第6話 カスティリヤ盆地会戦


 パノティア王国、第1王子のエリンスケルコは、勝利を確信していた。

 弟のフランケルコに王都を追い払われ、領地に戻った彼は、早急に兵士を掻き集めて王都への侵攻を図ったのである。

 自身を支持する貴族から兵士を借り、在野の傭兵を急募した甲斐があってか、わずか3週間足らずで、1万人程の兵士を揃えることが出来たのだ。

 内訳は、騎兵が1千百。歩兵が7千。弓兵が1千。弩兵が3百。魔法兵が1百。銃兵が1百である。

 そしてこの兵の規模は、王都へ進むにしたがって増えていくであろう。


 「フランケルコの奴めには、3千しか兵士がおらん。負けるハズがないな」


 やや甲高く、上機嫌で歌うようにエリンスケルコは言う。

 当然、彼の周囲に群がる腰巾着貴族達がすぐさまそれに追従した。


 「聞くところによりますと、あれら全て、フランケルコ殿下の兵士であるとか」

 「他の貴族からの援軍が見当たらないそうです」

 「それ程、あの殿下に人望がないということでしょう」

 「それどころか、弟君のアンリマルク殿下にも愛想を尽かされたようですな!」

 『ははははは!』


 彼らは高らかに笑う。

 前線で自身の騎士や兵士を指揮する貴族とは異なり、彼らは将来、文官としてエリンスケルコの傍に立たんとするものばかりだ。

 戦働きで手柄を立てられない代わりに、金銭面や、こうした太鼓持ち・・・・でしか手柄を立てられない。

 彼らはこぞって、エリンスケルコに資金の援助を申し出たのだ。


 「これこれ、笑ってやるでない。あ奴はあれで、自暴自棄になっておるのだ。子供の駄々に、我々大人がゆっくり付き合ってやろうではないか」

 「それもそうでございますな!」


 エリンスケルコがそう歌えば、すかさず傍に居た貴族が太鼓をならす。

 見事、太鼓を奏でられた貴族に対し、出遅れた他の貴族が密かにほぞを噛んだ。

 しかし、中立に回った貴族や、この戦いに間に合わなかった他の貴族のことを思えば、彼らにはまだまだチャンスがあったと言えよう。

 そのことについて考えていたある貴族が、わざとらしく困った様子で切り出した。


 「そう言えば、カヴァルカント候がここにおられぬようですが?」

 「伯は御存知でいらっしゃらない? カヴァルカント候は我々の求めに、曖昧な返事ばかりであるとか」

 「あの、大貴族たるカヴァルカント候が?」

 「なんでも、パノティア南部の端からは、支援したくとも支援し難いと」

 「あの大狸も、今回ばかりは恵まれませんでしたな!」


 貴族達の出世レースにおいて、大貴族の落伍という歓喜に彼らは再び沸き立つ。


 「おらぬ者のことなど、今はどうでもよい」


 そんな貴族達の視線を集め、エリンスケルコは言い放った。


 「そろそろ、あ奴の首とご対面と掛かろうではないか」


 それは、エリンスケルコによる攻撃開始の号令であることに違いなかった。

 攻撃の命が下されたことで、今か今かと待っていた前線の貴族や傭兵達は、首輪を放された猟犬の如く渡河を開始する。先頭は、騎兵達であった。


 彼らが渡るのは、比較的流れが緩やかで川底の低い部分であり、流れの急で深い部分を避けてのことだった。それでも膝下辺りまで水に浸かるのだが。

 川底が低く、流れが緩やかということは、必然的に川幅が長く、渡河に掛かる時間も長くなるが、彼らは気にも留めない。


 「まるで、肉に群がる犬のようだ」


 傭兵はまだしも、栄誉ある貴族がそれでは、なんとみっともないことか。

 エリンスケルコはやや冷笑を浮かべながらも、自陣に残した1千以外の兵士、全てが渡河を開始した様子を見ていた。

 騎兵を先頭に、槍やストマックなどの長柄の得物を持った徒の兵士が続く。


 「敵は少なく、手柄も少ないですから、皆必死になっているのでしょう」

 「成程、貴族の悲しい性だな」


 弓兵や、あまり数を揃えれなかった魔法兵を使い、露払いとしてフランケルコ側へ攻撃させる。

 しかし、敵も中々どうして、上手く魔法兵を使ってそれを最小限に食い止めていたのだ。

 だがそれでよいと、エリンスケルコは考えていた。後は、数の力で押し切ってしまえばいい。最早戦術もへったくれもない考えだった。


 「銃声か……」


 兵士達が川の半分を渡っていないところで、フランケルコ側から斉射による銃声が響く。

 湾曲した横隊で、川岸からやや離れた所で構える銃兵によって。


 「まだ川の半分も渡っておりません。如何に横隊で斉射しようとも、大した被害にはなりません」

 「どうやら、そのようだな」


 命中率の悪い火縄式のマスケット鉄砲では、50メートルも離れれば極端に命中率が悪くなってしまう。事実、エリンスケルコ派の兵士で倒れたのは1百人にも満たず、以前、その士気は高い。

 だが……。


 「なんだ? また撃ったぞ?」

 「早過ぎますな……弾込めには時間が……」


 困惑するエリンスケルコらを余所に、続く第2射目が発砲された。

 今度は、1射目より多くの兵士が倒れ、川底に沈むか後続に踏まれるかの憂い目に遭う。

 発砲から、次の発砲までの時間が早すぎる。

 彼らは、|俄(にわ)かにどよめき立った。


 「まただ! また撃たれたぞ!」


 腰巾着の誰かが叫ぶ。そして第3射目、第4射目と、以降も次々に斉射された。その度に倒れる仲間の数が増え、兵士達にも動揺が広がっていた。

 このまま突撃してもいいのか、否か……。

 そんな不安が、兵士達の足に枷を掛け、走る速度を落とした。

 特に顕著だったのが、騎士階級である騎兵だ。彼ら貴族は、その出世欲をもって自ら陣頭に立ち、手柄を立てんと先駆けたのである。


 「き、騎兵が、止まった!」

 「何をしておるか! 何故進まん!」


 第7射目が斉射された時、その斉射で実に、3百人以上が倒れた。

 その結果、先頭を走っていた騎士達は、己の命と出世を天秤にかけねばならず、多くが命を選択したのだ。つまり、突撃の停止であった。

 エリンスケルコ派の兵士はこれまでに、1千人以上倒れたということになる。

 騎兵の多くが足踏みをしてしまったが為に、徒の兵士が殆ど止まってしまった。それも川の真ん中で。

 そして、その時を見計らったかのように、フランケルコ派の陣地からラッパの音が鳴り響く。


 数分後、エリンスケルコは、そのラッパの意味を理解することになる。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「長篠の鉄砲三段撃ち……川を天然の馬防柵に見立てて、敵を撃つわけですか」


 英弘は感心と不快感という、相反するような感情に見舞われていた。

 すなわち、秀吉が大量のマスケットを用いた三段撃ちへの感心と、それによって、人が大量に川底へと沈んでいく事への不快感だ。

 前者は秀吉への素直な称賛が基に。後者は、人が死んでいく様を、後方の本陣からとはいえ、それを直視したことによるストレスが基となっていたのだ。


 「そういうことよ。鉄砲を集めるのにえらい苦労したわい」

 「織田信長の真似ですか?」

 「真似で何が悪い? 信長様の良い部分を儂が吸収し、実践したまでよ」

 「それもそうですね」


 悪びれも無く……いや、悪いことなど何もないその考え方に、英弘は納得させられてしまった。

 実際にそれで、戦果を挙げつつあるのだから。


 「見よ英弘。奴らが川のど真ん中で立ちすくんだぞ」

 「当然でしょう。先頭の騎兵が止まれば、後続がその前に出ようとするはずがありません」

 「ほう……」


 今度は、秀吉が関心の目を英弘に送った。英弘の言葉に興味を抱いたのだ。


 「敵は、北部諸領から集まった貴族による混成軍です。士気は高くとも、彼ら貴族は、生き残って戦果を上げないと出世できません。だから、容易に勝てるだろうこの戦いで橋なりを使わず、迂回路も取らず、戦術もへったくれもない突撃を繰り出してきたんです。罠という可能性を考えずに」

 「その結果がアレだと?」

 「はい。指揮系統にまとまりがない彼らに、まともな連携が取れるとは思いません。どこかの貴族が畏怖すれば、他の部隊に伝播するのも当たり前でしょう」


 饒舌とはこのことであろうか。それほど英弘は自身の考えを淀みなく話した。

 釈迦に説法だろうとは本人も承知のことである。

 だが、その実、英弘は無意識のうちに、眼前で広がる人の死に対して別の思考を働かせることによって嫌悪感を軽減しようとしていたのだ。

 彼自身がそれに気づいたのは、戦闘が終わり、冷静になってこの戦いを振り返った時のことであった。


 「何じゃお主、戦のことを知っておるではないか!」


 英弘の話が終わり、秀吉は素直にそれを褒めた。

 戦の経験は無くとも、戦の知識を持っていることを、英弘は証明したのだ。


 「偉人について研究するということは、歴史について触れることにもなりますからね。戦争のことも多少、知識だけは有りますよ」


 やや照れ臭そうに英弘は言った。この程度の知識なら、得ようと思えば簡単に得られるのが、英弘の時代であったりする。

 そんなことを一々説明するつもりもなく、英弘は秀吉に次の策を問うた。


 「ところで、ああやって川の真ん中で立ち往生した敵を、このままマスケットでなぶり殺しにするんですか?」

 「いや、それでは弾や玉薬が勿体ないわい。ヒッヒッヒ」


 そういうなり、秀吉は右手を上げる。

 その視線の先にはラッパ手がいて、秀吉からの合図を受け取ったラッパ手は、同じ符丁リズムを2回、川の上流へとその音色を届けた。


 「ああ、”水攻め”か……えげつない」

 「何じゃ英弘。もう気付いたのか?」

 「いや、そんな悪辣な笑い方していたら、誰だってわかりますよ」

 「お主、段々遠慮が無くなってきたのう……まあええわい。ヒッヒッヒッヒ!」


 秀吉が言っていた策がどういうものか、その全容が見えて来た。

 敵の兵士を三段撃ちで川の中か、或いはこちら側の川岸に留めて置く。

 そして恐らく、川の上流では予め、堰を作って川の水を大量に溜め置いたのだろう。それを、先程のラッパの合図で一気に開放する。

 英弘の言った通り、秀吉は水攻めを計画していたのだ。

 ただ、この仕掛け水攻め、実際に敵に影響が出るまでにタイムラグが発生してしまうのが難点であった。

 上流で溜められた水が敵のいる所まで到達するまで、こちら側としては敵を留めておかなければならないのだ。


 「む? 敵の一部が勢い付いてきよったのう」


 やや感心した口ぶりの秀吉に倣い、英弘は川の真ん中にいた敵兵を見やる。

 そこには弾雨にさらされつつも、決死の覚悟をしたのか、果敢に渡河をしようとする敵の一部がいた。

 このままでは狙い撃ちにされる。ならばいっそ、敵陣に吶喊するべし!

 恐らくそう腹を括った貴族が、自ら兵を率いたのだろう。仲間のその行動に、己の命へと完全に傾きかけていた天秤が、出世へと再び戻ろうとしたのだ。


 だが、それはもう遅かった。


 「ほれほれ、来たぞ来たぞ~!」


 秀吉ははしゃいでいた。まるでお祭りを前にした子供のように。

 そしてそれは・・・来た。いくつかの木材と共に、濁ったそれ・・が。

 それは決して、轟音を伴うような速さではない。渡河の途中にいたエリンスケルコ派の兵士達も気付けなかった程、寧ろ静かだった。

 だがそれでも、当の兵士達は思い知ったのだ。

 約50センチ、川の水嵩が増したことによって、人が簡単に流されていくことを。


 「わーっはっはっは! だるま・・・のように転んでいくのう!」


 英弘は、ドミノみたいだ。と考えていた。

 それ程敵の兵士達は、足を取られ、こけた傍から流されていく。

 人も、馬も、何もかも。


 「しかしまあ……」


 英弘は、流されゆく敵兵を憐憫と同情の眼差しで見送りつつ、口を開いた。


 「ここに敵が来てくれる、ってよく分かりましたね?」


 何気なく聞いたことだったが、しかし秀吉は、待ってました! と言わんばかりに答える。


 「考えるのは苦労したぞ~。あのバカ兄上が追放された時、|何を考えるか、を考えるのがのう」


 秀吉は、遠く対岸にいるエリンスケルコらしき人物に視線を送った。


 「可及的速やかに、最短距離で、最も通り易い場所を、と考えての。それにあのバカであれば、儂がここに陣を敷けば必ずそれに乗ってくると、そう踏んだわけじゃ」

 「エリンスケルコ殿下としては――」

 「殿下はいらん」

 「エリンスケルコとしては、実力で殿下を打ち負かしてから、王都に凱旋するつもりだったのでしょうが、殿下はそれを逆手に取ったわけですね?」

 「そういうことよ!」


 英弘の解説はまさに、的を射たものである。

 当のエリンスケルコとしては、わざわざ少数の兵を率いて布陣した秀吉を、討たない理由などなかったのだ。

 当然そこには、王族としてのプライドがあったし、秀吉を避けたことによる他の貴族への悪い影響を気にしてのことだった。

 その結果が、このざまである。


 「水嵩が戻っていくのう」

 「敵の殆どが流れました」

 「残ったものも這う這うの体よ」

 「で、この後は?」


 どうするんですか? と、英弘は視線で言葉の続きを問う。

 その視線に、秀吉は目を細めて答えた。


 「残りは敵陣にいる1千余りよ……銃兵に伝達! 槍に持ち替えて前進させよ! 先鋒は騎馬隊に任せる!」


 やはりラッパ手が、秀吉の命令を聞き、上流側に送った符丁リズムとは違う音色を全体に響かせる。

 それによって騎兵は騎乗し、さっきまでマスケットを握っていた銃兵は、その得物を槍に変えた。

 今度はこちらが、渡河する番である。


 「槍に持ち替えた、か……」


 そんな銃兵の様子を見ていた英弘は、わざわざ槍に持ち替える銃兵の姿を見て、1つ思う所があった。もしそれを指摘すれば、戦争のあり方が大きく変わるだろう。

 が、今それを言ったところで詮無きことだ。英弘はそれを一旦、心の中に仕舞うことにした。


 「ようし! 突撃を待てい! って、なんじゃあ!?」


 右手を上げ、秀吉は今にも突撃の合図を繰り出そうとしていたが、しかしその手を振り下ろす寸前、素っ頓狂な声を上げる。

 まるで将棋盤をひっくり返されたような、そんな声だ。

 その原因は、まさに全軍が狙いを定める敵本陣にあった。


 「あ~……そりゃあ、あれだけ兵士が減れば逃げたくもなりますよ」


 そう英弘は言った途端、秀吉から顔を背けた。般若の如き形相で睨まれたからだ。

 秀吉からすれば、図星をわざわざ突くな! と怒鳴りたい程の指摘である。

 だが、こうなることは想定の内の1つでもあったし、何より、秀吉自身、ここでエリンスケルコを討ち取るつもりはなかったのだ。

 英弘に怒りを向けたのも、ただのポーズである。


 「ふう……まあええわい。奴にはもちっと肥え太ってもらわねばならん」


 「肥え太る」とはどういうことだろうか? そう、一瞬考えた英弘であったが、次の瞬間にはボンヤリとその意味について、考えが浮かび上がった。


 「つまり、今回のような即席の敵軍ではなく、より多くの敵貴族を糾合したエリンスケルコ軍を倒すことに意味があると。そういうことですか」

 「そういうことよ。今ここであ奴を討てば、それこそ他の連中が独立を唱えるなり、ヌーナやバルバラに鞍替えすることも考えられるからのう」


 そうさせないために、秀吉自身は従う貴族の数を増やし、兵力を増大させて決戦に挑まねばならない。そうした段階を経て、内戦に勝利した秀吉への反発と反抗を極力防ごうとしたのだ。

 だからこそ、秀吉はこの戦いで勝利する必要があった。それも単独で。

 だがそれ以上に今の秀吉に必要なのは、完全に信頼できる家臣であるだろう。

 あらゆる情報を共有し、どのような企みも相談できる。そんな家臣だ。


 「ここに、半兵衛や官兵衛がおってくれたら、もちっと上手いやり方が出来たじゃろうのう……」


 秀吉の顔に、哀愁が漂っている。英弘は元天下人の横顔を見て、そんな感想を抱いた。

 かつて、前世で秀吉を支えた”両兵衛”の姿を、秀吉は幻視しているのだろう。


 「……殿下、敵が本格的に撤退を始めました。追撃はなさいますか?」


 そんな秀吉に、しかし時間を無駄には出来ないと、英弘は暗に告げた。

 当然、聞こえた言葉以外の意味を理解した秀吉は、クウィラス胴当てをまさぐったかと思うと、そこから1つの扇子を取り出し、バサリと豪快に広げる。そこには、金地に見事な日の丸が描かれていた。


 「皆の者! 勝鬨を上げよーー!!」

 『ウォオオオオオオ!!』


 これが英弘への返答であった。

 秀吉は、この戦場の支配者として相応しい表情で扇子を高らかとかかげる。

 最初は遠慮気味に、だがすぐにその熱が広がり、秀吉率いる3千の兵士は雄たけびを上げたのだ。

 勝者が誰であるかなど、最早分からない者などいないだろう。

 つまり、フランケルコ秀吉が勝ったのだと。


 兵士達の興奮と歓喜の籠った勝鬨に、英弘もそれに倣う。チラリと後ろを振り返ってみれば、父、アルクも一心に雄叫びを上げていた。

 そんなアルクと目が合ったかと思えば、アルクはホッとした様に目を細め、英弘も釣られて微笑む。

 お互い、生き残れてよかったなと、そう語らうかのように。


 かくして、1つの戦いが終わった。

 3千対1万という、圧倒的劣勢の中で、秀吉は持ち前の周到さを発揮し、敵を文字通り一掃したのだ。

 意気揚々と戦いに出て、惨めに敗退したエリンスケルコのダメージは物心共に酷いものであっただろう。

 なにせ、9千近くの兵士や騎士を失い、有言が不実行に終わり、敗北という屈辱を受けたのだ。

 エリンスケルコは退却の最中、延々と叫び、呻き、泣き喚いていたという。


 こうして、エリンスケルコが失った勢いは、秀吉へと流れていくことになる。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴1583年1月17日朝

  パノティア王国、王都ルナ、王宮の会議室―



 「まず、国をまとめ上げるにあたって必要なのは、3つあります」


 カスティリヤ盆地での会戦も終わり、王都・ルナに帰還した英弘達は、小さな会議室を使い、2人だけの会議をしている。

 秀吉は、英弘を試すようなことはやめ、むしろ信頼を持って遇することにした。

 それだけ英弘の知識と見識が、秀吉から大きな信頼を勝ち得たのだ。

 円卓を、1つ席を空けて座り議論を重ねていく中で、英弘が指を一本立てた。


 「ほう、申してみよ」

 「1つは、民衆による、”国民”という意識を持たせることです」

 「”国民”……とな?」

 「はい。現在のパノティアの民衆は、各領地、各村や街に帰属意識を持っています。ですから、彼らは村や街の為には必死になって戦うでしょう」

 「当然じゃ。自分の村を焼かれたくはないからのう」


 秀吉の言葉に、英弘は頷きつつ続けた。


 「ですから、いざ「パノティアの為に戦え」と言われても、自分のコミュニティ地域の外のことに無関心な彼らに、戦う意欲があるはずもありません」

 「成程の、分かったぞ! だからその”国民”という共同体的意識を民衆に植え付けるのじゃな!」

 「その通りです。正確には、”パノティア王国国民”という、いわばパノティア王国への帰属意識を持たせるんです。他にも、”国旗”や”国歌”等を制定すれば、より効果が大きいでしょう」

 「そうなれば、儂という天下人から国の名を使い、その”国民”とやらを動かすわけか……中々よいではないか!」

 「お気に召したようで」


 英弘は説明しつつ、しかしこれがかなり危ないことであるだろうと、自身の発言に対して危惧していた。

 要は、ナショナリズム国民国家という自国第一主義への第一歩である。

 これは、秀吉の推し進める中央集権絶対王政化というケーキに、ナショナリズムという具材を入れるに等しいことなのだ。

 だからこそ英弘は、国民国家に対して説明しながらも、立憲君主制と21世紀的民主政治への模索も同時に行っていた。

 そしてその種は、確実に撒いておかなければならないだろう。


 「して、2つ目は?」

 「ああ、はい」


 2本目の指を、英弘は立てる。


 「2つ目は、強力な常備軍です。現在では、各領地、各領主が、その規模と予算にあった軍隊を持っていますが、これはその領主が、その領地を守るためだけにしか使いません。時には王の為に出兵するでしょうが、積極的には出兵しません」

 「当たり前じゃ。それだけ軍隊というものは金が掛かるし、馬や騎士を育てるのに時間も掛かるからのう。それに、日本ひのもとの武士とは違って、パノティアの貴族連中は国王の為に戦わん。戦うのは、利害が合う時だけじゃ」

 「ええ。ですから、その軍の統帥権を国王の下に統一し、兵農分離した上で常備軍を置き、貴族の持つ軍隊を奪い取りましょう」

 「奪い取りましょう、ってお主、簡単に言うが……貴族連中がすんなり兵権を手放すわけなかろうて……」


 秀吉はやや呆れたように言う。英弘の言ったことはつまり、「お前の護身用の武器を渡せ」と貴族に命ずるようなものだ。反発を受けるのは必須であろう。

 しかし英弘は、頭を振って続きを説明する。


 「勿論、直接、正直に言うことは有りません。ただ、殿下が強引にこの国をぶっ壊して掌握する過程で、他の貴族が恐れる程の軍事力を持てばいいんです」

 「……ははあ、符合したぞ。つまりはアレじゃな。儂が貴族共を鉢植え大名化する過程で、その貴族共の兵力を削り、儂がより多くの兵を持てばいええ訳じゃな?」

 「その通りです。後は、殿下の軍事力を背景にこう宣言するんです。「”パノティア王国軍”とおいう常備軍がパノティア全土を守る」と」

 「そうすれば、貴族共はこう考えるわけじゃ。「外から来る敵は皆、あの”パノティア王国軍”がすべて追い払ってしまう。なら、軍隊を組織しているだけ金の無駄だ」と、そう言うことじゃな?」

 「その通りです。あくまで、自主的に軍の規模を縮小させるんです」


 勿論、そうなってしまえば先程のケーキに、”常備軍”というデコレーションが追加されてしまう。

 もしかして俺は、とんでもない過ちを犯しているのではないか?

 英弘は、自分で言っていることの影響力に危機感を覚えていた。

 これが英弘や秀吉の手から離れ、独り立ちし、あまつさえ、アドルフ・ヒトラーのような破綻者が生まれてしまったら?

 英弘は、そう考えずにいられないのだ。


 「……そして3つ目です」


 とはいえ、今ここで英弘にどうにかできることでもないのだが……。


 「こう言えば殿下もすぐに分かることだと思いますが……早い話、”楽市楽座”をこの国で実行します」

 「ほほう……」


 3本目の指を立てる英弘に、秀吉はニヤリと笑みを浮かべる。

 それは前世で、秀吉が仕えた武将、織田信長が実施した経済政策であった。

 重商主義内向的な経済によって、領地間に高い関税が掛かっている現状では、パノティア王国内の経済が活性化しない。

 だから”楽市楽座”のように関税を撤廃し、自由な経済活動を促すことによって経済的発展を促進するのだ。


 「それは儂も考えておった。じゃが、変化を嫌う貴族共は反感を覚えるぞ?」

 「それを説得するのが殿下の役目では? 得意でしょう?」

 「ヒッヒ、まあのう!」


 前世でアメとムチを巧みに使い分けたからこその、この自信なのだろう。

 嫌らしい笑みを浮かべる秀吉に、英弘はそんな感想を抱いた。


 「なんにせよ、それら全ては取らぬ狸のなんとやらじゃ。儂がパノティアという狸を獲って”惣無事”を成し遂げてからよ」


 つまり、秀吉を最高権力者とし、そのもとでパノティア国内の治安維持と各領地の管理、統制を目指すのだと、言外に行っているのだ。

 今の時代でそれが出来ればいいのだが、成し遂げるには時間が掛かるだろう。

 それに、先程のナショナリズムの問題もある。国民国家となったパノティアが侵略を是とし、暴走してしまわないか……英弘が危惧するところだ。


 「微力ながら、お力添えします。殿下」

 「うむ。頼りにしているぞ!」


 だが英弘は、秀吉との大改革に手を貸すことを選択した。

 秀吉の傍で、秀吉に献策できる立場にいれば、平和主義と民主主義の種を仕込むことくらいは出来るだろうと、そう考えて……。

 例え、それが芽吹くのにどれだけ時間が掛かろうとも、その種を用意し、仕込まなければならないと、今ここで、英弘は決意を新たにしたのだった。


 と、そんな時である。


 『お忙しい所申し訳ございません兄上。私です。ミリアでございます』


 控え目なノックの音と共に、まるでハープで奏でたような声が優しく反響する。

 幼いが、芯のある声音だ。


 「おおミリアか。入ってよいぞ」


 秀吉の許可を得て、美声の持ち主は断りを入れて扉を開ける。

 そして英弘は見た。会議室に入ってきた美少女の姿を。

 秀吉と同じ、黒く艶のある髪に、あどけない顔。歳の頃は英弘より少し下だろうか? とにかく、可愛い女の子だ。


 「お話のところ申し訳ありません。兄上にお目通り願いたいという方がお目見えでして……っ!」


 秀吉の実の妹であるこの可憐な童女――ミリアは、年の離れた兄に対して用件を言いながらも、その傍に居る英弘に視線が釘付けとなった……それと同時に、彼女の体に衝撃が走る。

 それは、ませた少女が抱く、甘酸っぱく瑞々しい感情……要するに、恋であった。

 ミリアは、英弘に一目惚れしたのだ。


 「ミリア? おおーいミリア!」

 「あ! も、申し訳ありません!」


 秀吉に再三呼ばれ、ハッと理性を取り戻すミリア。それでも顔を赤らめ、チラチラと英弘に視線を送るのだ。その視線の熱っぽさに、英弘や秀吉が気付かない分けがなかった。


 「はは~ん。お主、もしかして英弘に惚れたな? コヤツ、見てくれは美男子のそれになる顔付きじゃからのう。うっひっひっひっひ!」


 下卑た笑い声を発する秀吉の言葉に、ミリアは更に頬を染めてやや俯く。

 英弘は、そんなミリアからの好意に歓喜していた。

 表情は平静さを保つ為、顔中の筋肉に全神経を集中させていたが、心の中では緩み切った表情が展開されていたのだ。

 そして英弘は、当初その目でミリアの初々しさを堪能しつつ、ある部分に視線が移った。すなわち、胸部である。


 「こやつは儂の妹のミリアじゃ。どうじゃ? めんこいじゃろう!」

 「お、お初にお目にかかります。ミリアと申します! どうぞよろしくお願いいたします!」


 秀吉に紹介され、本人からも挨拶されつつも、英弘はミリアの胸を凝視する。

 これはあくまで、学術的な観察であって、決して不純なものではない!

 誰に聞かせるでもない言い訳を、英弘は心の中で叫びながら。


 「あ、これはご丁寧に。私はキルク・セロと申します。|ネーム(前世の名)は坂本英弘です」


 真面目に、誠実に、実直に。そう心がけながら、尚且つ表情を取り繕って挨拶を返すが――。


 「お見知りおきを。グフフ……」


 どうやら、最後の最後まで我慢できなかったようだ。


 「で、ではキルク様、とお呼びしても……」


 当然、胸ばかり凝視されていれば気付くというもの。


 「あの、どこを見て……何故私の胸ばかり見ているの!?」


 幼くも乙女には間違いなく。

 ミリアは英弘の視線に恐怖を覚え、胸を隠しながら後ずさりした。

 そんなミリアの態度の変化に、流石の英弘も我に返ったのか、失敗に気付く。

 つい昔の癖が……と。


 「なんじゃお主、女受けの良さそうな顔してもう色に染まっておるのか?」

 「いえ、私はオッパイが好きなだけです。オッパイを観察するのが趣味なんです!」

 「うむ! よい趣味じゃ!」


 英弘の主君は、大変理解のある漢であった。


 「や、やっぱり私はこれで失礼いたします!」


 そんな2人の様子を見て絶望感を感じたのか、ミリアは今にも泣きだしそうに涙を湛え、胸を隠したまま部屋を出て行く。

 一体何しに来たんだろうか? と、やや冷静に立ち戻った英弘。彼は首を傾げながらミリアを見送った。


 「なんじゃったのじゃ?」

 「さあ? 誰か来てる、って言ってましたけど……」


 お互いに首を傾け合う英弘と秀吉。

 頭の上に疑問符を浮かべる2人であったが、その疑問は、廊下から聞こえてきた声が答えとなった。


 『彼女、行っちゃったけど入っていいのかい?』

 『ミリア殿下が直々に話を通されると仰っていたからな……どうだろうか?』


 聞こえて来たのは、廊下で待機する兵士と、今度は少年の声だ。


 「会うてやるから中に入れ」

 『……そういうことだ。中に入れ』

 『やあ、どうも』



 秀吉が入室の許可を与えると再び扉が開かれ、廊下から1人の少年が入ってきた。

 身長は10歳の英弘よりやや大きく、年もそんなに変わらない程度の子供だ。

 銀髪に、エキゾチックなその相貌が、異国の情緒を感じさせる。


 「お初にお目に掛かります……でいいのかな?」


 廊下にいた兵士2人に挟まれながら、少年はその年に似合わない余裕を見せ、堂々と挨拶をする。

 そんな少年の態度に、英弘はただならぬものを感じた。


 「僕の名前はポーラット。ケペク氏族のポーラット」


 少年は名乗ったが、しかし続く次の言葉に、英弘と秀吉は大きく感情を揺さぶられることになる。


 「そして僕は君達と同じギフトで、ネーム前世の名は、栗林忠道だ。よろしく」


 少年の正体は、ギフト転生者であった。

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