第2話 異教徒の祭り

 ケルティス人は森を神聖視している。木にはそれぞれ言葉と象徴があり、占いによって自分自身の木を知り、生きる指標とする。


 奴隷の反乱を回避するために、テリの王はあえて彼らの信仰を守った。彼らの神を尊重し、国のはたにある深い森には、テリ人の立ち入りを禁じたほどだ。


 ただし、彼らの信仰はどちらにせよ危うかった。かつて人々を導き、精霊の言葉を伝える巫女たちは、テリ人の侵攻とともに殺され、神殿は燃やされた。


 彼らが信仰しているものは、記憶のかけらに過ぎない。祈りの言葉に唱えられていた神々の名前も、木の葉のひとつひとつにこめられた意味も、今を生きるケルティス人は誰ひとり、覚えていない。


 テリ人はケルティス人の住んでいた島を占拠し、平原を切り開き、国を作った。


 東西に横たわる長方形の平原区と、北に位置する王宮、それを取り囲む王都、さらにそれを取り囲む城下町。国民の大部分が平原区に住み、役人や書記官、軍人、建築家といった上級国民だけが、城下町や王都に住むことを許されている。


 どのテリ人の家にも、一人や二人は奴隷がいた。アメヌイの家族は三つの家が連なる長屋に住んでおり、二人の奴隷を所有していた。レンナンと、彼を育てたエイラだ。しかし、レンナンとエイラに血縁関係はない。奴隷が団結しないよう、テリ人はケルティス人に里子制度を徹底させていた。


 エイラの夫でありレンナンの父親代わりでもあったケルティス人は、レンナンが五歳のころに肺の病で亡くなった。石切り場に隣接している職人の谷では常にほこりが舞い、肺の病で命を落とす者や、子どもを生みにくい女が多かった。


 レンナンとアメヌイは、七歳になったころから少しずつ、仕事を覚えこまされた。アメヌイは鍛冶職人として。レンナンは奴隷としての、力仕事や汚い仕事を。


 ティの面倒をみることも、テリ人にとって「汚い仕事」のひとつだった。


 アメヌイは真面目に。レンナンは冗談を言ってときどき間違えたり、怒られたりしながら。ふたりはやるべきことをこなしていった。


 ふたりは十三歳になった。ティは十一歳だった。


 その年、王が死に、職人の谷はざわついていた。新しい神殿を建てる必要がある。


 石職人はにわかに活気づき、彫刻家や画家も、新しい王のための作品を残すために工房にこもった。わりかしひまなのが、鍛冶職人や革細工職人だった。王都で何が起ころうと、彼らの生活はほとんど変わらない。


「今日からおまえの仕事はない」


 いつものように鍛冶職人が集まる工場こうばに行くと、父はアメヌイに言った。アメヌイは凍りついたようにそこにつっ立って、家長であり、自分にとっての絶対君主である父を見つめた。


「……どういうことですか」


「話はつけてある。石切り場に行って、親方に会ってこい。今日からそこでしごいてもらえ」

「……」


「聞こえなかったか? 石職人の修行を受けてこいと言っている」


 アメヌイはそっと視線をさまよわせた。石で建てられた工場の暗がりの中から、鉄を打ち付ける槌の音が絶え間なく響いている。鉄が赤く光り、ふいごが踏まれ、火花が散り、水に落とされた鉄が湯気を吐き出す。


 見慣れた景色に、見慣れた人々。汗を浮かべて刃物を作る仲間たちが、アメヌイ親子から目を伏せ、作業に集中している。それでも、耳だけは研ぎ澄ませて、アメヌイがどうなるかを知ろうとしているのだ。


 そうして、彼らはあとで、なんと言うのだろう? 石職人にこびへつらい、息子を建築家にしようとする父親を、なんと言うのだろう? その父親にあらがえないアメヌイを、影でなんと言うのか?


 同情か。それとも嘲笑か。


「二度も言わせるな。ここにおまえの仕事はない」


 父が言った。アメヌイは父親を見あげた。とたんに頭をぶん殴られて、道のはしまでふっとんだ。


「なんだ、その目は?」


 父に殴られるのはたいしたことではない。職人の、それも小僧の身分ではよくあることだ。今のは、反抗的な態度を取ったアメヌイに落ち度がある。


「……申し訳ありません」

「さっさと行け。向こうの親方にはそそうのないようにな」

「……はい」


 アメヌイは頭を下げ、きびすを返して鍛冶工場を去った。


 むしゃくしゃする。これほど怒りに満ちたのははじめてだった。これほど握ったこぶしが震えるとは思わなかった。これほど、誰かを憎いと思えるとは。父親だけじゃなく、あの工場にいた連中も、石職人も、なにもかも。


 アメヌイは平たんな石畳の道を歩いた。


「職人の谷」とはいえ、地形的に谷であったわけではない。平原区の東端に位置するこの地には、職人が多く住み、山や森に隣接しているからとつけられた俗称だ。石切り場は職人の谷の先、平原区から外れた岩山に位置する。


 王都の役人が許可した区域の木を伐り、石を切り出して、神殿造りのための質の良い石を削っていく。ときどき建築家がやってきては、石職人たちの働きぶりを見て、王都に必要な人材を選ぶ。


 運がよければ、そのまま王都か城下町で働くための許可を得られる。働きがよければ、定住許可も与えられるだろう。建築家になれば、家族を自分のもとに呼び寄せることもできる。父や母や奴隷さえ。


 父はそれを望んでいるのだ。


 アメヌイは、我が父ながらなさけなかった。


 ぜいたくな暮らしのため、平原区の人間を見くだす場所へ行くのか。そのために、学をつけさせようと本を与え、建築の知識も覚えこませたのか。


 十三歳ならまだ遅くない。王都学園の生徒は、十五歳になってから本格的に建築についての勉強をはじめるという。それならば、アメヌイのほうがまだ見込みがあるというわけだ。立派な建築家になって、民からは尊敬され、ともに生きてきた職人たちには、うとまれる見込みが。


「おんや? アメヌイ、お使いか?」


 石切り場への砂利道を憤然と歩くアメヌイに、とぼけた声がふってきた。


 石を円滑に運ぶためにえぐられた道の両脇は元の地形が残っていて、せり上がって森が広がる。森といっても、見通しのいい林のようなもので、ケルティス人が祈りのために使う、深い森ではないが。


 立ち止まったアメヌイが見上げると、へらっと笑ったレンナンが、かごを背負っていた。レンナンはふり返って叫んだ。


「ほら、ティ! アメヌイだぞ!」

「……レンナン」


 アメヌイのこぶしの力が、ゆるりと抜ける。

「なんでこんなところにいるんだ?」


「うん? 今夜はケルティスの収穫祭だからな。エイラに頼まれて木の実を探しに来たんだ。みんなで食べようと思って」


 そうか、とアメヌイは呟いた。


 ケルティス人はときどき、奴隷でいることを忘れて自分たちの祭りを楽しむ。信仰は奴隷に許された最後の自由であるから、テリ人も遠巻きにしつつ何も言わない。


 年に一度の収穫祭や森へ祈りに出かけたときなどに、彼らは同胞と簡単に友達になってしまう。文字を持たない代わりにおしゃべり好きで、年かさの者が精霊や占い、歌や踊りを教えるのだ。


 アメヌイも小さいころ、何度か祭りにまぎれこんだことはあったが、しだいにケルティス人のただ中に入っていくのが気まずくなった。


 だが、レンナンは毎回ティを連れていく。テリ人でも、ティのように「祝福されている」ならば、快く受け入れてもらえるらしい。


 レンナンはもう一度首をかしげた。


「おまえこそ、なんでこんなとこにいんだ? この先には森と石工しかいないぞ?」

「……今日から、その石工になれとさ」


 アメヌイは呟き、歩きはじめた。レンナンが上の道なき道を、並走するようについてくる。


「へえ? とうとうそうなるか。でもまあ、覚悟してたろ?」

「……もうこの齢になったから、父はあきらめたと思っていた」

「ああ、まあな。でもおまえらは、人生長いじゃん?」


 レンナンは笑い、うしろをふり返った。

「ティ! こっち来いってば、おいてっちゃうぞ!」


「なさけない。鍛冶職人だって立派な仕事だ。それを、王都に住めるからって、息子を建築家にさせるだなんて……」


「おいおい、まだ石職人になれって言われただけだろ?」


「同じだ。父はそのうち、おれに建築家の弟子入りをさせる。そのための段階なんだ、これは」

「そうかもねえ」


 レンナンは背中のかごを背負い直し、どうしたものか、という顔をする。そのうしろから、ティが走って追いついた。レンナンは手をさしのべたが、ティはその手をとることなく、無視してその先へ走り去る。


「……まあ、世の中は思い通りにはいかねえやな」


 無視されてしまった手をぷらぷらとふって苦笑いしながら、レンナンはアメヌイを見た。


「気を落とすなって。石職人だって建築家だって、立派な仕事だろ?」

「はあ?」

「鍛冶職人と同じだよ。どっちがえらいとか、ないだろ」


 アメヌイはそっぽを向いて歩き続ける。


 そんなことはわかっている。いや、わかりたくないから、言わないでほしい。アメヌイの足が早まり、石切り場が見えてきた。


「じゃあ、がんばれよー!」


 アメヌイはぴたりと立ち止まって、ふり返った。レンナンはすでにティを追いかけて、木々の奥へと走っていた。森をおおいつくす木の葉のすき間から光が幾筋も降りていき、ティとレンナンをときどき照らした。紫色の派手な背中を見つめ、アメヌイはため息をつく。


――どっちがえらいとか、ないだろ。


 わかっている。職人の谷に住む者なら、誰もが身に染みて知っている。


 しかし、他の人々はそう思っていない。王都や城下町の人間は、職人たちに上下をつける。本来なら対等であるはずなのに、周りがそういう扱いをしない。


 しかし、結局は言い訳なのかもしれない。心が狭い自分たちへの。


 アメヌイはかぶりをふって、ふたたび石切り場へ歩き出した。




 石切り場には、これまで何度か来たことがある。しかし、これほど活気に満ちているのははじめてだった。


 奴隷の数があきらかに増え、建築家たちが総出をなしてやってきて、図面を広げて指示を飛ばしている。石職人たちは石にのみを当て、彫刻家がいい石を譲り受けるために交渉していた。アメヌイと同じか、それより若い小僧も走り回っている。


 アメヌイは通りかかったテリ人に探し人を尋ねた。


 石職人の親方は、町で何度も見かけたことのある顔だった。帽子とベストがえんじ色の、ずんぐりした白髪交じりの男だ。父や職人仲間がひそひそと、あるいは大っぴらに悪口を言う相手であったから、アメヌイはどこか居心地の悪いままにあいさつを述べた。


「おい、エドフ!」


 親方は小僧を呼んだ。職人たちが行きかう中を、十五、六の少年が石の上をひょいひょいととびこえてやってきた。アメヌイは相手を知っていた。同じ長屋に住む、二軒隣のご近所さんだ。とはいえ、親の仲があまりいいとは言えず、あいさつもそこそこの間柄であったが。


「今日からおまえの弟弟子だ」


 エドフはナイフで切り裂いたような細い目を向け、黙ってうなずいた。そしてアメヌイに「来い」とだけ言うと、さっさと岩を飛び越えていく。アメヌイは一瞬だけ親方を不安げに見たが、すぐにエドフのあとを追いかけた。


 エドフが連れて行った先には、まだ小さい小僧たちがでこぼこの石にくさびを打ち込んでいた。一列にくさびを打ち込み、一気に石を割る。それから、ノミを当てて槌をふりおろす。砂ぼこりにまみれ、あたりはけぶかった。粉々になった石のかけらを、ケルティス人の奴隷がかき集めて麻袋に詰め、背負って運んでいく。


 小僧たちは石切り場にあらわれた鍛冶職人の息子をちらちらと気にしていた。


「ノミを使ったことは」

 エドフがぶっきらぼうな声を出す。アメヌイは首をふった。


「槌なら慣れているが」

「だろうな」


 ノミや槌が並べられたござの上にかがみこみ、エドフは一番さびているものを選んでアメヌイに渡した。そして、まだ八歳か九歳くらいの小僧たちが一生懸命石を削っているほうを指さした。小僧たちはごつごつした岩を、とりあえず正方形に近づけるためにノミを当てている。


「今日はあいつらと練習しろ。筋が良ければ他の仕事をみつくろう」


 アメヌイは黙ってうなずいた。オレンジ色の帽子を深くかぶり直し、子どもたちのただ中へ、いやな顔ひとつせずに入っていった。




 夕方になると、職人たちは帰り支度をはじめた。暗くなれば、明かりをつけて作業をしなければならない。残って仕事をしたければ、自前の油で勝手にやれ、というのが石切り場での当たり前らしかった。鍛冶場では常に火をおこしての作業であるから、アメヌイにとっては少々拍子抜けのする考え方だ。


 職人たちが帰る列に、アメヌイもいた。小僧たちから離れ、なるべく石職人たちと目を合わせないようにした。


 石切り場と職人の谷を結ぶ林を抜けると、楽しげな音楽と笑い声が聞こえてきた。


「ああ、連中の祭りは今日だったか」


 石職人のひとりが言って、ばかにしたような笑いとため息がもれた。


 そういえば、道を急ぐ荷運びのケルティス人や馬の毛を研ぐケルティス人が、今日は見当たらない。いつもなら外まで笑い声がもれ聞こえてくる公衆浴場もしんとしていた。


 職人たちと一緒になって家路についていたケルティス人の奴隷たちが、肩を小突きあって笑いあい、広場へ走り出した。職人たちは歩くはやさを変えずにそれを見送った。


 アメヌイは自分の家への分かれ道でふと足を止め、少し考えてから広場へ歩きだした。職人たちと離れ、ひとりきりで歩いていく。


 真ん中に公衆井戸のある小さな広場は、色とりどりの布や糸で飾り付けられていた。火がたかれ、楽器を奏でる者がいて、女も男も子どもも、笑って踊りまわっている。中にはテリ人の子も混じっていたし、大人のテリ人も一人二人いた。だが、その一人二人は、変わり者として有名な人間であったが。


 路上に鍋が持ち出され、香ばしいにおいがあたりを満たす。踊り疲れたケルティス人があちこちで車座になり、子どもたちに伝説の巫女や精霊たちの話をしていた。


 アメヌイは視線をさまよわせ、いるであろう人間を探した。しかし、動き回っているうえに人が多すぎて、なかなか見当たらない。


 イラついていると、背後から声がした。


「あら、アメヌイぼっちゃま」

 アメヌイは飛びあがってふり返った。


 ケルティス人にしては背の低い女。レンナンを育てたエイラだった。


 はっとするほどに薄い青い目をして、鼻と頬にそばかすが広がっている。見ているだけで気の毒になってくるほど肌が白く、華奢な手足は折れてしまいそうに見えた。だが、彼女は誰よりも頑丈で、重い粉袋も軽々と持ち上げるのだ。


 エイラは今も、いっぱいのリンゴが入ったかごを両手に持って、にこにこと笑っている。すぐうしろには、エドフの家の奴隷女が同じようにイチジクの入ったかごを持っていた。その背には、まだ立てない赤子を布でぐるぐる巻きにしておぶっている。


 主人同士がいがみ合っていたとしても、奴隷たちにはあまり関係がなさそうだった。エイラは近所付き合いがうまくいっているようで、互いにとても仲が良かった。


「ぼっちゃまも来てくだすったんですね」

 あまりにも迷いのない笑顔に、アメヌイはとっさに言葉が出てこない。


「ティも楽しんでいますよ。こちらです」

「いや――おれは」


 これだから、ケルティス人は厄介なのだ。


 自分たちが楽しければ、すべて良しとしてしまう。アメヌイが後ずさりをしていようがいまいが、手首をつかんでぐいぐいと引っ張っていく。


 色とりどりの服を着たケルティス人の中を、手を引かれて縫うように進む。どの顔も楽しげで、アメヌイを見てもいやな顔ひとつしない。むしろ、よく来なすったというように、驚き半分、うれしさ半分という顔でアメヌイを迎えている。


 アメヌイは心もち顔を伏せた。暴力的なまでの無邪気さから、逃げ出してしまいたかった。


 エイラが連れて行った先に、レンナンがティと踊っていた。他のケルティス人も輪になり、刺繍された派手な布を手に持ち、くるくると丸めたり、広げたりして舞い踊る。


 火を取り囲んだ彼らは、ほとんど黒い影のように見えた。影が、魔法のように色とりどりの布をはためかせて踊っている。曲に合わせ、ひざを叩き、笑いあいながら。


 エイラは座っている人の中に仲間を見つけてアメヌイの手を離した。引かれた力を失って、アメヌイはひとりそこに立ちつくした。


 人々の輪の中で、ティが笑っている。


 今の彼女に言葉はいらなかった。誰も、彼女にそれを求めていなかった。そんなものは必要ない。ここでは、誰も気にしない。


 アメヌイは気づいた。今まで、一度も妹をきれいだとは思わなかったことを。アメヌイはティを醜いと思っていた。はっきり口に出しては言わなかったけれど、心の底で思っていた。


 しかし、ケルティス人の笑顔に囲まれて、レンナンと踊っているティは。


 きれいだった。


 ティの顔がこちらを向く。アメヌイに気づいて、「ママ!」と指をさす。


 アメヌイを母親と間違えたわけではない。ティは「ママ」という言葉を理解していないのだ。「見て!」という意味くらいにとらえている。母親以外にも、ティは「ママ」と言う。誰にでも。


 アメヌイの母がそれに気づいたとき、母は娘を自分の手で育てることをやめてしまった。それについて、父は何も言わなかった。


 レンナンがアメヌイに気がついた。来いよ、と身振りで示す。ティに手を取られて、笑いながらまた踊りはじめる。


 あのただ中に、自分が入っていく権利はない。


 燃える火と、踊り、笑い、歌う人々を遠くに見つめながら、アメヌイは思った。


 彼はきびすを返し、そっと笑い声のうずから歩き去った。

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