第5話 (自称)第五皇子・月天丸

 幸いにも月天丸の犯行様式は実に目立つものだった。

 まず予告状を悪徳商人や金貸しの邸宅に矢文で射ち込む。そしてそれと同じ文面を街中の塀や壁に貼りまくる。


 そうして集まった大量の野次馬の前で、見事に悪党の財物を掠め取ってみせるわけだ。


「なるほど。単に派手好きっていうより、野次馬を利用してるんだろうな」


 最新の予告状が貼られていたのは、寂れた長屋の土塀だった。普段は人気もなさそうな貧民街の一角だが、今は予告状の実物を見に大量の野次馬が押し寄せている。ちょっとした騒ぎになっているほどだ。


 実際の現場でもこの騒ぎを起こすことこそが月天丸の狙いだろう。

 商家の周りに大量の野次馬が集えば、どこに月天丸が紛れているか分からないから、警備を分散せざるを得ない。

さらに逃げるときも人ごみに紛れてすぐに姿をくらますことができる。


 大胆不敵なようでいて、実は用意周到な盗人と見える。

 目の前の予告状に手製の印が捺されていることからもその性格が窺える。模倣犯や悪戯を防止する意図だろう。


 そして肝心の文面はこうだ。


『新月の鼠日(ねのひ)。四つ八の辻。悪辣なる阿片(アヘン)売りの財を清めに参ずる』


 新月の鼠日というのは今日のことだ。四つ八の辻とは安都の区画を示す。そして最後は標的。

 名指しをしないのは上手い手だと思う。これで警備を固めれば、自らが阿片売りであると自白しているも同然となる。


 とはいえ、念のための自衛といわれればそれまでだ。

 おそらく阿片売りとやらは証拠隠蔽やら賄賂やらで上手いこと立ち回って、役人からは摘発を受けないようにしているのだろう。そうした真っ当な官吏の手の届かぬ悪を裁くのが月天丸というわけだ。


「といっても、役人側の取締姿勢にも改善努力がいるな。義賊に頼りきりじゃ酷すぎる」


 月天丸が皇帝の跡継ぎとなった暁には、ぜひ自らの手でその辺を改革してもらいたい。大いに期待している。


 俺はそっと予告状に背を向けて、四つ八の辻の方へと足を運ぶ。ある決意を胸に固めて。

 その決意とは――今夜、月天丸の身柄を確保することである。



――――――――――――――――……



 夜の辻は熱狂していた。

 野次馬たちが所狭しと往来を埋めており、周囲の土塀の上には行燈が大量に置かれて昼日中のごとく道を照らしている。


 泥棒らしい黒装束を調達して着こんだ俺は、辻から少し離れた場所に立つ木に登ってその様子を見下ろしていた。


「あの屋敷か」


『うちが阿片売りです』とばかりに物々しい警備を固めている屋敷はすぐに見つかった。周りの家の粗末な土塀と違って、そこだけは漆喰塗りの真っ白な塀を誇っている。さらにその塀の前には等間隔に雇われの用心棒が配置されている。


 敷地内に立つ家屋や蔵も外壁は石造りで頑丈さをうかがわせる。目当てはやはり、最も警備の固められた最奥の蔵だろうか。しかしあそこには妙な空気が――


 そう思っていたとき。


 辻周りの土塀に置かれていた行燈のうち、ある区画のものが複数同時に消えた。

 屋敷の漆喰塀の上にも松明はある。真っ暗闇になるということはなく、煌々とした明るさが夜らしい薄暗さに落ち着いただけだ。


 しかし、明るさが失われた一瞬の隙。用心棒と野次馬たちの目が切り替わる一瞬の間に、音もなく漆喰塀を一跳びで越えていった者がいた。


「なかなかいい動きだな。皇帝の嫡子っていうのも十分あり得るぞ」


 姿を現した月天丸に胸の期待が膨らむ。俺は喜々として木から飛び降り、屋敷に向かって民家の屋根と塀を伝って駆けていく。


 月天丸を見つけてしばえば後はこっちのものだ。

 こちらも覆面で顔だけは隠してある。警備の用心棒に見つかろうとどうでもいい。一目散に屋敷に突っ込んで、月天丸をさらってトンズラする。

 どんなに数がいようと、市井のチンピラ上がりどもに俺を止めることはできない。


「待ってろよ弟……!」


 必ずやお前を皇帝にしてみせる。

 そう思って物陰から屋敷に接近し、いざ塀を飛び越えようとしたところで、騒ぎが一層大きくなっていることに気付いた。


 月天丸の侵入がバレたのかと思ったが、違った。

 屋敷の敷地内から、夜天を舐めるような巨大な火の手が上がっていたのである。


「……まさか!」


 俺は迷わず駆け出した。覆面の怪しい男(俺)に用心棒たちが武器を構えるが、そんなものは敵にすらならない。用心棒たちの刀剣が届く前に俺は高々と跳躍して、漆喰塀を容易く乗り越える。


 そこから見下ろした屋敷内の光景は、惨憺たるものだった。


 敷地の中にいたであろう二十名程度の用心棒はいずれも気絶させられている。これはおそらく月天丸の手によるものだ。だが、彼らが最も厳重に守ろうとしていた奥の蔵。


 外から見えた火の手の元は、その蔵だった。

 石造りで半端には燃えぬはずの蔵が、油に包まれたかのように火を噴いている。


「月天丸の仕業か……? いや」


 財ごと焼いてしまっては義賊としての収穫が得られない。それに阿片商人の蔵だ。不用意に放火などしては、周囲に阿片の煙が拡散する恐れがある。


「おい、起きろ」

「ん。んん……?」


 こういうときは尋問に限る。そこらに転がっていた用心棒の頬を叩いて起こし、目を覚ますなり蔵を指差す。

 俺は敢えて自らの覆面を外し、


「警備の増援に来た。月天丸はどこだ?」

「ぞ、増援……? ああ、そりゃあ助かった。ありがてえ。あの野郎、馬鹿みてえに強くて……」

「感想はいい。月天丸はどこにいる? それにあの蔵の炎はどうした?」


 指で蔵を示すと、用心棒の男は嫌らしく笑った。


「ああ。なんだ、上手くいったんだな。なら増援はいらねえや」

「上手くいった?」

「おうよ。ありゃあ親分の罠よ。本物の財産を囮にして、あの蔵を鼠捕りの罠に仕立てたってわけよ。まさか月天丸の野郎も、本物のお宝ごと火で焼かれるとは思いもしなかったろうよ。ざまあ――」


 聞き終わる前に俺は用心棒を放り捨てた。

 なんということだ。俺がチンタラとやっている間に、月天丸がそんな窮地に陥っていようとは。


 走りながら、そこらに転がっていたチンピラの大太刀を掠めとる。

 目の前には鉄で作られた蔵の扉。鼠捕りの罠というに相応しいほど固く閉ざされており、普通ならば人間一人でこじ開ける術はない。


 普通の者なら。


「助けに来たぞっ! 死ぬな月天丸!」


 普通ではない者――皇帝の嫡子の中で最も才に溢れるこの俺の豪剣が閃いた。

太刀筋はまるで水でも斬ったかのごとく滑らかに鉄扉を裂き、蔵への入り口を強引に開かせる。


「おい! 生きてるか!? 生きてたらさっさと逃げるぞ!」


 叫びながら俺が突入すると、火の手が伸びる蔵の中で、今にも炎に覆われそうな床の上に倒れている黒装束の人影があった。


「くそ!」


 駆け寄ってすぐに担ぐ。蔵から出ると本物の増援が来ていたが、相手にしている場合ではなかった。


月天丸を担いだまま脱兎のごとくその場を離れ、漆喰塀を跳び越えて外に逃れる。

 幸いと野次馬たちは火の手が上がった騒ぎで混乱しており、その隙を縫って逃げるのは容易かった。


 少し離れた廃墟の庭まで逃れた俺は、月天丸を地面に寝かせる。

 胸が上下しているから息はあるようだが、まだ意識を失ったままである。


「悪いけど覆面取るぞ。呼吸の邪魔だろうからな」


 意識もないのに一応の詫びを言ってから、月天丸の顔を覆っていた黒布を引き剥がす。

 さて、俺たち兄弟と少しは顔が似ているだろうか。


 しかし、そこにあった顔は予想外のものだった。


「……女?」


 覆面の下で寝息を立てていたのは、編髪を頬に揺らすまだあどけない少女の顔だった。十三か十四といったところだろうか。俺もまだ十六だが、この年代で数年の差は大きい。


「腹違いだろうからあまり参考にはならんが、少なくとも姉上には似てないな……」


 二朱は色気のある美人という感じである。一方こちらの月天丸は、歳の差を考えても幼げが濃い。美人というよりも、子供っぽい可愛らしさというべきか。よく見たら背丈もかなり低い。

 いや、疑うな。きっとこれは皇帝の隠し子である。そうでなければ俺が困る。


 幸いにも、脈に触れてみても命に別状はなさそうである。

 自然に目を覚ますのをしばし待ち、夜空が薄れて僅かに青みを帯び始めてきた頃、月天丸が喉を鳴らした。


「う、うぅん……?」

「おお気づいたか!」


 俺が呼びかけると、一気に月天丸は目を見開いた。

 素早く立ち上がって俺から飛び退き、こちらを睨みながら野生の獣のごとき警戒の視線をこちらに向けてくる。


「貴様、何者だ!」


 装束の腰から抜いた小刀を逆手に握り、月天丸は俺に尋ねてくる。逆に俺は、安堵に顔を綻ばせて陽気に自己紹介する。


「お前の兄だ。いやあ威勢がいいな。安心したよ。お前ならいい女帝になれる」

「……は? ……は?」


 まだ意識が朦朧としているのだろうか。月天丸は、口を半開きにして何度も同じ呟きを繰り返していた。

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