の胸を両手で隠しながら後ずさった。

 全くこの姉は! 次から次へと! 油断も隙もない!

 若干怒りに湧いた春野の心情など豆粒ほども気にかけず、ジェーンは払いのけられた手を続いて自分のふくよかな胸にあてながら「う~ん」とうなった。


「まだまだねぇ。ちょっとは成長してるかと思ったんだけどなぁ〜」

「だからって許可なくいきなり触る人がありますか!」


 春野の怒鳴り声は広い浴場に反響する。

 全く公共の場でなんと破廉恥なのか! 春野はますます怒りをあらわにするが、彼女も彼女でなかなか大胆だよなとジェーンは思う。普段は温厚な性格をしているくせに、公共の場で平気で大声をあげられるのだから大したものだ。壁の落書きだって、本来ならあまり公共の場で喋るようなことではないのに。


「別に胸の件は良いですよ! そんなにご心配なさらなくとも大丈夫です! そのうち、ジェーンみたいに……いえ、ジェーンよりも大きくなるんですから!」


 いよいよジェーンがプッと吹き出した。これは馬鹿にされてる! 間違いなく馬鹿にされてる! 案の定、彼女は「無理だよぉ」なんて言ってきた。

「どうしてですか!」とますます苛立ってかみついてみれば、「だってアタシたち、本当の姉妹じゃないもん」だなんて。


 本当の姉妹じゃない?

 その言葉に、春野は「え」と呟いたまましばらく固まった。


「……本当の姉妹じゃ、ないんですか?」

「あ」


 自分の言ったことに遅れて気がついたジェーンが、慌てたようにパッと口を閉ざすけれど、すでに手遅れだ。

 恐る恐るこちらをうかがってきたジェーンに「そうなんですね?」とたたみかけるように聞く。そらされそうになった目を追いかけるように回り込めば、彼女はようやく……コクン、とうなずいた。


 どうしてそれを先に言ってくれなかったんだ――と言いそうになって、春野は口を閉ざした。そんなこと、わざわざ言う必要もないだろうと思ったのだ。姉なりの優しさなのかもしれないと思って。

 それに、春野は意外にもそれほどショックを受けていなかった。やっぱりなと、納得できてしまったのだ。自分が記憶喪失だというところも、大きな理由の1つかもしれない。


 だって例えば、ジェーンの髪は黒だ。きっとお母さんの遺伝なのだろう、彼女も黒だし。だからジェーンが大人になったら、きっとお母さんのようになるのだろうと見た目だけで充分想像できる。でも自分はどんなに頑張ってもお母さんのような大人にはなれない。

 春野は、自分の濡れた髪をそっと撫でた。自分の髪は桃色だ。

 お母さんに似ていないのなら、これはお父さんの遺伝かもと。まだ見ぬ――というよりは思い出せないお父さんについて考えてみたが、きっとそれも当てはまらないに違いない。

 だったら、自分はどこの誰なのだろう。それをジェーンに聞くと、彼女は思わず口走ってしまった後ろめたさから、先ほどとは打って変わっておとなしく答えてくれた。


「……春野は、1年前くらいに外で行商人をしているお父さんが拾って連れて帰ってきたの。町の外で生き倒れていたところをね。身元も何もわからず、名前しかわからなかったから。結局それで、アタシたちの家族になったんだよ」

「そのお父さんは、今どこに?」

「今はまだ町の外よ。このあいだ出ていったのは1週間くらい前ね」

「いつもどのくらいで帰ってくるのですか?」

「え……と、そのときの状況によるかな。大して収穫がなければ、半年くらいいないこともあるけど。すっごく儲けていれば短くても1週間で帰って来たときもあったし」


 そのときはお土産もたんまりなんだよと、ジェーンは教えてくれる。

 長くて半年――。その途方もない月日に春野はしばし黙り込む。ジェーンは先ほど自身が犯した失態も含めてやたらと人の機嫌を気にしているようで、静かになってしまった春野を見て「怒ってる?」と聞いてきた。

 そういうわけではないですよと、春野は笑って返す。


 それよりもだ。

 春野は、大浴場を改めて見渡して。ほんの少しの時間を過ごしたこの場所に違和感を覚え始めている自分の感覚が、たしかなものであると知る。

 ここは自分の居場所ではない。

 なら、自分が帰るべき場所はいったいどこにあるのだろう――?





 大浴場をあとにした春野は、「次どこ行く?」と振り向いてきたジェーンに「町を散策してきます」と告げた。

 今日1日で色々なことがありすぎて、本当はさっさと家に帰って休みたいところだったけど。このままではいけないと思った。

 記憶がないならそれなりに、何か1つでも取り戻すための手がかりを見つけるべきだ。


「ですが、ジェーンは帰っていても良いですよ。私1人でも」

「ううん、アタシも行く!」


 春野の言葉をすぐさまジェーンは遮ってきた。


「春野が心配だもん」


 申し出はありがたかったが、自分のことであれこれと負担を強いている彼女にこれ以上無理をさせたくはなかった。

 どうしようかと考える春野の迷いを察してか、さらにジェーンは主張を続けた。


「それに春野は、まだ記憶が戻ってないんだから。道案内人は必要でしょ? ほんとにあんたは危なっかしいから、これくらいはさせてよ」

「わかりました……。ありがとうございます」


 春野は渋々うなずき。よし、とジェーンは心密かにガッツポーズをする。


 大浴場までたどり着いたときと同じように、ジェーンはまた春野の手を取って、早速町の案内を始めた。


「今いるエリアは、さっきまで居たみたいな大浴場の他にも、色々な公共施設が集まってるの。特に有名なのが神殿ね。それから、最も近い外へ繋がる門が南門だから、そこから毎日のように外国から人がやってくるの。だから国の中で1番人の出入りが多い場所なんだよ」


 たしかに、先ほどからすれ違う人たちは、金色の髪だったり、青い目をしていたり、肌の色や顔つきまでもがこの国の人たちとは全然違っている。


 南門を出入りする人のなかには、もちろん行商人もいるそうだ。だから、市場もほとんどがここで開かれていて、さらに言えば国のなかで1番規模が広い。

 なお、ジェーンいわく、アタシたちのお父さんも外から帰ってくると、いつもここで市場を開いたり、外で手に入れたものをお金に換えたりしているらしい。


「とにかく色々な人が出入りしてるから、町のなかでも1番活気づいてると言っても良いと思うよ」


 あと、あれが神殿ね。彼女が指差した先には、白い柱がたくさん立ってる入り口があった。耳をそばだてると、中から何か小さな声が聞こえる。お祈りでもしているのだろうか。


「主に週末のお祈りの日とかに使われてるけど、あとは毎年、お祭りの会場にもなってるのよ。そういえばもうすぐだっけ、お祭り」

「お祭りではどんなことをするのですか?」

「えーっと、神様にお供え物をして、これから1年の町の繁栄と作物の豊穣を願ったりとか。あ、あと生贄が選ばれるとか?」

「い、いけにえ!?」


 素っ頓狂な声をあげた春野に、ジェーンは「そんなたいしたもんじゃないよ」と笑って見せる。


「生贄って言っても、昔は実際に神様の食べ物になったらしいけど、今は違うよ。生贄って役に選ばれるのは名誉なことで、特別な装束を身にまとうことが許されてて、町から見て北に位置するあの山にお供え物を供えに行くんだよ」


 ジェーンが「あの山」と言いながら指差した方向へと、春野も目を向けた。そこで彼女は初めて、そこに小高い丘のようなものがあることに気がついた。

 そしてそれを見た瞬間、春野は何故か強烈なほどの違和感を覚えた。


 その山は、表面が緑に覆われている小さなものだった。「山」と言われなければただの小高い丘のようにさえ見える。

 なんだろう、あの山は。どこかで見覚えがある気がする。でも「山」と言われて初めて存在に気づいたのも変な話だ。

 もしかしたらあの山、どこかで……。

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