第6話 香玉

 人陰は野次馬たちのあいだを縫うように走り続けている。まるで何かから逃げるかのように。


 春野はその背中を見失わないように気をつけながら、密かに強く奥歯を噛み締めた。能力をどう使えば良いか、頭のなかで必死に考える。

 最終的な判断は津鷹に任せてあるが、もし「あの人」が一瞬でもこちらを振り返れば、即座にその体を縛るつもりだ。けれどこんなところで「目」を使うわけにはいかないのも事実。春野の「目」はその「目」を見た存在全てに作用する力だ。仮に「あの人」がこちらを向いたとき、周囲にいる他の人間がいったい何人自分を見ていることになるのか。それを考えたら――。もしかしたら被害が拡大する可能性だってありうる。

 津鷹の銃だってそう。こんなところで放てば、誰にあたるともわからない。もちろん彼の銃の腕を信頼していないわけではない。だが、ここで撃ってしまえばただちに馬車の相手をしている警官たちが何事かとすっとんでくるだろう。

 一方で逃げている相手は土地勘がある。分としてはこちらが圧倒的に悪い。


 ふと、津鷹を見ると彼がポケットに手を忍ばせていることに気が付く。何をするのかと思い横目で見ていると、彼はそこから紫色の飴玉のようなものを取り出し、親指に載せて強くはじき飛ばした。

 紫色の飴玉は一直線に走り、逃げる相手に当たってはじけた。ほのかな香りと液体があたりに飛び散る。

「あの人」はそれでも立ち止まらずに逃げて行ったが、飴玉に巻きこまれた誰かが「きゃっ」と小さな悲鳴をあげた。


 と、津鷹が突如走る速度をゆるめた。

 先を行きすぎた春野は驚いて振り返る。


「津鷹!?」

「追わなくていい、春野」


 冷静な口ぶりに春野は思わず立ち止まった。ちょうどそこで人混みは切れていた。

 春野は深く帽子をかぶりなおすと、津鷹のもとへ戻った。彼と顔を合わせると少し困った顔をされた。どうやら今、自分は不満を顔いっぱいにだしているらしい。自覚はあった。

「どうしてですか?」と聞いた声も、ちょっとぶっきらぼうだった。


「これ以上追ってもきっと無意味だよ。どのみち、きっと逃げ切られてしまった」

「…………」


 春野はしょんぼりとうなだれた。その頭を津鷹の手が優しく撫でてくる。


「さ、食べ損ねる前に早くお昼にしよう」

「は……」


 い、と言いかけた矢先、春野のお腹がぐぅ~っと大きな音をたてた。

 春野は頬を真っ赤に染め、そんな彼女の様子を見て、津鷹は楽しそうに微笑んだ。


***


 お昼は細長いパンに野菜やらソーセージという肉やらをはさみこんだものを食べた。これなら町を散策しながらでも食べられる。

 新鮮な野菜のしゃきしゃきとした歯応えと、ソーセージとパンの組み合わせに春野は瞳を輝かせて頬張った。これはなかなかにおいしい。どうして故郷にはこの料理がなかったのかと考えてしまうほどに。


「あ。津鷹、ほっぺに赤いのついてますよ」

「ん?」

「とってあげます」


 春野はポケットからハンカチを取り出して津鷹の頬についている、赤くてすっぱい味の調味料をぬぐってあげた。


「ありがとう」

「いえ」


 春野はパンの最後の一口を食べると、ハンカチでその手をぬぐってポケットにしまった。

 その隣で津鷹も同時に食べ終えたらしい。両手についたパン屑を軽くたたいてはらっていた。


「さて、春野。どこか行きたいところはある?」

「――あの、差し出がましいようなのですが。任務は……」

「うん、まあ。あとででもいいんじゃないかな?」

「そうですか……」


 先ほど追いつくことができなかったことが、いまだ悔やまれた。だからその遅れを取り戻すためにも春野は早く任務を終わらせたかったが、津鷹はのんびりとしている。いくらなんでもマイペースすぎやしないか?

 だがそれは春野のときでも、前回のネゴのときでも似たようなものだったから、今さら言うまでもないことだけれど。


「まあでも、対策は必要だよね」


 いくらかやる気を見せてくれる津鷹に春野は瞳を輝かせた。


「……あの、あの。実は僕、気になることが」

「ん?」

「もしかしなくとも、その……先ほどの騒動を止めたのはシーナさんだと思います」

「うん、そうだね。実際、俺たちは彼女を探すためにこの国へ来たわけだし」


 春野はうなずいて、ソーヤが渡してくれた絵を思い出した。そして同時にシーナの顔も。間違いなく絵の人物はシーナだ。だとしたらあの騒動を止めたのは彼女の「目」であることに間違いはないだろう。


「だけど、あの騒動で馬たちの体は止まりました。まるで何かに防がれていたかのように……」


 暴れ狂う馬たちは宙に持ち上げられ、そこで止まった。やがて大人しくなると彼らはゆっくりと地面に降りていったのだ。

 春野にとってそれは信じられないことだった。

 だってもしそれが可能ならば、シーナの「目」は春野と同じ性能を持つことになる。


「――いや、おそらくあれは春野の「目」とは違う種類のものだよ」


 春野の考えを津鷹はあっさりと否定した。


「思い出してごらん? あの馬たちはたしかに動きを止められていたけれど、そもそも浮いていた。動けなくしたというよりは、防がれていたに近い」

「……なるほど」


 たしかに春野の瞳には「止める」ことはできても「浮かせる」ことは不可能だ。


「止めるのと、防ぐのは違うのですか?」

「うん。違うね」


 津鷹は拳をそっと春野の目の前に差し出した。


「止めるってのはってことなんだ。何をしても無理。どんな抵抗をしてもね。それは生き物でいうなら心臓を止められているのと一緒さ。心臓が止まっていれば、そもそも『動く』という働きさえ失われているようなものだからね」


 一方で、と続けながら彼は春野に向かってつきだしてる拳を握ったり開いたりしてみる。


「防ぐってのはある程度。道を進むことはできないけどその場限定でちょっと行動できるんだ。こんな風に手をグーパーしたりとかね。それが『止める』ことと『防ぐ』ことの違いだよ」

「なるほど。教えていただきありがとうございます、津鷹」

「うん」


 津鷹は腕をおろした。


 昼時の町は朝と比べて人の流れがゆっくりだった。歩いている人も動いている馬車も、テントを張って開いている店にさえも、穏やかな時の流れを感じる。

 朝は仕事に行かなくてはいけないとか、そういった理由で騒がしかったのかもしれない。そしたらきっと夕方か夜のなりかけになったら、家に戻る人たちなどで再び人の出入りが激しくなるのだろう。

 そうなる前に宿に戻るべきだなと、津鷹は思った。


 しばらくのあいだ、津鷹は黙って歩き続け、春野は何も言わずに彼の左隣にぴったりとついていった。途中の道で先ほどの騒動の場所に着いた。だがそこはもうすでに「何の騒ぎもありませんでした」とばかりに、ひどく落ち着いた雰囲気があった。ただ、えぐられた石畳のあたりに棒とテープで囲いがされていたり、馬車や踏み倒されたテントから出たであろう破片や肉の残骸なんかがそこらに落ちてはいたが。

 それらを見ていた春野が不意に「あ」と叫んだ。


「――そういえば先ほど、シーナさんらしき方に向かって津鷹は何を指で弾いたのですか? 飴玉のように見えましたが」


 春野は自分の手をグーにして、親指を軽くたててみせた。


「――ああ、あれね」


 津鷹は先ほどと同じようにポケットのなかを探りだして、その正体を春野に見せびらかした。

 それは、本当に飴玉のようだった。しかも紫色の。


「これは香玉かおりだま。スメルストーンとか、こうぎょくなんて呼ぶ人もいる。俺は香玉のほうが言いやすいからそう呼んでるけど」

「なるほど……」

「ちょっとかいでみる?」


 ずいっと鼻先に持ってかれて、春野は驚きながらも津鷹の手のひらにある香玉をくんくんとかいでみた。わずかに甘く、柔らかな香りがした。

 春野は驚いて思わず津鷹を見る。彼にとってはその反応は予想通りだったのか、満足そうにうなずくと香玉をポケットから取り出したケースへとしまった。


「紫色はラベンダーの香り。他にも色々な色があって、たしか浩宇ハオ・ユーなんかは柑橘かんきつ系……を使ってたかな。名前は忘れちゃったけど」


 浩宇に会ったのは、春野は一度だけだった。故郷である塔の国・トゥーロをでるとき。表情を面にださない、無口な人だった印象が強い。


「津鷹や浩宇さん以外にも、任務をしている「協会」の会員たちはいらっしゃるのですか?」

「うん、いるよ。俺も会ったことない人だっている」

「そうなのですか……」

「うん」


 いったいどんな人たちなんだろう、と春野は思いを馳せる。もしかしたら今後、どこかの任務で一緒になることもあるかもしれない……。


「で、話をもとに戻すとね。この香玉は特殊なもので、さっきみたいに弾けるとべとっとした手触りの液体がつくんだ。それ自体は特に何の効果もない。だってそれがついてもタオルで拭うか、あるいは洗うかすれば簡単にとれてしまうから。ただそうしてしまうと、逆ににおいが強くなるんだ」

「すごいものなのですね……」

「うん」


 ましてその香り玉を追いかけているときに一瞬で判断して付着させるなんて、さすが津鷹はすごいと春野は心の底から彼を称賛した。

 そこであることに気がつく。


「もしかして津鷹、その香玉を使ってシーナさんを……?」


 春野が全てを言いきる前に、津鷹は不敵な笑みを浮かべながらうなずいた。

 なかなか見られない彼の笑みに春野は背筋に少しだけ寒気が走る。


「春野にも、ちょっとだけ手伝ってもらうよ」

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