第9話

「無理だ」

 バティストは修練場の地べたにあぐらを書いてそうタカスギに言い放った。

「無理ですか」

 タカスギはオウムのように返す。

「それは残念です。では今回の決斗はおじゃんということで。本部に不戦敗の申請をして参ります」

「いや、待て、待て!」

 タカスギはあぐらをかいたまま地べたにべたりと倒れ込んでタカスギの脚の裾を引っ張る。それをタカスギは液体窒素のように冷ややかな目で見つめた。

「汚い手で触らないでください。あなたのそのみずぼらしい一張羅と違ってこれは高いんですから」

「お前のは一張羅じゃないんだろ。なら一つしわになったくらいでとやかく言うな」

「さすが従者の誇りたる燕尾服をあろうことか部屋着にして皺だらけになるまで使い古す御方のおっしゃることには重みがある」

「そうだろ」

 バティストはわざとふてぶてしく言ってみせる。

「なんたって俺の引きこもり生活は断続的に十年はくだらない。その道では達人中の達人だ」

「どの道ですか」

「けど決闘に関してはひよっこもいいトコ。だからお前に教えを請うてるんじゃないか」

「なら請うにふさわしい態度をとるのが普通でしょう」

「なんつー上から目線だ」

 そう言ってバティストはまた後ろ向けになって寝転がる。

「いや、何て言うかさ……お前の話を聞いてたら途方に暮れちまって。素直に『はい、よろしくお願いします』なんてとても言う気にはなれない。それだけだ……」

 タカスギの説明はこうだった。

 決斗は学苑本部たるシャトー・フロンテナックの麓にある闘技場で行われる。そこで行われる限りは目的、参加者、そして種目に関わらず学苑規則に基づく公式の決斗として扱われ、勝敗は神聖不可侵たる年間報告書に記録され永久保管される。

 ルールは挑戦者、防衛者、決斗を取り仕切る評議会およびシンジケートの合意による例外をのぞき、以下のルールで行われる。

 原則として、学苑指定の制服・靴など以外の装備を身につけることは禁止。武器はもちろん、グローブや防具などの着用も認められてはいない。

 しかし、これは人体の生命活動をはなれて、恒常的に「もの」として存在している装備のことを言っているのであって、決斗開始後に戦闘行為を行う者が「自らの能力で生成するもの」に関してはこの限りではない。

 ——創世力。

 アークの持つ《異世界》を創造する能力。

 この世とは全く異なる姿とコトワリを持つその《異世界》の事物を身体のチャンネルを通してこの世に導き入れる存在。それが預言者——すなわちノアである。

 ある者は現代の科学では到底生成不可能な強力な武器をその身に宿す。

 ある者は神話の世界でしかお目にかかれなかった鎧より堅いうろこの巨竜、目にしただけで気が触れそうになる恐ろしい合成獣を喚びだす。

 そしてある者は恒星のフレアの一角を切り取って尽きることない炎をその手から繰り出し、ある者は悪魔も鼻をつまんで逃げ出すほどの瘴気を吐き出す。

 蜂の巣のように規則正しいこの世界の秩序の中に、異なる世界のカオスを持ち込むのがノアの能力だ。

 申し込むにしても受けるにしても、原則決闘はそのすべてが預言者として登録されている学苑生しか行うことができない。当然、その勝負は互いの契約する主たるアークの創世力を存分に利用した能力合戦となる。

 決闘がいつ起こるとも知れない偶発的なものでありながら、その視聴に多くの観客が訪れる一大イベントとなっているのは、まさにその視覚的なスペクタクルと人間ドラマを学苑という閉鎖的空間に飽いた学苑生たちが求めているからだ。扱う人間よりもはるかに巨大でクールな武器、ともすればくびきを壊して暴れ出しそうな雄々しき魔獣、閃光とともに放たれる一撃必殺の技。それは学生生活という枷をつけられた市民の身体のうずきに答えてくれる唯一の娯楽である。そして、アークとそれを守るノアとの関係は中世の騎士道を思わせ、剣戟と銃弾の代わりにお世辞と品のない贈り物が飛び交う社交界に飽いた心に「人間ヒトの絆」というあどけない理想を思い出させてくれる。

 しかし、今回の決闘は特殊だとタカスギは言った。

「本来ならばアーク同士の利害を決着させるために代理として騎士が試合を行うのが常道、というより、決闘制度はまさにそのために生まれたのです。しかし、今回は騎士間の問題、しかも主たるアークを賭けた決斗です。この場合、当のアーク本人が試合に参加するわけにはいきません。もしあなたがミス・アルブレイツベルジェルと組めば、それは賭けられている存在自体があなたの肩をもつことになります。逆もしかり。なので特別ルールが適用されます」

「特別?」

「ええ、学苑公式のチャンネルを二つ、使わせていただきます」

「チャンネル……?」

 タカスギ曰く。

 創世力を使用するにはアークと契約することが必要で、それ以外の方法はないというのが定説だった。しかし30年前、学苑直属の研究機関が不完全ながら創世力を人工的に生み出す装置を作りだした。

 それが、抽出機アンティキラというシャトー・フロンテナックの地下に埋蔵されている巨大な機械である。

 いまや抽出機は学苑のインフラと化しており、預言者どころか、一般生徒までその恩恵を受けられるようになった。

 簡易な治療、護身に使用できる端末の配布。自給率100%を誇るエネルギー産業。ケベック・シティーの外部空間と異界、二重の意味での外界から学苑を強固に隔てる防御システム。

 それらすべてに、抽出機のチャンネルが割り当てられ、この街全体を文字通り動かしている。

 負荷を避けるため、公共に提供されているチャンネル以外に個人がチャンネルを利用することはできないが、唯一の例外がこの決斗の場面である。

「アークがもたらす創世力にはそれぞれ紛れもない個性と特性があり、必然的に騎士との相性も生じてきますが、このチャンネルに関してはそれがない。使用できる創世力は生身のアークよりもずっと少ないですが、それだけ騎士個人の技量が試される場でもあります。何せアークとノア二人で作り出す創世力は《かけ算》。イマジネーションとの相互作用でアーク自身の能力が大きく絡みます。しかし相手が共有の創世力だと純粋にノアの霊感で自分の求める創世力を引き出す必要がありますので」

 タカスギの淡々とした説明に、バティストはごろんと仰向けになって降伏する猫のポーズを取った。

「目論見がはずれた……」

「まさか、決斗の内容もロクに知らずに引き受けていたとは、いやはや」

 少しも「いやはや」感のないタカスギの無色透明な声色に、タカスギはねずみ色のしゃがれ声で答えた。

「仕方ないだろ。受けるって言っちまったんだから。それに……」

 バティストは唇をつきだして、天井の明かりを見つめる。

「もし知っていたとしても変わらないさ。決斗ってそういうもんだろ?」

 タカスギは一瞬答えずに沈黙した後、呆れでも嘲りでもない何か純粋なため息をひとつ吐いた。

「気持ちはわからないでもないですが、目的を達せないようではそんなプライドは有害なだけです」

「俺のプライドじゃない。シルヴィーのプライドだって言っただろ」

 タカスギはそんな話聞いたことはなかったが、もう茶々も入れずに黙っていた。

「それに……予想できねぇよ。まさかシルヴィーの創世力を使えないだなんて。俺が学苑ここに来たのは全部シルヴィーと一緒にいて、シルヴィーを守りたいからだ。シルヴィーと契約している限り、俺は負ける気がしなかったんだが……」

「それはまたずいぶんと楽観的ですね。この数年、ロクに外出もしていなかったあなたが?」

「バカにするのは勝手だ。けど俺はわかってる。無敵さ俺は……シルヴィーとつながっている限り」

 そう言ったあとバティストは少しタカスギの顔をちらりと見た。それに驚きも見下しも含まれていないのを確認すると、少し居心地の悪そうな顔をしてまた首をもとに戻した。

「まぁ、なぜかといわれても説明する気もない。ただ俺はわかってる。心が確信してる。それだけで俺は十分だ」

 バティストの口調は変わらずぶっきらっぼうで、でたらめを言っているようにすら思えた。けれど、天井を見つめる大きく開かれた瞳が、彫刻の玉眼のようにじっと座っているのをタカスギは眺めていた——また彼も同じ瞳で。

「別に疑ってはいません。あなたの胸にあるのが雄々しい信念か女々しい過信なのかは、明日わかることです」

「だから、シルヴィーの創世力ちからが使えない限りやる気が出ないって言っただろ」

「じゃぁ、どうするんです?」

 ここまで相手がだとタカスギも少しは眉根を寄せたり口をへの時にまげたりしても良さそうなものだが、相変わらずの能面から大蔵省の会計朗読のような口調を流している。

「ブノアには今までどのノアとも契約を結ばず、一般生徒としてチャンネルを利用した決斗で財をなした花形選手です」

?」

です。だから人気は高いんですよ? 紳士的な所作と明るいファンサービス、ベビーフェイスで、特に年長の女性ファンが多い。とは言っても、彼に近い人間ほど彼のことを嫌っているようですが。それはともかく、そんな一日どころか百戦の長のある相手にあなたは、決斗に関しては素人にも等しい経験と、そのあからさまに低いモチベーションで向かわなければならない。どうやっても勝ち目がないですね」

「…………」

 バティストは仰向けで自分の腕のなかに口をうずめて、今にも寝入ってしまいそうに見えた。けれど目を細めながら、何か見えないものをじっとにらんでいるようだった。

「やる気が出ないなら、出ないなりに勝つ方法を考えるしかない……」

 そううわごとのように言って、バティストはウミウシのようにゆっくりとした動きで身体を起こす。

「決斗の経験も、不得手を補う身体能力も、やる気も、全部ない俺が、そうだな……だけで勝てる方法……それを授かるためにお前がいるんだよな、うん」

 あぐらをかいたままタカスギに向き直る。

「なぁ、教えてくれよ。東洋の神秘って奴を。あいつに勝つには、何か魔法みたいなものにでも頼らないと無理だろうからな」

「東洋ではありません、日本です」

 タカスギはきっぱり言い放った。

「そして……魔法ではありません、伝統です。あなたがもし本気で一日取り組むなら、ブノア・アンテノールくらい足の小指で倒せるくらいの力を、日本の伝統は持っているのです。すべてはあなた次第ですが」

「言っただろ? 俺はやる気がないって」

 バティストは言い切る。

「お前は俺の作戦を聞いて、それに合う技術を教えてくれりゃいい。この俺の言い方が気に入らないなら止めてもいいが、そうしてくれればあのルネとかいう奴の顔も立つ。まぁそれこそ俺の知ったことじゃないが」

 そういってバティストは魚の胆を噛み潰したようなしわがれた笑い顔を見せた。

「策があると?」

「あぁ」

 バティストは言い切った。

「正直言うとな、最初から俺は負けるつもりなんてなかったんだ。お前なんかの助けなんか借りなくても、あいつには勝てる。ただ、出来るんなら……もう少し気持ちよく勝ちたい。それだけなんだよな。なぁ、協力してくれるか? 俺のデビュー戦、シルヴィーと俺の物語が、誰も文句のつけようのない伝説にするために」

「……」


 このとき、タカスギがなにを考えていたのかはわからない。おそらく、彼には自分の職務である導入者インストラクターたるシンジケートの一員としての役目を果たす、そのことしか考えていなかったのだろう。


 だからその夜、バティスト横柄な態度にもかかわらずタカスギはじっくりと、バティストの望み通りに決斗の鍛錬を行った。もっとも、相手が要求する限りは手加減なしで、バティストは何度赤ん坊のような泣き声を上げたかは数え切れなかった……。


 ただ、もしかしたらタカスギは心の角ではこうも思っていたかも知れない。

 彼の——バティスト・メセンス言うことがはったりでもいい。けれど、明日の決斗の内容次第では——

 自分ののために利用できるかも知れない……と。

 

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